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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

瞬間に拡がって、伝わる

2008-03-15 | マスメディア批評
ここ二日ほどの新聞を斜め読みする。何よりも一般的な話題はシシーと言えばロミー・シュナイダー、ロミー・シュナイダーと言えばシシーでそれ以外は思い浮かばない人も多いに違いない。その彼女がフォンカラヤンと競演しているプロコフィエフの「ピーターと狼」が記念CDボックスの中でも特に話題となっている。その自然なナレーションが、ワルター・レッグの門下の考え抜かれたディクテーションとは異なり、活き活きとして素晴らしいというのだ。

同時に其処で思い出すのが指揮者のライヴァルでベーム博士の子息カールハインツ・ベームの今回のフンデルトヴァッサー賞受賞とシシー映画での共演での大成功だろう。アフリカでの活動は、その継続性以上に大きな成果を齎しているようだ。

ドイツで最も急進的な作曲家であるハンス・ヨアヒム・ヘスポスが七十歳の誕生日を迎えたとある。十年以上前になるがカールスルーヘのZKMで友人に紹介されたことがある。名前は聞いていてもその実践はよく知らなかったのだが、その直後の上演と違わぬ印象を、その人物像に未だに懐いている。その後、ハノヴァーのエキスポなどで再会する機会を逃して、二度とその実践にも接する事はなかったが、そのパワフルな印象は所謂多くの閉じた完成した作品を創作するゾンビ化したような作曲家とは一線を隔している。

新聞にあるように無調時代のシェーンベルクやベルク、ヴェーベルンの表現主義をその開かれた作品に示していて、ベルリオーズやムソルグスキー、アイヴスやエドガー・ヴァレーズのアンチ・システム・アカデミズムの系譜をエルンスト・ブロッホのモットー「音楽は、言葉の無い言語 ― その現在はまだ訪れず」をもって実践しているとするのは誤りでは無いだろう。こうした創造は体験しかないというのが、その体験であり、次の機会を期待したい。

マスメディアに関して言えば、合衆国のヴィザの扱いを巡っての報道の時間差に気が付いた。BLOGにて一報を聞いてから新聞に載るまで三日ほど時差があった。その理由は判らないが、切り崩しにかかる合衆国のEU戦略と、それを受けてのバルト沿岸諸国との二国間協定の内容の勘ぐりなど、外交における裏情報の流れる時間差にあるのだろうか?いずれにしても、その内容は憶測の域を出るものではなく、遅れて掲載された報道の内容にそれが充分生きているようには見えない。要するに、バルト海から合衆国に入国する者のみならず、トランジットする者までに合衆国は興味を持っているようで、そのバルト海からの出国のシステムを含めて、「様々なビジネス」が存在しているようなのである。

先日のトルコ問題と似通っているのは、こうした外交問題がEU内での暗黙の了解である「二流国」の立場や英国やアイルランドの特殊性を浮き彫りにして、我々が立つ位置を確認させてくれる事実と効果である。

そのような事を考えながら、2007年産では逸早く昨年の暮れに購入したライタープファードがいよいよ飲み頃になってきたのを記録して、その時差と瞬間の撮影としておく。青林檎の香りは、どのように鈍感な鼻にも漂い、その土壌の些か硫黄臭い味の上に華やかに羽ばたいている。



参照:
Der ungepolsterte Ausdruck, Gerhard R. Koch,
Selbstentflammt von der eigenen Süße, Eleonore Büning,
FAZ vom 13.März 2008 bzw. vom 11.März 2008
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自由民主主義への忠誠

2008-03-14 | マスメディア批評
新聞にエルドガン首相のインタヴュー記事が掲載されている。非常に興味深い。この政治家をポピュリストと考えているが、一体それは正しいのだろうか?

先ずは身近なルートヴィヒスハーフェンでの火事から追ってみると、ケルンでの大集会で穏やかな対応を呼びかけたことに対して、「地元や連邦の細やかな気遣いの各氏への礼」とともに先ずは沈静化を図りながらも、その後「十件もの放火騒ぎがあり、郵便桶にマッチを入れられた脅迫等があった」ことを問題とする。

そして、トルコでの過激なメディア報道に対しては、「ドイツ政府が、釈然とした対応をしていない」と批判して、「同地でもネオナチの落書きが長く置かれているのを確認」して、「ドイツ在住の親戚も怯えている」ことを指摘、さらに「創造主に創造された者を愛す市民の愛と平和」を強調して、「両国間は緊張した状況に無い」と断言する。

最もこのインタヴューで大きく捉えられて大タイトルとなったのが、2月10日でのケルンの集会へのエルドガン首相のメルケル首相への招待である。一旦は受け入れたようだが、結局ベルリンの首相官邸でのパネルディスカッションを逆提示されたとして、「メルケル首相は、私が集めた注目と同じように、大観衆の前で直接語りかけることが出来たのに残念」として、「在独トルコ人の動機付け」のためにも「彼女が望めばまた開催しますよ」と言う。

ここまで読んでなるほど先月のこの「偉大な政治家」への新聞の扱いの微妙さの理由がよく解る。イラクへ侵攻することになったPKK一掃作戦や同地方へ現地入りしての活動をも説明して全く抜け目が無い。

