ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

炊き出し訓練

2008年08月31日 | 生き物 自然


今朝は、早くから防災訓練に駆り出され、炊き出し訓
練などをしてしまった。
お陰で、お米をビニール袋を使って炊く方法をマスター
した。
ポイントは、空気を抜くである。
これはひょっとすると、いざというとき役立つかもし
れない(役立つ時は無い方がいいが)。
こういう訓練は、殆どはどうでもいいと思うようなこ
とだが(形式的なものが多い)、たまに本当に役立ち
そうなものがあるから困る。
三角巾の使い方とかもそうだ。
尤も、この手は直ぐに忘れてしまうのが玉に瑕である。

さて、その後の「滝壺ビオトープ」であるが、藻がちょっ
と蔓延りすぎているので間引くことにした。
その正体が今ひとつはっきりしないのだが、所謂「沈
下植物」の水草と、もう一種類、これが問題なのだが
何か「アオミドロ」のようなものが水底に絨毯状にびっ
しり生えている。
これを除去しようと思ったのだ。
「ツブゲンゴロウ」の住処になっているのは想像がつい
たが、あまりに多いので一部を剥がした。
文字通り剥がすという表現がピッタリで、割り箸でつま
むと、ベロンと剥がれる。
裏に何かいたらと思い、暫く石の上において確かめる。
付いていた貝などを戻し、他にいないのを確認し捨て
ようと再び持ち上げると、下の石の上に「ツブゲンゴ
ロウ」が三匹固まって、この突然の事態が過ぎ去るの
を待つかのようにじっとしていた。
思った以上に、この絨毯状の「アオミドロ」らしきも
のは彼らには欠かせないものだったのだ。
これは悪かったと思い、割り箸に「ツブゲンゴロウ」
を一匹一匹移したのを「滝壺ビオトープ」に戻し、結
局「絨毯アオミドロ」も元に戻した。
見た目悪くても、それなりに役に立っているのだ。
これからは、淵まで進出してきたものだけを除去しよ
う。
多分、「ヤゴ」から身を守るためにも調度良かったの
だろう。
久しぶりの「チビゲンゴロウ」もいたし。
基本コンセプトのほったらかしは、やはり生きていた
のだ。
迷った時には基本に返る、何度も言っている気がする
が、これは、それだけそういう事態が定期的に起こる
ということなのか。
「ヤゴ」の数は、間違いなく増え続けてるし、これか
らもじっと我慢の「滝壺ビオトープ」ということだ。

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B級映画

2008年08月30日 | 映画


ネパールカレー屋で、バドワイザーの小瓶も飲み、昼間
からいいご機嫌で自転車を漕ぎ家に帰るのだが、その
途中、T君のとこでビデオなど見たせいか(しかもしょ
ぼい)、久しぶりにレンタルビデオが見たくなった。
実に、四ヶ月ぶりのレンタルビデオ屋だ。
これだけ間が空けば、見たいものもあるだろうという
読みもあってのことだ。

娯楽作品しか見る気がないので(他の興味のあるもの
は大方観てしまっている)、準新作コーナーを探す。
ところが、今ひとつ最近の映画情報に詳しくないので、
知らないタイトルのものばかりでどれを借りようかと
いう手がかりもない。
唯一あったら借りようと思っていた、タランティーノの
「デスプルーフ」も見当たらない。
まだビデオ化されてないのか。
こういうところでも、最新事情に疎いことが判る。
しかも正式には「デス.プルーフ in グラインドハウス」
であった。

結局借りたのは「ファンタスティックフォー銀河の危機」
(ジェシカ.アルバが好きなので)「プラネットテラー」
(監督がロバート.ロドリゲスだったので)、そして「バ
ンズラビリンス」の計三本。
最初の二本は、B級色の濃い作品だ。
マンガみたいな内容であることは、想像がついた。
三本目はファンタジーなのか。

で現在、そのB級的二本を見たのだが、「ファンタスティ
ックフォー...」は、第一作の方がテンポがよく面
白かった(めちゃくちゃ評判は悪いらしいが)。
せめてジェシカ.アルバのお色気シーンがもう少しあ
れば、などと思うのは、この手の映画(B級娯楽作品
の)を見たときの正しい反応であろう。
問題は「プラネットテラー」である。
B級ホラー映画、所謂ゾンビ系になるのだと思うが、
どうもこの映画と先に触れた「デス.プルーフ」が何
らかの関連があるらしいのだ。
確かに、ロドリゲスとタランティーノは仲がよく、ロ
ドリゲスの「フロムダスクティルドーン」(これもホ
ラーだった)などにタランティーノ本人も出演してい
るし(今回のにも出てた)、B級テイストを好むとい
う嗜好も共通している。
で、結局「デス.プルーフ」との関連は?

