木曜日の夕方のちょこちょこと走った。同じ駐車場にバーベキュウの準備を持って来ている人を見ると大違いだと我乍ら思う。短い距離で誤魔化しただけだが、それでも高度差が180mは必ずしも容易ではない。ビルに換算すると60階建てぐらいを駆け上がることになる。途上誰にも合わなかった。前を渡って行ったテンのような長いものだけに出合えた。雨上がりだからかもしれない。少しだけヤナーチェックの「女狐」を思い起こす風景である。
相変わらずペースは上がらないが、往復して汗を掻いてみっちり30分走っただけで良しとしよう。体重も73.5kgと落とせる態勢になって来ている。なによりもその前にアイスボックスを持って肉屋に寄って、走って帰って来て一時間の外出内での行動に関わらずである。以前のパン屋に行っていた時は一時間でそれほどの運動は出来ていなかった。効率はとても良い。更に夕方の走りは心臓に負担を掛け難い。これも健康の為にとても良い。但しビールを引っ掛けると直ぐに死んだように眠ってしまう。
日曜日の200年祭を迎える大歌手のポリーン・ヴィアルド-ガーシアがバーデンバーデンと深い繋がりのある重要な音楽家だと知った。7月18日にパリで、三人兄弟のスペインの歌手の音楽家族の末っ子として生まれた。兄は歌の先生で後に咽頭鏡の発明者で、姉のマリア・マリボンでベルカント唱法のプリマドンナだった。
ピアノはリストに習い、姉が早世した後にその後を継いだメゾソプラノである。ジョルジュ・サンドは彼女を称して「政治のそれが起きている一方、彼女が芸術で革命を起こしていた。」としている。先ずは、子供の時から家族の興行について行ったので、音楽興業のなにもかも抑えていて、ドイツ、英国、ロシアなどで歌手として活躍した。祖国フランスではマイヤーベーアのオペラやベルリオーズとの協調作業でグルックのオペラ上演で名を成している。そして42歳で旦那であるルイ・ヴィアルドとバーデンバーデンに家庭を持って、テュルゲーエフとの協調作業が始まっている。
オペラ歌手としてだけでなくコンサートでサロンで、ピアニストとして作曲家として活躍。その興味はその多重言語力から各民族の音楽を使っての編曲やコマーシャルソングまでにと幅広い活動をしていたようだ。つまり、スペインのボレロ、イタリアのカンツォーニ、フランスのロマンス、メロディー、シャンソンを、モリエールからゲーテ、ハイネ、プーシキン、コルゾフ、フェットのテキストと幅広く作曲している。ブラームスは彼女の為にアルトラプソディーを書いた。
そして1870年のプロシアとフランスとの戦い。ドイツではあまりにもフランス風過ぎて、フランスではドイツ風過ぎて、ロシアではそれらしくないと、マルティカルチャーの狭間に嵌って仕舞ったようだ。そして今新たに汎欧州の女性として新たな光が当たる。
参照:
上手に使われた少女慰安婦像 2021-07-12 | 文化一般
それから最初の週末 2021-07-10 | 女
相変わらずペースは上がらないが、往復して汗を掻いてみっちり30分走っただけで良しとしよう。体重も73.5kgと落とせる態勢になって来ている。なによりもその前にアイスボックスを持って肉屋に寄って、走って帰って来て一時間の外出内での行動に関わらずである。以前のパン屋に行っていた時は一時間でそれほどの運動は出来ていなかった。効率はとても良い。更に夕方の走りは心臓に負担を掛け難い。これも健康の為にとても良い。但しビールを引っ掛けると直ぐに死んだように眠ってしまう。
日曜日の200年祭を迎える大歌手のポリーン・ヴィアルド-ガーシアがバーデンバーデンと深い繋がりのある重要な音楽家だと知った。7月18日にパリで、三人兄弟のスペインの歌手の音楽家族の末っ子として生まれた。兄は歌の先生で後に咽頭鏡の発明者で、姉のマリア・マリボンでベルカント唱法のプリマドンナだった。
ピアノはリストに習い、姉が早世した後にその後を継いだメゾソプラノである。ジョルジュ・サンドは彼女を称して「政治のそれが起きている一方、彼女が芸術で革命を起こしていた。」としている。先ずは、子供の時から家族の興行について行ったので、音楽興業のなにもかも抑えていて、ドイツ、英国、ロシアなどで歌手として活躍した。祖国フランスではマイヤーベーアのオペラやベルリオーズとの協調作業でグルックのオペラ上演で名を成している。そして42歳で旦那であるルイ・ヴィアルドとバーデンバーデンに家庭を持って、テュルゲーエフとの協調作業が始まっている。
オペラ歌手としてだけでなくコンサートでサロンで、ピアニストとして作曲家として活躍。その興味はその多重言語力から各民族の音楽を使っての編曲やコマーシャルソングまでにと幅広い活動をしていたようだ。つまり、スペインのボレロ、イタリアのカンツォーニ、フランスのロマンス、メロディー、シャンソンを、モリエールからゲーテ、ハイネ、プーシキン、コルゾフ、フェットのテキストと幅広く作曲している。ブラームスは彼女の為にアルトラプソディーを書いた。
そして1870年のプロシアとフランスとの戦い。ドイツではあまりにもフランス風過ぎて、フランスではドイツ風過ぎて、ロシアではそれらしくないと、マルティカルチャーの狭間に嵌って仕舞ったようだ。そして今新たに汎欧州の女性として新たな光が当たる。
参照:
上手に使われた少女慰安婦像 2021-07-12 | 文化一般
それから最初の週末 2021-07-10 | 女