その関連で、「母国語を習い、使える」クルド人少数民族政策への取り組みを、またアラブ語やペルシャ語での公共放送TRTでのチャンネルなどの先進性を語る。当然のことながら、これは問題となり「思い掛けない批判」を浴びたドイツでのトルコ語での教育へのコメントとなっている。

「ドイツ語をマスターするためには母国語が先ず充分に出来ていないと」と、「母国語が出来ない者は、他の言語も出来ないとするのは、言語学上の鉄則で、これを言っただけで、誤解されたのですよ」と弁舌鮮やかである。

これほどに頭脳も明晰で、その主張に隙が無いのは、現在のEU首脳陣と比較しても引けを取るどころか、完全に上回っているような気がする。ああ言えばこう言う。

そしてその主張の根源には、EU加盟上問題となっている憲法301条の「トルコ条項」があるらしいが、これもスカーフ問題で審議が遅れたが継続して討議されるとして、決してEU加盟に否定的な見解は示さない。

その反面、ライツィストの政教分離観を「どの宗派に対しても距離を置く」と「スカーフ許可」を定義付ける一方、八十万のトルコ系ドイツ人には「双方の国に忠誠を求める」。

それをして、この新聞FAZの社説は、「85%のトルコ系ドイツ人が、78%の在独トルコ人がメルケルを信用していないことから、二万人の観衆の中でメルケル首相を庇えばエルドガン首相に怪物的な印象を与えたのが想像出来る」として、今後ともそのような、フランスやドイツでのドゴールとアデナウワーのような機会はありえないだろうとする。そして、主張される二カ国への忠誠は全く新たな認識を必要とするとしている。

その一方現実にはイスラム団体やその構成員を扱う場合、国籍条項の差異なくモスレムが扱われている事から、ヴァチカンなどの外的な影響力を排したプロテスタンティズムの国ドイツにおけるイスラム信者の扱いはまだ定まっていないとしている。この点に関しては、ここでは政教分離の徹底を述べている通りである。

エルドガン首相の発言は、そのIDの示し方やトルコ国内での支持の受け方で、イェルク・ハイダーや東京都知事などの「出来もせぬ事を言うだけ」のポピュリスト政治家や小泉首相の短いセンテンスのコミュニケーションで背後の動きを隠し単純化した政策やラフォンテーヌのイデオロギーを単純明確化した弁舌で、浸透度と支持を得るポピュリズムとは一線を隠した、遥かに優秀なポピュリズム政治家であることが知れる。

その差異は、もちろんトルコ人の秀逸した国語力やメディア批判力にあるのでもなく、工業先進国には無い教育上の大きな社会格差にあるように見えるがどうなのだろう。しかし、こうした大きな支持を集める政治家が登場する背景には、やはり宗教に代表されるような成文化されない社会規範や封建主義的な世界観が根底にあることも否めない。だからこそ自由民主主義が我々の立ち位置なのであるが、思いのほかそれが定着する素地はなかなか限定されるのも事実なのである。



参照:
Banzai for Democracy 民主主義、万歳! (Rakugo Performer ハリト)
反面教師にみる立ち位置 [ 歴史・時事 ] / 2008-02-13
熱い猜疑心の過熱と着火 [ マスメディア批評 ] / 2008-02-09
階段の踊り場での懐疑 [ 生活 ] / 2008-03-02
出稼ぎ文化コメディー映画 [ アウトドーア・環境 ] / 2008-02-14
調査と云う似非文化問題 [ BLOG研究 ] / 2008-03-10
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五里霧中のアップグレド

2008-03-13 | 生活
航空券のアップグレードの件で動いた。昨年の今頃、発券させていたものを使おうと言う魂胆からである。詳細はまだなんとも言えないが、兎に角エコノミークラスをビジネスクラスにアップグレードした。

廉くしつつ尚且つアップグレードの価値を味あうためには色々と努力しなければいけない。少なくともネットでホームページだけを漁っていたのでは、安売りビジネスクラスに比べて中途半端なお徳感しか得られず、その利用を躊躇していた。最終的に、半額まではいかなくとも、それに近い額となったので努力しただけの甲斐はある。

買物のついでに立ち寄った旅行会社の店頭で話しをしていると、マイレージに関しては旅行専門家は逆に十分に把握していないことが判る。それでも今書いたように、ネットでは見つけられない航空券が入手出来ることを知ったのは大きな収穫である。

前回はルフトハンザのHPで直接買う方がお得なことが判り、折角相談にのって貰いながら、結局航空会社で直接購入するほうが廉かったので、今回の可能性はあまり期待していなかったのである。それでも旅行業界にはキャッシュバックなどの様々な「裏取引」があることは予てから聞いており、もしかするとと思ったのであった。

アップグレードの複雑さは、航空券を発券させて後に、それが始めて可能となるシステムにあり、なかなか旅行業務に慣れているなりの経験が必要とされそうな気がする。

それも人によるかも知れないが、様々なチケットクラスの販売価格の差の大きさみると、どうしてもその裏側を勘ぐりたくなるのが人情である。更に、アップグレードなどのサーヴィスの価値や質など、これは最終的に飛んでみないとなんとも言えないが、興味津々な点は大いにあるのだ。