映画は、グロ描写に容赦がない。
内臓がえぐられ、脳みそも飛び散る。
昔に比べると、突き抜けたえげつない表現が普通に出
てくるのだが、こういうところがロドリゲスやタラン
ティーノに共通するところでもある。
嫌いな人にとっては耐えられない表現スタイルである。
しかし、飽くまでも映画の世界だ。
グロ、エロ、アクションそして恋愛は、娯楽映画では
欠かせない要素である(不思議なことに恋愛だけはB
級とは言わない)。
ただ、グロに関しては、他の三つに比べるとぐっと少
数派になる。
しかも、変態的要素も強くなる。
しかし、連綿と続くのもまた事実である。
結局、この「プラネットテラー」という映画は、あえ
てB級色を前面に出したものであるが、残念ながら面
白さから言うと「フロムダスク...」の方である。
同じようなテイストで「シンシティー」というのがあっ
たが、これも「シンシティー」の方が個人的には好み
であった。
理由としては、ちょっとグロ表現が多すぎて、かえっ
て単調になったということ、かな?
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サソリ.ナン

2008年08月29日 | 食べ物


昨日の続き。

その後、甲州街道沿いの小さな小川で「ミヤマアカネ」
(写真)などを発見し、一服するためにT君のカフェに
寄る。
途中で休むための「カフェ」などは、こういう時には
絶対ほしい施設である。
何箇所かあれば、いろいろコースを組めて楽しいのだ
が、昔ながらの「喫茶店」だか「スナック」だか判ら
ないような店はあっても、こ洒落た店はなかなかない。

店には、ヴィデオが何本か置いてある。
何気なしに見ると「女囚さそりシリーズ」などという
ものがあった。
「梶芽衣子」主演のシリーズ物で、結構人気があったも
のだ。
見たことないので、ちょっと見る気になった。
若い頃の「田村正和」なんかが出ている。
どうやら、学生運動くずれの、体制に恨みを持ってい
るニヒルな役どころである(如何にもだ)。
主演の「梶芽衣子=さそり」も同じである。
これは、当時の時代背景が反映されている。
学生運動の挫折が、警察に対する敵対心、不信を生み、
体制=警察=悪という単純な図式が残った。
時代の空気である。
映画にはその空気が充満している。
しかし、それは唯一のこの映画の見るべき点というか、
何とか見つけられたポジティヴな点である。
はっきり言って、映画としてはトホホなものだ。
尤もらしく学生運動などを持ち込んでいるが、それが返っ
て余計に映画全体の嘘っぽさ、杜撰さを強調してしまっ
ている。
漫画の世界なのだから、「タランティーノ」のように
嘘っぽさいかがわしさに徹すれば良いのだが、どうに
もこうにもの映画であった。
これでは、暇つぶしにもならない。
T君も、もう少し歯応えのある映画を置かないと。

そして、帰りにカレー屋に寄る。
今回で二回目だ。
ネパールカレーということになっているが、本場系に
してはスパイシーさが足りなく味的には今ひとつ。
しかし、何しろ安いし、喉が渇いてビールでも飲みた
いしで、そのためには適当であると思ったのだ。
カレー二種と「タンドリーチキン」「ケバブ」(これ
は前回と違って美味かった)とでかい「ナン」が付い
た、あと何か向こうの漬物も(何故か味がない)、そ
のプレートが850円だ。
そして、兎に角量は多い。

隣のおじさんはナンを半分くらい残し、ああ多いしね
と思っていたら、なにやら帰りがけ変な言葉をしゃべっ
た。
「MAY I TAKE...」と一瞬聞こえたから英語か。
どう見ても日本人だが、ひょっとすると日系かなどと
推測(それにしてはカレーをズルズルすすっていた)。
何を言ったのかというのは、その後判明。
要するに、残した「ナン」を持ち帰りするために店の
人に頼んだのだ。
しかも、思いっきり日本人だった。
何ゆえに英語を(店の人は現地の人だが日本語は理
解する)。
最後に日本語で「美味しかったまた来ます」などと言っ
てご機嫌で帰っていった。
こういう風に言って、実際また来た人間をあまり知ら
ない。
それに、一番の問題は、あの「ナン」を持ち帰るか?
ということである。
今回のは前回と比べてもかなりできの悪い「ナン」だっ
たのだ。
ふくらみが悪く(多分発酵が進みすぎて、イーストの
働きもなくなったもの、間違いなく前日以前の生地)、
固くて、まるでスルメのような「ナン」であった。
「ナン」を食べてこめかみが痛くなったのは初めての
経験だ。

と、いろいろ経験したカレー屋であるが、なんだかん
だ言ってもまた利用するかもしれない。
安いし、ナン、カレー以外は結構美味いのもあるしで。
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川散策

2008年08月28日 | 生き物 自然


「霧が峰」の蝶のシーズンはもう殆ど終わりなので、四
週続けての「霧が峰参り」も終了(山のよさを味わう
にはむしろこれからが本番だが)。
そこで、久しぶりに自転車に乗って、川散策を兼ね平
地を走る。
近場以外の自転車は、本当に久しぶりに感じる。
その証拠に、結構足に来る。
歩きは、ここのところの「霧が峰」で鍛えているが、
自転車は違う筋肉のようだ。
四五キロ走ったところで、ペースを落としついでにギ
アも落とした。
そして川沿いの未舗装道路を走る、というよりどうに
か動くといった状態だ。
何故かというと、そこは、幅が二メートルほどの土手
で、しかも雑草が生えているので実に走り辛いところ
なのだ。
あまりに抵抗が強いので、とうとう土手から下の舗装
道路に下りた。
マウンテンバイクなのでそういう道こそ最適なのだが、
どうも体力的に追いついていなかった。

