
学問の神さま 「 太宰府天満宮 」本殿

中世の鳥居
中世の鳥居は太鼓橋の手前にあり、花崗岩製の明神型の鳥居である。
高さは6.17m。笠木の反りはゆるやかで、柱高より柱間が広く造られている。
神社明細図には「筑後国有坂城主新田大炊建立」と記載されているが、建築年代は不明。
形式から南北朝から室町時代とみられている。

心字池の太鼓橋
漢字の「心」の字を象った池に掛かる御神橋三橋は、手前から過去・現在・未来を表し、
三世一念の仏教思想を残した物と伝わります。
この橋を渡ると心身ともに清められるとも謂われています。

楼門
重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門。全体は朱塗りされ、
堂々たる風格にあふれた佇まいが見事です。
慶長年間(1596~1615年)に石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、
1914年に再建されました。

本殿 ( 神殿 )
太宰府天満宮は、菅原道真(すがわら みちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、
その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社です。
「学問・至誠(しせい)・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、
年間に約700万人の参拝者が訪れています。
成り立ち
道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになりました。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、
一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。
しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、
延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、
ご生涯を終えられました。
門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、
牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、
その地に埋葬されることとなりました。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、
延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。
その後、道真公の無実が証明され、
「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、
「天神さま」と崇められるようになりました。
長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、
御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、
今日でも多くの参拝者が訪れている。