ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

池の水

2009年02月28日 | Weblog


ついこの間掃除した「池のクリーナー」が、もう詰まっ
てきた。
断続的にゴボゴボというあえぎ声のようなものを発し、
同時に水も吐き出されなくなる。
如何にも苦しそうだ。
それにしても二週間持たなかったというのは、ちょっ
と早すぎではないか。
こちらのことも少しは考えてほしい、とクリーナーに言っ
ても無駄であった。
ここで一句。

春近し アオサギ映ろう 池の水 

と、適当に詠んでみたが、アオサギは夏の季語だとい
うことが分かった。
ということで改訂。

春近し 霙映ろう 池の水

でどうだ。

それより、このところ画像が払底気味だ。
昨日の画像などは、その時は気がつかなかったが、過
去の使い回しであった。
新たに素材を増やさなければ、と思うのだが、低迷気
味かもしれない。
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蕎麦粉のガレット

2009年02月27日 | 食べ物


昨日の深夜というか、正確には今日の深夜、BSで「スキー
複合団体」の中継をやっていて、前半のジャンプで日
本は五位だった。
スプリントの前半をを見たとき四位につけていて、ま
あ三位に入れば上出来だろう、と後は見なかったら金
メダルというではないか。
ノルウェーが強いと解説が言っていたので、間違って
も一位はないと思っていた自分に反省。
それにしても、注目度が低い競技ではあるが、圧倒的
に北欧が強い中での優勝は確かに快挙であろう。
これでオリンピックに期待が持てる、などとは思わな
いが(オリンピックそのものに特別な思いは無いから)。
しかし、個人的には、WBCの優勝よりは価値がある思う
(どうもWBCに関してはネガティヴな見方しか出来ない)。

以前、T君に貰った蕎麦粉がまだたっぷり残っている。
また出来の悪い蕎麦を打っても満足度は低いし、どう
しようかと考えた。
すると、ガレットにすればというアイデアが浮かんだ。
外で食べるばかりだったが、自分で作ればということ
である。
早速、インターネットでレシピ検索。
こういう時はネット様様である。
例によって、いくつかのレシピが見つかるが、これも
例によって全てが微妙に違う。
こういう場合、経験が物を言う。
実物を食べてなかったら、あるレシピそのままでやる
ところだが、比較すると、よりクレープよりのものと、
本場スタイル、つまりブルターニュの本格派を志向し
ているものとの二つに分かれていることに気付く。
知らないと、本場の味ではない別物が本物と思うこと
になりそうだが、これもネット上ではよく見られる陥
穽みたいなものだ。
当然目指すのは本場スタイルだ。

材料に関しては、シンプルな方が本格派である傾向が
強いが、今回もそんな感じだ。
要するに、蕎麦粉以外の粉はいらないということと、
味付けも塩のみで後は焼くだけという実に単純な料理
である。
が、単純なだけ良い状態のものを作るのは難しいとも
言える。
焼き方も、微妙に出来を左右しそうだ。

ということで、生地は一応用意されて、フライパンに
(本来は専用の鉄板を使う)薄く延ばし焼いた。
見た感じでは、確かにガレットだ。
バター味だけでも良いと思ったが、ちょうどシェーブ
ルがあったのでそれとトマトを具にした。
基本的なガレットは、グリュエールチーズを使うが、
シェーブルでも行けそうな予感があった。
結果、味的には問題なかった。
ガレットそのもののパリッと感はまだまだだが、充分
美味いものだった。
皮そのもの塩味も利いているし、シェーブルとの相性
も良い。
改めて、蕎麦粉のガレットは美味い、と思った。
これだったら、外で食べる必要もないか。
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ワースト3

2009年02月26日 | Weblog


歴代首相のワースト3は、「麻生」「森」「安倍」トリ
オであると個人的には思うが、その三人の共通点は、
基本的な教養というものを感じないということである。
それにしても、次から次とトホホな首相しか出てこな
い自民党というのも困ったものである。
それだけ地盤沈下しているのか。
未だ嘗て、これほど政治家が馬鹿にされる時代もなかっ
たのではないかと思える昨今の状況だが、本当にひど
い人材しかいないのだろうか。
もしそうなら、笑い事ではないのだが、笑うしかない
(失笑だが)。

