Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

想像する本物のパトロン

2020-03-16 | 文化一般
バーデンバーデンの復活際が白旗を上げた。金曜日まで舞台を準備して、ベルリンでは稽古が進んでいた。それ自体が驚きだった。粘りに粘った。バーデン・ヴュルテムベルクはその水曜日には千人以上の催し物の規制と各自治体へとそれを徹底するように指示していた。4月14日までの期限が付いていた。そこを復活祭は突いた。一週間前に始めて4月13日に終わればいいだけだからだ。

個人的印象としてその期間に感染増加数が落ち着けば可能性があるものと思っていた。しかし考えてみれば大規模催し物だけで急に感染が抑制できるものではない。大規模催し物を制限することは人の集まるのを防ぐ効果でしかない。しかし、平常の通勤などを規制するよりも容易で、それ以外には外出禁止しかないからの方策でしかない。それが功を奏さなかったことでバイエルン州は事実上の非常事態宣言、ノルトライン・ヴェストファーレン、バーデン・ヴュルテムベルクと続くだろう。ヘッセンも内情は大分悪いと思う。

日曜日のワイン街道もアーモンドが咲く街道をツーリングしたりで賑わっていた。それどころか広場でグラスを交わしているのを見て驚いた。彼ら彼女には外出禁止令しかそうした振る舞いを止めさせる方法が無い。コロナウイルスなど怖くはないからで、幾ら説明してもそうした連中には現状の深刻さと日常生活を我慢する価値などは見いだせないのである。

それでもバーデン・バーデンで交渉にあたった人物はフランクフルトの大学で教鞭もとっているリップ博士で、財団理事長で国会議長のショイブレ博士の片腕の様だ。だから今回の交渉もその元副首相の権威であたっていたと思われる。しかしそれ故にあの状況で最後の数日を引き延ばそうとしたのは常識的な感覚からは全く解せない。

勿論プロジェクトの中にいる者からすれば、何らかの解決法が見つかればと、客観的な視野を持ち得なくなるが、今回の場合はおかしな政治力がそこに働いたと感じたに違いない。それはリップ博士の主張がバーデン・バーデンの経済保護へと傾いていたことでも分かる。

少なくとも表面上はとても見栄えが悪い。しかし祝祭劇場の運営上の形態からしてまた別の事が思い浮かんだ。つまり復活祭を強行するときには「危険因子を持っている人の入場はお断り」とした筈だ。つまり大パトロンのブルダのオーナーなどの年に何千万円も出しているような人にその旨を伝えた筈だ。恐らく「それでもやれ」との支持が得られたのだろう。推測でしかないが、それが本当のパトロンというものだ。その通りならそれだけの覚悟はベルリンにも伝わっていたと思う。

兎に角、来年の復活祭のティケットを発注した。僅かながらでも流動資金の足しになるかと思ったからである。秋の代替計画もあり、先は全く見えない。返金は慌てない。多少ながらも寄付する気持ちもある。大切なのは祝祭劇場もここで何らかの姿勢を示すことである。

無観客演奏も大管弦楽団で百人近く集まるのは奨められない、オペラなどをやった滋賀県の例は関係者に感染するので、もし感染率が高かったならば陽性者も今後出てくるかもしれない。コロナは自覚症状が無くて、少々の咳をしているぐらいでも発散しているのだろう。それが最も怖いところだ。

もし何らかの形で復活祭の「フィデリオ」が上演されていたなら、とても複雑な気持ちだったと思う。屹度そのあとにその周辺に沢山の感染者が現れて、亡くなる顧客も出たかもしれない。もしそうなれば芸術どころではないイメージの低下となった。それだけでも回避された。

ベルリンからもその練習の合間にラトル指揮で無観客の風景が流れていた。支配人は町医者の娘である。なぜ彼女がそのようなことをしたのかよく分からない。この件に関しては後々総括されて世に問われるべきだと思う。



参照:
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦


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日常の生活への架け橋

2020-03-15 | 文化一般
土曜日から体調が好転した。気のせいではないだろう。バーデンバーデンの新プログラムを見ても、現在の状況も決していいことが無いからである。咳や痰が少し出るようだが、肺の症状が好転した様だ。峠を攻めるときもゆっくりながら辛さが無くなった。もう一週間ぐらいすれば人にうつす可能性も無くなる。但し陽性陰性を繰り返す例などが日本にあると知って抗体が出来ても再び移ることはあるのかも知れない。そんなに簡単に変異して行くのだろうか?

二月以来の解熱で六週間ほど体調が優れなかった。先週のカールスルーヘから戻って来ての胸苦しさはコロナ感染以外の何ものでもなかったと思う。地元でこれだけの感染が広がっていたら誰がどこかでなんかはもう分からない。

胸のむかつきから息切れまでは初めての体験だった。気のせいかと思った。胸のむかつきが吐き気に近いもので結核とかその手の病気に近いのだろうか。そして息切れは既に書いたような高山病に近いもので、いつものコースを走っても一寸高度が高いような印象があった。週明けから好転したが、こうして咳が出るまではあまり発散性は無かった。伝染させるとしたら今が一番強いかもしれない。しかし同じ咳のようなものを美術館で一回、スーパーで一回身近で見かけた。しかしその前に四週間のあれはなにだったのか?

スーパーや肉屋などでもマスクをしていない。マスクを勧めないロベルト・コッホ研究所でも流石にそれは推奨している。感染者が増えれば当然の如く売り子も感染している。催し物を止めるよりもそちらを徹底させることの方が効果があると思う。

来シーズンのミュンヘンのオペラの日程が紹介された。僅かの観客の大劇場で先ずはバイエルンの文化大臣が話した。先日ベルリンに行って各州の文化相と共に関連の被害への補償をどうするかについて話したということだった。特に不定期の劇場関連の自由業者への補償が焦点となったようだ。四月二十日の期日までに終わるのかどうかも誰も分からない。それどころか明日、来週には現時点では考えられない程酷くなっているかもしれない。それ故に何時の事でも構わないから今後の指針を示して、どんな暗黒になっても先ず計画を立てておくことは重要で、こうした劇場活動が日常への架け橋になると思っていると話した。

新シーズンが計画通りに進む前提条件は、ウイルスの常として夏場になると威力を失って消えるように無くなってしまう場合だろう。しかし夏のオーストラリアでも広がる傾向があるようで、現時点では大きな期待はできない。中共の現地の話しを聞くところによるとその都市自体は制圧しているのだが、未だに外出の制限などがあって到底日常の生活どころではないらしい。恐らく更なる感染を抑えるには社会的な交流を遮断することにしか方法は無いようである。つまりロベルト・コッホ研究所が示すようにマスクなどでは感染は防げない。マスクで防げたならば中共では感染が広がっていなかった筈である。勿論上述した様に飲食やその他の接客業で手袋とマスクを使わない限り感染は野放しになる。劇場閉鎖などよりもそちらを最初に徹底するべきだったと思う。

復活祭のオペラ「フィデリオ」の為にベルリンで稽古をしていた歌手のマチュー・ポレンザーニがフランクフルト空港でメッセージを出していた。ニューヨークへと飛ぶ前だった。てっきり訪独を断念していたかと思っていたが、練習を予定通りにしていたかと思うと本当に残念である。そしてネットを調べると合衆国の各空港ではスクリーミングテストが始まっていた。危険地帯に認定されたEUからは外国人は入国できないが、米国人もテストで陽性とされると二週間隔離されるというのである。恐らくニューヨークは大丈夫なのだろうが、本当に気の毒な事だと思った。



参照:
決して一人にはしません! 2020-03-14 | 女
鏡を覗くとそこにゾンビ 2020-03-13 | 生活



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決して一人にはしません!

