「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

福岡県太宰府市 ・ 学問の神さま 「 太宰府天満宮 」

2013-03-16 06:46:33 |  滝 ・ 名所 ・ 神社仏閣



学問の神さま 「 太宰府天満宮 」本殿









中世の鳥居

中世の鳥居は太鼓橋の手前にあり、花崗岩製の明神型の鳥居である。
高さは6.17m。笠木の反りはゆるやかで、柱高より柱間が広く造られている。
神社明細図には「筑後国有坂城主新田大炊建立」と記載されているが、建築年代は不明。
形式から南北朝から室町時代とみられている。








心字池の太鼓橋

漢字の「心」の字を象った池に掛かる御神橋三橋は、手前から過去・現在・未来を表し、
三世一念の仏教思想を残した物と伝わります。
この橋を渡ると心身ともに清められるとも謂われています。








楼門

重層の入母屋造り、檜皮葺の二重門。全体は朱塗りされ、
堂々たる風格にあふれた佇まいが見事です。
慶長年間(1596~1615年)に石田三成が再興しましたが明治時代に焼失、
1914年に再建されました。






本殿 ( 神殿 )












太宰府天満宮は、菅原道真(すがわら みちざね)公の御墓所(ごぼしょ)の上にご社殿を造営し、
その御神霊(おみたま)を永久にお祀りしている神社です。
「学問・至誠(しせい)・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、
年間に約700万人の参拝者が訪れています。

成り立ち
道真公は、承和12年(845)に京都でお生まれになりました。
幼少期より学問の才能を発揮され、努力を重ねられることで、
一流の学者・政治家・文人としてご活躍なさいました。

しかし、無実ながら政略により京都から大宰府に流され、
延喜3年(903)2月25日、道真公はお住まいであった大宰府政庁の南館(現在の榎社)において、
ご生涯を終えられました。
門弟であった味酒安行(うまさけ やすゆき)が御亡骸を牛車に乗せて進んだところ、
牛が伏して動かなくなり、これは道真公の御心によるものであろうと、
その地に埋葬されることとなりました。
延喜5年(905)、御墓所の上に祀廟(しびょう)が創建され、
延喜19年(919)には勅命により立派なご社殿が建立されました。

その後、道真公の無実が証明され、
「天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)」という神様の御位を贈られ、
「天神さま」と崇められるようになりました。

長い年月、道真公へのご崇敬は絶え間なく続き、
御墓所でもある太宰府天満宮は全国約12,000社ある天神さまをお祀りする神社の総本宮と称えられ、
今日でも多くの参拝者が訪れている。




沖縄県宮古島市 ・ 平良綾道 ( ピサラアヤンツ ) 「 ユーラジ御嶽 」

2013-03-16 06:44:12 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所











道路わきに立つ路標





平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたものを紹介して行きたいと思っている。


ユーラジ御嶽には東側に祠があり、中に2基の香炉が置かれている。
また、祠の傍には石が2個並べてあり、神が天に上がる処といわれている。
この御嶽の辻で夜占い ( ようらない ) が行なわれていたということで、
ユーラジ ( 夜占いの地 = ユウラの地 = ユウラジ ) 御嶽と称されている。

『 宮古島記事仕次 』 によれば、宮古の古い習俗に、吉日を選び、
火の神に焼香して 「 玉城 ・ 普門好善 ( たまぐすく ・ ふもこぜ ) 」 と唱え、
道行く人の言葉の吉凶に従って事の善悪を知る夜占いがあった。

玉城 ・ 普門好善については、久場嘉按司の一人娘に普門好善という容顔うるわしい女がいた。
琉球の人で玉城という商人と夫婦になり、男の子を一人もうけた。
玉城は商用で八重山に渡り、何年か後に帰島して、夜遅く普門好善の家を訪ねた。
外から家の中を窺うと、子どもが夜泣きして普門好善があやしていた。
泣き止まぬ子に普門好善は、 「 流浪人の子が何で夜泣きするのだ 」 と叱りつけた。
これを聞いた玉城は家の中に踏み込み、 「 私は公用で旅をする。流浪人とは何事か 」 と怒り、
子どもを奪い取ってそのまま船を出し、琉球を目指して出発した。
琉球に着い玉城は夜遅く首里に帰る途中、占いの名人の家に寄った。
占い師は、 「 当国の人南国に遊んで善子を得て帰るとの卦が出ている。
この子は必ず按司となるだろう 」 と占った。
その占いの通り子どもは成長して按司になったという。


所在地 : 宮古島市平良 東仲宗根



熊本県天草市   「 鬼池港 」

2013-03-16 06:42:56 | 探訪 ・ ドライブ



長崎の口之津を結ぶフェリー乗り場









鬼池港フェリーターミナル








海に向かって天草四郎の像が建っている






熊本の小国から巡って来た旅もこの天草下島で熊本県から離れ、長崎県へと移る。

鬼池港は天草下島の最北端に位置する天草市五和町に在る港である。
天草市の北の玄関口として対岸の長崎県口之津港と結ぶフェリー(島鉄フェリー)が就航していて、
物流、観光面において重要な港になっている。
以前、フェリー切符売り場が入っていた古い木造の建物は、天草の北の玄関口としては、
ちょっと寂しい雰囲気があったが、
最近建て替えられ、島の玄関口にふさわしい(長崎のグラバー邸風な)モダンな建物になっている。

目の前に見えている島原半島とは30分ほどでつながるが、
熊本県と長崎県という行政区分の違う土地である。
ほんの30分の船旅で、違った文化を感じることが出来る。
例えば車のナンバーである。
天草では熊本ナンバーだったのが、長崎ナンバーのオンパレードである。
フェリーが到着し、車を順番待ちの駐車場で待っている時は気持ちが逸る。

毎度の事ながら、船上で潮風に吹かれ、波に揺られる船旅はワクワクするものである。