一番の問題は、そういう人間を選ぶ人間がいるという
厳然たる事実だ。
選ぶ人間からすると、多くの人がこれはひどいと思う
ような人間でもそうではないということになる。
考えられる一番の理由は、利害関係が一致しているか
ら、ということ。
それと、これも普通に見られることだが、「良い人で
ある」という印象がそのまま評価につながるからとい
うこと。
確かに、今の首相でも、そこらの飲み屋にいたら楽し
い人或いは良い人という評価を得られるかもしれない。
しかし、首相としての資質があるかという点では、ど
う見ても首を傾げざるを得ない。
はっきり言って、分かりきったことだと思う。
飲み屋にいる楽しいおやじという評価と、政治家とし
て国を任せられるかという評価は、分けて考えなくて
はいけない。

地方では、利害関係人間関係の力学がさらに働いて、
政治家としての理念など二の次になる傾向がある。
こういうのは、日本だけの問題ではなく、世界のどこ
でも見られる現象だろう。
結局、政治家というのは、基本的に腐敗していく構造
の中の生き物だということになる。
要するに、理想的な政治家など絶対いないということ
である。
となると、ほっとけばひどい政治家しか出ないのは当
たり前と言えば当たり前。
現実的に少しでも良くしようと思うなら、よりマシと
思う政治家を選ぶというのが唯一残された手段なのだ。
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アカデミー賞

2009年02月24日 | 映画


昨日は、「アカデミー賞」受賞ニュースであった。
関係者にとっては、当然名誉なことで非常に嬉しいこ
とだろう。
まるで、WCで勝ったかのような光景だった。
しかし、ノーベル賞に次ぐ日本人にとっては嬉しいニュ
ースなどという表現をテレビではしていたが、そこま
でのものではないだろう、と正直なところ少々違和感
を感じた。
受賞したことによって、興行的価値は間違いなく増す
だろうが、映画そのものの価値が変わるわけではない。
それに、考えてみれば、ハリウッド中心のアメリカの
業界が勝手に決めていることで、映画賞の中では一番
権威というか影響力はあるだろうが、質的なものを考
えた場合、疑問符が浮かび上がるのも事実だ。
要するに、人それぞれの受け取り方があるので、絶対
的な価値の如く扱うのは疑問だという話である。
「ゴダール」「エリック.ロメール」などが無縁な世
界であることを考えれば、推して知るべしだ。

で、今回の映画に関しては、見てないのでなんとも言
えないのだが、多分見ることはないだろうということ
は言える。
理由としては、監督のほかの作品を見てある程度想像
はつくということと、「広末涼子」が出てるからとか、
脚本が「小山薫堂」であるとか、いくつか具体的な理
由がある(偏見と言われるかもしれないが)。
もう一つのアニメの方は良いのではないか、と想像で
は言える(想像で言う前にちゃんと見ろと言われそう
だが、その通りである)。

日本人の死生観が反映されているとか言われると、小
津安二郎の「小早川家の秋」は見たのか?と思うのは、
単なるひねくれものの戯言になるのだろうか。
死を扱ったものでは、野坂昭如原作の「とむらい師」
というのもある。
その後「お葬式」と繋がるが、なんといっても一番は
「小早川家の秋」である。
しかし、アメリカでは絶対受けないという自信はある。
何だかんだいっても、結局、根底にあるのはアメリカ
に対する偏見ということになってしまうのか。
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エントロピーY

2009年02月23日 | Weblog


昨日の続き

「まあ、守備はよくなってきたんじゃない」(私)
「それはそうですけど、これ以上という可能性も感じ
ないんですよ」(Y)
「ジーコの時は、十試合の内一試合は物凄く良くて後の
九試合はしょぼくて、平均すると大したこと無い、岡ちゃ
んの場合は平均点はそこそこ、しかし、強い試合も無い、
ってとこか」(私)
「そうですよ、これじゃあWCにでても、善戦はするがま
た予選全敗なんてとこじゃないですか」(Y)
「状況を見ると、その可能性大かな」(私)
「おかげで最近は、代表に対する興味そのものも減って
きちゃいましたよ」(Y)
「それって、結構同じように感じてる人が多いみたいで、
ちょくちょく耳にするよ」(私)
「時代は、WBCですか」(Y)
「そう、時代はWBCなんだよ」(私)
「止めてくださいよ、それだったらやっぱりスカパーと
契約してサッカーと心中します」(Y)