参照:
アトランティックの夕焼け [ 生活 ] / 2005-01-10
人工衛星のインターネット化 [ テクニック ] / 2004-11-17
特別なアトモスフェアー [ テクニック ] / 2004-11-17
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新旧の今日的信仰告白

2008-03-12 | ワイン
承前)近代的な醸造法において、木樽においても温度管理を徹底しているのは、今更強調する必要はない。摂氏12度から14度の醸造や、摂氏9度の熟成など、冷却と過熱の双方から温度か保たれる。

そうした近代的な醸造法には、栽培技術における温暖化気候に都合の良い成長過程を示す葡萄のクローンの選定同様、最も効果的な酵母の選定などが含まれる。後者は、過去に遡り1920年代には11月中旬に摘み取りしていたようなクローンに比べて、現在では昨年にみるように8月終りから始まり9月中旬には多くの摘み取りが終える事の出来るクローンへと替えるれているなど、環境に適合したワイン栽培が図られていることを指す。前者では、一部モーゼル流域などで試みられている百年もの古樹などが特別な価値をもって栽培され醸造されていることにも関連するが、また其処で採用されているようにその葡萄の天然酵母をそのまま醸造に使う方法とは対照を成している。

なるほど培養酵母を使わないままで美味いワインが出来上がるかどうか?、また古樹が力を落として収穫量が落ちているのとグローセスゲヴァックスのように収穫量を落とすのが同じ効果を持つのか? ― これらは一つの「信仰の認識」なのである。

また、名門フォン・ブール醸造所は、2005年からバイオワインの道を歩んでいて、2008年度にはEUのバイオ農産物のサーティフィケーションを獲得する。機会があれば、2005年産から明らかに明確なコンセプトを以って栽培・醸造されている、そのワインの新旧の明確な差を誰もが各自実感出来ると思っている。要するに、それは「バイオ信仰」の徹底以上にISOにみられるような明晰な作業工程の追求が齎す品質改善と言い換えても良いだろう。

例えば、写真のグランクリュワインの樽には、発酵過程を終える二酸化硫黄水溶液を加えた日付が明示されており、各々一月四日、二月六日と二種類の過程が示されている。これが何を意味するかといえば、新月に迫る日時なのである。

奇しくもワインの熟成にどのような影響を与えるかの質問が飛んだが、化学的には返答の仕様がない。しかし、我々のバイオカレンダーはこうした影響を受けていることはなにも健康な女性だけでなくて皆がよく知っている。しかし、この醸造所の考え方は、その筆頭であるA・クリストマンやブリュックリン・ヴォルフとは異なり人智学に距離をおいているので、バイオ・ダイナミクスのような特別な団体には加入しないと言明している。

しかしながら、今や同じ傘下にあるフォン・バッサーマン醸造所との差異が、そのワインの味のみならずこうしたところにも表れる。当然ながらこうした「信仰」に、もともとの伝統である新旧教の世界観の差異が伺えるのである。(終わり)



参照:
Dr. ローゼン試飲会 (モーゼルだより)
技術信仰における逃げ場 [ 雑感 ] / 2007-11-06
飼料は遺伝子操作済み [ アウトドーア・環境 ] / 2007-07-25
現代オカルトのビオ思想 [ 文学・思想 ] / 2007-05-24
シュタイナーのエコ農業 [ アウトドーア・環境 ] / 2007-05-22
市井の声を聞いて改良 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-11-06
そして白樺が終わる頃 [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-07
化け物葡萄の工業発酵 [ ワイン ] / 2005-12-23
政治的棲み分けの土壌 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-09-22
市場でなく、自然に合わせろ [ ワイン ] / 2005-09-09
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イヴェントの豊かな後味

2008-03-11 | ワイン
投光されたグランクリュ地所三箇所を観た。バート・デュルクハイムの観光の中心地にあるミヒャエルスベルクは、車から手っ取り早く見えるのだが、車だけでなく光が多く、俗っぽさが災いしていたようだ。その地所を歩いての感想と変わらなく、ワインの味もそのようなものだろう。

日曜日にはSWRシュトッツガルト放送交響楽団のブラスセクションによって、19時から音楽が奏でられたケーニクスバッハのイーディクに見学に行った。なんと言っても盆地状の地形にその音響効果を期待したのである。

金管アンサンブルは、上部の石垣の前に陣取った。照明もその高さと石垣の上部に当てられて、赤い色の投光器など幾つかの投光器が使われていた。聴衆は下から見上げる形で充分な音量が得られていた。予想通り、低音楽器の音は良く伸びていた。

選曲は、ポピュラーや映画音楽のみでせめて一曲ぐらいは著作権のないファンファーレかなにかを入れるべきではなかっただろうか?実質三十分ぐらいのレパートリーであった。

あまり見通しが聞かない照明を見て、音楽聞いて、一杯飲んで体を温めれるようにスタンドが出ていた。お馴染みの新鮮な顔を見つけて、ついつい先週買ったばかりのミュラーカトワールのヴァイスブルグンダーやA・クリストマンのグーツリースリングを二杯も飲んでしまった。一杯二百円はお試し価格で小売としては安い。

