(承前)13日の公演を終えて更なる批評が出ている。そして選りに選って31日はこの作品でバッハラー支配人とペトレンコ音楽監督の時代が終わるとしている。個人的にも音楽的にも消化出ていなかったことが徐々に見えて来た。13日から31日への中断は何を齎すか?
ペトレンコ指揮初日週間で二回通うのが今回が初めてである。そして三回目も途中に挟もうと思えば券も入手可能だった。しかし消化が出来ていなかった。同様なことは演奏者にも必ずあると思う。それ程内容がぎっしりと詰まっていた。
一つの評は、前回のコンヴィチニー演出のように分かりやすく即反応できるものではないとしている。それがたとえ同じように自殺願望のパトスに否定的な彩がなされていようとも、ここではオペラの肥しにはなっていても、飽く迄も繊細なやり方であるべきもので、それが自殺こそその唯一の出口であるという宣伝に使うのは非道徳でしかないと演出家ヴァリコフスキーは書いている。
三幕のアンドロイドが不可思議という感想が多い。トラムマにある幼少体験風景を擬人化している。プログラムにはフロイトの先取りで、もし楽匠がフィルムという媒体を使えばとその表現を解析している。勿論音楽的な構造でもあるのだが、劇的なドラマテュルギ―でもある。やはり音楽的にはもう一度洗い直してみなければ駄目だと分かる。
上の擬人化は、モーツァルトの「コシファンテュッテ」などで往々にして起こっている人形化の逆方向にあり、むしろ舞台上で人間化する方が難しい。その意味ではそうした対照を置くことで、同時にプロジェクターでパレラレルワールドを映し出すことでの舞台の現実化つまり楽匠の真の狙いである劇場の世界化がなされようとしている。
要するに今回の演出を心理学的とかで済ませることの無いような仕掛けが組んであって、最初からメディア化しても長く鑑賞に堪える若しくは話題を引き出せるような演出になっていることは間違いない。
批評には今回の13日の公演の成果をして、
キリル・ペトレンコの監督時代の圧倒的な頂点だったとして、喜びに涙して、心の充足へと導いたその指揮そしてその楽団を記している ― 二幕の二重唱の後はそれが主役だったとする評もある。
それは比類ないヴァークナーの楽譜が初めて明らかにされるの唯一無二の今迄最高のトリスタンにしたとある。それによって歴代の名匠が霞んでしまう妖精のごとき軽やかさと豪放に鳴らし切る繊細なカペルマイスターと称している。
若しくは、その偉大な座付楽団の演奏によって聴衆は一挙に持って行かれると同時に何処までも流れてこれ以上軽やかには行かないという演奏だったとしているのもある。
又は舞台と奈落が太い帯で繋がれていて、コッホの歌うクルヴェナールでさえ嘗て無かったピアノで歌われたとそのダイナミックスの表現の大きさを同音異語で伝えている。
Jonas Kaufmann & Anja Harteros ✮ Role debut "Tristan und Isolde"
最早フルトヴェングラー指揮の歴史的名録音に再び耳を通すしか方法は無くなった。(続く)
参照:
Im Wunderreich der Nacht – Münchens neuer „Tristan“ als Traumspiel – ein Ereignis, Hans Gärtner, Tabula Rasa Magazin vom 16.7.21
Kaufmann & Harteros: TRISTAN UND ISOLDE, Andre Sokolowski, Fraitag vom 15.7.21
Vom Schlachtfeld der Liebe, Eva Mathes, HPD vom 15.7.21
Szenischer Flickenteppich in musikalischem Ozean, Konstantin Parnian, IOCO Kritik vom 14.07.2021
ペトレンコ指揮初日週間で二回通うのが今回が初めてである。そして三回目も途中に挟もうと思えば券も入手可能だった。しかし消化が出来ていなかった。同様なことは演奏者にも必ずあると思う。それ程内容がぎっしりと詰まっていた。
一つの評は、前回のコンヴィチニー演出のように分かりやすく即反応できるものではないとしている。それがたとえ同じように自殺願望のパトスに否定的な彩がなされていようとも、ここではオペラの肥しにはなっていても、飽く迄も繊細なやり方であるべきもので、それが自殺こそその唯一の出口であるという宣伝に使うのは非道徳でしかないと演出家ヴァリコフスキーは書いている。
三幕のアンドロイドが不可思議という感想が多い。トラムマにある幼少体験風景を擬人化している。プログラムにはフロイトの先取りで、もし楽匠がフィルムという媒体を使えばとその表現を解析している。勿論音楽的な構造でもあるのだが、劇的なドラマテュルギ―でもある。やはり音楽的にはもう一度洗い直してみなければ駄目だと分かる。
上の擬人化は、モーツァルトの「コシファンテュッテ」などで往々にして起こっている人形化の逆方向にあり、むしろ舞台上で人間化する方が難しい。その意味ではそうした対照を置くことで、同時にプロジェクターでパレラレルワールドを映し出すことでの舞台の現実化つまり楽匠の真の狙いである劇場の世界化がなされようとしている。
要するに今回の演出を心理学的とかで済ませることの無いような仕掛けが組んであって、最初からメディア化しても長く鑑賞に堪える若しくは話題を引き出せるような演出になっていることは間違いない。
批評には今回の13日の公演の成果をして、
キリル・ペトレンコの監督時代の圧倒的な頂点だったとして、喜びに涙して、心の充足へと導いたその指揮そしてその楽団を記している ― 二幕の二重唱の後はそれが主役だったとする評もある。
それは比類ないヴァークナーの楽譜が初めて明らかにされるの唯一無二の今迄最高のトリスタンにしたとある。それによって歴代の名匠が霞んでしまう妖精のごとき軽やかさと豪放に鳴らし切る繊細なカペルマイスターと称している。
若しくは、その偉大な座付楽団の演奏によって聴衆は一挙に持って行かれると同時に何処までも流れてこれ以上軽やかには行かないという演奏だったとしているのもある。
又は舞台と奈落が太い帯で繋がれていて、コッホの歌うクルヴェナールでさえ嘗て無かったピアノで歌われたとそのダイナミックスの表現の大きさを同音異語で伝えている。
Jonas Kaufmann & Anja Harteros ✮ Role debut "Tristan und Isolde"
最早フルトヴェングラー指揮の歴史的名録音に再び耳を通すしか方法は無くなった。(続く)
参照:
Im Wunderreich der Nacht – Münchens neuer „Tristan“ als Traumspiel – ein Ereignis, Hans Gärtner, Tabula Rasa Magazin vom 16.7.21
Kaufmann & Harteros: TRISTAN UND ISOLDE, Andre Sokolowski, Fraitag vom 15.7.21
Vom Schlachtfeld der Liebe, Eva Mathes, HPD vom 15.7.21
Szenischer Flickenteppich in musikalischem Ozean, Konstantin Parnian, IOCO Kritik vom 14.07.2021