2020-03-14 | 
街の肉屋に立ち寄った。いつものように峠を攻めて走って下りて来て、汗をトランクに入っている水で落とした。走り乍今後の事を考えていた。催し物のことなどその再現音楽の形態だ。

前日ラインラントプファルツ州知事の市民への呼びかけを観た。流石にSPDの首相候補に挙がる位なので力強かった。選挙時にはまだ女性弁護士上がり程度の印象しかなかったが、メルケル首相とは異なる真摯なものも感じた。やはり弁護士としての弱者保護などでの経験だろうか、寄り添い、決して見捨てないとのメッセージを出していた。

勿論政治家であるから具体策として連邦政府の枠組みでの休業中の支援などと、そしてドイツにおける世界最高の医療を加負荷させないようへの方針も分かり易かったと思う。要するに催し物や集会などでの感染を防ぐことで少しでも医療への負担を軽減することへの協力を呼び掛けた。

同時に身体的な弱者への保護は、その学校閉鎖によっても障害者教室の継続や家庭の負担にならないようにの児童保護のサポート体制にも触れた。しかしそれのみではなく、隣人の孤独な老人や家庭などにも電話で買い物の代わりを申し出たりと、ウイルスを避けなければいけない人達への協力を奨励した。

そして弱者への団結として、催し物などでの更なる感染を防ぐことを呼び掛けた。75人以上の催し物を止めるだけではなく、更に小さな集まりでも出来る限り避けるようにと注意を促した。

そして、人との距離を取ることで決して冷たい社会にしない。その旨を力強く語る背景にはこの女性本人が多発性硬化症であることを思い起こさせた。真摯な姿勢とその力強さは当事者感覚から来るものだと理解した。

メルケル首相の水曜日の発言とは異なってこちらの方がよりリアルな訴えかけだった。

ここワイン街道北部では三人も感染者が出た街でそれを含めて七人の感染者が出ている。率からすればあと二三人が感染者が出れば死者も出る計算になる。それゆえかパン屋の列は少なかった。時刻にもよるかもしれないが、警戒している人もいるのだろう。

しかし肉屋の情景は以前と変わらずに狭い店内にぎゅうぎゅう詰めだ。汗を掻いているのだが寒さを我慢して戸外で並んでいたら、抜かした車の爺さんが待っているのかと店内に押し込まれて仕舞った。爺さんに「距離を開けた方がいいだろう」と言ったら、暫くして「そういうことか」と気が付いていた。こちらは爺さんの為にやっていることだが、危険性を理解していない。4800人の市に三人の感染者、恐らく実態は市民の何パーセントかに感染していると思う。そしてもう直ぐ重篤者が出るかもしれない。

トライヤー知事のいう二日で三倍の感染者、一人二人の重篤者で週末にも増えるだろうと、しかし多くの市民はその意味がよく分かっていない。そして欧州における感染をクロニカルに見ると分かった。早くに出たところはその後の感染が広がっていて、到底抑制出来ていない。パリやボルドーから広がるフランスはもっと酷くなる。シナの様子も現地情報が入った。山は越えても生活は制限され続けている。当分は酷くなるばかりだ。出口は見えない。



参照:
CORONA-KRISE, Ministerpräsidentin wendet sich an Rheinland-Pfälzer (SWR)
鏡を覗くとそこにゾンビ 2020-03-13 | 生活
出口の見えない洞穴 2020-03-12 | 雑感
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鏡を覗くとそこにゾンビ

2020-03-13 | 生活
森に出かける前にパン屋に立ち寄った。丁度人がいなかったのでおかみさんに「コロナ、数が出ているね、そこでもあそこでも」とその街の名前を出していうと「気をつけないといけない」と答えた。「実際はかなり感染していると思うよ、症状が無くて感じていないだけで」、「お年寄りや弱者だけが問題なので」とだけ言っておいた。

多くの人はそんなに語っていない。疑心暗鬼だからだ。情報を中止していると最早通常の感染数では無い事が肌身で感じられる。皆気が付かづにゾンビになっているかのようだ。そして私自身もそうだが、おかみさんも振り返ると真っ白い顔をしているかもしれない。完全にホラーの世界である。そして、一寸おかしいなと思っても、誰も語らない。隔離されたりしたら、お店も強制的に二週間休みだからだ。何となくその感じを皆が持っている。サイレント感染者で、ゾンビは街中に蔓延っている。

そして子供たちは級友にうつしていく。級友は家庭に持ち帰る。そのような連鎖からハレの免疫の教授は独第二放送でメルケル首相にも呼びかけた。教育は州の裁量なので各州の知事は来週からの学校閉鎖を準備した。冬休みの終わる前に閉鎖しておけば更に効果があっただろうが、今からでも直ぐに閉鎖することで雪崩的感染が止められると警告を発した。

近所で発生して六人の感染者が確認されたことからその背後の舞台がよく見えた。八割方の感染者には自覚症状が無い。通常のインフルエンザよりも軽いかもしれない。だからである、軽く症状が出ても知らない顔で過ごす。しかしその間に誰かにうつしている可能性は少なくない。マスクなどしてもしなくてもドアの手すりや至る所で感染する様だ。子供の感染は防ぎようがない。金の受け渡しだけでも危ない。感染は止められない。自らが感染源になっている事すら気が付かない人が沢山いるのだろう。感染者が運ばれるような病院の医者でさえ感染しているのだから、感染を引き留めることなどできないようだ。

国境を締める指示が出た。全面的に閉じる訳ではないが、フランス・スイスのより汚染の厳しい地域への国境のコントロール強化を指示した。今までは30㎞内の警備であったが、流れを滞らせる。反対にチェコはドイツへの列車を国境までで折り返し運転するようになった。既にラインラントプファルツ州は、フランスの危険地域への通勤を止めるように要請して、フランス側で働いていた教師などは二週間の自宅待機を命じていた。そこからの従業員も自宅待機させるように要請した。