グラスを返して、次の演奏地ウンゲホイヤーへ行くと断わって、急いで辞去する。ウンゲホイヤーの照明は前日見ているので、勝手をよく知っていたが、前日とは打って変わって二百人以上の聴衆を集めていた。

楽師の面々は、ワイン山の中をジープで移動したのだろう。ここでもまたお馴染みの顔を見かける。やはりインサイダーや事情通の者が多いようで、本日のローカル紙は場所が判らなかったなどの苦情なども伝えていたようだ。

基本的には金をかけずに、効率良く、グランクリュを印象つけて新コンセプトのテロワールを広報する目的が達成されていたが、こうして巷でも一等区画グローセスゲヴェックスが囁かれるようになれば大成功だろう。

投光されるのを観るのは一生で一度のことだという声も聞かれたが、金をかけずに広報が出来るならば機会があれば今後も実施する価値があるのかもしれない。

音響効果の方も、ウンゲホイヤーにおいても予想したほど悪くはなく、何よりもマドンナ像とウンゲホイヤーの斜面の投光の効果が素晴らしい。既に同じプログラムを聞いているので、演奏中にマドンナ像の足元まで上がり反対側に降りてきた。

演奏の方は、途中で一杯やってワインが廻ってきたのか、先ほどよりも集中力が欠けてさらにお気軽なものとなっていた。

前夜のゲオルク・モスバッハ家が道案内する家庭的な雰囲気の中での落ち着き静まった雰囲気を思い出しながら、こうしてイヴェントを堪能して帰路についた。



参照:フォルスト・ウンゲホイヤー [ ワイン ] / 2008-03-09
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調査と云う似非文化問題

2008-03-10 | SNS・BLOG研究
鯨などにはあまり興味がない。それでも日本のネット情報からみるに、かなり熱い議論となっているようだ。過去二十年間の捕鯨に関する推移はよく知らない。だから、日本政府が調査捕鯨と称して、過去二十年間に七千頭近くの鯨を捕獲して、それを市場に流すことで、従来の捕鯨産業を保護している様子はただ驚きでしかない。

南極海での阻止活動もあの手の狂信的な自然保護団体の常套手段ではあるが、今後とも粘り強く妨害が続けられるのは充分に予想される。広範な世論から集められる寄付金で潤沢な資金が確保されればされるほど、遠く南極の海での調査と称する捕鯨活動には勝算はないであろう。恐らく、現在のような妨害を掻い潜っての捕鯨では、商業的には採算が合わないに違いない。それともそれほど商業的に面白い産業なのであろうか?

初めて、水産庁捕鯨班HPを覗いてみて、予想以上のいかがわしさが知れた。結局、調査捕鯨の建前に、科学やら統計やら文化やらの御託が並べられて、誤字脱字が示すようなこじつけた下手な独善的な文章で主張されているのは、広範な商業捕鯨とその貿易による従来の水産産業の復活でしかない事が一目瞭然なのである。

逐一、その滑稽さに触れる気もしないが、公海での商業捕鯨のみならば、IWCを 脱  退 することで即可能に違いないが、それを日本の国内市場で捌くのみならず、否応無しに収穫を輸出することを旨としていることから、脱退をも是とせずに、調査という「科学」を持ち出してきている。まさにG8の一つの政府の其処の偽りこそが現在国際世論の批判の的となっている。そのゴリ押しの論理は、ブッシュ政権によるイラク侵攻にもどことなく似ている。

そればかりか、伝統文化・食文化というような高尚な概念を持ち出しているのが大変場違いである。それに対して少数民族保護の立場からの譲歩しているにも拘らず、表向きは「人種差別に繋がるので反対」とする詭弁を用いている。本来ならば伝統文化としての食文化や既に廃れつつある捕鯨文化を、文化として保護すれば良いのであるが、其処で割り当てられる予想される二桁台の捕獲割り当てでは、日本政府が意図している水産業保護の目的には至らないのであろう。そもそも重金属で汚染された沿岸捕鯨などでは産業にならないのだろう。

その一方、日本の新聞の社説やネットでの議論は、食文化と民族主義的な主張がその隠された意図以上に「日本民族の被害妄想意識」を刺激する世論形成のために強調されているようにしか思われない。その論調はエルドガン政権のトルコの状況をさえ想起させる。現在、鯨を日常的に食用とするのは世界でもまた日本でも少数派であることから、少数派保護には相違ないと思われるが、否応にも南極まで船団を連ね其処で捕獲した鯨を国内市場で大々的に捌き、あの不味く今でも思い出すだけで吐き気を催させる鯨肉給食を復活させ、希少価値をもった鯨を海外へと高く売る叩こうとする魂胆はどうにも隠しようがない。

日本国内での様々な情報操作とは一線を隔して、現在の熱を帯びる日本の捕鯨報道を客観的に見るとこうなる。犬を食することに対するのと同じで、鯨を食することを止めろと活動する者が存在することと、大規模の商業捕鯨を禁止することとは意味が異なる。だからこそ調査捕鯨という隠れ蓑を着込み、大規模の捕鯨を展開して、国内市場のみの流通では飽き足らず、それを大々的に貿易しようとするのは、全く解せない。

