バーデンバーデンの復活際が白旗を上げた。金曜日まで舞台を準備して、ベルリンでは稽古が進んでいた。それ自体が驚きだった。粘りに粘った。バーデン・ヴュルテムベルクはその水曜日には千人以上の催し物の規制と各自治体へとそれを徹底するように指示していた。4月14日までの期限が付いていた。そこを復活祭は突いた。一週間前に始めて4月13日に終わればいいだけだからだ。
個人的印象としてその期間に感染増加数が落ち着けば可能性があるものと思っていた。しかし考えてみれば大規模催し物だけで急に感染が抑制できるものではない。大規模催し物を制限することは人の集まるのを防ぐ効果でしかない。しかし、平常の通勤などを規制するよりも容易で、それ以外には外出禁止しかないからの方策でしかない。それが功を奏さなかったことでバイエルン州は事実上の非常事態宣言、ノルトライン・ヴェストファーレン、バーデン・ヴュルテムベルクと続くだろう。ヘッセンも内情は大分悪いと思う。
日曜日のワイン街道もアーモンドが咲く街道をツーリングしたりで賑わっていた。それどころか広場でグラスを交わしているのを見て驚いた。彼ら彼女には外出禁止令しかそうした振る舞いを止めさせる方法が無い。コロナウイルスなど怖くはないからで、幾ら説明してもそうした連中には現状の深刻さと日常生活を我慢する価値などは見いだせないのである。
それでもバーデン・バーデンで交渉にあたった人物はフランクフルトの大学で教鞭もとっているリップ博士で、財団理事長で国会議長のショイブレ博士の片腕の様だ。だから今回の交渉もその元副首相の権威であたっていたと思われる。しかしそれ故にあの状況で最後の数日を引き延ばそうとしたのは常識的な感覚からは全く解せない。
勿論プロジェクトの中にいる者からすれば、何らかの解決法が見つかればと、客観的な視野を持ち得なくなるが、今回の場合はおかしな政治力がそこに働いたと感じたに違いない。それはリップ博士の主張がバーデン・バーデンの経済保護へと傾いていたことでも分かる。
少なくとも表面上はとても見栄えが悪い。しかし祝祭劇場の運営上の形態からしてまた別の事が思い浮かんだ。つまり復活祭を強行するときには「危険因子を持っている人の入場はお断り」とした筈だ。つまり大パトロンのブルダのオーナーなどの年に何千万円も出しているような人にその旨を伝えた筈だ。恐らく「それでもやれ」との支持が得られたのだろう。推測でしかないが、それが本当のパトロンというものだ。その通りならそれだけの覚悟はベルリンにも伝わっていたと思う。
兎に角、来年の復活祭のティケットを発注した。僅かながらでも流動資金の足しになるかと思ったからである。秋の代替計画もあり、先は全く見えない。返金は慌てない。多少ながらも寄付する気持ちもある。大切なのは祝祭劇場もここで何らかの姿勢を示すことである。
無観客演奏も大管弦楽団で百人近く集まるのは奨められない、オペラなどをやった滋賀県の例は関係者に感染するので、もし感染率が高かったならば陽性者も今後出てくるかもしれない。コロナは自覚症状が無くて、少々の咳をしているぐらいでも発散しているのだろう。それが最も怖いところだ。
もし何らかの形で復活祭の「フィデリオ」が上演されていたなら、とても複雑な気持ちだったと思う。屹度そのあとにその周辺に沢山の感染者が現れて、亡くなる顧客も出たかもしれない。もしそうなれば芸術どころではないイメージの低下となった。それだけでも回避された。
ベルリンからもその練習の合間にラトル指揮で無観客の風景が流れていた。支配人は町医者の娘である。なぜ彼女がそのようなことをしたのかよく分からない。この件に関しては後々総括されて世に問われるべきだと思う。
参照:
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦
個人的印象としてその期間に感染増加数が落ち着けば可能性があるものと思っていた。しかし考えてみれば大規模催し物だけで急に感染が抑制できるものではない。大規模催し物を制限することは人の集まるのを防ぐ効果でしかない。しかし、平常の通勤などを規制するよりも容易で、それ以外には外出禁止しかないからの方策でしかない。それが功を奏さなかったことでバイエルン州は事実上の非常事態宣言、ノルトライン・ヴェストファーレン、バーデン・ヴュルテムベルクと続くだろう。ヘッセンも内情は大分悪いと思う。
日曜日のワイン街道もアーモンドが咲く街道をツーリングしたりで賑わっていた。それどころか広場でグラスを交わしているのを見て驚いた。彼ら彼女には外出禁止令しかそうした振る舞いを止めさせる方法が無い。コロナウイルスなど怖くはないからで、幾ら説明してもそうした連中には現状の深刻さと日常生活を我慢する価値などは見いだせないのである。
それでもバーデン・バーデンで交渉にあたった人物はフランクフルトの大学で教鞭もとっているリップ博士で、財団理事長で国会議長のショイブレ博士の片腕の様だ。だから今回の交渉もその元副首相の権威であたっていたと思われる。しかしそれ故にあの状況で最後の数日を引き延ばそうとしたのは常識的な感覚からは全く解せない。
勿論プロジェクトの中にいる者からすれば、何らかの解決法が見つかればと、客観的な視野を持ち得なくなるが、今回の場合はおかしな政治力がそこに働いたと感じたに違いない。それはリップ博士の主張がバーデン・バーデンの経済保護へと傾いていたことでも分かる。
少なくとも表面上はとても見栄えが悪い。しかし祝祭劇場の運営上の形態からしてまた別の事が思い浮かんだ。つまり復活祭を強行するときには「危険因子を持っている人の入場はお断り」とした筈だ。つまり大パトロンのブルダのオーナーなどの年に何千万円も出しているような人にその旨を伝えた筈だ。恐らく「それでもやれ」との支持が得られたのだろう。推測でしかないが、それが本当のパトロンというものだ。その通りならそれだけの覚悟はベルリンにも伝わっていたと思う。
兎に角、来年の復活祭のティケットを発注した。僅かながらでも流動資金の足しになるかと思ったからである。秋の代替計画もあり、先は全く見えない。返金は慌てない。多少ながらも寄付する気持ちもある。大切なのは祝祭劇場もここで何らかの姿勢を示すことである。
無観客演奏も大管弦楽団で百人近く集まるのは奨められない、オペラなどをやった滋賀県の例は関係者に感染するので、もし感染率が高かったならば陽性者も今後出てくるかもしれない。コロナは自覚症状が無くて、少々の咳をしているぐらいでも発散しているのだろう。それが最も怖いところだ。
もし何らかの形で復活祭の「フィデリオ」が上演されていたなら、とても複雑な気持ちだったと思う。屹度そのあとにその周辺に沢山の感染者が現れて、亡くなる顧客も出たかもしれない。もしそうなれば芸術どころではないイメージの低下となった。それだけでも回避された。
ベルリンからもその練習の合間にラトル指揮で無観客の風景が流れていた。支配人は町医者の娘である。なぜ彼女がそのようなことをしたのかよく分からない。この件に関しては後々総括されて世に問われるべきだと思う。
参照:
日常の生活への架け橋 2020-03-15 | 文化一般
コロナウイルス狂想曲 2020-02-29 | 暦