感染したかもしれないカールスルーヘの美術館での特別展示「ハンス・バルテュンク・グリーン」展での写真から一枚と言えば、騎士の連れられ行く娘のドレスの裾を曳く舎利頭だろうか。娘の顔は見えないが肉付きのよい尻などが印象的で、その若さはよく分かる。

ベルリンからの「カルメン」を流していたが、管弦楽は典型的な座付管弦楽の様で全く冴えなかった。耳を引いたのは、休憩時間に録音の流れていたカルクという歌手で、メーデーに行く予定になっているオイロ―パコンツェルトでのイスラエル公演への抱負を語っていたところだ。そのイスラエルはもはやコロナ感染国からの入国を許可しない。その時までにベルリナーフィルハーモニカーが健康証明を出して入国できる可能性は少ないと思う。その後の本番のマーラーフェストが中止になる可能性が強く、とても厳しい状況である。歌は充分に聴けていないが、少なくとも話し声を聞けただけでも良しとしよう。



参照:
出口の見えない洞穴 2020-03-12 | 雑感
胸に痞えが残る日々 2020-03-11 | 歴史・時事
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出口の見えない洞穴

2020-03-12 | 雑感
体調は全く悪くない。しかしそれでも時折頭痛があったり、寒気があったりで内側から揺さぶられている感じが強い。階段を上ると息切れをしたりと、どうもおかしい。長い期間蝙蝠に住み着いていたようなウイルスだけに変異しても癖がありそうだ。洞穴の天井に足を突けてマントを締めて寝ているような気持になった。

ペトレンコのメッセージを待とう。法王のお言葉ではないが、嘗て無いほどの音楽再現芸術界における黙示録の時である。出口が見いだせない公演中止。大管弦楽団や歌劇場にとっては演奏中止と同じである。その中でペトレンコは、ミュンヘンの歌劇場の音楽監督としての公職にまだあり、一方世界の大管弦楽団を導く立場にいる。

具体的なメッセ-ジは出さないかもしれない、先が見えないからである。しかし、その世界に関与している演奏家や裏方そして聴衆に対して何らかの指針を示してくれると思っている。そのようなことが可能な芸術家であり、救世主的な立場を意識していると思う。もしそこから何か光が差すようなことがあれば本当の復活である。その光に期待したい。

少なくとも今までの活動を観察してきて、我々の見ているその遥か先を見据えている芸術家であるから、どうなるのか全く見当がつかないが、少なくとも上のことに関してはそれ以上に期待することは最早出来ない。

カールスルーヘのグリーン特別展示の終わった次の間にマティス・グリューネベルクの著名な四組の「イ-ゼルハイムの祭壇画」の二枚が誰にも見られることなくあった。前回この美術館に来た時はそのものグリューネベルクの特別展でコルマーから取り寄せられて四枚が勢揃いしていた。その時は人も沢山いて写真撮影できなかったが、今回はその部屋に一人で簡単に写せた。

テューリンゲンのエリザベートだ。高貴な家庭に生まれて旦那を日田イタリアで1227年に恐らくペストで亡くしていると言われる聖人である。貧困や病人に献身したとされる。右手に持っているのは病人への吸口であろうか ― 以前見た時は物乞いの情景だと思った。そしてその服装の優美なプリーツが当時の最新流行だったらしい。



参照:
しなやかな影を放つ聖人 2007-12-15 | 文化一般
お休みの所をお邪魔して 2005-02-17 | アウトドーア・環境
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胸に痞えが残る日々

2020-03-11 | 歴史・時事
週開けて初めて走った。胸部に不調を感じてから初めての走りだ。ゆっくり走りだしたつもりだが、最後までとても苦しかった。やはり胸部に来ている。インフルエンザで同様の覚えはないので、やはりコロナウイルスに感染したと思ってまず間違いない。

最初に高熱を出したのが2月始めだった。そして一月以上経っている。未だに完全に抗体が出来上っていないという事か。咳が出たのは先週末だがそれまでは微熱若しくはバランスの欠如など若干通常のインフルエンザとも異なっていたものの体調が優れない程度だった。

市民の六七割りが遅かれ早かれ感染するということから、ただただその発症の仕方だけの相違である。喘息持ちとか心臓病とかの持病がある人は重篤化するということで、また高齢の人はそれだけ危険性が高いとなる。感染患者の3.4%の死亡率は、通常のインフルエンザ0.1%に対してとても高い。重篤化率5%、14%に症状が現れるというのも可成り高い。逆に86%の感染者はあまり感染したことを自覚していない。

そして潜在期間が2日から14日というからどこでどのように感染したかも分かり難い。そしてその感染力は可成り高いと思われる。

11時半からのメルケル首相の記者会見を観た。話題のシュパーン保健相とロベルト・コッホ研究所のヴィ―ラー所長が現状や対処について質疑にも答えた。連邦政府の考え方は明らかで、殆どの人には風程度の影響しか与えないが、対ウイルス弱者に対しての連帯と協調を重きに於いての施策だという。だから所長の言うように感染の速度を落とすことによって医療崩壊を防ぎ、ワクチンや効果的な治療法が見いだされるまで出来る限り感染速度を落とすことで乗り切るという。同時に催し物の開催を見送ったり可能な限りの方法で感染速度を落とすことが各州に推奨された。具体的にはその地方の状況に応じて決定されればよいということで、一律の法的な規制などを避けてあくまでも民主的な決定がなされていくことが重要としている。

そこで、最も知りたかった事が所長から語られた。なぜイタリアとドイツは違うのか。ドイツは一月中旬から準備を受けて皆が準備をしていて、医者のネットワークも監視できるようになっていたから先に先にと準備が出来たという。つまり所長の説明ではイタリアは感染のフェーズの右の方にあるが、ドイツはEU内においても時間軸で最も左の方にあるというのだ。その表れとしてフランス側で国境を接している向こう側のアルザスやロートリンゲンは既に韓国などに続いて危険地域に指定されたが、こちら側の南バーデンは大丈夫だとされた。実際には何百人もの患者が国境地域で感染している。ラインの対岸が如何に状況が悪いかが想像される。

森への車中のラディオは人工呼吸器をベルリンで一括して都合するとしていたが、八万程らしい。また隔離病床が二万四千床で、その範疇に抑えることで医療崩壊が抑えられるという。イタリアのように60歳以上には人工呼吸しないとかいうような非人道的なことを避けることが肝心である。また物資の配送が滞らないように日曜日の貨物車の禁止を暫定的に解いたという。またマスクの買い占めに札束をトランクに入れてのバイヤーなども暗躍しないように処置するという。EU国外にリゾースが放出しないようにする。