水産庁の主張を裏読みするとこうなるのだが、日本国内での一致した論拠は「民族主義的な文化問題」と政治的に故意に擦りかえられているところが大変危なっかしいように思える。捕鯨の問題は、あくまでも米問題に深く関わる食糧自給率問題と同じように国内産業保護政策なのだろう。



参照:
消化不良 (雨をかわす踊り)
環境テロリスト (夕暮れのフクロウ)
シー・シェパードの暴力行為 捕鯨問題 (JUNSKYblog2008)
二枚舌のパタゴニア日本支社公式見解を嗤う (月山で2時間もたない...)
若者の保守化とは何か? (モンゴルから見えるアジア)
物言わぬ国民性 (私の勝手な主張!!)
シー・シェパード (ヤマシログ)
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ワイン地所の王道を行く

2008-03-09 | ワイン
VDPプファルツの記念行事が始まった。金曜日晩のワイン地所の照明は、パーティが開かれたルッパーツベルクのみであったようだが、土曜日にはフランス国境シュヴァイゲンからグリューンシュタットまで名だたるグランクリュ地所が投光器で様々な色彩に彩られた。

ウンゲホイヤーの地所ではヘアゴットザッカーに包まれる一角である醸造所ビッファーの地所が照明され、其処へと至る道筋には灯火が灯された。ゲオルク・モスバッハーの若夫婦によって、丁度自らの地所の一角で案内されていて、家族的な雰囲気を醸し出していた。

其処では最終日の日曜日の夜間には、SWRシュトッツガルトの放送交響楽団のブラスセクションによって音が奏でられる。どんな曲が演奏されるだろう。

その前に、朝からダイデスハイムの試飲会に出かけた。その大きな名前を復活させつつある伝統のフォン・ブール醸造所である。試飲自体は、現時点ではまだまだ銘柄が揃っていないので来る五月のそれの様な賑わいはなかった。

それでも、十年振りぐらいになる醸造蔵見学は、昨今のその商品の質の向上を包み隠さずあからさまにしていて、何度も覗いた同じ蔵が殆ど初めてのような感じで強い印象を与えた。

嘗ては、日本から研修で派遣された従業員も居り、突然その蔵を訪ねて仕事中を驚かしたことなどもあり、また当時日本からの資金でステンレスの樽が新調されてそのきらびやかな近代性が強調されていた時期を思い出す。

その当時もなるほど見学時には古の樽に蝋燭が備え付けられて、安物観光向けの趣が与えられる一方、そのワインが語るように近代化された醸造法こそが金科玉条となっていたのである。その炭酸の強く残るワインに、ラインガウのドイツ一と言われるロバート・ヴァイルの醸造法が目標にあったゆえに、皮肉にもその目標に明らかに勝るとも決して劣らない地所の秀逸性が充分に示されない結果となっていた。

そして、その現在の様変わりようは、醸造の素人であろうとも、整備されたグランクリュワインの新しい木樽やピノノワールの並べられた多種多様の木樽に、またステンレスの樽が隅に落ち着いて収まっている様子に、もしくは伝統を戻したゼクト作りの棚に、十二分に表れているのである。

言い変えると、その整然とした醸造蔵は、如何に職人の神経が行き届いているかが判るといっても良いぐらい、其処で出来上がるワインの質を語っている。

樽に関してのみ端的に言及すれば、それは、1970年代には老朽化して近代的なクリアーなワインが出来なくなった木樽が、1980年代になって漸く新規交換されて、1990年代の外資による近代化へと繋がって行ったのである。そして、その後は上のサントリー社が資金援助をしたロバートヴァイルと同じように清涼飲料化したリースリングは、その炭酸によって高級感を損なった。そして、今新たな木樽による熟成へと再び王道を歩むことになった歴史にも通じるのである。(続く
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フォルスト・ウンゲホイヤー

2008-03-09 | ワイン
照明されるフォルスト・ウンゲホイヤー。

VDPプファルツ百周年記念行事から。
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キウイのような揚げ菓子

2008-03-08 | 料理
絶食週間の食べ物を結構紹介している。今回は、米国のドーナツの先祖ポーランドのポォンチュキのドイツ版であるジャム入りのベルリナーの変形である。

地方性があるのかどうかは判らないが、中には甘みのあるチーズの一種であるクヴァークが詰まっている。

それをQUARKを合成語にしてQUARKINIと呼んでいる。キウイを思い出すような語感だが、確かに同じような形である。

中身は若干ヨーグルト風なので、カスタードクリームが入っているこの手の類似品よりもあっさりして旨い。


参照:
クーリックで祝う謝肉祭 [ 暦 ] / 2007-02-17
ヨーグルトとトッペン [ 料理 ] / 2005-10-05
チーズと甘味とワイン [ 料理 ] / 2005-12-07
元祖ケーゼクーヘン [ 料理 ] / 2005-11-18
仏ピッザ・フラムクーヘン [ 料理 ] / 2005-09-27
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小雪ちらつく強い花並木

2008-03-07 | ワイン
試飲のついでに久々にビュルガーガルテンを歩いた。有名なワインの地所である。塀に囲まれた一帯のリースリングは、ミュラーカトワール醸造所の看板商品としてその薔薇の香りと共に特に誉れが高い。2006年度は映像に記録したように、腐りが酷くエルステスゲヴェックスとして発売されずにシュペートレーゼとして格落ちされた。

