パン屋に行く道に雪が残っていた。一寸山に上がるだけで街道にはない雪が残っている。昨日の雪ならず日曜日から月曜日にかけての雪だ。気温は上がってきたが、ショーツで走ると顔見知りから声がかかった。
パン屋でストーレンを見ると当然のことながら普通の薄っぺらいものしか売っていない。ないとなると先日買ってきて食したダルマイールのそれが懐かしくなる。やはりあれは食べ甲斐があった。
クリーヴランドからのアーカイヴ放送を聞いた。前主席指揮者クリストフ・フォン・ドナーニの最初の演奏会だ。1982年2月の演奏会の実況録音である。得意のバルトークから二つのポートレーツとシュタルケルを迎えたチェロ協奏曲、そしてドヴォルジャークの八番交響曲である。
最初の音からして荒く驚いた。なぜならばこのこの管弦楽団は現在のメスト指揮で格別エレガントな管弦楽団として知られていて、嘗てのブーレーズ指揮の録音でもこのような荒い音は立てない。その間にロリン・マゼールが指揮者として君臨していたが、これほど不味い音は知らなかった。しかし、どこかその散らかし放題の残滓のようなものが感じられて、ソロ奏者からそのような音が聞こえる。
この放送への関心は、現在最もドイツ音楽界で権威と権力を保持しているドナーニ氏の仕事ぶりよりも、ブラインド嘗てのジョージセル逝去後の変遷を知りたかったことにある。両巨匠ならず両巨頭のように君臨するバレンボイム氏の音楽と比較しても、決して評価しないわけでもなくオペラ指揮者として馴染みがあり、決して否定的な認識はないが、本人自身ラディオで語っていたように急逝の「フリチャイ氏とは才能が違う」というその言葉通りに受け取れる仕事ぶりである。やはりマゼール、ドナーニ体制では過去のセル指揮のそれには全く繋がらなかったのを如実に実感した。要するに現在の水準はそれ以降に為されたものであることがはっきりした。
新しいニュースが入ってきた。ザルツブルクの復活祭理事会の報告だ。非公開乍ら幾らかの取材はしているようだ。残されたありようは、新支配人バッハラーがいうように強力な双頭体制で盛り上げていく。つまり片方の音楽監督ティーレマンが最も拒絶している体制だ。つまりティーレマンの辞任は織り込み済みである。そこに至るまでバッハラーがティーレマンを仕返しのように虐めまくるか、先ずはティ―レマンの辞表を待って、シュターツカペレドレスデンだけを維持するかと書かれている。
若しくはベルリナーフィルハーモニカーを連れ戻すかで、これに関してはフィルハーモニカーが「話さない」としたことから、否定ではないのではなかろうかと邪推している。どこまでが誘導のニュースなのか舞台裏をどこまで掌握しているのかは分からない。なぜならば、そもそもバッハラーに任せること自体が先行していた選考経過から、不可思議なティーレマンとの事後交渉などはありえなかったからだ。要するにお払い箱になった。
しかし、そこが最も分からない理事会の意思で、そもそも経済規模が小さなザルツブルクがより良い制作をするためには共同制作しかなく、夏の音楽祭との協調が手っ取り早い。しかし、その傾向にも嘗て以上に発展していない。様々な観点からベルリナーフィルハーモニカーがザルツブルクに戻る合理性は全く無いのだ。理想的にはヴェルサー・メストが音楽監督になってシュターツカペレを指揮する小さな復活祭ということなのだろうが、どうしてこうも複雑なことになっているのか?ベルリナーフィルハーモニカーがノーコメントなのは当然だろう。更にバーデンバーデンに圧力をかける必然性を私も認める。少なくとも現在はまだランランを呼びたがるようなティーレマン推薦の男が支配人にいるからだ。
参照:
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評
パン屋でストーレンを見ると当然のことながら普通の薄っぺらいものしか売っていない。ないとなると先日買ってきて食したダルマイールのそれが懐かしくなる。やはりあれは食べ甲斐があった。
クリーヴランドからのアーカイヴ放送を聞いた。前主席指揮者クリストフ・フォン・ドナーニの最初の演奏会だ。1982年2月の演奏会の実況録音である。得意のバルトークから二つのポートレーツとシュタルケルを迎えたチェロ協奏曲、そしてドヴォルジャークの八番交響曲である。
最初の音からして荒く驚いた。なぜならばこのこの管弦楽団は現在のメスト指揮で格別エレガントな管弦楽団として知られていて、嘗てのブーレーズ指揮の録音でもこのような荒い音は立てない。その間にロリン・マゼールが指揮者として君臨していたが、これほど不味い音は知らなかった。しかし、どこかその散らかし放題の残滓のようなものが感じられて、ソロ奏者からそのような音が聞こえる。
この放送への関心は、現在最もドイツ音楽界で権威と権力を保持しているドナーニ氏の仕事ぶりよりも、ブラインド嘗てのジョージセル逝去後の変遷を知りたかったことにある。両巨匠ならず両巨頭のように君臨するバレンボイム氏の音楽と比較しても、決して評価しないわけでもなくオペラ指揮者として馴染みがあり、決して否定的な認識はないが、本人自身ラディオで語っていたように急逝の「フリチャイ氏とは才能が違う」というその言葉通りに受け取れる仕事ぶりである。やはりマゼール、ドナーニ体制では過去のセル指揮のそれには全く繋がらなかったのを如実に実感した。要するに現在の水準はそれ以降に為されたものであることがはっきりした。
新しいニュースが入ってきた。ザルツブルクの復活祭理事会の報告だ。非公開乍ら幾らかの取材はしているようだ。残されたありようは、新支配人バッハラーがいうように強力な双頭体制で盛り上げていく。つまり片方の音楽監督ティーレマンが最も拒絶している体制だ。つまりティーレマンの辞任は織り込み済みである。そこに至るまでバッハラーがティーレマンを仕返しのように虐めまくるか、先ずはティ―レマンの辞表を待って、シュターツカペレドレスデンだけを維持するかと書かれている。
若しくはベルリナーフィルハーモニカーを連れ戻すかで、これに関してはフィルハーモニカーが「話さない」としたことから、否定ではないのではなかろうかと邪推している。どこまでが誘導のニュースなのか舞台裏をどこまで掌握しているのかは分からない。なぜならば、そもそもバッハラーに任せること自体が先行していた選考経過から、不可思議なティーレマンとの事後交渉などはありえなかったからだ。要するにお払い箱になった。
しかし、そこが最も分からない理事会の意思で、そもそも経済規模が小さなザルツブルクがより良い制作をするためには共同制作しかなく、夏の音楽祭との協調が手っ取り早い。しかし、その傾向にも嘗て以上に発展していない。様々な観点からベルリナーフィルハーモニカーがザルツブルクに戻る合理性は全く無いのだ。理想的にはヴェルサー・メストが音楽監督になってシュターツカペレを指揮する小さな復活祭ということなのだろうが、どうしてこうも複雑なことになっているのか?ベルリナーフィルハーモニカーがノーコメントなのは当然だろう。更にバーデンバーデンに圧力をかける必然性を私も認める。少なくとも現在はまだランランを呼びたがるようなティーレマン推薦の男が支配人にいるからだ。
参照:
敵はバイロイトにあり 2018-11-14 | 文化一般
新支配人選出の政治 2018-11-13 | マスメディア批評