「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

沖縄県南城市  「 奥武島観音堂 ( おうじまかんのんどう ) 」

2013-03-19 06:27:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所












奥武島観音堂は、1687年に蘇州の商船が浜比嘉島に漂着し、
久米村の鄭 弘良が引率して奥武島へ連れて来た。
そのとき、島民が世話をした御礼に堂を建てたものである。
本尊は仮に板に書いて奉安した。
船の修理も終わって翌春帰国した。
同船の乗員とおぼしい人が、たまたま中国に来ていた久米村の砂辺に観音像を依託した。
しかし砂辺はその意味が解らず、帰郷して久米村の東禅寺に仮安置しておいた。
それから30年余り経った1726年に、天王寺の徳叟宗智がこれを開き、奥武島に遷座された。
徳叟和尚は円覚寺の住職となり、1730年74歳で死去した。

観音堂は1753年に再興し、円覚寺の堪玄和尚が撰文した。
年月が経って堂は荒廃したので1812年、玉城按司朝昆、玉城親方盛林、
奥武村地頭代の大屋仲栄真親雲上らが堂を再建し、祭祀は大屋バラが務めた。
当時、観音像は金箔だったといわれ、沖縄戦で米兵が持ち去っており、
現在の像は昭和37年に陶製の物を安置したもので、
堂は昭和40年に再建されたものである。




長崎県南島原市 ・ 口之津港にある 「 巨大南蛮人形 」

2013-03-19 06:26:33 | 探訪 ・ ドライブ















口之津港の向かいにある 「 南蛮人の大きな像 」 である。
一軒家の屋根くらいの高さがあるので、
近くで見ると思ったよりも大きくて上から見下ろされて圧倒された。
左隣の石碑には 「 殉国の人々 郷土を離れた地 」 と記されている。




大分県院内の石橋 7 「 香下神社第一神橋 」

2013-03-19 06:24:28 | 大分の石橋



下流側から見た石橋













橋の通路部






香下神社の鳥居



所在地 /  大分県宇佐市院内町香下 ・ 妙見川支流・谷川
架橋  /  大正4年
石工  /  不明
長さ   /  180㎝  幅  / 177㎝ ( 72+105 )
拱矢  /  150㎝   径間  /  170㎝
桁厚  /  上35㎝ 下31㎝  
二枚自然板橋



香下神社第一神橋は、香下神社の左側を流れる谷川に架かる橋で、一番下に架かっている。
橋は二枚の自然石を利用して架けられているが、下流側は平たいテーブルのような石を、
上流側は丸くずんぐりとした石を用いており、違った味わいを両者が醸し出している。


香下神社第一神橋へのアクセス
香下神社第一神橋へは、宇佐別府自動車道の院内インターのすぐ横になるため、
院内インター入り口を過ぎて日田方面に50mほど行った右側に香下神社がある。
橋は神社の階段を登らずに左側に歩いて70mほど行くと左に橋が架かっている。
駐車は神社下の橋の脇に邪魔にならないように駐車した。