ここで、再び話題は映画

「<キッスで殺せ>の最後に登場する<マンハッタン計
画>とか<オッペン.ハイマー>とか直ぐ分かった?」(私)
「分かりましたよ」(Y)
「何で知ってるの?」(私)
「その辺の原子物理の世界は興味がありましたから」(Y)
「物質とは何か、なんて本を読んでたのか?」(私)
「一時、工作舎の本に夢中の時代がありました」(Y)
「工作舎?聞いたことはあるけど」(私)
「粒子は波であるとか、どうもそういうのに惹かれてし
まうんですよ」(Y)
「Yの存在そのものが波みたいなものだしね」(私)
「存在はしているのだけど見えない、或いは確立でしか
証明されない存在、良いですね」(Y)
「今思いついたんだけど、波よりむしろエントロピーが
いいんじゃない、ゲロゲロ少年YよりエントロピーY
の方が格好いいよね」(私)
「何ですかそれは」(Y)
「エネルギーの拡散、元にはもう戻れないいわば無駄な
エネルギー、どうよ」(私)
「それだったら、まだゲロゲロ少年のほうがいいです
よ、それにわざわざ名前付けてくれなくてもいいです
よ」(Y)
「そうかあ?良いと思ったんだけどなあ」(私)
コメント

ストローブ=ユイレ

2009年02月22日 | 映画


ゲロゲロ少年Yが、「キッスで殺せ」のDVDを返しに来
た。
そこでこちらが借りていたストロ-ブ=ユイレの「和解
せず」をYに返す。
もう一本のムルナウの「サンライズ」は、他に借りたい
人がいるのでその旨をYに告げ、暫く借り続けることと
なった。
又貸しになるが、こちらが責任を持つからその点はYも
安心だろう。

そして、改めて、Yはまた新しいDVDを差し出した。
ストローブ=ユイレの「アンナ.マグダレーナ.バッハ
の年代記」という作品だ。
どうしたかというと、また買ったらしい。
ついこの間までDVDなど買ったことが無かったのだが、
いよいよお得意の暴走が始まったようである。
一旦始まると歯止めが利かないYのこと、この先どこま
で行くか楽しみである。

「見ますか?」(Y)
「勿論、これ買おうか迷ったやつだよ」(私)
「中々良いですよ、で<和解せず>はどうでした?」(Y)
「良かったよ、しかし大胆な省略で、一回見ただけじゃ
あつながりがよく分からないね、Yのことだからまた解
説見ながら何回も見たんじゃないの?」(私)
「ええ、十回は見ました」(Y)
「他の作品と比べれば、一応物語の構造は持っている
けど、時間軸はいきなり変わるし、場所も一瞬にして
移動するし、物語として理解するのは大変かもしれな
いね、こういう点では間違いなく難解な作品になるけ
ど、その大胆な省略が不思議と快感なんだよねストロー
ブ=ユイレは」(私)
「そこに何かがあるんですよね」(Y)

「それにしても、ヌーヴェル.ヴァーグに影響を与え
たことは間違いないね」(私)
「ゴダールの原点を見た思いでした」(Y)
「大胆な省略振りはブレッソン的でもあるし」(私)
「そしてこのあと、どんどんシンプルになるんですよ
ね」(Y)
「物語性がなくなって、単なる朗読だけのような世界」(私)
「まるで、松澤宥氏の世界みたいですね」(Y)
「そう言われてみると、何か近いものも感じるね」(私)
「どちらも孤高の芸術家であることは間違いないです
よね」(Y)
「それは、間違いない」(私)

「ところで、岡ちゃんの評価は?」(私)
ここで話題は、いきなりサッカーに。
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バゲット

2009年02月21日 | 食べ物


この地方で唯一本格派のチーズを置いているスーパー
を覗くと、サントモールタイプのシェーブルが三割引
となっていたのでつい買ってしまった。
こういう時しか買わない客というのも、せこいと言え
ばせこいが、これも今の経済状況が影響していると考
えれば止むを得まい、ということにしておこう。
しかし、こんな客ばかりでは、このコーナーの存在そ
のものも危うくなってしまうかもしれない。
ゲロゲロ少年に、頻繁に利用するよう働きかけねば。

