Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

しっくりこない感じ

2018-12-09 | 文化一般
いらいらする。しっくりいかない。先ずは「オテロ」お勉強の三幕まで再び通したが、見えてくるものが少ない。後期のヴェルディは複雑だ。ヴァークナーの影響が強過ぎて、その手法が見えてこない。あれ程明白に和声付けをしていながら可成り外してくると今度はその運びがしっくり来ない感じがする。

特に先日スカラ座からの「アッティラ」上演のような初期作品の面白さを再確認すると余計に繋がりに目が行く。因みにその上演は録音録画をDLまでしたので、改めて鑑賞したいが、その直前に考えていたことを思い出した。つまり指揮者のシャイーは、あの記念碑的な「シモン・ボッカネグラ」や「マクベス」上演のクラウディオ・アバドの芸術にどこまで係っていたかという疑問だ。それに気が付くような演奏で、アバドのようなあまり練習しないような指揮者にはアシスタントの力が大きく、それでなければあれだけの上演の後でミュンヘンで同じようなキャストで27歳の若造が新制作を振るわけがないと思った。要するにミラノでの「シモン・ボッカネグラ」上演もシャイーの力なしでは存在しなかったのではないかという仮説である。それを感じさせた。そして映像を見ていたら、私を初期にフェースブックに誘った友人が第一プルトで弾いていたようだ。長く顔を見ていなかったが、スカラ座でも二代目の演奏家だ。再度録画を確認してみよう。先日そこのソロ奏者と仕事をしているという別の友人に「その人とは私の友人は別人のようで、どの位置で弾いているのか知らないけど」と話していたところだった。その位置はソロなのか副なのだろうか?

序でながら、その音楽談義の中でドイツェオパーでも演奏していた彼に、「マイスタージンガー」ではドイツ配置なんだぞとミュンヘンの自慢をしたら、「それはないでしょう、コンサートは分かるけど、奈落では見たことないよ」と話していた。私も逆に驚いた。なるほど「マイスタージンガー」などはベートーヴェンの交響曲の編成ぐらいだから問題なくても、大編成となると難しいだろうなとは思った。逆にヴァークナーのバイロイトのための楽劇は対抗配置は当然だ。勿論バイロイトの奈落の深い劇場のように反射板が上にないので、第一ヴァイリンがよく聞こえるように左右を入れ替える必要はない。その話し手の彼も助っ人でミュンヘンで「ローゼンカヴァリエ」も演奏したというのだが、あの当時はズビン・メーターが監督だった筈だが、どうだろう。

兎に角、春に彼の演奏するコンサートに誘われているので、そこで再会したときにでも、中々こちら側からでは気が付きにくいことを尋ねてみようと思う。正直、彼自身もそうだったと思うが、こちらも昔は座付楽団のノウハウなんてことに興味がなく、精々音楽的な表情をどう出しているかぐらいにしか関心が向かわなかった。そう言えばもう一つの話題で、座付楽団が遅れて出る話しは、メストが語るように、「一呼吸の吸気のタイミング」は彼の口からは出ずに、ミュンヘンのヴィオラ奏者が語っていたように、パワーが出るというどちらかというと合気道的な感じで気を入れる感じがするらしい。この辺りは指揮者がどう見るかと楽団員がどのように感じているかの差であって、とても興味深い。要するに、主体客体の相違だろう。

もう一つ、もはやオペラ漬けだが、メトからの生中継を一部聞いた。開幕の日に会場に来ていて、インタヴューに答えていたオポライスが修道女アンジェリカを歌う叔母さんのいじめシーンからだ。流石に昨年今年とヤホの歌で再三録音録画を流し二度聞いただけのことはある、よく頭に入っている。ミュンヘンでのミヒャエラ・シュスターの圧巻のド迫力は例外としてもあまりにもアンジェリカと叔母さんの声が近過ぎる。そもそもオポライスも自国語でしゃべるととても感じがよいのだが、英語やそして歌声になると力みがあるのかあまり魅力的ではない。更にここでは太過ぎて、なるほど私生児の母でとなるが、良家のお嬢さん上がりには聞こえない。ヤホの精妙なヴィヴラートと比較されると気の毒ではあるが全く対抗出来ない。

指揮のデビリーもミュンヘンでも活躍しているが、ここではまるで事件もののようなおどおどろしい音楽になっていて全く感心しないばかりか、管弦楽もコヴェントガーデンよりも大分悪い。あの時はペトレンコ指揮でなぜここまでも印象派風に音を細やかになるのかは不思議に思ったが、こうした問題点が解決されていたことは間違いないと改めて思う。特に二度目の訪問などは舞台など一瞥もしていないぐらいだがその歌唱や演奏を想起してその美しさに浸る。

お目当ては、三部のジャンニスキッキをメトデビュー五十周年のドミンゴが歌うことだろう。なるほど登場から拍手が沸き起こる。そしていつもの歌声が温かみがあっていいのだが、こちらはまたアムブロジオ・マエストリの名唱をまた管弦楽団の巧妙さを比べると、なにもこの役を歌う必然性を感じなかった。なるほどメトの普段の上演のキャスティングも凄いと思うが、ミュンヘンの新制作を選んでいけばそれ以上に豪華なキャスティングであることを改めて知る。そして最近はいつもあんなものはもはや通常のオペラ上演でないとは思いながらも、その演奏水準が高く、とても幸せな気持ちになる。



参照:
思えば遠くに来たもんだ 2018-12-04 | 雑感
鋭い視線を浴びせる 2018-07-16 | 女
企業秘密の領域へ 2018-10-09 | 音
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