Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

もっとシムプルに行きたい

2021-07-14 | マスメディア批評
6月26日に亡くなったフレデリック・ルジェフスキーの訃報を御馴染スイスのベックメッサーことニフラーがフランクフルターアルゲマイネ新聞に書いている。1977年1月のケルンの西部ドイツ放送局での想い出から入っている。タイトルが新シムプリズムだったようだが、単純さの中でベートーヴェンからヴェーベルンを通りアイスラーへの引用をしながらのその名人芸に触発されてヤジが飛んだというものである。

そして、例のチリの36の変奏曲を弾き出す。当時はE音楽上の未知の領域だったのがが、今は政治的な音楽として受け止められている。そしてそうした美学的な断層において展開したのが故人のキャリアーであり領域だったとしている。

1966年にはショトックハウゼンの取り分け難しいピアノ曲十番を初演して、その後ケルンやダルムシュタットで活躍したとある。

思想的には東海岸のヘンリー・デーヴィット・ソローを土台に20世紀の社会的意識を強化したものだとしている。この辺りはこれを読んで初めてそうなのかと思った。もう少し左派的な印象を持ち続けていたのは創作のその社会性にあっただろうか。

さて、コロナ禍中の様々なことの決算に入っている。先月からミュンヘンの劇場に電話していたように、金券がオンライン化されていないのでオンラインティケットがそれでは買えないことが分かり払い戻して貰うことにした。敢えて213ユーロのそれだけを残していて「トリスタン」当選の時に清算して貰おうと意図していたからだ。これで旧体制では使う事が無くなったので、先ずは換金させる。新体制の発注でそれだけに金額を最初からは使わない。

10月の新制作「鼻」にしてもそんなに高価ではない。来年のペンデレツキの初日は243ユーロとなるが、歌手陣からしてもそんなに高くなくても買える筈だ。兎に角ヨーナス・カウフマンが関わらないだけでも大助かりである。今後この体制で客をさらっていく可能性があるのはやはりアスミク・グルゴーリアンぐらいかと思う。「ばらの騎士」再演も新作三部作と共に5月に行ってしまえば、それで事足りる。ペトレンコ体制でも最初はスコア席から始めたように、必要ならば徐々に格上げして行けばそれで足りる。必要ならば再演でいいところに座してもよい。歌手がお目当てでないのでその点は自由度が高い。



参照:
In Musik radikaldemokratisch denken, Max Nyffeler, FAZ vom 28.5.2021
レヴィットのルジェスキー 2017-08-29 | 音
ミュンヘン新体制の船出 2021-06-11 | 文化一般

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