Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

パルジファルの初演者

2021-07-06 | 文化一般
承前)リヒャルト・シュトラウス研究所には何度か電話していたが、出かけるのは初めてだった。近々一般公開されることになった作曲家が棲んでいた家は有名だが、こちらは街の中でも知られていない。隣にスキークラブがあるのでそちらの方が遥かに有名だろうか。

偶々隣で結婚式をやっていたのでそこについていた時は大変な催し物だと勘違いしたが、こじんまりとした開会式だった。今回の事業を引き継いだコッホ現市長の挨拶などがあり、展示を纏めた研究者の話しや地元のユダヤ人会のお話しもあった。同時に展示されていたトラの話しで、ガルミッシュパルテンキルヘン程度のユダヤ社会では持てないもので不思議ということだった。今回のレヴィ復権に尽力したのがミュンヘンのユダヤ人協会長だったことからしてもそれがよく分かった。

肝心のレヴィ自体は、16代にも遡るラビの家系で、祖父もレヴィのシナゴークとされるヴォルムスの司祭として名を連ねている。母親もマンハイムのタバコ会社やラーデンブルク銀行出身なので、ギーセン出身ながら後にマンハイムの音楽監督になっているのも肯ける。

展示の中心はやはりその音楽活動の中身であった。ブラームスと同年配音楽家としてはピアニストを断念して指揮者として、ザールブルッケンからマンハイムへと活躍して行く、作曲家として成功したかったようだが、カールツルーヘ、バーデンバーデンで知り合った友人に駄目だと引導を渡される。

カールツルーヘの音楽監督としてブラームスの第一交響曲を初演したレヴィを慕ってバーデンバーデンに夏の居を構えたのが作曲家で、レヴィがミュンヘンに移るとシュタルンベルガー湖のテュチンゲンに夏の居を移してブラームスが追いかけてきた。そのような関係である。因みにカールツルーへの初演したコンサートホールの前はレヴィ広場であり名前が残っている。

その座付楽団でホルンを吹いていたのが作曲家シュトラウスの親仁でその関係で子供の時から知っている息子を支援していた。そしてルートヴィヒス王の下でヴァークナーの指揮をして、又バイロイトで活動しているうちに、本来ならば「キリスト教者にしか振らせないとしていた神聖劇はレヴィしか振れない」となって仕舞ったようである。それは現在でもあの舞台神聖劇をまともに振れる指揮者が殆どいないことからすれば、このレヴィの実力もそして楽匠のユダヤ人への僻みも強くなっていったことも肯ける。同時にブラームスはヴァークナー派になったレヴィとは絶交することに成って、レヴィにとっては最も辛い事件となった。そして後にコジマとの仲を疑われバイロイトを去る。

因みに、ヘルマン・レヴィは決してカトリックにも改宗することも無かったがユダヤ教者としてではなく無宗派を通していた。そしてピアニストのクララとの付き合いからシューマンの娘がとてもこの人物に親しんでいたようにとても人間的に暖かい人物とされている。またブルックナーの交響曲の創作初演においても重要な協力者としてアドヴァイスをしている。(続く)



参照:
縦の線への疑心暗鬼 2019-03-22 | 文化一般
水風呂で「覚醒」を促される 2010-07-19 | マスメディア批評
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ヘルマン・レヴィの墓の前で

2021-07-06 | マスメディア批評
承前)ヘルマン・レヴィの墓を訪れたキリル・ペトレンコは、新たにデザインしたフランカ・カスナーの手を握って一言二言語った。彼女が柵の中で故人への手紙を朗読し終わって感情が昂っているところであった。何人かの取材者はその場にいたようだが、何時もの様にペトレンコからは取材出来ていない。恐らく演奏会に居たドラマテュルークのクラスティングの車で移動していたと思われるが、彼は写真には居ない。

制作者にペトレンコは何を言ったかと訊ねると、最初はどうもあまり気に入らなかったようだが、よかったと言って呉れたと笑ったと新聞にある。成程、私も演奏会の切符を売って貰った親仁に訊ねられたが、独特のものだと答えた ― ペトレンコは「完全武装だ」と語ったともあった。

中々評価が難しい。しかし、分かっていることはうろこ状の手作りの銅片が経年変化で緑青を吹いて来ることで、色合いがどんどんと暗くなって行くことだろうか。周りに敷き詰められた薄いシーファは音を立てる。そして柵によって守られる。中々微妙な色合いなのである。

地元では紆余曲折があった。ヒンデンブルクと現在は称されている道路をヘルマンレヴィと戻すことへの住民投票でも圧倒的に否決されていた。一連のヘルマン・レヴィ復権への活動の基本理念にはどうしても対反ユダヤ主義への意志がある。同時にその経緯から1936年の冬季オリムピックで開発の進んだナチ時代以降の街のあり方も問われることになっている。同プログラムがミュンヘンでも23日に再演されることになっているのだが、最初は発売時にも若干戸惑ったような反応が感じられた。それは周知がなされていないことと、同時に今回の復権への動きへの認知度によるものであったろう。

