ここ二日ほどの新聞を斜め読みする。何よりも一般的な話題はシシーと言えばロミー・シュナイダー、ロミー・シュナイダーと言えばシシーでそれ以外は思い浮かばない人も多いに違いない。その彼女がフォンカラヤンと競演しているプロコフィエフの「ピーターと狼」が記念CDボックスの中でも特に話題となっている。その自然なナレーションが、ワルター・レッグの門下の考え抜かれたディクテーションとは異なり、活き活きとして素晴らしいというのだ。
同時に其処で思い出すのが指揮者のライヴァルでベーム博士の子息カールハインツ・ベームの今回のフンデルトヴァッサー賞受賞とシシー映画での共演での大成功だろう。アフリカでの活動は、その継続性以上に大きな成果を齎しているようだ。
ドイツで最も急進的な作曲家であるハンス・ヨアヒム・ヘスポスが七十歳の誕生日を迎えたとある。十年以上前になるがカールスルーヘのZKMで友人に紹介されたことがある。名前は聞いていてもその実践はよく知らなかったのだが、その直後の上演と違わぬ印象を、その人物像に未だに懐いている。その後、ハノヴァーのエキスポなどで再会する機会を逃して、二度とその実践にも接する事はなかったが、そのパワフルな印象は所謂多くの閉じた完成した作品を創作するゾンビ化したような作曲家とは一線を隔している。
新聞にあるように無調時代のシェーンベルクやベルク、ヴェーベルンの表現主義をその開かれた作品に示していて、ベルリオーズやムソルグスキー、アイヴスやエドガー・ヴァレーズのアンチ・システム・アカデミズムの系譜をエルンスト・ブロッホのモットー「音楽は、言葉の無い言語 ― その現在はまだ訪れず」をもって実践しているとするのは誤りでは無いだろう。こうした創造は体験しかないというのが、その体験であり、次の機会を期待したい。
マスメディアに関して言えば、合衆国のヴィザの扱いを巡っての報道の時間差に気が付いた。BLOGにて一報を聞いてから新聞に載るまで三日ほど時差があった。その理由は判らないが、切り崩しにかかる合衆国のEU戦略と、それを受けてのバルト沿岸諸国との二国間協定の内容の勘ぐりなど、外交における裏情報の流れる時間差にあるのだろうか?いずれにしても、その内容は憶測の域を出るものではなく、遅れて掲載された報道の内容にそれが充分生きているようには見えない。要するに、バルト海から合衆国に入国する者のみならず、トランジットする者までに合衆国は興味を持っているようで、そのバルト海からの出国のシステムを含めて、「様々なビジネス」が存在しているようなのである。
先日のトルコ問題と似通っているのは、こうした外交問題がEU内での暗黙の了解である「二流国」の立場や英国やアイルランドの特殊性を浮き彫りにして、我々が立つ位置を確認させてくれる事実と効果である。
そのような事を考えながら、2007年産では逸早く昨年の暮れに購入したライタープファードがいよいよ飲み頃になってきたのを記録して、その時差と瞬間の撮影としておく。青林檎の香りは、どのように鈍感な鼻にも漂い、その土壌の些か硫黄臭い味の上に華やかに羽ばたいている。
参照:
Der ungepolsterte Ausdruck, Gerhard R. Koch,
Selbstentflammt von der eigenen Süße, Eleonore Büning,
FAZ vom 13.März 2008 bzw. vom 11.März 2008
同時に其処で思い出すのが指揮者のライヴァルでベーム博士の子息カールハインツ・ベームの今回のフンデルトヴァッサー賞受賞とシシー映画での共演での大成功だろう。アフリカでの活動は、その継続性以上に大きな成果を齎しているようだ。
ドイツで最も急進的な作曲家であるハンス・ヨアヒム・ヘスポスが七十歳の誕生日を迎えたとある。十年以上前になるがカールスルーヘのZKMで友人に紹介されたことがある。名前は聞いていてもその実践はよく知らなかったのだが、その直後の上演と違わぬ印象を、その人物像に未だに懐いている。その後、ハノヴァーのエキスポなどで再会する機会を逃して、二度とその実践にも接する事はなかったが、そのパワフルな印象は所謂多くの閉じた完成した作品を創作するゾンビ化したような作曲家とは一線を隔している。
新聞にあるように無調時代のシェーンベルクやベルク、ヴェーベルンの表現主義をその開かれた作品に示していて、ベルリオーズやムソルグスキー、アイヴスやエドガー・ヴァレーズのアンチ・システム・アカデミズムの系譜をエルンスト・ブロッホのモットー「音楽は、言葉の無い言語 ― その現在はまだ訪れず」をもって実践しているとするのは誤りでは無いだろう。こうした創造は体験しかないというのが、その体験であり、次の機会を期待したい。
マスメディアに関して言えば、合衆国のヴィザの扱いを巡っての報道の時間差に気が付いた。BLOGにて一報を聞いてから新聞に載るまで三日ほど時差があった。その理由は判らないが、切り崩しにかかる合衆国のEU戦略と、それを受けてのバルト沿岸諸国との二国間協定の内容の勘ぐりなど、外交における裏情報の流れる時間差にあるのだろうか?いずれにしても、その内容は憶測の域を出るものではなく、遅れて掲載された報道の内容にそれが充分生きているようには見えない。要するに、バルト海から合衆国に入国する者のみならず、トランジットする者までに合衆国は興味を持っているようで、そのバルト海からの出国のシステムを含めて、「様々なビジネス」が存在しているようなのである。
先日のトルコ問題と似通っているのは、こうした外交問題がEU内での暗黙の了解である「二流国」の立場や英国やアイルランドの特殊性を浮き彫りにして、我々が立つ位置を確認させてくれる事実と効果である。
そのような事を考えながら、2007年産では逸早く昨年の暮れに購入したライタープファードがいよいよ飲み頃になってきたのを記録して、その時差と瞬間の撮影としておく。青林檎の香りは、どのように鈍感な鼻にも漂い、その土壌の些か硫黄臭い味の上に華やかに羽ばたいている。
参照:
Der ungepolsterte Ausdruck, Gerhard R. Koch,
Selbstentflammt von der eigenen Süße, Eleonore Büning,
FAZ vom 13.März 2008 bzw. vom 11.März 2008