その足で、今度はバゲットを買いに、以前ご贔屓だっ
た店の後を引き継いだ店に行った。
同じレシピで作るということだったので、どんなもの
かと思っていたのだが、本当に前とそう変わらなかっ
たので、ちょくちょく利用しているのだ。
作る人間が変わってもそう変わらないということにな
ると、作る側の価値はどうなんだという問題があるが、
買う側からすれば関係ないのでそこは不問。
以前の店でも、その時々によってバゲットの状態は微
妙に違っていたが、その誤差以内の今のバゲットであ
る。

ところが、不思議なことに、今のところ以前ほど売れ
行きはよく無さそうだ。
飽くまでもこちらの見たところによる判断であるが、
もしそうなのであれば、その理由が分からない。
店が変わったからという単純な理由なのか、或いは、
こちらはバゲット以外に興味はないから知らないが、
他のパン類の品揃えが変わったのだろうか。
基本的なパンが良ければ良いというのがこちらの基準
だが、世の中、菓子パンのどれそれが美味いというこ
との方が意味を持つと思っている人間が多い、らしい。
大概、似たりよったりなのだが(何故かというと殆ど
は業務用の出来合いを使うから)、どうもそういうこ
とが思った以上に重要であるようだ
一つはっきりいえることは、田舎ではハード系のパン
は受けない、ということである。
当然、バゲットもそういう位置付けのパンであるから、
重要性もそれに伴い低くなるのである。
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潜水服は蝶の夢を見る.監督ばんざい.ダージリン急行

2009年02月20日 | 映画


先日前借りたDVD三本、「潜水服は蝶の夢を見る」「監
督ばんざい」「ダージリン急行」を観終わった。

まず、「潜水服..」。
監督のジュリアン.シュナーベルは、映画監督という
より画家としてしか知らない。
一度、横七八メートル、縦三メートルほどのキャンバ
スに描いた油絵とコラージュの作品を観たことがある。
一時、時代の寵児的活躍をしていた、と思ったが。
その後、あまり見なくなったのだが、今は映画監督の
方が中心なのか。

映画は、全身不随で、目と脳だけの運動が残された、元
敏腕編集長(雑誌ELLEの)が主人公。
実話らしい。
その彼が、自由を奪われて、目だけで一冊の本を仕上
げるまでのことを、彼の独白形式で描いている。
潜水服というのは、その自由のきかない自分自身のこ
とである。
そして蝶は、嘗ての自分、或いは今の状態を開放され
た理想化された自分の姿ということになるか。
こういう設定だと、大体予想がつく展開なのだが、ほ
ぼその通りに展開する。
家族を含めた人間関係の再生の物語という要素もあり、
映画としてはまとまっている。
しかも、実話というのがまた説得力を増す。
しかし、感動させようという、あざとさは無い。
が、特別良かったかと言われれば、まあまあというの
が正直なところ。
物語以上の何かは感じない。
ただ、エンドロールは、ジュリアン.シュナーベルの絵
画的センスを感じた。
氷河が崩れ落ちる場面を逆回転させたものだが、これ
は「ボルベール」のエンドロールと双璧をなすものだ
と、個人的には思った。

次は「監督ばんざい」。
北野武の、映画とは何かという自問を映画にしたものだ。
これは、今ひとつ。

そして「ダージリン急行」。
これも、他のウェス.アンダーソンの作品と比べると今
ひとつ面白くは無かった。
ヒマラヤの修道院にいるという、行方不明の母親を訪ね
る一種の巡礼物語である。
「ダージリン急行」そのものが、それに至る道のような
ものである。
仲の悪い兄弟が、その旅の間に徐々に関係が修復され、
兄弟それぞれも、自分自身を見つめなおし人間として成
長する。
家族の再生物語であり人間再生の物語でもある。
最近、こういう主題が多いが、それだけ今は人間関係が
希薄になっていて、そういうものに対する危機感が強く
なっているのだろうか。
新たな人間関係構築のためには、或いは自分自身再生す
るためには、どうやら巡礼の旅が必要なようだ。
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白昼夢