「トンボ」は、今がシーズンの種類もいて、そんなも
のを撮りつつ漕いで行く。
気温は、27度くらいと、軽装で走るには調度良い。
風が強く、暑さは全くない。
全くないが、先ほどは雑草の抵抗だったが、今度は風
の抵抗で相当力を入れないと走れない。
自転車の場合、寒さと風は(雨は以前の問題)、間違い
なく招かれざる客である(要するに軟弱派)。
寒さの場合、始めから乗らないからいいが、風は刻々
変化するから困る。
今回だって、始めからこんないつよければ乗らなかっ
たのに。
何故これほどまで風に当るかといえば、それだけ足が
疲れてしまったからだ。
結局、そういうことなのだ。
自分の脚力の無さを、風のせいにしているだけのこと
である。

「ハグロトンボ」(今日の写真)は、もう最後の命と
いう段階。
お盆くらいまでが最盛期で、今はその頃のような活発
な動きも無い。
水の無い田圃で休んでいる個体が多かったが、まるで
死に場所に集まってきている、といった雰囲気である。
事実、脇を流れる用水には、何枚ものもげた翅が、ま
るで骸のように折り重なってひっかかっていた。
しかも、ここに集まっているのはメスばかり。
そういう習性なのだろうか。
そして一番目を引いたのは、その翅だ。
なにやら最盛期とは違う模様になっていて、いやに美
しいのだ。
葉脈のような部分がくっきり浮かび上がり、一つの模様
を形成している。
今まで、こんな変化をするとは気が付かなかった。
新たな発見である。

続く
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マイマイの今

2008年08月26日 | 生き物 自然


ここ最近、「チビゲンゴロウ」の姿を見る機会が、めっ
きり減った。
「ヤゴ」に食べられたか。
或いは、どこかでひっそりと行き続けているのか。
代替わりするのなら、幼虫がいないといけないのだが、
その気配もない。
水底の土が、突然動き出すことはあっても(ヤゴが獲
物を狙っている)、他の昆虫の新たな発生は確認でき
ていない。
そろそろ新顔がほしいところでもある。
「ツブゲンゴロウ」も、今は、藻のような水草が水中
に繁茂しているのだが、その中で暮らしているような
ので、今ひとつ数ははっきりしない。
唯一、間違いなく増え続けているのは「貝」である。
大中小と、その繁殖力は凄い。
しかし、心なしか、「ヒラマキミズマイマイ」という
扁平で「蚊取り線香」のような形をした貝は少なくなっ
ているように感じる。
殻が柔らかいということだから、これもひょっとした
ら「ヤゴ」に食べられてしまっているのかもしれない。
この「滝壺ビオトープ」という小宇宙も、生存競争は
厳しい。

ここ数年、「ツバメ」は、巣作りのときになると「スズ
メ」に妨害されて、残念ながら巣を作るに至ってないが、
一羽だけ休憩所にしているらしく、ちょくちょく休みに
来るのがいる。
大体同じ時間に、同じ場所に止まって暫く休み、また
飛び立って再び休みに来るというのを、日に三四回繰
り返す。
その「ツバメ」もこのところ顔を見せなくなった。
「ツバメ」は、夕方になると、大集団でねぐらとなる葭
原に集まる習性があるが、渡りに備え、他の「ツバメ」
と行動をともにするようになったのか。
いずれにしろ、9月に入れば徐々に姿を消していく。

夏を過ぎると、元気で活発に行動していた生き物が次
々と姿を消していく。
だから、視覚的にも寂しさが募るのだろう。
気分としては、「そして誰もいなくなった」だ。
しかし、見えないところでは、土の中にも水の中にも
微生物はうじゃうじゃいるのだから、それは飽くまで
も視覚上のこととなる。
と言っても、見えない微生物には感情移入、或いは擬
人化できないので、そうもならない。
もし、「パンダ」にそっくりなのがいたら、人気が出
て状況は一変するのだろうが、そんなのはいない。
残念でした。
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サッカー.パラジャーノフ.観世流

2008年08月25日 | Weblog


ゲロゲロ少年Y登場。
落胆の色ありありだ。
理由は想像がつく。

「オリンピックのサッカーか?」(私)
「もう、全然じゃないですか、全敗ですよ」(Y)
「想定内だろ、実力通りの結果だし、そもそもオリン
ピックに意味を持たせすぎだろ、これはもう前から口
が酸っぱくなるほど言っていたことじゃないの」(私)
「まあ、そうですけど、全敗は...」(Y)
「納得いかない?でも現実は現実」(私)
「それより、ウルグアイ戦」(Y)
「あれこそ完敗だね」(私)
「あんなんで大丈夫ですか」(Y)
「多分、大丈夫じゃないと思うけど」(私)
「岡ちゃんは何をしたいのか」(Y)
「さあ」(私)
「アジアレベルならあなんでいいかと思うけど、あれじゃ
世界では勝てないですよね」(Y)
「多分」(私)
「方向性というか、可能性が見えないんですよ」(Y)
「確かに」(私)
「どうなっちゃうんですか」(Y)
「いまのまま、ずるずるかな」(私)
「それじゃあ、困ります」(Y)
「困りますねえ」(私)

