「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県南島原市  ・  近代土木遺産 「 口之津灯台 」

2013-03-28 00:09:43 | 近代化産業遺産・土木遺産






























































近代土木遺産 『 口之津灯台 』




■ 所在地 / 長崎県南島原市口之津町土平崎
■ 竣 工  / 1880年 ( 明治13年 )
■ 設計者 / 不詳
■ 海上保安庁指定保存灯台


島原湾を見下ろす小高い丘の上に気品あるスクエア灯台が、
かつての石炭積み出し港の栄華を映し出す。
瀟洒な白い外観からは想像できないが、煉瓦積みの灯台である。
大航海時代から南蛮船も寄航した口之津は、明治11年に長崎税関口之津支庁が設置されると、
大牟田の三池炭坑から次々と石炭が運ばれるようになって来た。
明治22年には特別輸出港として発展を遂げる。
そんな時代に造られたのが口之津灯台である。
地上から塔頂までの高さは6.6mだが、存在感に溢れており、
シンプルで美しい灯籠部と蛇腹を回した8角形の灯塔は独特で繊細なディテール。
全国的にも珍しい煉瓦造りと初期の洋式灯台に見られるような縦方向だけの美しいフレームに心を奪われた。




所在地 / 長崎県南島原市口之津町土平埼 
塗色  / 白色
構造  / 塔形   
構造材質 / 煉瓦造
灯質  / 群閃白光 毎7秒2閃光
光度  / 実効光度4700カンデラ  
光達距離 / 12.5海里 
頂部までの高さ / 6.6m
平均水面から灯火までの高さ / 40.0m
現用灯器 / LC管制器Ⅱ型
電球 / C-1
設置、点灯および業務開始年月日 / M.13.5.10


口之津灯台へのアクセスは、
口之津港から旧税関がある方向に向って行くと口之津公園がある。
そこに入らず通り過ぎると、左に入って行く農道がる。
ジャガイモ畑の中を道なり行くと灯台が見える。
道が狭くて駐車場がないので農作業の邪魔にならないように駐車しなければならない。
車を止めた場所から灯台まで歩いて行ける。



熊本県人吉市 ・ 人吉城 「 御下門跡の桜 」

2013-03-28 00:06:52 | 花・鳥・虫・魚・猫






























写真も動画も御下門跡の桜であるが、「下の御門」とも呼ばれていた。
本丸・二の丸・三の丸に登るための唯一の門で、城主や家来専用。
櫓の床下が門になっていたらしい。

人吉は、相良氏2万2000石(実収12万石)の城下町で700年の歴史を持つ、
中央を流れる球磨川のなめらかな水面に、人吉城の石垣が影をおとしている。
この人吉城は別名繊月城と呼ばれ、球磨川を天然の外堀とした見事な規模を持った城です。
春は桜の名所でもあり、町中には武家屋敷など往時を思わせる史跡も残っています。

また、人吉は源泉が30ケ所もある湯量豊富な温泉町でもあり、
市内には共同浴場も多く点在し、中でも最も古いのが元湯という共同浴場です。

人吉は九州の小京都と呼ぶにふさわしい風情を醸し出す、
歴史と温泉とせせらぎのある落ち着いた町である。




沖縄県宮古島市 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 忠導氏仲宗根家 」

2013-03-28 00:04:21 | 離島めぐり








平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


仲宗根豊見親を祖とする忠導氏は、
旧藩時代には白川氏とともに宮古を二分するほどに勢力をふるった旧家である。
仲宗根豊見親は与那覇原との戦いに勝って宮古を統一した目黒盛豊見親の玄孫で、
白川氏三代目大立大殿にかわって宮古主長になった人物だと伝えられている。
「球陽」によれば、1500年、仲宗根豊見親は八重山のオヤケアカハチを討つ中山軍の先導をした功績により
宮古の頭職に、また、夫人宇津免嘉は初代大安母に任命されたと記されている。
その後、忠導氏とその支流(三男・知利真良豊見親を祖とする宮金氏、
妾腹の子・金志川那喜大知豊見親を祖とする仲立氏)一門からは、
多くの頭職(平良、砂川、下地)をはじめ首里大屋子、与人など、
この島の中枢に位置する数少ない要職をつとめる者がでた。
忠導氏正統仲宗根家の位置する地域の里名は外間(ぷかま)で、
同家を大外間(うぷぷかま)と称していた。
なお、同家に所蔵されている数十点の文書、史、資料類の多くは18世紀ごろのものであるが、
なかには16世紀にさかのぼるものもあり、代々、当主が引き継いできたものである。
同氏の勢力の推移および宮古の歴史の流れを解明するうえで重要な文化財である。