2007年産は、大変期待出来るのは最下位のMCリースリングを飲んで確信出来た。なんと鋭く厳しい酸であろうか。瓶詰め一週間後でまだまだばらばらの状態であるが、その化学分析の数値が示す意味が今年は明確である。本年試飲した中では最も鋭く、期待出来る。

上のワインは、ビュルガーガルテンとは関係がないが、この地所を歩くと他の醸造所の地所の悪さがよく分かる。この地所に関しては、塀に囲まれた一帯のみが特別な地所と地形的に納得できるのである。

帰りに、小雪がちらつくギメルディンゲンのあの台風にも耐えた美しく開花するアーモンドの並木を通って、先日来話題となっていたダイデスハイムのキーセルベルクの広い尾根筋を歩いた。なぜあれほどまでに、隣り合った地所でも味が異なるのかを確認したかった。

なるほど、比較対象となるフォン・ブールとフォン・バッサーマン・ヨルダンの両醸造所のキーセルベルクの地所は、前者が南側へと落ちる斜面にライヘーレと並んであるのに対して、後者は尾根の上のふくらみにその地所を占めている。

フォン・バッサーマンの尾根の続きにはゲオルク・モスバッハーの地所があり、彼らのグラン・クリュワインの地所である。その南へ落ちる斜面側にはフォン・バッサーマンのグランクリュ地所ホーヘンモルゲンがあり、A・クリストマンのグランクリュが先のフォン・ブールのキーセルベルクの地所との間に挟まれている。



参照;
特産品を特別に吟味する [ 試飲百景 ] / 2008-03-03
微妙に狂った設計図? (新・緑家のリースリング日記)
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政治における時間差とは

2008-03-06 | マスメディア批評
やっと、ヘッセン州の政治地図が見えてきたようである。社会民主党のイプシランティ女史が、左派党に閣外協力を求めるようだ。投票前の左派党除外の公約には反するが、ローラント・コッホを頭に据えておく事は出来ないのが投票者の意思で、自由党が協力しないかぎり、左派党に首班指名の協力を仰ぎ、更にその後の少数与党を当分は持ち堪えれる様に左派党に戦略的に政策協力を仰ぐことになるようである。

現在の連邦州全体でSPDのおかれている立場からすれば、積極的に連合協力を仰いで行くことは決して悪くはない筈である。

さて当町でも、スーパーマーケットの建設問題で揺れている。数週間内の町議会で採決される。そのことで、先ほどSWRのTV第3波から議論が生中継された。

色々と建設場所の噂は聞いていたが、売却されて縮小された老人ホームの横の戦没者記念碑のある中世の町の壁際に作られるという。よって環境破壊と歴史的財産の保護が争点となっている。

もう一つは経済的な視点であって、現在ある スーパーマーケット自体がその前に親しまれていたコープが店仕舞いしてから、やはりあまり旨く行っていないことが挙げられる。その店には店代わり後正直一度も行ったことがない。車で行くならば隣町に行く方が良いからである。

結局はグロバリゼーションによって小規模の上質の店がなくなり競争力の高い大規模スーパーマーケットが生き残る形となっている。つまり、少々規模の大きいものを作っても隣町に比べ良いものが買えない限り用はない。

存在価値が残るのは特産物を扱っている上質の小売店だけなのである。また地元が環境も整え、市民生活をよりよくするほどの財源はない。

お年寄りには、毎水曜日にやってくる移動市場で充分ではないか。それが拡大されればそれで良い。車があるものは少し走るだけである。潰れかけるスーパーマーケットなどは要らない。

それにしても、衛星の生電波が届いて放送されるまでに四秒ほどリレーの時間差が生じていた。政治にもそれぐらいの時差が存在するようだ。
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倹約家たちの意思の疎通

2008-03-05 | 生活
ドケチと言われようが、金の計算に余念がない。

地元のVDPの百周年催しに因んで、久々に誕生日祝いにある未亡人を招待する。すると、希望するプレゼントを尋ねられた。今まで希望商品を提示した経験はあまりないので、色々と考えた。そして、メインとなる宴席の費用から、略同額額を設定して、記念になるものという前提で今欲しいものを探した。昔その友人からは、グラッパやシャンペン類を貰ったことがあるが、記憶に残るものであっても記念になるものではなかった。

最初から書籍やメディア類を考えたが、あまり廉いものならば、いつでも簡単に買える。お買い徳DVDなら自分でも買え、割高商品ならば貰っても少し無駄な気がしてあまり嬉しくない。廉くクラッシックな内容や豪華本の書籍もネットサーチしたが、本当に欲しいものは自ら買えて、もしくは買えないほど高価であって、プレゼントとしてあまり実際的ではない。

そして新聞の文化欄に載っていて、その紙面を取っておきながらその内容を読まずにいたある作家の名前を思い出して、それを古新聞の束から探した。その作家の初期の成功作は今も大事に手元においてあるが、今回の新著は自分にはあまり馴染みのない時代・世界の文学に関するもので、内容を把握するのが億劫でその記事に目を通さずに重ねておいたのである。