と、ここで話題を変えて15日の花火大会の日のこと
を聞いてみた。
案の定、Yは地元を脱出していた。

「東京?」(私)
「ええ、映画を観てきました」(Y)
「で、何を」(私)
「パラジャーノフの<ざくろの色>とタルコフスキー
の<ストーカー>とホニャララ(この部分忘れた)です」
(Y)
「もう観たやつじゃないの」(私)
「ええ、でもパラジャーノフは今問題のグルジアですし、
終戦記念日でもあるしで、ここは観ておかないとと思い
ました」(Y)

パラジャーノフはグルジアの監督だが、また、勝手に自
分の物語を作ってしまったようである。

「いやあ、<ざくろの色>は最高ですね」(Y)
「そう言えば、パラジャーノフで唯一映画館で観たのが
<ざくろの色>だった、いい意味であれだけ気持ちよく
寝られる映画はないよ」(私)
「よくあんな映画作れましたよね」(Y)
「あれだけ徹底して耽美的な映画で、しかも独りよがり
ではない映画は他に思いつかないよ、映画と一緒に陶酔、
或いは映画に殉教、完全にY好みだね」(私)
「はい、exactly」(Y)

「あと、映画のほかに<能>も観てきました」(Y)
「どこで?」(私)
「国立能楽堂です、一度観たかったんですよね」(Y)
「観世流?金春流?」(私)

いかにも、知っているような聞き方をしているが、実
は全く知らない。
当然観たこともない。
単に、流派が上記のほかにもう一つ宝生流があるという
事実だけを知っているに過ぎないのだ。

「観世流で、狂言は野村親子が出てました、それより
能楽堂そのもがくたびれてますね」(Y)

内容より器に関心がいってるところをみると、あまり
感動はしなかったようである。
多分、面白くはなかったのではないかと推測している。
こちらも全くの門外漢なので、内容について突っ込む
ことも出来ない。
しかし、初めての経験で、Yとしてはそのことに関し
てだけでも満足なのではないか。
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一瞬の夢

2008年08月24日 | 映画


ついこの間の30度以上の日々が嘘のように、最高気
温が20度そこそこの涼しさだ。
結局、脳みそが沸騰するような暑さの手前の暑さくら
いが好きなのである。
皮膚に暑さの記憶が残っているこの時期、それらを一
気に忘却のかなたに運ぶ冷たい雨、恨めしいくらいだ。
なんてことを考えてしまう、今日の雨であった。

スノッブなM氏に貰ったジャ.ジャンクーの「一瞬の
夢」を、やっと観終えた。
主演は、ジャンクー組とも思える、「Mrオクレ」と
あの人を足して二で割ったような、えーっと思い出せ
ない、名前が出てこない。
あの人だよ。
本職は俳優ではなく、何だったか。
歌手だったような。
<ここで、出演した映画を調べる>
が、代表作が思い出せないので調べようがない。
確か「三池崇史」の映画に出ていたような。
そこで、「三池崇史」で検索して、一つ一つ映画をチェッ
ク。
判った、「田口トモロヲ」だ。

映画は、「Mrオクレ」と「田口トモロヲ」を足して二で
割ったような主人公が日常を漂白する、その姿を追って
いく。
彼はスリのリーダーで、決して極悪人ではなく、ちょっ
と悪いという程度の人間だが、希望も見出せなく、日
常を刹那的に流されていくのだ。
その様を淡々と描いていくのだが、基本的にはジャ.ジャ
ンクーの代表作「青の稲妻」と同じような内容である。
となると、これが、「青の稲妻」の修作的な作品と位
置づけられるのかもしれない。
淡々としすぎて、物語に起伏もなくまるでドキュメンタ
リーのようなと思わせるのも他のジャ.ジャンクーの作
品と同じで、所謂テーマ性というものは浮かび上がっ
てこない。
しかし、これこそが彼の映画の特徴でもある(だらだ
らと長く、絶対受けない映画であることは断言できる)。

画面に映るのは、誇りっぽい土色の世界だけで、一般
的に美しいと言われる風景も、派手な色使いの舞台装
置もなく、悉く受けない要素ばかりの映画なのだが、
これが世界である、と思わず確信するような力を持っ
ている。
考えてみれば、ゴダールの「勝手にしやがれ」なども
同じ内容であるし、日常を漂白する人間というのは、
別に今に始まったことではなく、常に存在するという
より本質的に誰もがそうであるということなのだから、
こういう映画は常に作られ続けてもおかしくない。
が、今はあまりに物語の時代である。
単純な構造の物語ばかりをほっするのは、それだけ視
線が表層のみに向かっているからなのだろうか。
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谷間のサッカー

2008年08月23日 | サッカー


しかし、それにしてもだ。
と、オリンピックの話題を持ち出したいところだが、
やらない宣言をしてしまった手前、できない。
とりあえず、いろいろ提供してくれるので、ブログ上
は非常にありがたいものだったのだが、何故あんな宣
言をしてしまったのか。
少々、後悔である。

