(承前)リヒャルト・シュトラウス研究所には何度か電話していたが、出かけるのは初めてだった。近々一般公開されることになった作曲家が棲んでいた家は有名だが、こちらは街の中でも知られていない。隣にスキークラブがあるのでそちらの方が遥かに有名だろうか。
偶々隣で結婚式をやっていたのでそこについていた時は大変な催し物だと勘違いしたが、こじんまりとした開会式だった。今回の事業を引き継いだコッホ現市長の挨拶などがあり、展示を纏めた研究者の話しや地元のユダヤ人会のお話しもあった。同時に展示されていたトラの話しで、ガルミッシュパルテンキルヘン程度のユダヤ社会では持てないもので不思議ということだった。今回のレヴィ復権に尽力したのがミュンヘンのユダヤ人協会長だったことからしてもそれがよく分かった。
肝心のレヴィ自体は、16代にも遡るラビの家系で、祖父もレヴィのシナゴークとされるヴォルムスの司祭として名を連ねている。母親もマンハイムのタバコ会社やラーデンブルク銀行出身なので、ギーセン出身ながら後にマンハイムの音楽監督になっているのも肯ける。
展示の中心はやはりその音楽活動の中身であった。ブラームスと同年配音楽家としてはピアニストを断念して指揮者として、ザールブルッケンからマンハイムへと活躍して行く、作曲家として成功したかったようだが、カールツルーヘ、バーデンバーデンで知り合った友人に駄目だと引導を渡される。
カールツルーヘの音楽監督としてブラームスの第一交響曲を初演したレヴィを慕ってバーデンバーデンに夏の居を構えたのが作曲家で、レヴィがミュンヘンに移るとシュタルンベルガー湖のテュチンゲンに夏の居を移してブラームスが追いかけてきた。そのような関係である。因みにカールツルーへの初演したコンサートホールの前はレヴィ広場であり名前が残っている。
その座付楽団でホルンを吹いていたのが作曲家シュトラウスの親仁でその関係で子供の時から知っている息子を支援していた。そしてルートヴィヒス王の下でヴァークナーの指揮をして、又バイロイトで活動しているうちに、本来ならば「キリスト教者にしか振らせないとしていた神聖劇はレヴィしか振れない」となって仕舞ったようである。それは現在でもあの舞台神聖劇をまともに振れる指揮者が殆どいないことからすれば、このレヴィの実力もそして楽匠のユダヤ人への僻みも強くなっていったことも肯ける。同時にブラームスはヴァークナー派になったレヴィとは絶交することに成って、レヴィにとっては最も辛い事件となった。そして後にコジマとの仲を疑われバイロイトを去る。
因みに、ヘルマン・レヴィは決してカトリックにも改宗することも無かったがユダヤ教者としてではなく無宗派を通していた。そしてピアニストのクララとの付き合いからシューマンの娘がとてもこの人物に親しんでいたようにとても人間的に暖かい人物とされている。またブルックナーの交響曲の創作初演においても重要な協力者としてアドヴァイスをしている。(続く)
参照:
縦の線への疑心暗鬼 2019-03-22 | 文化一般
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評
偶々隣で結婚式をやっていたのでそこについていた時は大変な催し物だと勘違いしたが、こじんまりとした開会式だった。今回の事業を引き継いだコッホ現市長の挨拶などがあり、展示を纏めた研究者の話しや地元のユダヤ人会のお話しもあった。同時に展示されていたトラの話しで、ガルミッシュパルテンキルヘン程度のユダヤ社会では持てないもので不思議ということだった。今回のレヴィ復権に尽力したのがミュンヘンのユダヤ人協会長だったことからしてもそれがよく分かった。
肝心のレヴィ自体は、16代にも遡るラビの家系で、祖父もレヴィのシナゴークとされるヴォルムスの司祭として名を連ねている。母親もマンハイムのタバコ会社やラーデンブルク銀行出身なので、ギーセン出身ながら後にマンハイムの音楽監督になっているのも肯ける。
展示の中心はやはりその音楽活動の中身であった。ブラームスと同年配音楽家としてはピアニストを断念して指揮者として、ザールブルッケンからマンハイムへと活躍して行く、作曲家として成功したかったようだが、カールツルーヘ、バーデンバーデンで知り合った友人に駄目だと引導を渡される。
カールツルーヘの音楽監督としてブラームスの第一交響曲を初演したレヴィを慕ってバーデンバーデンに夏の居を構えたのが作曲家で、レヴィがミュンヘンに移るとシュタルンベルガー湖のテュチンゲンに夏の居を移してブラームスが追いかけてきた。そのような関係である。因みにカールツルーへの初演したコンサートホールの前はレヴィ広場であり名前が残っている。
その座付楽団でホルンを吹いていたのが作曲家シュトラウスの親仁でその関係で子供の時から知っている息子を支援していた。そしてルートヴィヒス王の下でヴァークナーの指揮をして、又バイロイトで活動しているうちに、本来ならば「キリスト教者にしか振らせないとしていた神聖劇はレヴィしか振れない」となって仕舞ったようである。それは現在でもあの舞台神聖劇をまともに振れる指揮者が殆どいないことからすれば、このレヴィの実力もそして楽匠のユダヤ人への僻みも強くなっていったことも肯ける。同時にブラームスはヴァークナー派になったレヴィとは絶交することに成って、レヴィにとっては最も辛い事件となった。そして後にコジマとの仲を疑われバイロイトを去る。
因みに、ヘルマン・レヴィは決してカトリックにも改宗することも無かったがユダヤ教者としてではなく無宗派を通していた。そしてピアニストのクララとの付き合いからシューマンの娘がとてもこの人物に親しんでいたようにとても人間的に暖かい人物とされている。またブルックナーの交響曲の創作初演においても重要な協力者としてアドヴァイスをしている。(続く)
参照:
縦の線への疑心暗鬼 2019-03-22 | 文化一般
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評