新聞報道されたことでミュンヘンの聴衆の認知も変わり、同時にペトレンコにしても墓参りまでするとなると、なにか少し違う風景が見えて来るか。少なくとも、プログラムにおけるマックス・ブルッフのコルニドライのユダヤ旋律、メンデルスゾーンのルイブラス序曲、アカデミー楽団で演奏されるジークフリート牧歌、そして故人と最も親しかったブラームスの悲劇的序曲、故人が再興したモーツァルトの歌劇からその編曲でのフィオルデリージの「岩の様に」とよく考え抜かれた特別のプログラムとなっていた。

練習は通常通りには行われていたようだが、まだこの組み合わせならば23日には磨かれた演奏が可能な筈で、音楽的にも更に期待される。しかしブラームスもカラヤン指揮よりもシャープな音響であると共にとても多層な音楽としていた座付楽団とペトレンコ指揮も見事であり、ドラマティックなソプラノを合わせた編曲モーツァルトも特筆すべきものだった。

舞台の下から現市長のおばさんが花束を渡して、しゃがんで耳を傾けるペトレンコの手を握り締めて離さなかった。(続く



参照:
Endlich angemessene Grabstätte für Garmisch-Partenkirchens Ehrenbürger Levi, Tanja Brinkmann, Merkur vom 2.7.2021
Späte Würdigung eines Vergessenen, Sabine Reithmaier, SZ vom 5.7.2021
0Grab von Dirigent Hermann Levi künstlerisch gestaltet: Geheilte Wunde, Robert Braunmüller, Abendzeitung vom 5.7.2021
華の女性を募集中 2021-06-18 | 雑感
小技ばかり長けても駄目 2019-02-18 | 文化一般
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金を取れるということは

2021-07-06 | 
(承前)バーデンバーデンの祝祭劇場は何時以来だ?どうもユジャワンの室内楽が最後だったようで2020年1月である。その次のキーシンリサイタルからキャンセルになった。今写真を見ると凄く舞台が近い。所謂第一サイドバルコンである。室内楽の場合は上を締めて、中ホール扱いで開催するので、安くてもその席になる。しかし今回は五分の一の入場だったのでそれよりも少ない500人規模だった。昨今は同窓会と言われるポリーニリサイタルでも売り切れるだろう。因みに今週からは800人に拡大された。

それで第二バルコンで僅か15ユーロの残席は確かに視覚的に不利だったのだが、それはそこ金の取れる歌手では世界有数のエンタメ力も持っている歌手のディドナートの芸をしっかりと味わえた。更にプログラム無料って、寄付金御礼週間?

先ず何よりも「冬の旅」を恋人から貰った日記を読むとの設定とする。その為最初から暗転にして、椅子に座って机に向かっているところから始める。そこからして直ぐにゲーテの「ウェテルの悩み」を思い浮かべたが、プログラムを見るとマスネーのシャルロットをイメージしたとあった。

女声で歌う「冬の旅」は、ブリギッテ・ファスベンダ―とクラウディア・シェーファーが既にやっているようだが、最初の「お休み」からして声もあり、技術も並々ならないことが直ぐに分かった。どうしても、数日前に聴いたハルテロスの歌唱と比較してしまう。その舞台仕草を見てもオペラ舞台を彷彿させるどころか、しっかりと上階席も意識して左右のバルコンを全体の流れの中で見上げる細やかさもあって、それはメトロポリタンなどでも人気があるのを窺わせる所作だ。そのブロンドの独特のヘアースタイルと言い、アンコール前に語る一言と言い、要するに超一流の歌手である。

前半しか楽譜にも目を通していなかったのが残念だったが、字幕が確りと出て、後半ではどんどんと感情移入するかのようにその声に感情が乗って来る芸がまた格別だ。この企画自体がバーデンバーデンのバーで生まれたという話しは舞台上で語っていたが、その声がまた通る。歌唱の技術は突き詰めるとここまでに成るのだと思った。
Grußbotschaft an das Festspielhaus-Publikum von Yannick Nézet-Séguin


ピアノ伴奏の指揮者のネゼセガンは、その指揮と同じような音楽の特徴がハッキリ分かって面白かったが、全然悪くない。しかし本物のピアニストが伴奏することのあるこの曲ではなるほどそうしたピアニスティックな響きは出て来ない。それでも後半の歌手の感情の乗りを上手く導いていたのはピアニストだと思う。

500人とは到底思えない大喝采で、なるほどオフの欧州室内管弦楽団のメムバーが入っていたにしてもそれは素晴らしい反応だった。そして何よりもあの大会場も人数を減らすだけでとんでもない素晴らしい響きが生じることを実感した。本当に魅力的な音響のホールである。(続く



参照:
21世紀の機能和声の響き 2020-01-26 | 音
シイタケ味のフラムペ 2021-06-19 | 料理
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