気分を変えて、昨日最後に、日本代表の「玉田」に関
して書いたが(意識改革が必要でそうでないうちは使
うなという)、どうやら彼は戦犯扱いのようになっている
らしいのだ。
こちらの言いたかったことは、何もウルグアイ戦だけ
に関してのことではなく、普段から感じていることで、
しかもFW全般に言えることなのだ。
ひいては、代表全体の問題でもあるので、「玉田」だ
けが特にひどいというわけではない。
しかし、いつまでたっても改善の兆しが見えないので、
そうならないためにも、駄目なら使わないという厳し
さが必要であるということを言いたかったのだ。
後は、本人の意識の問題である。

そして、オリンピックの間の日本代表戦、一体誰が見
るのだろうと思ったが、案の定視聴率は相当低かった。
5パーセント位らしいが、多分この数字がサッカーの
基礎票的数字なのだろうと思う。
野球であれば、10数パーセントだろうか。
1対3くらいで野球が多いのが今の日本だから、まあ
こんなもんであろう。
今回は、「ソフトボールの決勝」の視聴率がすごかっ
たらしい。
これも、当然といえば当然だ。
最後に花を、で良かったのだろう。
まずい、またオリンピックに話が行きそうだ。
ここで寸止め。

サッカーの話に戻そう。
アジアレベルをどうやって抜け出すかが、一番の課題
であると思うが、現状では何ともいえない。
心もとないといった方が良いか。
岡ちゃんがどんな具体的な方法論を持っているのか、
それが今ひとつ見えないので不安であるのだが、ずっ
と持ち続けたまま、何とかアジアを勝ち抜き本番で惨
敗、なんてシナリオが一番現実的だったりしたら、何
も進歩していないということになる。
この点に関しては、全く解らない。
果たして、岡ちゃんを信じて良いのだろうか。
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ラーメン.クラフトワーク.サッカー

2008年08月22日 | Weblog


「霧が峰」のかえり、時間は調度昼時。
今回は何も持参してないので、どこかに寄ることにし
た。
もう、お盆の頃のような混雑はないだろうが、まだ夏
価格の可能性もあるので、適当なところでいいと思っ
た。
特に何を、という物が無いこともあるしで「ラーメン」
にする。
当然ラーメンだから、店の数は多い。
条件は、特別不味くないということだけだからどこで
もいいといえばどこでもいい。
どうせならと、行ったことが無い店(殆どそうだが)に
した。
そこは、夜は居酒屋風になるところで、昼時は「ワンコ
イン」ラーメンなどが売りの所だった。
「ラーメン」と「餃子」を頼む。
美味くもなく不味くもなく(要するに、ラーメンで満足
することはないのだが)食べ終わり会計すると、餃子
がサービスデーで半額だった。
これも一つの僥倖か。

ささやかな幸福を噛みしめ(しょぼい)、食後の一休
みと思いT君のカフェに行く。
そこでT君が用意したミュージックビデオを見る。
なにやらドイツのロック特集というもので、「カン」「ソ
フトマシーン」などが次々に出てくる。
そして「タンジェリンドリーム」が。
懐かしい。
次は「クラフトワーク」。
こんな昔の「クラフトワーク」は見たことがなかった。
いやにテンポが速く、馴染んでいるものとは大分違う。
洗練の前という感じである。
それにしても、こんな昔からやっていたんだ。
今でも現役なのは「クラフトワーク」だけだろう。
中々面白いビデオであった。

そんなものを見ている時、偶然知り合いのS君がやっ
て来た。
S君相手に、「滝壺ビオトープ」のその後の話などを
していると、S君が「鮒」が好きなのが判明した。
どうやら、子供の時に田圃で鮒取りしたのが原体験と
なっているようなのだ。
盛んに、当初「滝壺ビオトープ」に投入した「鮒」に
ついて聞きたがった。
鯉の餌になったであろうことを説明すると、相当残念
な様子であった。
興味は人それぞれである。

そしてその夜、久しぶりの日本代表戦。
対戦相手はウルグアイであったが、結果は完敗。
「ウルグアイ」は強かった。
この場合、日本は弱かったと言うべきか。
というより、強くはなってないと言ったほうがいい
のだろう。
ワントラップしてパス、そしてミスパスの連続では、
ゴールは遠い。
動いてダイレクトパスの連続というサッカーを見た
い(ウルグアイがやっていた)。
まだまだ、先は長そうである。
あと、「玉田」は、フォワードとしての意識改革をし
ない限り使えない。
これは常々感じるのだが、何故練習の時からそうい
う意識を植えつけようとしないのか。
駄目なら使わない、という厳しさが足らないのでは
ないかといつも思う。
コメント

霧が峰4

2008年08月21日 | 生き物 自然


四週続けての「霧が峰」。
今回も、初めてのコースを選択。
距離にして5キロくらいか。
観光客は、旧盆を境にぐっと減る。
秋風を感じる高原は、すでに夏を捨て去った(なんて
ね)。
実際日がかげると、涼しいというか、半袖では間違い
なく寒い。