2009年02月19日 | Weblog


懸案の池のクリーナーの掃除をする。
ついこの間までの春の陽気は跡形も無く、すっかり本
来の冬に戻り0度の中の作業となった。
もう少し春でほしかった。
四日ばかりモーターを停止しただけなのだが、フィル
ターにたっぷりたまった泥は、酸欠状態になり硫化水
素系の臭いを発していた。
色も、普段はこげ茶色なのだが黒に近い。
酸欠状態なので予想はしたが、「トビケラ」は全て死
亡していた。
たった数日ポンプが回ってないだけでこんな状態にな
るのか、と自然のメカニズムの不思議に触れた思いで
ある。
汚れがひどいので何度も何度も濯ぎ、たっぷりの水を
持ち上げては捨ての作業は、結構な肉体労働となった
が、今のところ腰には来ていない(こういうのは、何
日かした頃来るので油断は出来ない)。

その後、久ぶりにレンタルビデオ屋に行く。
天気も良いので歩いていくことにした。
店までの距離は、2,5キロほど。
完全防備で歩き出す。
こんな中歩いている人間は少ない。
見かけるのは人間ではなく、カルガモの方が圧倒的に
多い。
店までの道は、はっきり言って面白い道ではない。
どこにもありそうな、田圃と新しい住宅の田舎の郊外の
ありふれた風景である。

店に着いて物色。
「トウキョウソナタ」でもあれば借りようと思ったが見
つからない。
結局、北野武の「監督ばんざい」、ウェス.アンダーソン
の「ダージリン急行」、ジュリアン.シュナーベルの
「潜水服は蝶の夢を見る」の三本を借りる。
さて、どこかで一休みしたい。
通りにある店は、これも典型的な郊外にある店ばかりで、
あるのはファミリーレストランにファストフードの類。
別に何か特別なものという気分ではないので、本日は
そういう店で充分だ。
ということで、すかいらーく系のピザを中心としたフ
ァミリーレストランに行く(名前は忘れた)。

ファミリーレストランも相当久しぶりである。
ここで、「プレーンピザ」と「フィッシュアンドチッ
プス」、そして「生ビール」を頼む。
時間はまだ午前中だが、「生ビール」を飲みたかった
のだ。
浅草の裏通りでもないから、この時間にビールなど飲
んでる人間はまずいないだろう。
非常に背徳的な気分であるが、それが結構快感でもあ
る。
周りは、おばさん中心の九割方女性客。
どう考えても浮いた存在だ。
しかし、「プレーンピザ」も「フィッシュアンドチッ
プス」もビールには良くあった。
居酒屋感覚で使えば、こういう店も使える。
しかも、その気になれば午前中から。
何だか、ちょっとした白昼夢のような出来事であった。
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WBC

2009年02月17日 | Weblog


スポーツニュースに限らず、このところいやにWBCの
話題がマスコミ関係に多い。
読売新聞の調査では、WBCに関心のある日本人70パー
セント近くという結果がでていた。
本当か?
何だか、実質自分ところ主催の大会を、上手いこと誘
導しているという胡散臭さを感じてしまうが。
実際のところ、そんなに皆関心があるのだろうか。

イチロー見たさにキャンプ地に集まる人間が多いのは、
どうやら事実らしい。
有名人が来れば兎に角見たいという心理は、まあ普通に
あることだから考えられなくも無い。
しかも、普段見られるような人ではないとなれば、なお
さらその欲求は強くなり、それが世界のイチローともな
ればもう光り輝く雲の上の存在なのだろう。
本人もすっかりその気のようで、実質監督的な立場のよ
うな振る舞いをしているとかしてないとか。
個人的には、どうもあのもったいぶった物言いが好きに
なれない。
それと、世界世界と持ち上げすぎである。
世界ではなく、アメリカのというよりシアトルの、であ
ろう。