さてなによりもの関心事は、復活祭などの行事の中止であるが、それが発表される前に州の御膝下の州立劇場が継続の指針を出していて驚愕した。警察力を使ってもの阻止がバーデンヴュルテムベルクの火曜日の会見内容だったが、言ったこれはどうした事か?ミュンヘンの劇場が中止以前に準備していた通りのやり方での開催である。しかしコッホ研究所長の話を理解したならば、この方法とはならない。一体どうした事だろう。州政府はダブルスタンダードを取っているのだろうか?たとえ危険因子を持つ人が払い戻しを受けても問題は解決しないのである ― 結局中止決定。その一方シュパーン保健相の言うように千人以上の催し物を止めたとしても効果が出るとは分からないのである。

写真は会見あとの連邦共和国国会での質疑の時間から左翼党の保健相への質問。催し物中止に関して、それなら感染者のいるマインツからの国防軍のNATO軍との演習はなぜ中止にしないかという問い合わせ。

走ってみてやはり胸に重苦しさが残ったままである。肺に軽い炎症があることは間違いなさそうだ。さてどのように推移するか、中々スッキリしない日々となる。



参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
内心びくびくの今日この頃 2020-01-30 | 生活




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覗き覗かれているのは誰

2020-03-10 | 文化一般
スーパーから無事に帰宅した。毎回緊張を強いられる。咳ついて通報されて厳重護送されたくないからだ。それでも表向きは平静を保っているのがドイツなのだ。ナチの時代も同じように日常が営まれている一方通報されてゲシュタポにユダヤ人や精神障害者などが護送されていって、ガス室と焼却機の露となって行った。その雰囲気だけは今も全く変わらない。その基本となるイデオロギーや法規が異なるだけである。

それでもスーパーの通路でオープンに咳をする爺さんがいる。恐らく自分では気が付いていない大らかに過ごしている人なのだろう。又こうした無頓着な市民も怖い。パニックに陥るのはそうした層の人たちだろうか。

監視社会については何度も述べているが、先日のグリーンの特別展の、もう一つのテーマは「覗き」だった様だ。そこで思わずシャッターを切った絵がある。そこで観ていて浴場の裸の女性が何をしているのかよく分からなかった。その辺りの人に訊くでも無しに写真に残した。画題は「女風呂の鏡」というもので、前のコーン状のものが鏡の様で、若い女性が手に持っているものはブラシで、陰毛ブラシの様である。その横にかたずむ婆さんが鋏を持っているので陰毛挟みなのだろう。それでもあまり男性には分からないのだが、重要なのはその写真を写した好奇心そのものなのである。

その証拠に後ろに覗きの人間が描かれている。しかし身体つきは子供の様でもありあまり性も明白ではない。それどころか顔つきが獣のような顔である。勿論それが親仁の出歯亀顔であるならそこまでで終わってしまい、どちらかと言えばクラーナッハの教訓ものになって仕舞うのだが、ここではまさしくこちらの好奇心がそこに反映されていることになる。この作品自体はコピーしか残っていない様であるが、同様のものがミュンヘンのアルテピナテークにあるようだ。

要するに覗きも監視も両方向性があるということになるだろうか。

日曜日に合衆国の夏時間に気が付かずに最初の一時間分を聴けなかったフィラデルフィアでの演奏会録音を月曜日に聴いた。お目当ては今年少なくとも二回は聴くことになるピアニストのトリフォノフの演奏である。ベートーヴェンの協奏曲の連続演奏などをしていて、フィラデルフィアでは一番と五番を演奏したらしい。ルツェルンでは三番をバレンボイムに代わりペトレンコ指揮で演奏する。また五月にはニューヨークフィルに帯同してモーツァルトの協奏曲を演奏する。ロシア人なのでペトレンコ指揮で上手く合わせるのだろうが、まだよく分からない。

バレンボイムと言えば、2021年5月にパリで「スペードの女王」を振って、そこでアスミク・グリゴーリアンが歌うようだ。つまり彼女は3月から5月までチャイコフスキーの二つの新制作をこなして、7月8月とバイロイトで「オランダ人」を歌うのだろう。恐らく2020年のシーズンからそれまでに幾つかのドイツ語の役を歌うと思うがどうだろう。

しかし何よりも驚いたのはパリのその新制作のサブの指揮に入っているのがオスカーナ・リニヴで、どうもベルリンの歌劇場の後任になる可能性がとても高い。恐らく彼女の力量として、それ以下の所ではポストが空いていないので当然かと思う。そして、夏のバイロイトはマルヴィッツ指揮となると思われるが、当代一のソプラノ歌手グリゴーリアンを挿んでこの二人が相次いで指揮するとなると益々比較されることが多くなるだろう。そしてその前にペトレンコ指揮での上演ということになるのだろう。

ミュンヘンの「ばらの騎士」はバリーコスキーであるが、マルシァリンを誰が歌うかなどとても気になる。こちらも新シーズンの世界のオペラ界の一番の話題になるのだろう。



参照:
方舟の縁に右手で掴まる 2020-03-09 | 雑感
遂に感染者が出た我が街 2020-03-08 | 歴史・時事
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方舟の縁に右手で掴まる

2020-03-09 | 雑感
完全に胸に来た。通常ならばそれで終わるところだが、この調子で街には出られない。蟄居決定だ。何処で感染したかは分からないが、この二週間と限ると、特定される。頭痛が続き、から咳が出て、気のせいか胸がむかむかするようになってきた。近所で感染者が出ているので濃厚接触の覚えはないが、電話すれば検査をしてくれるだろうが、二週間監禁は避けたい。兎に角、明日天気にでもなれば走ってスッキリしたいが、雨が止むか?

気管支はやられても胸の病は覚えが無いのだが、このすかすかする感じは矢張り炎症ではなかろうか。息が苦しくなってきている。高度障害などに起きる状況に近い。インフルエンザで肺炎を起こすとなるとやはりコロナウイルスしかないと思う。まだ二週間ぐらいに養生期間ならハイデルベルガーフリューリンクにも間に合う。その他の会合等も症状さえなければ大丈夫だろう。但し高齢の人物とはあまり近づきたくない。何人か近づきそうな人がいる。既に土曜日には肉屋で手押し車無しに歩けない人にも近づいた。それどころか手を貸してやろうかと思ったぐらいだ。死の街に近くなってきている。「ヴェニスに死す」である。もし病院に寝込むようなことがあったらその本を携えよう。

感染した可能性も捨てきれない先週土曜日のハンス・バルテュンク・グリーンの写真整理も進んでいない。その中から現在の心境に沿うのは「ノアの方舟」の図柄である。この中の船の上につかまっているのが自分であると思っていたが、今は最早その右側に右手だけが出て縁に掴まっているのが自分自身になって仕舞った。急に状況が変わってしまった。明日のではなく今日の我が身である。

日曜日にベルリンで保健相のシュパーンが、「千人以上の催し物を控えるように要請したい」と具体的な要請を出してきたことを受けて、各州では会合がもたれる。いずれにしても各担当局に開催を申請して、担当局と協議の上に開催の是非を決めるということになりそうだ。既にベルリンのフィルハーモニーなどはその旨を声明していたので、その他の会場などもその方針で挑むのだろう。

