
口之津港フェリーターミナル



口之津ー鬼池を結ぶ ( 島鉄フェリー 「 フェリーあまくさ 」 )
口之津港から出航するフェリーからの風景
天草の鬼池港を出航して約30分ほどで対岸の島原半島にある口之津港に到着する。
そんな口之津港には、 「 からゆきさん 」 の歴史もある。
キリシタン布教、南蛮文化の窓口を経て、
明治期、石炭積み出し港として空前のにぎわいを見せた口之津港。
島原半島の最南端に位置し、
対岸に天草島を望む港は外洋を早崎半島の小高い山々に囲まれ波静かな天然の良港である。
同港の歴史は古く、永禄5年(1567)、当時、島原半島南部を支配していた有馬氏の12代頭主、義直が開港。
翌年、外国人宣教師、アルメイダが島原を経て口之津に入り布教活動を開始。
永禄10年にはポルトガルの南蛮定期船3隻が初めて入港した。
長崎よりも3年早い入港で、以後15年間、口之津港は平戸と並ぶ対外貿易の窓口となった。
キリシタン禁止令、島原の乱などで同港は一時衰退したが、
明治11年、政府から三井石炭海外直輸出港の指定を受け、
再び繁栄への道をたどり、明治中期から後期にかけてまさに黄金時代を迎えた。
この間、石炭船の船倉に閉じ込められ、
遠く東南アジアへ売られていく「からゆきさん」の悲しい歴史もあった。
一説によると島原、天草から売られた 「 からゆきさん 」 は300人に上ったという。
昭和29年、港の東海岸に国立口之津海員学校が誘致され、
約2500人の海の男たちを世界の海へ送り出している。
同41年には対岸の天草・鬼池港を結ぶフェリーが就航。
産業、経済、観光にわたる交通要衝としても脚光を浴び、新船も竣工し、
行楽シーズンは大勢の人出でにぎわう。
海と港の栄枯盛衰で揺れ動いた口之津港は、また新たな繁栄の道を見いだそうとしている。