まず車を止めた始点から、「八島湿原」(霧が峰で車
山と一番を争う観光スポット)に向かって歩く。
風があるのと涼しいのとで、蝶もあまり飛んでいない。
暫く歩くと、この道は八島の周回コースに合流。
流石に、ここには人の姿が。
合流して、その周回コースを暫く辿る。
そして山側に分かれる道があり、今度はその道を上る。
「物見岩」という、丘に通じているのだ。
その登り口で、一人の観光客とすれ違う。
そして質問される。
どうやら行くべきか迷っているようなのだ。
ここを行って、ぐるっと回って戻ってくるとどのくら
いの距離になるのか知りたいようなのだ。
そこで、いかにもベテランのように、いくつかコース
があり、「車山」まで行って戻ってくると、10キロ
くらいのコースになると説明した。
このところ地図はよく見ているので、位置関係だけは
頭に入っているので、言った事は決して間違いではな
い。
しかし、自分でそのコースを辿ったことはない。
それを聞いた観光客は、諦めがついたようである。
そう言えば、その後、もう一人にも質問されたが、そ
んなにベテランに見えたのか。
格好は、決して本格派ではないないのだが。

頂上に出ると、その寒いこと。
さっさと通過して、車山に向かう。
ここで集団とすれ違う(遠くにその姿を見たとき、厭な
予感がした)。
小学生の集団だが、林間学校か。
いずれにしろ、こういところで遭遇するとすれ違うの
が大変だ。
3クラス分くらいの数だったろうか。
やり過ごすために、ちょっと脇で休憩。
再び歩き出し、途中の山側に分かれる道を上り、そし
て下り、本日の周回コースの始点であり終点に戻った。
「物見岩」から先は、風と寒さで、ただ歩いているだ
けであった。
目的の一つであった蝶「キベリタテハ」もさっぱりだっ
たし、今日は収穫無しか、と最後の車までの100メー
トルを歩いていると、その脇の土手にタテハ類が止まっ
ていた。
「ヒオドシ」か「ルリタテハ」か「エルタテハ」か「キ
ベリタテハ」か、という具合に推測しながら近付くと、
正しくそれは紛う事なき「キベリタテハ」であった。
逃げられないうちに、遠くからも撮り、なるべく近付
く。
しかし、その距離1メートルという辺りで、逃げられ
てしまった。
まあ、これはよくあることで、そのために保険として、
遠くから望遠を目一杯きかして撮るのである。

ところが、今回の「キベリタテハ」(本日の写真)は、
この場所がお気に入りのようで、直ぐにまた戻ってく
る。
しかも、1頭だけではなかった。
最後には、こちらの立っている直ぐ足元にも。
というわけで、最後の最後に僥倖が、の今回の「霧が
峰」であった。
コメント

五輪総括

2008年08月19日 | Weblog


どうもオリンピックに対しては、文句が出るばかりな
ので、今回一まとめにして、以後一切触れないことに
決めた。
思いつくままに。

開会式に関しては「ショー」そのものなので、演出が
重要なことは周知の事実、基本的には何でもありで、
本当も嘘もない。
良いと思われたら成功なのだ。
それにしても、長過ぎる(見てないが)。

日本の陸上は、元々世界とは差がある。
「野口」「室伏」以外で、通用する選手は殆どいない(ト
ライアスロンの女子5位は快挙)。
その「室伏」もこの一年の調子から見れば、銅が取れ
れば御の字という状態。
今回の5位というのは、順当である。
しかし、世界レベルであるという事実は、昔の日本で
は考えられないことだ。
凄いと言えば凄い。
女子マラソンの他の選手は、10位以内に入るか入ら
ないかという実力なのだから、結果は順当。
夫婦愛を見せられてもね。

「為末」は、とうにピークは過ぎているので、期待す
る方がおかしい。
マスコミの一番罪な部分だが、本人達も注目されるこ
とが目的の一つのように考えてる節があるので、どっ
ちもどっちという面もある。
他の中距離短距離の選手は、世界との差があまりにも
大きい。
それにも拘らず送り込むのは問題(基本的にはメダル
しか考えてないのだから)。

「なでしこジャパン」は、予想に反して4強。
これは大健闘だと思う。
野球に関しては、オリンピックの競技からなくなるの
は既定方針だから、その通りにしてほしいということ
だけ。
何故かというと、野球を持ち上げたいマスコミがうる
さいから。
そして、なんといってもうるさいのは「松岡修造」。
テニスプレーヤーとしては日本では間違いなく超一流
だったが、憑依した姿を晒すたびに、過去の実績が地
平線のかなたに消えていく。

そして一番の問題児は、メダル至上主義のマスコミ(特
にテレビ)。
煽り報道がその使命なのか。
客観的報道ということができないのか、意図的にやっ
ているのか、はたまた、本当に信じているのか。
いずれにしろ、相当低レベルである。
回を追うごとにひどくなってるような気がするのだが、
これは気のせいか。
今の状態では、中国を笑えない。
結果的に、同じことをやっていて、しかもメダルの数
が国力と同義語になっている。
いい加減、五輪離れをしてもいい時期に来ているのでは
ないか(願望)。

というわけで、五輪は終わった。
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BC戦犯

2008年08月18日 | Weblog


NHKスペシャルで、日本軍とアヘンの関係を暴くとい
う特集をやっていた。
それにしても、オリンピックの喧騒にはさまれ、いき
なり地味な真面目なこんな番組を放送するというのは、
一つの快挙と言えるのか。
その落差が面白いのだが、果たしてどれほどの人が見
たのだろうか。
お祭り気分の人からすると、暴挙とも言えるが、間違
いなく普段より視聴率は落ちるだろう。
もしその逆だったら、日本もまだ捨てたものではない
と見直すことが出来るのだが。