ボンでのムジカエテルナの演奏会はキャンセルになるかもしれない。それ以前にその販売状況を覗いて驚いていた。なんとボンの劇場で117ユーロも徴収してベートーヴェンの二曲の交響曲二番と五番だ。そんなことがあり得るのか。流石に完売はしていないが殆ど売れている。まだまだ人気があるという事か。

ハムブルクのスーパーではトイレットペーパーが売り切れたと聞いた。日本人が買い占めしているのか何か分からないが、ドイツでも不可思議な事が起こっている。まさに方舟状態になりかねない。



参照:
遂に感染者が出た我が街 2020-03-08 | 歴史・時事
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦

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遂に感染者が出た我が街

2020-03-08 | 歴史・時事
遂に来た。我が市に感染患者が出た。水曜日に確認されて家族の二次感染が確認された。4600人しか住んでいない市である。まだネットで知っただけで近所から情報を集めていない。しかし既に育児所は閉鎖されているので子供の繋がりで検査された人は情報を持っているだろう。週明けに誰かに聞いてみたい。並びのような家ではないだろうが斜向かいの一角とかで、歩いて数分の所に自宅に家族中軟禁されているようだ。感染ルートは仕事の関係でイタリアから帰って来たというからワイン関係者かもしれない。

これで少なくとも今後この街で感染が広がっても私が怪しまれることは無くなった。しかし、ここまでくると恐怖で、昨晩からの咳が酷くなった。若しかしたら本格的に感染したかもしれない。蟄居しなければいけない。しかし私が街の中でうつるとすれば肉屋とか限られた場所だけで、濃密接触には程遠い。しかし最早臨戦態勢になった。パン屋でくしゃみをしていたのがいたが、それだけでも大胆な奴だと思った。

個人的には既に出来るだけ金の受け渡しでも手を触れないようにしている。平素は素手感覚派であるが、親近感よりも今は出来るだけ触れないようにしたい。それでもと思うのはもう特別な関係でしかない。暫くは疑心暗鬼になると思う。

イタリアの町の様に我が市が閉鎖されてしまうとなるとそれは耐えられない。いつものスーパーにもいけない。それどころかパン屋にも行けない。行けるのは肉屋だけで、それも閉鎖するに違いない。そのような日常は耐えられない。更に復活祭までに解放されないと一体どうなるのだ。山を越えて夜逃げをするのか?まるでコルディッツ大脱走である。

またWEBCAMのワイン街道の風物詩ギメルディンゲンのアーモンド開花祭りが中止になった。その街での感染者は見つかっていないが、ワイン祭り程濃厚接触する催し物は無い。初めて会う人とグラスの廻し飲みや腕を組んでなどはデフォルトだ。それも結構遠方からもやってくる人で賑わう。感染ルートなど特定できない。全く駄目だ。そんなことをやっている時ではない。出来れば六月の我が市の祭りも中止になって欲しいぐらいだが、既に避難計画を立てているが、さてどうなるか。逸早く終息して欲しい。

2016年産シャルツホーフベルガーを開けた。先日下位の2015年産を開けて熟成が必要だったので天候的に弱い年のリースリングを開けた。これまたジューシーで旨い。苦みもあるのだが、果物の皮若しくはグレープフルーツの苦さと果実風味がとても嬉しい。風味がよい。グラスに若干蜂蜜臭があったので貴腐が入っていたのかもしれない。

要するに2016年の出来はそれほど良くなくて早めに飲み頃がやってきているということだ。グランクリュもあと五年もしないうちに飲み干せる年度だろうか。しかし酸は生きているので全く慌てることは無い。だからそれだけの金額を出しているのだ。来月ぐらいに2019年産も試飲に行けるか?

ニューヨークフィルのもう一つのプログラムは、アムステルダムのマーラーフェストと同じで、巨人と若人の歌である。更にオランダのヴェーゲナーの曲が付くお得ものだ。なるほどそちらの方は売れ行きが良い。正直どちらのプログラムの方が価値があるかは何とも分からない。但し、放送で聴くとやはり特別な管弦楽団で、音が分厚いだけではない底力も感じる。じっくりと聴いてその世界での価値を吟味しなければいけないだろう。



参照:
月末に際しての想い 2020-01-28 | 雑感
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦
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朝起きに抜け殻をみる

2020-03-07 | 文化一般
朝四時過ぎに眼を覚ました。琵琶湖からの中継を観るためだ。先日からN響の放送も聴いてその世界的な視点での批評も纏めていたので、又NHKの放送で聴いた東フィルの演奏が素晴らしかったので、是非評判の芳しい琵琶湖の「指輪」を観たかった。今回はコロナ感染予防のための無観客中継ということで、世界からすれば居ながらにして島国でやっている上演を評価出来るまたとない機会となった。

先ず序幕からブリュンヒルデの声は突出していて、途中は森の中を走っていて観ていなかったが、戻って来てその死のフィナーレでも疲れなく歌っていた。スイス出身のステファニー・ミュッターというメゾソプラノから2016年になってソプラノに転向した若い歌手である。その為かなんといってもこれほどドラマティックなブリュンヒルデを聴いたことが無い。そのような背景もあって、それどころかエアフルトで恋人と寝ていて火災に遭って怪我をしたようだ。まるで大指揮者クレムペラーのような歌手である。

なるほど経歴からすれば共演のクリスティアン・フランツ程度で所謂ローカルな歌手なのだが、エアフルトでは前任のマルヴィッツ指揮で歌っていた。そしてブリュンヒルデを歌うようになって、これはこれで間違いなく需要がある。同様のキャリアではバイロイトでペトレンコ指揮で歌ったキャスリーン・フォスターよりは大分上である。少なくともだら下がりではない。そして調べると今年ヴァルトラウテでデビューするようだ。今年はテオリンが下りた歌手の代わりに入るが、この人ならブリュンヒルデを通して歌えるので、来年にはバイロイトのブリュンヒルデになる可能性が強い。アニヤ・カムペも役デビューするというが、この人の方が伸び代があるだろう。

あまり他人の悪口は得意ではないが、最初から演出はどうしようもなかった。ハムぺという演出家は嘗てカラヤンの頃に活躍していたようだが、今は誰も相手にしない演出家だとは知っていた。なるほど酷い。要するにト書きからそれを再創造するという事のようだが、美術の処理の問題もあってか何一つ語る者は無かった。空虚である。再創造以上に最初から虚無だ。そしてそれが日本では受けるのだ。なるほどドイツでも同じようなことを言う人はいる。しかし、この演出と舞台で手を叩く人は皆無である。あまりにも空虚なので皆が揃ってブーイングするだろう。対抗意見が存在しようないからだ。