あと気になるのは、WBC.WBCと騒いでいるのは日本だ
けなのではないかということ。
本家アメリカは、多分そんなにやる気は無い。
あとはキューバ、韓国、ドミニカ辺りがやるきがある
国なのかもしれない。
いずれにしろ、野球に興味が無いと、ニュースに占め
られるその話題の多さに辟易する。
サッカーに興味が無いと、WC一色に辟易するのと同じ
ことかと思うが、どうも野球に関しては恣意性を強く
感じる。
もっと重要なことがあるのでは、とつい思ってしまう
のだ。
日本人は、それほどまでに野球がすきなのか。
「サムライジャパン」ではなく「ヨミウリジャパン」
にすればすっきりするのだが。
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シンガポール

2009年02月16日 | Weblog


NHKスペシャルの沸騰都市シリーズ「シンガポール」、
結局面白いので見てしまった。
何だかんだ言いながら、NHKが一番興味ある番組を提供
してくれる。

さて、シンガポール。
個人的なイメージとしては、世界三大がっかり名所のひ
とつ「マーライオン」があるということと、金融で成立っ
ている国である、シンガポール航空は評判がいい、ポ
イ捨てをすると罰金、という程度のものだ。
因みに三大がっかりの残り2つは、コペンハーゲンの「人
魚姫」シドニーの「オペラハウス」だったと思うが、
ベルギーの「小便小僧」なんかも充分その資格はある
のではと思う。
日本であれば、「オランダ坂」がノミネートされても
いい。

で話はシンガポールだが、今は世界の有能な科学者を
国家戦略としてリクルートしてるらしい。
研究のための施設を充実させ、その研究費用には糸目
をつけないという、研究者にとっては願っても無い環
境を提供してくれる。
国全体が、もう総合研究所といった雰囲気である。
もし研究者であれば、思う存分研究費が使え自分の興
味のあるものをとことん追求できる環境と言うのは魅
力的だと思う。
それに、当然それなりの報酬もあるのだろう。
日本人も何人かいるらしいが、彼らを見て、日本を捨て
た非国民的人間とみる人間もいそうだが、それはお門
違いである。
そこには、日本の研究環境が良くないという状況があ
るのだから。

ただ、いいことばかりではなく、それなりの成果を得
られなければ即首という超競争社会でもある。
競争原理が結果を生むという、厳しい世界でもあるわ
けだ。
成果というのは、例えば「Nature」「Cell」という一
流科学雑誌に論文が取り上げられたかどうかなどだ。
全く無縁な世界なので、一言「大変そう」である。

国の基本方針は、いかに金を儲けるかという、どこの
国でも一番に考えることを特化したような国だ。
要するに、本音で勝負の国。
だから外国人は、有能な人間しか要らない。
単純労働は、必要な時だけそれようの外国人を入れる。
いらなくなったら国外退去。
はっきり調整弁と言う。
日本でも、本当はそうしたいのではと思う。
しかし、国の規模が小さく、中国系が中心のあまり多
様な文化も無い人工国家のようなところだからそれも
可能なのだと思う。

国の風景は、どこかドバイのようで、近代的ビルが建
ち並び確かに現代的な都市といった風情であるが、個
人的にはドバイと同じく全く魅力を感じない。
あまりに自然が無い。
それと、経済のみの場所というのは、独自の文化的魅
力というのが一切感じられないという共通性もある。
そういう文化的な要素(非効率性)を排除して成立す
るからだろう。

というわけで、シンガポールという国がよく分かった
「NHKスペシャル」であった。
コメント

不眠.渋滞

2009年02月15日 | Weblog


このところ寝つきが悪いので(というよりずっとそう
だが)、睡眠導入剤代わりにジャ.ジャンクーの「一瞬
の夢」を見ている。
ジャ.ジャンクーの映画は、どれも油断していると眠く
なる作用があるので、そういうものには適している。
その中でも「一瞬の夢」は抜けている。
劇的な展開はないし、音も静かだし、映っているもの
は普通の中国の地方の風景だし、全ての条件は揃って
いる。
そして、予想通り、眠くなってきて比較的すんなり睡
眠に入ることは出来た。
問題は、一時間ほどで起きてしまうという、この眠り
の浅さだ。
「一瞬の夢」だけに、短い睡眠。
そこまでは気付かなかった。
そういう問題ではない。
実際不眠は、多くの現代人を悩ませている問題らしい。
これはなかなか厄介で、原因が特定できないものが多
い。
一言、ストレスで片付けられてしまう。
結局、本物の睡眠導入剤に頼るのが一番効果的なよう
だ。
難しいところである。
それとこの前は、結局「一瞬の夢」を最後まで見てし
まった。
まあ、それもよしである。