番組によれば、日本軍といったが、実際は「関東軍」
が自分達の資金調達のためにアヘン栽培したというこ
とだ。
しかも、軍が関与したということを誤魔化すために、
民間人を上手く使って(この責任回避は常套手段)。
民衆の資金を巻き上げ同時に無力化するという、実に
効率のいい方法を考えたものだ。
しかし同時に、殆ど悪魔の仕業と言えるものである。
今でも北朝鮮は、多分やっているだろうが、支配者と
いうのは大体同じことを考えるものなのだろうか。
こういう日本軍に関する都合の悪い事実が発覚すると、
決まって、そんなこともあったかもしれないが一部で
ある、などと、基本的に日本軍を美化したい人たちは
言うが、美化するには、あまりに非道が多すぎるし、
どうしても体質に起因する問題が多いのだから、素直
に認めればいいのだ。
事実は事実で、決して日本ばかりがそうだとも言えな
いが、その事実がなくなるわけではないのだから。

それに関連して、引き続き今度は教育でBC戦犯の問
題を取り上げていた。
「ETV特集」という番組だが、これも見てしまった。
それにしてもまた言うが、周りはオリンピック一色だ。
昨日に関しては「女子レスリング」の金銅。
どこのチャンネルでも、同じ顔。
「ゲストで来ていただきました」の紹介で、出ずっぱ
りの状態だ。
これはNHKも一緒だが、どのチャンネルもスポーツ
チャンネルという状況はおかしくないのか。
いい加減にしてほしい、と思う人間は極極僅かなのだ
ろうなあ。

今回は、朝鮮人のBC戦犯の問題であった。
捕虜監視員として雇われた彼らのその後を追うわけだ
が、番組は、捕虜虐待で罪に問われ、死刑判決を受け
その後釈放され今は日本で暮らしているその中の一人
に密着し、彼らの証言によって当時の実態が明らかに
なっていく。
処刑された中には冤罪の人もいれば、その逆に、問わ
れるべき人間が上手くすり抜けたというのもあるだろ
う。
そういうことは、当時の状況を考えると容易に想像が
つく。
しかし、日本人としての補償を受けられない彼らの人
生が過酷であったことは間違いない。
日本軍に協力して、実際虐待した人間もいるだろうが、
少なくとも当時は日本人で、釈放された人は、捕虜の
証言が一致してないわけだから、そうでなかったと考
えるのが妥当である。
捕虜にとっては、憎しみで、冤罪寄りの証言が多くな
るはずだから。
同じ補償を受けられるようにするのが、今の日本のな
すべきことだろう。
韓国で事実を隠し暮らしていた当時の仲間が、未だに
「君が代」を歌うその姿を「靖国友の会の国会議員」
はどう見るのか(こんな番組見ないか)。
どうせオリンピックで、それどころではないというと
ころだろう。
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ヤゴ.パンク

2008年08月17日 | Weblog


今朝、「鯉の池」の端のミズゴケのようなものが生え
ているちょっとした「昆布の林」状のところがあるの
だが、そこに2センチくらいの「ヤゴ」が隠れていた。
と言っても、水は透明で、土はないのでくっきりその
姿が見える。
周りと比較すると、白いくらいのその姿は、ばればれ
である。
よくここまで成長したものであるが、まず間違いなく、
その先の運命は鯉の餌である。
早速つかまえて「滝壺ビオトープ」に移した。
暫くじっとしていた「ヤゴ」は、やがて土の中にもぐ
りこんで姿を消した。
しかし、「ヤゴ」っばかりで大丈夫か。
ここで基本コンセプト、「自然に任せる」を反芻。
迷った時には、基本に返ると(その割には、いろいろ
投入しているのだが)。

ガソリンは、このところ高止まりで、相変わらずなる
べく乗らないことを心がけているのだが、そんな「ケ
チケチ作戦」をあざ笑うような出来事がこの前あった。
雨が降りそうな夕方、自転車ではちょっと心もとない
ので車でいつもの蕎麦屋「更級」に向かった。
店の前に駐車するのだが(はっきり言って駐車違反な
のだが、まあ止められるので)、その日は、いつにも
ましてぎりぎりに止めようと思った。
すると、いきなり前輪が凄い破裂音とともに何かに乗
り上げた。
ここで、思い出した。
そこには角が鋭い石があるのだ。
実は、過去に一度それでパンクしたことがあるのだ。
全く同じパターンで、またもやパンクだ。
しかも、今回は派手な音つき。
周辺の人間が、何事かと色めき立つ。
乗り上げたタイヤをおろし、確認する。
もろ裂けている。
しかし、同じところで二回やるか普通。
ところがやる時はやるものである。
ふと、忘れてしまうのだ、その石の存在を。

タイヤ交換は大分速くなったが(大して嬉しくもない)、
それより、せこせこガソリンを倹約していた行為が無に
なることが情けない。
一瞬にして「ケチケチ作戦」はパーだ。
こういうのを「好事魔多し」というのか。
気の毒に思った主人は、その日の蕎麦をゴチしてくれ
た。
それにしても、一年に一回はパンクなり何かが起こる。
一番良いのは、車を所有しないことだが、そうもいか
ないから困ったものである。
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花火.ゲンゴロウ.たこ焼き

