「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

NHK特集ドラマ 『 ラジオ 』

2013-03-27 00:08:00 | 日記 ・ イベント



ふるさと女川からバスに乗って東京の大学へ向う 「 某ちゃん 」





久し振りに考えさせられるドラマを見た。
昨夜NHKで放送された 「 ラジオ 」 というドラマである。


東日本大震災の被災地・宮城県女川町。
ここに今も放送を続ける臨時災害放送局がある。
震災の一か月後に地元の人たちの手で作られた「女川さいがいFM」である。
このドラマは、地域に必要な情報を届けようと集まった、
高校生など若いスタッフと地元の皆さんをモデルにしている。

原作となったのは、「女川さいがいFM」にアナウンサーとして参加している女子高生のブログである。
そこには、震災からの二年間、被災の現実と向き合いながら、
前を向いて歩んで行こうとする若者の胸の内が綴られていた。


<ストーリー>
 震災から10ヶ月。
仮設住宅に引きこもる女子高生「某ちゃん」(刈谷友衣子)を心配した兄貴分の蒲鉾店四代目
國枝(吉田栄作)は、半ば強制的に女川さいがいFMに参加させる。
しかし、ほとんど何もしゃべれない、何も伝えられない…。
落ち込む彼女に、父親(豊原功補)が、「話すのが苦手ならば文字で表現したらいい…」とブログを勧める。
彼女は、自分自身の心情を少しずつ綴り始めて行く。
 
そんな某ちゃんが放送で流したロックミュージック ( 負け犬 ) を、ネット配信で耳にしたのは、
東京で働く飛松(リリー・フランキー)。
なぜか心惹かれ…某ちゃんとのメールのやりとりが始まる。
さいがいFMの仲間たち(安藤サクラ・新井浩文)にも支えられ、
某ちゃんは次第に元気を取り戻し、未来に希望を持ち始めていく。
 
そんな時、瓦礫の受け入れについて書いた某ちゃんのブログが突然炎上する。
普段は10人程だった閲覧者が100万人を超えた!いったい何が起こったのか?
…窮地に立たされる某ちゃん…そして仲間たち…
 
被災地女川で「ブログ」と「ラジオ」を経験し、
自分自身を取り戻していく女子高生と仲間たちの物語は、震災を描くドラマではない。
「心」の復興を描くドラマである。


何故?某なのか。
このニックネームをつけた同級生の男の子は津波に流されたので、
その意味も解らないままだが、
某ちゃん自身も解らないところがいいみたいだった。

バスから降りて来た飛松さんに「君の本当の名前を教えてくれないか」と訊かれ、
私は、「 某ちゃん 」だと答えた。
それからバスで東京に向うシーンのバックに流れた 「 応援歌 」 に胸が詰まった。

震災から2年の時が過ぎ、忘れかけていたことを改めて考えさせられたドラマだった。
これからも微力ながら東北を応援して行きたいと思っている。




沖縄県北中城村   「 中城若松 ( なかぐすくわかまつ ) の墓 」

2013-03-27 00:04:17 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所



中城若松の墓







若松公園の入り口に立つ 「 若松の像 」








切り石に囲まれた墓庭と墓







墓の横に立つ墓標







火ノ神 ( ヒヌカン ) の拝所から見た墓







墓標の横にある若松の説明







若松の墓の裏側にある 「 妻と母の墓 」







墓の奥にある拝所 「 火ノ神 ( ヒヌカン ) 」







火ヌ神からの眺望 ( 米軍施設 ・ キャンプテラスハイツ喜舎場 )












中城若松は、安谷屋 ( あだにや ) の若松ともいい、
玉城朝薫作の組踊 「 執心鐘入 」 ( 1719年 ) の主人公のモデルとなった人物といわれる。
また、中城若松は尚円王 ( 金丸 ) と安谷屋ノロとの間に生まれた子どもともいわれ、
若松が誕生した屋敷は安谷屋グスクの北側の安里原だという。
安谷屋若松は首里王府の小赤頭 ( 給仕役 ) を勤め、母の実家である安谷屋村から通っていた。
稀にみる美少年であるため、首里へ通う彼を見ようと乙女たちは胸をときめかせていたという。

おもろに 「 あはれ ( 立派な ) 若松、肝あぐみ ( 愛されている ) の若松 」 と謡われている。


父が王位に就いてから、若松は安谷屋城主となり、安谷屋按司となった。
その後、異母兄弟の尚真が王位に即位して、 「 中央集権 」 により首里に上り、
上間村( 現在の那覇市上間 ) の地頭職に就き、上間親方を名乗った。
彼は、 「 章氏 」 の始祖となったといわれる。

上間で亡くなったが、死後、遺言により故郷の安谷屋に葬られたと伝えられる。
墓は、安谷屋グスク西方の丘陵の通称ユナハン ( 与那覇 ) にある。
墓口は、岩の頂上付近にあり、岩の前に切石を積んで囲んだ墓庭がある。
また、若松の墓の裏側の岩陰墓には、若松の妻と母の墓がある。




大分県院内の石橋 12 「 打上水路橋 」

2013-03-27 00:01:21 | 大分の石橋










水路橋の橋脚部分







橋の上の水路部分







草に覆われた水路





きれいに揃えられた壁石






橋の下を流れる高並川





所在地 /  大分県宇佐市院内町高並 打上 ・ 高並川
架橋  /  昭和初期の架設と推定
石工  /  不明
長さ   /  12.6m   幅   /  2.5m
拱矢  /   ?m     径間  / 9.1m
環厚  /   42㎝   
単一アーチ


打上水路橋は、高並川に架かる打上橋の一段下にある水路橋である。
橋の架かる高並川の土手が高い崖状になっているため、とても困難な場所であった。
打上橋が文久3年に対し、こちらは昭和初期だと伝え聞くが、
見た目にはそんなに変わらないように感じられた。
草に覆われていなければ、上下して架かる姿は絶景であったと思われる。


打上水路橋へのアクセス
打上水路橋へは、打上橋の一段下に架かっているため、
打上橋を参考にしてもらいたい。