Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

PTSD帰還士官のDV

2018-12-03 | 文化一般
ストリーミング中継を流した。録音録画をしているとどうしてBGM程度の視聴になる。なるほどライヴ放送の醍醐味は異なるのだが、暖かい部屋でいい音でと思うとどうしても画像と音声がズレて臨場感が薄まる。特に今回はまだ生体験が済んでいないので、本当の臨場感はまだお預けだ。

ざっと見た感じでは予想以上に演出がよかった。詳しくは生体験する前に書いても仕方がない。しかし、コンセプトとしてPTSDを持った帰還士官とその家庭内暴力とすることでこのシェークスピアからの名作が新たに生き返る。それが20世紀に盛んだった古典の読み替えを感じさせない。それは表向きの設定の読み替えや辻褄合わせに拘っていないからで、音楽の本質的なところへと解を求めているからだ - こうした演出と比較するとコンヴィチニーやバリー・コスキーのそれなどはただのイデオロギーでしかないことに気が付くだろう。だからシェークスピア解釈ではなく、やはりボイートよりもヴェルディ解釈に近い。なるほど音楽監督のキリル・ペトレンコが気に入った筈だ。

だから拘りはこれでもかこれでもかと音楽に合わせて細かな演技をつけていく。ここまで細やかにそして構成的に演技をつけているオペラは初めてだ。舞台構成という点ではクリーゲンブルクの演出なども立派だと思うが、これほど精緻な仕事はしていない。

初日の批評で批判されていたこの女流演出家アメリエ・ニーマイヤーのいつもの色使いなどだが、そのグレーの色調は想像していたようには重苦しくも病的でもなかった。寧ろ、有名なゼッフィレッリの鉄枠のような構成やその権力構造を強調表現するために観念恐怖症に訴えかけるような舞台美術に依存するようなものでは全くなかった。それ以上に細やかな心理劇となっていながらも夜のTV放送のようにメロドラマになっていないところが見事だった ー イプセンとする評も見かけた。

歌手ではやはりイアーゴのフィンレーがよかった。なるほどバルテロスもカウフマンも細やかな演技指導の成果を披露しているが、前者は初日の問題点に留意していて、後者もよくなっていると思ったが、私が出かける日にはもう一つよくなって欲しいと思う。カウフマンのオテロにとってはこれ以上にはないと思うほど最適な演出で、企画としても大成功だと思う。但し私にとってはもはやカウフマンはベルカントのヴァークナー歌手でパルシファルの方がよかったと思う。トリスタンに更に期待したい。その意味から、フィンレーのイアーゴもどちらかといえばシェークスピアのそれで、南欧的ではない。しかし新聞が書くようにこのイアーゴの表現は今後とも一つの基準になるものと思う。シェークスピアを読み直してみたいと思わせる。

しかしなるほどこの演出での最後のどこか晴れない拍手の雰囲気もよく分かった。管弦楽は見事でアバド時代のベルリンのフィルハーモニカーの音と比較すると遥かに音楽的で完全に程度が上である。初日よりも良くなっていると感じた。そしてストリーミングがよかった。

技術的には一二度映像が一瞬乱れたが、伝送エラーのようなもので今までで最も安定していた。音響的には録音を聴くと若干会場のアコースティックが濁っていて喧しさがある。恐らく小さな音に合わせるために設置した補助マイクロフォンのミキシングで濁りが出ているのだと思う。特に映像の方は48kHzで録音したが最初のバッハラー支配人の解説から若干エコーがかかり気味で落ち着かなかった。理由はインプットのRealtekでのミキシングかどうかは分からない。試しに32Bitフローティングで録音したものは流石に一皮も二皮もむけたような音声となった。

そこでオンデマンドから1KのMP4をダウンロードする。5.1GBと2時間45分番組としてはまずまずだ。画像は申し分ないが、音声も252kbs出ている。 エコーも殆どなく落ち着いている。これは使いやすそうだ。因みに32Bitの録音は二部合わせて3.5GBになっている。映像は8Gほどになった。どれが使いやすいのかは色々試してみなければいけない。



参照:
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コメント (2)
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