指揮棒の話しが載っている。制作しているのはパーカッションのマレットなどで有名な1888年創業のROHEMAである。元々も指揮棒が重要だったのだが他の分野が拡張された家族企業で、最後の跡継ぎが当代当主マティアス・ヘリンガー。東独時代にはインターコンチのレストランの箸なども引き受けて生きながらえたようである。
現在の直接の顧客としてはバレンボイムとティーレマンが挙がっていて、ここのモデルを楽器商などで購入しているのは、ナガノ、ヤング、メータ、ラトルなどである。
そのナガノは、メールでバランス、重さ、手に馴染み易いかなどその他多くが条件だという。またルツィカは親指と中指の間の人差し指の延長だと答える。ティテュス・エンゲルは、「バランスが重要で、重さを感じない様に手に馴染んで軽い感じで」と語る。また、「練習時と本番で替えないようにしないと、それだけで誤解が生じる。」と言う。
バレンボイムにおいてはシュトラウスモデルの43㎝を所望して珍しく、ティーレマンに至っては自らやって来て、47㎝で更に手元に数センチ重心を寄せるために重しを入れてあるという特別な作り。昨今は短くなっていて鉛筆でもいいという事になってとオーナーは不機嫌だ。
木の場合はライン平野のそれがいいらしいが、技術的なノウハウではとても撥であるマレットの綿巻きの難しさには及ばないようだ。それでも上の様に重心の問題があるが、ファイバーにコルクを好んでいるエンゲルに言わせると「最初の頃は指揮棒を飛ばすのは痛いと思っていたのだが、力が抜けているという事で悪くないことだと思い出した。指揮で一番大切なのは動きが意識的でなくなるところで、それが演奏に繋がると確信している。」と語る。最近は見ていないが、確かにそういう所を抜いている指揮を昔から心掛けていたと思う。それがあのたゆたゆとした音楽の流れや響きになっている。
ベルリンのリーデルで購入しているというエンゲルの「指揮者の響きが魔法の様に呼び起こされるというのは、とても気に入っていて、職業としての素晴らしいシンボルになっている。」と指揮棒に対して拘りで結んでいる。
日本ではNHKのBS放送で未明に放映されるコルンコールト作「死者の都」の世界最初の放映を前に、改めて同レーベルのテークオフを飾ったマーラーの七番交響曲を流している。やはりこの演奏は何度聴いてもペトレンコのミュンヘン時代の指揮の頂点に違いないと思う。同時に先日後任音楽監督のユロウスキーが語っていたように、この録音から歴史的なリヒャルト・シュトラウス指揮録音やカルロス・クライバー指揮のその伝統がとても良く滲み出てきている。この世界最古とされる座付楽団の深い歴史を感じないわけにはいかない。
来年の五月のフェストにはティテュス・エンゲルがデビューすることになるが、その指揮とこの楽団の相性はいいと思っている。成功に導いて、いい関係を築いて欲しい。
参照:
Auf Biegen und Brechen, Jan Brachmann, FAZ vom 12.06.2021
ミュンヘン新体制の船出 2021-06-11 | 文化一般
ストッキングを被る男 2021-01-22 | 雑感
現在の直接の顧客としてはバレンボイムとティーレマンが挙がっていて、ここのモデルを楽器商などで購入しているのは、ナガノ、ヤング、メータ、ラトルなどである。
そのナガノは、メールでバランス、重さ、手に馴染み易いかなどその他多くが条件だという。またルツィカは親指と中指の間の人差し指の延長だと答える。ティテュス・エンゲルは、「バランスが重要で、重さを感じない様に手に馴染んで軽い感じで」と語る。また、「練習時と本番で替えないようにしないと、それだけで誤解が生じる。」と言う。
バレンボイムにおいてはシュトラウスモデルの43㎝を所望して珍しく、ティーレマンに至っては自らやって来て、47㎝で更に手元に数センチ重心を寄せるために重しを入れてあるという特別な作り。昨今は短くなっていて鉛筆でもいいという事になってとオーナーは不機嫌だ。
木の場合はライン平野のそれがいいらしいが、技術的なノウハウではとても撥であるマレットの綿巻きの難しさには及ばないようだ。それでも上の様に重心の問題があるが、ファイバーにコルクを好んでいるエンゲルに言わせると「最初の頃は指揮棒を飛ばすのは痛いと思っていたのだが、力が抜けているという事で悪くないことだと思い出した。指揮で一番大切なのは動きが意識的でなくなるところで、それが演奏に繋がると確信している。」と語る。最近は見ていないが、確かにそういう所を抜いている指揮を昔から心掛けていたと思う。それがあのたゆたゆとした音楽の流れや響きになっている。
ベルリンのリーデルで購入しているというエンゲルの「指揮者の響きが魔法の様に呼び起こされるというのは、とても気に入っていて、職業としての素晴らしいシンボルになっている。」と指揮棒に対して拘りで結んでいる。
日本ではNHKのBS放送で未明に放映されるコルンコールト作「死者の都」の世界最初の放映を前に、改めて同レーベルのテークオフを飾ったマーラーの七番交響曲を流している。やはりこの演奏は何度聴いてもペトレンコのミュンヘン時代の指揮の頂点に違いないと思う。同時に先日後任音楽監督のユロウスキーが語っていたように、この録音から歴史的なリヒャルト・シュトラウス指揮録音やカルロス・クライバー指揮のその伝統がとても良く滲み出てきている。この世界最古とされる座付楽団の深い歴史を感じないわけにはいかない。
来年の五月のフェストにはティテュス・エンゲルがデビューすることになるが、その指揮とこの楽団の相性はいいと思っている。成功に導いて、いい関係を築いて欲しい。
参照:
Auf Biegen und Brechen, Jan Brachmann, FAZ vom 12.06.2021
ミュンヘン新体制の船出 2021-06-11 | 文化一般
ストッキングを被る男 2021-01-22 | 雑感