2008年08月16日 | Weblog


しかし、昨日の花火はいつにもまして音がでかかった。
「尺玉」といわれる直径一尺の花火を、今年は多く打
ち上げたからなのだが、それらが爆発すると、家にい
ても振動と爆風を感じる。
こうなるとほかの事をするのもままならない(とても
集中できるような状態ではない)、仕方ないので地元
の有線の実況中継を見る。
花火に興味のない人でも、家にいると否応無しに体感
させられるのだから、凄い(のか)。
本当に嫌いな人だったら(個人的には嫌いでもなく好
きでもないといったところ)、この日は外出するしか
ないだろう。
そう言えば、ゲロゲロ少年Yはその口であった。
毎年、地元を脱出している筈。
しかし、そんな例外的な脱出する人間よりは、入って
くる人間の方が圧倒的に多い。
主催者発表で50万人とか言っていたが、本当だろう
か。
まあ、多いことに変わりはないが、毎年毎年ご苦労さ
んなことである。

天気も、雨が降るような予報だったが、完全に最後ま
で晴れで、この夏の中でも一番暑く安定した一日だっ
たように思う。
そんな中、田圃に補充用の水生昆虫を取りに行ったの
だが、その太陽の強さにくらくらしてしまった。
いい年した大人が、田圃の虫取りで倒れたなんて事態
は、喜劇でしかない。
それにしても、今は子供の虫取りという光景も見られ
ない。
花火見物に行く、浴衣を着た高校生くらいの楽しそう
なグループとすれ違う反対方向に向かう虫取り人間、
ああこれが世界というものだろう。

今回は、周辺の田圃もいろいろ見て回った。
しかし、殆どは虫の気配がない。
よく見ると、水の流入口に農薬らしき顆粒状のものを
撒いてある。
雑草取りの苦労を考えると、農薬に頼るのも解る。
なかなか、生物のため(人間のためでもあるのだが)に
農薬を使うなとは言えないが、今は専業ではないのだ
から、歩留まりの悪い自然農法にしても良いのではな
いのかとは思う。

結局、いつもの田圃だけが「ツブゲンゴロウ」の生息
地であった。
時期的なものなのか動きが活発で、しかも数が多い。
不思議なのは、「ツブゲンゴロウ」以外の水生昆虫は
あまりいないということだ。
「チビゲンゴロウ」が少しと、多分シオカラトンボの
「ヤゴ」だと思うが、その「ヤゴ」がたまに暴走車の
ように横切っていくだけである。
要望としては、他のものもなのだが、贅沢も言ってら
れない。
5匹ほど「ツブゲンゴロウ」をいただいて、その帰り、
あまりにお腹がすいたのでホームセンターの屋台で「た
こ焼き」を買う。
家に帰って、早速「滝壺ビオトープ」に放流する。
一緒に「ヒル」までついてきたが、これは邪魔者。
ビールと「たこ焼き」(しょうゆ味のマヨネーズなし)
で、すっかりお腹は一杯となってしまった。
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花火大会

2008年08月15日 | Weblog


今朝は、6時前から湖畔に抜ける道は大渋滞だという。
理由は、「諏訪湖花火大会」があるからだ。
年々観客が増え続け、そろそろ飽和状態というところ
まで来ている。
器が限定されるので、これ以上増えると事故の危険性
が増すだけだ。
オークションでチケットが出回るしと(定価の十倍く
らい)、ネガティヴな要素が多くなったので、ここは
そろそろ考えなくてはならない、と別に関係者でもな
かった。
しかし、人は多い。
下手に車で来ると、帰りなど、諏訪を脱出するだけで
三四時間(普段は10分)はかかる。

楽しみにしている人も多いだろうが、個人的には毎年
のことなので、夏の風物詩として、ミンミンゼミが鳴
き始め、花火大会がありこれで夏も終わりか、という
感慨がある程度である。
地元の小中学校は、八月二十日前には夏休みが終わり
なので、夏休みの終わりと重なって、かつては花火大
会の終わりというのは非常に寂しいものであった。
その記憶が、少し、今でも追体験のように蘇ってくる
のかもしれない。

花火といえば、五輪開会式でCGを使ったどうので大
騒ぎしていたが、別に大騒ぎする問題でもないだろう
と思うし(後、口パクも)、それ以上に、びっくりす
るのは、あの開会式を見ていた人が多いことだ。
見る気も起こらなかったが(五輪不要論者としては当
然の態度である)、後でニュースを見ると、きれいな
CGで(煙が一切ない)、あれで本当に本物だと思っ
たのだろうか。
今だから、そう見えるのか、はたまた楽しみにしなが
ら見ていると本物に見えるのか何ともいえないのだが、
本物と思った人にとっては、騙されたという気持ちが
あるから問題なのだろうか、その辺りもよく判らない。
本物と思った人の感動を返せ、ということなのか。
もし、感動したのなら、とりあえずその時は感動した
のだからそれでいいのではないか、と思うが、落胆し
て差し引きマイナスということなのだろうか。
一番の問題は、映像を簡単に信じ込んでしまうその素
朴な目であると思うが。
感動を売り物にしている時は、特に注意が必要である、
というのは常識であろう。
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