そして今、新著が丁度発刊されることを知り、ちょうど好都合な価格なのを知った。もし自分で買うとなれば、敬遠していたかもしれなく、仕事関係で購入する事もなかった書籍なのである。そうなれば、この新刊ほどプレゼントに相応しいものはない。本年発売されるドイツ語の本のなかでは間違いなく、話題になる本なのである。

そう思うとどうしても欲しくなり、初版本なら更に嬉しい。今年のクリスマス前には沢山プレゼントとして購入されるであろうこの書籍を、こうして早い時期に手元に置ける幸せがあるのだ。

その希望商品をネット上のリンクと共に、招待の概略としてメールにて送ると、先方からまた大変嬉しそうな返事が返ってきた。宴席の費用も隠さずに明白に書かれている広範な情報であるから、シュヴェービッシュ人の彼女は、こちらと同じようにきっちりと 計 算 したに違いない。

そして、こちらの 計 算 をしっかり把握して、最も好適な商品を選択したことを喜んでいるのである。なんとか間に合わせて入手出来るかどうか楽しみだと書いている。

前日高齢出産のキャリアー人生を歩む娘さんの引越し手伝いに疲れた声を電話で聞き、心配した所であるが、そのメールの文章はなにか弾んでいる。

ここに、同じ金額を支出するにしても、招かれる方は自費で宴会に参加しても決して面白くなく、招く方は新刊書を自費で買う気もしないという平衡関係が成立している。そして、招かれ贈られの経過にあるプラスアルファーが計り知れない。

そしてなによりも金の有効な使い方と計算は、こうしたシュヴァーベンの経済学をもってして初めてその恩恵を実感出来るのである。これはやはり金の文化なのである。
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花園に包まれていたい

2008-03-04 | ワイン
ワインの試飲について書かなければいけないことは数知れない。昨日の試飲者を念頭において、この大変貴重な体験から学べることを書き記しておく。

所謂ワインスノビズムのようなものを嫌悪していることから、鉄則とかいったようなものはここには一切書かない。しかし、試飲や消費の上で少し考えてみると参考になり、積み重ねの経験になるような類のことは、自らの感応体験で示唆しておいても良いだろう。

今回のヘアゴットザッカーは瓶詰め一週間で俗に言う樽試飲に近いものである。さらにポンプアップして瓶詰めしてあるので、現在の状況は重症のワインシック状態である。逆に、これを樽試飲とワインシックの重なった状態として把握すると、この試飲の経験が充分に意味を放つ。

それでも判るピーチの香りと酸の鋭さは、このワインの魅力を語って憚らない。謂わば、ロンドンでの展覧会のポスターでも問題となったようなクラナッハのヴィーナス像の一糸も纏わないあまりにも露な姿なのである。

そうした殆ど色香の無い、蒸留水のようなたおやかな香りこそが、その素性を示して、純粋さに限りなく近いものを感じさせる。新鮮さと些かそれが分裂したこの視差にこそに、主観と客観の緊張を解く秘密がある。化学的には、様々な結合の平衡に戻る方向への分散と言えるのだろうか。

通常の空間移動に置けるワインシックは、それに経過した時間だけをおけば元に戻るとする、一般的原則が存在する。しかし、ポンプアップのストレスは一月以上の時を要すると言われるが、この期間を認識するには大分の経験が必要である。

そして、ワインが落ち着いた時に、最初の飲み頃のピークが表れるのは、白ワインならば、大抵感じられる。新鮮であれば、なにも他には要らない。しかしである、その質の高さや高貴さ、そしてなによりも素性や性格のよさが背後にやられて、偉大なそれどころか、見掛け倒しの性質の悪さも隠されてしまうことを、特に鈍感な男達は肝に銘じなければいけない。

リースリングに関して言えば、一年以内に草臥れてしまうものは、高級とはもはや言えない。しかし、一年後には少し落ち着いた新妻のようになるリースリングも少なくはない。そのときに新たな良さが見え隠れしてきて、惚れなおせるものはやはり素晴らしい。そうして、瓶詰めから二年経過後位には持ち得る素晴らしさが開いて、偉大なものには奥行きと高貴さが底光りしてくるのだ。

ここまでが一般的な高級リースリングに当てはまるもので、そうして、出産と育児を迎えてのやつれのような時期を過ぎると、今度は熟成の時となる。それは同時に、辛口リースリングで愛される新鮮な香りの衰退と消耗を進める。つまり、四年過ぎたリースリングでは、甘口においてはジュースからやっと酒らしく飲める時期であり、辛口においては新たな時を迎えることになるのだ。

甘口のリースリングは、そのコケットな魅力から甘さが消えて一種の清々しさへと飛躍して行くものもある一方、肌艶が失せて厚化粧の甘みが分離して行く場合も少なくない。

そして辛口では、この時点からは本当に選びぬかれたリースリングだけが、高貴な香りをお花畑のように醸し出し始める。それは、蜜に満ちた雌しべの周りを彷徨うような蜜蜂の飛翔の時を我々に約束するのである。様々な鮮やかな、可憐な、得も知れぬ花が辺り一面に咲き乱れ、媚びることもなく、ゆったりと風に吹かれる情景を思い浮かべる愉悦の時なのである。