そこで思い出したのが浅利啓太演出のザルツブルクでの「エレクトラ」初日である。ギリシャ悲劇を扱うということで背景には青い海があってと、まるで歌舞伎の割のようなものを作っていた。個人的には乾いたようなそれがマゼール指揮の演奏ともあっていたので悪くはないと思ったがブーが圧倒した。そして当時からすると音楽劇場を経験した今、そのことを思い出した。


少なくとも舞台上の芝居が練られていて、そこにドラマが発生していたならば大枠はどうでもよくなるのだが、ライン側かどこの急流下りか分からないようなべたな平面的な美術には恐れ入った。よくもこうしたプロダクションをDVDにしようとするなと思う。しかし全く演技指導もしておらず、学芸会になっていた。正直日本には新国立劇場というものが出来て、制作者は文化庁から本場に派遣されて皆学んできている筈なのだが、また観衆も嘗てのオペラ劇場の無かった日本人とは違うと思うのだが、未だにこうした上演がなされているのは驚愕でしかない。

こうしてようやく私の長年の謎が解けた。

「どうして指輪が日本であそこまで愛されているか?」

つまり、その回答はこの虚無のような演出と音楽による公演に見付かった。京響に関しては大昔の印象しかなかったが、これも大フィルやN響の半世紀前と殆ど変わらない。確かに関西で一番良い楽団なのかもしれないが、明らかに交響楽団であって東フィルのような劇場感覚が全くない。ヴェリサーメストの言うところの息も吸わぬ間に音が出る英米の交響楽団と変わらないが、更に指揮者が現在リューベックの監督らしいが息が取れない。これならあの大植と変わらない。すると言葉のニュアンスから創作されている音楽が鳴らない。その結果、上の演出と相まって創作の肝心なところがそぎ落とされてサクサクとMIDIの様に進むのである。そしてそうした音楽需要が日本では一般化していることを知るのである。

森から帰る車中のラディオは日本の教育についての日本で取材した教職者の為の番組が流れていた。つまり日本政府はある時から頭脳よりも身体を鍛えさせる教育に変えたというのだ。案の定、日本人の知性は低下している。それは底辺だけでなくてエリートと言われるような頂点にまで及んでいることは明らかなのである。そして音楽愛好家も他の分野に於けるのと同じように最早習うことは無いと盲目になっているようだ。それは島国であるからこそ通じる所謂ガラパゴス症候なのだが、こうした感性やその芸術文化と言われるところまではが腑抜けの抜け殻になっていても誰も気が付かないようになってしまっている。

「ニーベルンゲンの指輪」がまさしく「娘道成寺」のようなものならば、こんな面倒な音楽などやらずにグリム童話でも読んで置けばよいだろう。要するに舞台芸術など必要が無い。やはり日本にはオペラ劇場など不要な長物でしかないということだ。



参照:
ペトレンコのマーキング法 2018-07-17 | 音
ペトレンコの「フクシマ禍」 2015-12-21 | 音
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小作り顔の「苦痛の母」

2020-03-06 | 文化一般
予想以上にいいものを観れた。画材も主題も想定上のものがあった。そうしたものは工房の親方デューラーやクラナッハ、また場外にもカールツルーへのグリュンヴァルトとも比較が出来た。ハンス・バルテュンク・グリーンを序でに観たことがあってもこうして中心に置くと視座が変わる。カールツルーヘでも1950年代以来のようだから価値がある。要するにその主題などが今日的になってきているという事だろう。

同じような宗教改革時代の主題でも全くクラナッハとは世界が違うのは当然としても、やはりその絵が中々よい。クラナッハのあの乾いただけの絵との違いが大きい。

一番最初の十八歳の自画像は小さめの目がパチクリで、その斜に被った帽子と表情がとてもいいのだ。まさにデューラー自画像とも勿論クラナハらとは住んでいる世界が違う。さわやか青年である。そしてそのように描くのがおかしなナルシズムにもなっておらずこの人物の趣味の良さ否その作品の全てを表している。

それに続いて目を引いたのはクリーヴランドにある有名なグレゴールのミサという三枚組の祭壇絵である。これだけは写真を撮ろうとしたが断られた。要するに持ち主のクリーヴランドの美術館が見せたがらないのだろう。確かに大作で如何にも彼の地で喜ばれそうな大変魅力的な色彩である。

しかしその次の部屋にあった「苦痛の母」はもっとよかった。光彩の後ろ側にある枝ぶりの不思議な木が胸に刺さる槍と微妙な角度になっていてとても構造的に気が利いている。自画像で分かるようにグリーンの感覚は絶妙である。工房の職人として重宝したと思う。クラナッハの所で散々こうした大工房のモデュールにしてそれらを組み合わせたような仕事ぶりを知ったが、こうした構成力などは、矢張り天の配剤なのは音楽でも全く同じで、職人的な腕だけでは到底叶わない。

そしてこの女性の顔がまたその自画像に釣り合った表情や顔つきで目元だけでなくて口元がいい。女性像のデッサンはヌードも多数あって、娘とは言いながらも当時の美意識から下腹が出ていたりはするのだが、顔つきは似通っている。要するに母親の顔立ちが大体浮かび上がって来た。目元も口元も小振りなのだ。そもそもシュヴェービッシュの人だから今でもその手の顔つきの人はそこに少なくない。

デューラーの工房を26歳で出て、ハレでの仕事の後シュトラスブルクで結婚してから、更に人気が出て、フライブルクのミュンスターなどからの依頼が絶えなかったようだ。またポートレートなどの通常の依頼とは別に鑑賞目的の絵を依頼されている。とても趣味が良い人なので当時の貴族や富裕層などにもとても人気があったのはよく分かる。

それでも祭壇画やステンレスグラスの仕事ぶりや納め先がカールスルーへからそう遠くない所ばかりで、まるで京滋周辺の仏閣に収められている美術品を一堂に集めて観るような塩梅になっていた。最終週ゆえか予想以上に沢山の人が押しかけていた。幸い団体さんはフランスからの二班のグループだけで、学校のそれなどは無かった。

行きには予定したよりも時間が掛かった。理由はHereWeGoの指示に従わずに自身の慣れた道筋を走ったばかりに大きな工事にぶつかってしまったからだ。それでも何とかUターンして目的の道へと入った。大分早く着く筈がシュロースパークの駐車場に入ったのは10時を過ぎていた。幸い予想された大雨も降らず、殆どコリドーを歩くことが出来たので、帽子だけで帰路も全く問題が無かった。

出かけたのが8時40分ほどで、10時25分頃に入場して、車に戻って来たのが12時30分頃、二時間二十七分注射で4.50ユーロ、スーパーに寄らなければ14時前には帰宅していた。結局六時間近く外出していたことになる。そのスーパーでは客と店員が態々エルボーで挨拶していた。