話は変わって、車でよく通る道を走っていると、ちょっ
とした渋滞に遭遇した。
そこは一方通行なので、渋滞するとしたら工事か何か
の時である。
しかし、よく見ると、前方の五台目くらいが先頭であ
る。
ということは、その車が渋滞を引き起こしている張本
人である。
つまり、その車は制限速度50キロのところを30キロ
くらいで走っていたのだ。
車の調子でもおかしいのかな、と思っていたが、悪い
ことに、その車は脇道にそれたのだがそれはこちらの
いく道でもあった。
今度は、こちらがその車の後ろにつく羽目になった。
制限速度30キロを今度は20キロだ。
後ろについて運転手が分かった。
年寄りだったのだ。
これは、よくあることで、年寄の運転は交通の流れに
逆らうことが多いのだ。
安全と言えば安全だが、後ろにつくドライバーは大体
イライラし、そのことが他の事故に繋がったら結果安
全ではなくなってしまうという皮肉な結果も生みかね
ない。
しかも今回は、定速ではなくまるで止まるかのような
減速もし、曲がるかのようなそぶりまで見せる。
ちょっとたまらないと思っていたら、こちらの後ろの
タクシーが我慢できずにクラクションを鳴らした。
これでは、こちらが鳴らされているような状況だ。
ということで、こちらもクラクションを鳴らした。
気付いた前の車は止まって、後ろの連中はやっと解放
されて前に進んだのだった。
一般的に、年寄りの車は(今回は見たところ70代後半)
ちょっと問題が多いのも事実だ。



コメント

池の水

2009年02月14日 | Weblog


それにしても、生暖かい。
いくら暖冬でも、最低気温が10度というのは行き過ぎ
である。
因みに一年前は、最高気温がマイナス2度であった。
暖かいから、鯉の池の水が濁るのも早い。
微生物などの活動が活発になるからだが、おかげでク
リーナーが詰まってポンプが水を吸い上げられなくなっ
てきた。
仕方ないので電源を切る。
たっぷりたまったフィルターの泥を、また掃除しない
といけない。
相当重くなってるはずだ。
そんな泥の中でまた、「ミズムシ」やら「トビケラ」が
うごめいていることだろう。
彼らにとっては天国だから。
しかし、気をつけないとまた腰に来る。
ということで、クリーナー掃除は暫く保留。
止まった状態でも、直ぐに問題発生でもないし、気力
の充実した時に作業しよう。
「滝壺ビオトープ」の方は、今のところ変化なし。
天気予報では、週半ば頃再び冬型にもどるらしいから、
一気に春仕様にするわけにはいかない。
まだ寒さよけの発泡スチロールを外すのは早いだろう。

ところで、パーソナル使用のテレビが替わった。
今までのは、20インチほどのブラウン管テレビ。
時に、白黒に変わるという、要するに古いテレビだっ
たのだが、今度はこれもお古だが30インチほどの映り
はちゃんとしてるもの。
比べると、その差は歴然だが、でかいし重い。
勿論、地デジ対応ではない。
それにしても、一人で持てないテレビを(以前一回持
ち上げて下ろしたら一ヶ月腰痛に悩まされた)良く作
り続けたものである、と見るたびに感心するというか
呆れる。
こんなでかいテレビ、どう考えても、日本の家にはで
かすぎる。
やたらと大きく豪華なテレビをほしがるその姿は、何
だか高度成長の時代の残滓を見る思いだ。
アメリカなんて今でもそうだろう。
まあ、向こうは家がでかいから適した大きさともいえ
るが、やたらと豪華なものをほしがる本家はアメリカ
である。
テレビなんて20インチで充分なのだ。

ここにきて、一気に薄型テレビが売れないが、将来的
にはテレビというのは益々いらなくなる方向に行くの
ではないだろうか。
でかければ廃棄する時の量も多いし、多くの人が大き
い必要もないことに気付き始めたし(と思いたい)、
それに見るべき番組がそうあるわけでもないしとマイ
ナス要素が多い。
メーカーも、テレビ以外のもっと役立つ製品を開発し
たほうが良いのではないか。