蒼い空の下で緑の草原に横たわり、ありとあらゆる色香に身も心も委ね、うとうととして、あるがままに一面の花園に包まれていたい。



参照:
埃被ろうとも侮るべからず
ハークもかなり鉱物的 (新・緑家のリースリング日記)
コメント (2)
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特産品を特別に吟味する

2008-03-03 | 試飲百景
嘗てここにも登場した試飲者が、再び訪ねてきた。既に15時を過ぎている。17時には日本へ帰るフランクフルトの空港で待ち合わせしていると言う。近くのエラーシュタットで、こちらのスタッフと前ワイン街道のワインを試飲購入後の訪問である。

こちらは、リースリングしか勧める気がないので全く別世界の話であるので、そこで購入した三本に想像を巡らし配慮することなく、醸造所に直行した。

予め電話をかけると、お目当てのヘアゴットザッカーは本日発売開始と言うではないか。一週間前の瓶詰めというから、まだまだ落ち着いていないのは周知である。

喜び勇んで、車に同乗して門を潜る。本日は嵐が過ぎ流石に街道で行き交う車も少ない。

さて、試飲室に入り、持ち帰り難いリッター瓶を外して辛口リースリングを試飲する。既に感想を書いていたフォンブールリースリングは素晴らしくなっており、賞賛の声が聞かれる。最後に些か苦味が残るのが難であるが、現時点では果物の苦味の様で問題がない。もしかすると2007年産で話題となる若い種の苦味かもしれない。

その次に勧められたのがムーゼンハングのキャビネットであり、これはグレープフルーツの香りと風味が素晴らしく、酸も活き活きとして有無を言わさず気に入ってしまった。試飲者には少し辛口過ぎると言うので半辛口方面へと方向展開をしようとするが、私が許さない。

そして次に比較として、ヘアゴットザッカーが出される。そしてモモの香りと示唆されるのは、この若い殆ど天然水のような透明な飲みものに、視認の為の色付けをしたようなものである。

そして、現在は最も落ち着いてバランスの取れたキーセルベルクが供される。これが最も試飲者に気に入った様で、流石に前回にもフォン・バッサーマンのキーセルベルクの良さを指摘しただけのことはある。

なるほど、彼は果実風味よりも、むしろこうしたストレートなワインを好んで、あまり柑橘類を好んで食さないことを思い出す。しかし、バッサーマンのそれを一押しで勧めているので、やはりここではヘアゴットザッカーに注目してもらうため、それを一押しした。

醸造所の勧め方は真っ当で流石にプロである。しかし、他の醸造所との比較において、そしてここの実力を思う存分示すためには敢えてそれに逆らった。仮に、二種類のキーセルベルクを比べた場合、バッサーマンの旨味にそれも日本の食生活では間違いなくブールのそれが引けを取ることが分かっているからだ。そう、基本的には米食をして時間の経ったリースリングしか入手出来ない日本の重い大気の中では酸が軽やかに飛翔することが難しいのか、辛口白ワインはどうしても重く沈み苦味を感じる。

それゆえに、酸と果実風味がバランスを取るために有用だとする趣もある。そうなると、個人的には珍重している岩石の味と酸が均衡して果実風味では無くナッツやその他の風味の多い辛口ラインガウのリースリングが、こうしたキーセルベルクの砂を舐めるようなクオーツの味に近い。しかし、砂利とあの千枚岩では味の深さが異なる。

結局、持って帰って貰った、フォン・バッサーマン・ヨルダンのライタープファードの青林檎風味と旨味の乗ったキーセルベルク、フォン・ブールのモモの香りのヘアゴットザッカーの2007年の収穫は、其々あと少なくとも一週間・二週間・二か月ほど寝かして置けば充分に各々最初のピークでそれを確認出来る筈だ。

そうすることによって、プフェルツァーヴァインの特産の最高の特別なものが遠く日本でも確認されるに違いない。どうして、同じ葡萄から、青林檎や桃やグレープフルーツの味が表れるのか?こうした興味だけでもこれほど面白い飲みものは他には無いだろう。

合成された青林檎味の飴やガムを口にするなら、それを「神の手」に譲りたい。醸造学が齎した科学の意味は計り知れないが、アルコールを受け付けない人には残念ながら、ワインの文化的な意味合いはやはり途轍もなく大きい。

さて、そのようなことを思いながらラインヘーレのファインヘルブに続いて甘口試飲を固辞して、最後にその代わり2005年産のペッヒシュタインとイエズイーテンガルテンの二種類のグランクリュを試飲させて貰う。鉄の焼けたような匂いを前者にとやや酸が飛んだあとの苦味を後者に感じてもらって、「日本酒に近い」という感想を聞きながら試飲を終えた。



参照:微妙に狂った設計図? (新・緑家のリースリング日記)
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エムマ台風の足跡

2008-03-02 | アウトドーア・環境
三月一日土曜日、昨夜からの荒らしが朝に頂点を迎えた。突風が吹き霰が積もった。

各地で九人の死亡が確認されたようである。ミュンヘン空港へ向う日本人のツーリストを乗せたバスが、土手に横倒しになって、乗客6人が負傷し、内一人は重症と言われる。

嘗て災害を齎したキリルよりは弱いといわれるが、瞬間的に雷を伴った悪天候は、被害規模よりも強さが目立った感じがした。



参照:
ZDF
BR
コメント (3)
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