苦沙弥をした人は一人いたが、あまり気にしている人はいなかった。但し濃厚接触とはいかないが、結構絵の前では皆寄り添っていたので感染者がいると厳しかったかもしれない。少なくとも洟を咬んだり咳などをしていると係員が立ち寄って来たのは間違いないだろう。こちらは急に腹の調子が怪しくなってきた。お腹を下すようなものを食した覚えはないのだが、展示を観ているうちに腹が落ち着かくなってきていた。(続く)



参照:
ラストチャンスを活かす 2020-03-05 | 雑感
モデュール構成の二百年 2008-01-19 | 文化一般
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ラストチャンスを活かす

2020-03-05 | 雑感
美術館の特別展示のオンラインティケットを購入した。12月からの開催の最終週でラストチャンスを活かす。「バルトュンク・グリーエン展」である。正直今までデューラの工房にいた人とは知らなかった。その腕以上に作風が話題で、ここのところの研究も進んでいるらしく、とても現代風である。詳しくは展示会を観てからだ。個別には当然各地で観ているのだがこれだけの規模は価値がある。

入場料は希望時刻も入れて12ユーロ。音楽会に比べて高くはないが、カタログを買おうと思うととんでもない価格になる。その点はオペラ上演の方が安上がりだ。平日の午前中で空いていることを期待しているが、少なくとも私よりも先に同じ時刻に13人以上予約している。天気も悪いので事前予約以外の人は少ないだろう。少なくともそう期待したい。出来るだけ人込みを避けたい。

今調べるとマンハイムは三件、ラインネッカーで二件、なんとカールツルーヘ一件が挙がっている。ニュルンベルクからのビジネスでカールツルーヘに来ていた人物だ。そしてその人とコンタクトがあった二十人も特定されて隔離されているらしい。つまり先ずそのビジネスマンから直接の感染者は街には出歩いていない。二次感染かその他の感染者しか見つからないことになる。同時にエコのがレストラン見本市が開催されるようなので、要するにややこしい国からのお客さんがいなければ大丈夫ということだ。イタリア人などは多いに違いないが。

今回は美術館と駐車場の間しか動かないので、それほど混むとは思われないのである意味トレーサー性はあるだろう。但しこちらが調子悪くても咳などは出来ないと思う。通報されて連行されたら大変だ。通常はごほごほやっていても今回だけは街中では出来ない。しかし券を購入して入場していることが分かっていて、もしそこに感染者がいたとしたら蟄居指示が出る可能性がある。先二週間の予定は比較的空いているのでそれでも何とかなるだろうか。兎に角、無暗に人と近づくのは避けよう。身のためである。

口腔の状況は好転してきている。就寝前に歯磨きをして消毒剤で口を濯ぐと出血していた。やはり治療の時の傷だ。それも歯科衛生士嬢の付けたものだ。これで治れば問題が無い。あれだけ二本も削っていて身体に負担が無い訳が無い。それは仕方が無い。短いコースを走ってある程度の調子は出てきている。もう少しだ。

ニューヨークフィル演奏会に行くための準備も考えている。一つのプログラムはショスタコーヴィッチの五番なので、先日放送された「レニングラード」の中継録音を聴いた。確かに表現力は高いのだが万遍無しに雄弁で、メリハリが薄い。指揮者の責任でもあるのだろうが、折角のダイナミックスを活かしきれていない感じがする。生演奏を聴いたならば上が広がるのでそれなりに落差は大きいのだろうが、現時点では何とも言えない。

寧ろ新しい音楽を鳴らしているときの方が表現幅が広がっていて、また放送された「青髭」や「期待」の演奏も全然悪くはない。指揮者の個性もなのだが、厚塗りになら無いような総譜がよさそうである。弦楽陣は矢張り飛びぬけて上手い。



参照:
肉体に意識を与えるとは 2007-12-16 | マスメディア批評
少し感じる微熱感 2020-02-27 | 文化一般

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若い女の園の寝椅子

2020-03-04 | 
疲れた。思いの外負担が掛かった。二本の歯を削って仮ブリッジを架けるだけだったが、型取りだけでも疲れた。それをやる小さな歯科衛生士嬢も疲れると思う。奥歯を削るので一寸面倒だと言っていたが、麻酔をあれだけ掛けられるとこちらの知ったことではなくなる。そして思ったよりも沢山削ってくれた。あれなら被せても厚みがある筈だ。喉の奥に削り粉が落ちてカルシウムを沢山摂取した。冠にする時にあれほど削られた思いは無く。冠は薄いがセラミックとなると厚いのだろう。

歯医者のおじさんは小柄で身体中の力を掛けて押し込んでいたが、小柄の歯科衛生士の力も結構で穴が空いたところの土台作りで可成り押されて痛みが残る。怪我をしたので、ブリッジを付けることでまた昔の痛みのようなものが戻って来た。不愉快である。要するにまだそれで噛む気にならない。何もないよりは噛めるのは違うが、二三日様子を見ないと本格的には噛めないかもしれない。

ブリッジがそんなに簡単ではないと思っていたが、本ブリッジが上手く行くのか心配になる。仮で問題が出ているぐらいの方がいいのだろうが、進展がとても気になってくる。

しかし若い女医さんになったばかりに女性ばかり三人も寝椅子の周りを行ったり来たりで、歯医者でなければもっと金が掛かるのではないかと思った。但し口にするのは水と消毒のアルコール類だけだ。でも顔を拭いてくれたり、口の中に指を突っ込んでくれたり、場合によってはマッサージのサーヴィスもある。しかし注射針の先が今日は間違って唇に刺さった ― 彼女の言葉はア、ウ~ンだけだった。

新聞にWDR放送管弦楽団の新常任指揮者マセラルのインタヴューが載っている。六月にイゴール・レヴィットとブゾーニの協奏曲などを指揮するを聴きに行く。中々面白いことを語っている。客演指揮者は木彫り師のようなものでそれが翌年にどうなっていても良いのだが、常任指揮者は大理石を掘るのと同じだと語る。前任者のサラステが殆ど何も練習で語らなかったのに対して、細かく指示することからの発言である。つまり「もう少し柔らかく」とか言ってもにっちもさっちもならないので正確に指示しなければならないと。

まさしく現在欧州をツアー中のヤルヴィとN響の関係で、全く常任の仕事が出来ていないのと対照的で、サラステもフィンランドの指揮者だ。なるほど世界中を飛んで回ってある程度の成果を数多くのプログラムで捌くにはそうしたお構いなしの職業的な合理性が必要なのだろう。

そして放送管弦楽団のその意味合いも語っていて、その影響力を間違って使ってはならないと、また自身の音楽姿勢を語っている。引き合いに出されたのがライヴァルのSWRと指揮者クレンツィスだ。マセラルは、「クレンツィスを批判つもりはない、指揮するのを聴いたことも観たことも無いからだ。しかし知るからに、作曲家が表現しようとする音楽の真実を自分一人で理解する救世主という体は全く間違っていますよ。」と糾弾する。

