ベルリンのデジタルコンサートのファイルを聞いた。ハイレゾリューションのファイル群である。以前からシューマンの交響曲全集は重宝していたが、シベリウスも、アーノンクールのシューベルトもあることは知らなかった。一方そうしたファイル類を販売していたことは知っていた。ディスクと一緒に購入可能だ。しかしこうしてネットでアクセス可能とは思わなかった。
理由があって、日本語以外ではリンクが張っていないようだからだ。分からなかった筈だ。勿論プライムシートなどの日本限定のハイレゾ音源提供も知っていた。しかしそれはネットの関係上流すことすら難しい。そこで今回教えて貰ったのは通常にDCHに入ってそこで聞けることだった。但し一楽章づつ除いてあって、通常の一回券では全部は聞けない ー その後全て聞けることが判明した。全て聞こうと思えば購入しなければいけない。当然だろうと思う。兎に角、試してみて購入する価値があるかどうかを自身で判断すればよい。
今まで使っていたシューマンのファイルは96kHzしか出ていなかったので、今回のシベリウスの192kHzはとても良い参考資料になる。そして今回初めてその速度でDACから出力した。初めてではないかと思う。理由は殆ど無線で送り出していたので、キャストとDACの接続の上限が96kHzと定まってそれ以上の信号を送ってもDACに入力不可だったからだ。
もう一つは、DACに有線でLINUXを接続したことから、LINUX経由でDACを制御できるようになり、PCMはそのままDSD変換することなくアナログ出力可能となった。つまりピュア192kHzPCMファイルを楽しめる。DSD処理すると奥行きが増えたりと変化がある。詳しくはマイクのセッティングなどを想像しながら聞かないとどちらがどうとは言えないかもしれない。
改めて感じるのはデジタル録音再生というのは、嘗ての用語であるHiFiつまりハイフェデリティーの原音再生であり、密度を上げればそれだけ原音に近づく意味でしかない。つまりその印象は、凄い音が出るとかではなく、より親密にやわらかな肌触り感が増すということでしかないのである。つまり原音がどのようなものであるかをある程度分かっていれば、密度が上がれば上がるほどズームイン可能にはなるのだが、ざっとした印象はそれほど変わらなく、ハイレゾになればなるほど、ライヴの音はそうだったと再確認するだけのことである。謂わば幾らその密度を上げてもそれはそれで「ああそうそう」と記憶や感覚との比較でしかないということだ。当然である、そこで原音が鳴らない限りはそれが仮想音空間であることには変わらない。そもそも大管弦楽を小さな室内で鳴らすことなどは不可能なのだ。
DCHのコンテンツには最初から飽きているのでこれはとても良かった。今回のペトレンコ二枚DVDにハイレゾ音源を付けていれば考えたかもしれない。少なくともルツェルンの録画が欲しかった。
参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
新たに分ったことなど 2018-10-25 | 雑感
理由があって、日本語以外ではリンクが張っていないようだからだ。分からなかった筈だ。勿論プライムシートなどの日本限定のハイレゾ音源提供も知っていた。しかしそれはネットの関係上流すことすら難しい。そこで今回教えて貰ったのは通常にDCHに入ってそこで聞けることだった。但し一楽章づつ除いてあって、通常の一回券では全部は聞けない ー その後全て聞けることが判明した。全て聞こうと思えば購入しなければいけない。当然だろうと思う。兎に角、試してみて購入する価値があるかどうかを自身で判断すればよい。
今まで使っていたシューマンのファイルは96kHzしか出ていなかったので、今回のシベリウスの192kHzはとても良い参考資料になる。そして今回初めてその速度でDACから出力した。初めてではないかと思う。理由は殆ど無線で送り出していたので、キャストとDACの接続の上限が96kHzと定まってそれ以上の信号を送ってもDACに入力不可だったからだ。
もう一つは、DACに有線でLINUXを接続したことから、LINUX経由でDACを制御できるようになり、PCMはそのままDSD変換することなくアナログ出力可能となった。つまりピュア192kHzPCMファイルを楽しめる。DSD処理すると奥行きが増えたりと変化がある。詳しくはマイクのセッティングなどを想像しながら聞かないとどちらがどうとは言えないかもしれない。
改めて感じるのはデジタル録音再生というのは、嘗ての用語であるHiFiつまりハイフェデリティーの原音再生であり、密度を上げればそれだけ原音に近づく意味でしかない。つまりその印象は、凄い音が出るとかではなく、より親密にやわらかな肌触り感が増すということでしかないのである。つまり原音がどのようなものであるかをある程度分かっていれば、密度が上がれば上がるほどズームイン可能にはなるのだが、ざっとした印象はそれほど変わらなく、ハイレゾになればなるほど、ライヴの音はそうだったと再確認するだけのことである。謂わば幾らその密度を上げてもそれはそれで「ああそうそう」と記憶や感覚との比較でしかないということだ。当然である、そこで原音が鳴らない限りはそれが仮想音空間であることには変わらない。そもそも大管弦楽を小さな室内で鳴らすことなどは不可能なのだ。
DCHのコンテンツには最初から飽きているのでこれはとても良かった。今回のペトレンコ二枚DVDにハイレゾ音源を付けていれば考えたかもしれない。少なくともルツェルンの録画が欲しかった。
参照:
なんと、96kHzのキャスト! 2016-10-13 | テクニック
新たに分ったことなど 2018-10-25 | 雑感