音楽は語る者と聴く者との間にあって、演奏する者に押し付けるものでも無くて、アイデアすらも無くて演奏が気持ちよくなるのが理想と語る。

中々これだけはっきりと語れるのは、世界中シカゴ響やコンセルトヘボーなどで招聘される実力とその自負なのだろう。生で聴くのが愉しみだ。



参照:
ケルンへ避難の準備 2020-02-21 | 生活
キリル・ペトレンコのキャンセル 2017-06-14 | 雑感
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鏡の前に裸で立つ

2020-03-03 | 生活
歯医者の予定がある。繰り上げで一っ走りしておいた。天気が良ければなんだかんだ気持ちが良い。目が覚める。最後の一発勝負で美術館で開催中の特別展に行きたい。

先ずは歯の治療がうまく進むか?仮と本ブリッジへの移行が上手く進むのか。先ずは慣れもある筈だが、思っていたほど抜いたところが不自由ではない。しかし噛む能力が半分以下の落ちていて具合が悪い。要するに噛み合わせとかが重要になるところでそれ以外の違和感は少ない場所なのだろう。流石に抜歯して穴の開いたところは盛り上がって来ている。どのように上手く嵌め込むのだろうか?

歯科の費用見積もりを再度作らせた。理由は材料費や調整料などが逐一書かれていなかったからだ。日本のサイトなどを見るとセラミックは特別高価なことになっている。それで再度出させて、詳しく見ると型取りとかモデル作りとか仮ブリッジだとか専門学校に行かないと分からないほどの無いようになった。ある程度分かったのが、一体どれがブリッジの価格か分からないので電話した。

結局本体価格は最高の材質とかというのだがそれほど高くないのである。これならば眼鏡の方が高価である。あれもメガネ屋というよりもレンズを一つ一つ切るのが高価なのだ。そして眼鏡枠も可成り高価である。

2015年産リースリングを開けた。先日のプフェルツァ―が思い掛けなくよかったからで、ザールのリースリングである。このファンフォルクセムの2015年のグランクリュはオイリーでアーモンド香味で素晴らしいことは知っているのだが、下位の「アルテレーベン」がどうかと思った。意外に新鮮のみでそれほど濃くはなく甘みが残っていたが決して悪い熟成へと進んではいなかった。これはまだまだグランクリュは寝かせなければと思った次第である。

新しいスポーツ下着一丁で鏡に向かうと身体つきが変わっている。前日に脇腹が出ていてショックを受けたが、どうももみほぐせる状況になってきていて、実際は脂肪が落ちてきているのかもしれない。恐らくジョギング以外の運動をしなくなって落ち方が変わってきたのだろう。要するに今までに無い程筋肉質に近づいてきているようだ。必要な筋肉を再びつけて行かなければいけないのだが、先ずは脂肪を分離しておくと無駄が無いような気がする。

日曜日には一月に演奏されたフィラデルフィアでのラフマニノフの交響曲三番をメインにした中継録音が流れた。先日あれだけ研ぎ澄まされた交響的舞曲を聴いた耳にはネゼセガン指揮の演奏はとてももどかしい。既に一番から取り上げていて、恐らく録音が全集として発売されるのだろうが、読み足りていないところが沢山あるように思う。明白に読み取れていないとどれだけ念入りに演奏してもフィラデルフィアの管弦楽団の演奏もとても美しいのだが芯をつかない。ベルリンのダイシンとここのキムとの力の差もある。しかし一番違うのは矢張りネゼセガンのゲイ的な音楽だろうか。ラフマニノフってゲイ?



参照:
祝祭劇場からの電話 2020-02-26 | ワイン
あまりにも壊れ易い世界 2020-02-23 | 音
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滑らないことはない話し

2020-03-02 | 雑感
ベルリンの連邦政府による非常時の備えについて書いた。フェークニュースになってはいけないので調べてみた。やはり案の定今回のコロナ騒動に対して出されているものでは無かった。しかしその指針は非常時全般に亘るものであるが、食料に関して2016年にリスト化されていた。

所謂10日分は自給できる備えである。先ず食料品は三週間無くても飲料は四日間しか耐えられないということで、一日成人2リットルで20リットルを挙げている。それで料理にも使うようになっている。登山などでは若干足りないが、安静にしているならば足りるのだろう。

食料品は穀物類3.5㎏、野菜豆類4㎏は瓶詰めや缶詰の調理済みでさもなければ乾燥物は水が必要になる事の注意、果物ナッツ類2.5㎏も缶詰類、さもなければ日持の良いもの、ミルク類2.6㎏、肉・魚卵や乾燥淡白粉1.5㎏、油脂3.57㎏、その他嗜好品として砂糖・甘味料・蜂蜜・ジャム類・チョコレート・ヨード塩・出来合いのヌードルスープ料理やジャガイモ料理の乾燥品、カカオ粉・チーズ・塩棒などがリストアップされている。

飲み物に関してはいざとなればローマ人の知恵ではないがワインが幾らでもあるので大丈夫である。水も近所が汚染されない限り三十分も歩かないで必要な水は汲んで来れる。ヌードルと穀物類で十日は何とか保つだろうが、火が無いと厳しい。果物としてドライフルーツが挙げられていないのは分からない。要するに山に行くときの食料が使いやすいのだが、買い置きして行く気にはならない。

今回のコロナ騒動に関しての連邦政府の方針はよく分かった。五人に四人は殆ど問題が無いとしても残りの一人が感染者が多くなるにしたがって重篤者や死者が増えるという事でウイルスの広がりを抑えるということに尽きる。当然のことながら、五人の一人の危険性を限りなく下げていくことに尽きる。その為に何が出来るかということでしかない。

日曜日の朝一番で美術館に出かけようかと思ったが断念した。体調も天候も良くなかったからである。夜中に録音していたクリーヴランドからの生中継を聴いたりしていて、やはり断念してよかったと思った。もし帰って来て調子が悪くなれば何が何だか分からなくなっていたからだ。

クリーヴランドでのブロムシュテット指揮のブルックナーの第五交響曲は酷かった。前回のNHKでのその時と同じように滑って滑って滑りまくっていた。最後に聴いたヴィーナーフィルハーモニカーを指揮した時のそれからいまだにまともな指揮は聴けていない。今更とは思うが、この調子ならば引退勧告ものである。四月には復活祭で聴くことになっている。その前にベルリンで指揮したストリ―ミングはまだ時間が無くて聴いていない。流石にN響が演奏するようにはならないと思うが、どこまでサポート出来ているのだろうか?やはりクリーヴランドではその意味から駄目だった。トンハーレでも同じようなものだった。



参照:
見えてくる対コロナ戦略 2020-03-01 | 歴史・時事
音楽の伝道師の想い 2018-10-16 | 文化一般
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