コメント

行列のできる店

2009年02月13日 | 食べ物


先日、開店当初はちょくちょく行った蕎麦屋に、久し
ぶりに出かけた。
最後に行ってから、少なくとも七八年は経っている。
何故、行かなくなったかというと、そこは行列のでき
る人気店になってしまったからだ。
それとともに、蕎麦自体も、始めに比べると質が落ち
てきたように感じられた。
となれば、並んでまで行くことはないしということに
なる。
個人的には、世の中に、並んでまでして食べるほどの
ものはないと思っている。
並ぶのが好きな人は、この限りではないが。

そんな時、何故に行ったかというと、この時期は流石
にそう混雑する時ではないということと、本当は近く
の違う店に行こうとして、そこが営業してなかったと
いう理由があった。
蕎麦の良い季節は、一月から三月ぐらいの客が少ない
時という逆説的な状況を利用しないては無い。
時間は、六時過ぎ。
場所は、蓼科に片足入った所のビーナスライン沿い。
「みつ蔵」というのだが、シーズンにこの辺を通った
人は知ってると思うが、一時間二時間待ちが常態化し
ている人気店なのだ。

この時期、蓼科自体も殆ど人の気配はない。
それでも店には、すでに二組ほど入っていた。
蕎麦以外の料理が結構美味しいのは分かっているので、
「玉子焼き」と「鴨の陶板焼き」、それに「盛り蕎麦」
を頼む。
「玉子焼き」は、六個は使ってると思われるでかいのが
登場。
出し巻き玉子だが、素直に美味い。
これは昔と変わらず。
次に「鴨の陶板焼き」。
胸肉(多分合鴨だと思う)のスライスに、ちょっと甘い
しょうゆ味のタレがかけられ、白髪葱とともにじゅうじゅ
ういってでてくる。
特別肉質が良い訳ではないが、これも美味い。
好みで、山椒や七味をかける。
そして問題の「盛蕎麦」の登場。

ここは昔から、一人前を二回に分けて出す。
常にゆで立てという方針からだろう。
夏の忙しい時もやってるとしたら、それはちょっと凄
い。
で蕎麦自体なのだが、これが昔と違っていた。
質が落ちたと感じた時の蕎麦は、不揃いで短め、しか
もいやに固く(腰とは違う)、香りも感じなかった。
それが今回は、きれいに細めに切られ、短くも無く繊
細なタイプの蕎麦になっていた。
これだったら充分である。
というわけで、全体的に満足した蕎麦屋訪問となった。
但し、行くなら今の時期で、蕎麦自体も質がぐっと落
ちる、六月以降は行かない方が良い。
これは、蕎麦に対する一般論でもある。
要するに、並ぶ時期には、行かない方が良いというこ
とである。
作る方だって、落ち着いて作った方が良いに決まって
いるのだから。
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対オーストラリア

2009年02月12日 | サッカー


懸念していた、プレッシャーによる動きの悪さはなかっ
たようで、守りに関しては良かったのではないか。
この点に関しては、ジーコの時より進歩している。
それにしても、オーストラリアの守りも固かった。
世界レベルでは、今の日本の攻撃ではなかなか点を入
れられない。
世界の壁をまざまざ見せ付けられた、ということか。
唯、この点に関しては、今に始まったことではないの
で、直ぐにどうのという問題でもない。
ベストフォーなどというのは、まだまだずっと先の話
であることは間違いないが。
後気になったのは、松井である。
オシムさんの時もそうだったが、どうもチームにフィッ
トしない。
基本的に動きが無さ過ぎるのではないか。
稲本もそうだが、実力はあってもどうも海外組みは上
手く機能しない。
中村なんかは、守備でも良く走り回っている。
今のところ、彼だけだろう、海外組みで欠かせないの
は。
忘れてた、長谷部もいた。
ということは、この二人だ。
しかし、CBもそうだが、いなくなったら目も当てられ
ないぞ。
怪我したらどうするんだろう、とつい想像してしまう。
結論としては、岡ちゃんサッカーは、どうにも評価が
難しいということである。

スノッブなM氏から借りた「やわらかい手」を、やっと
観た。
「マリアンヌ.フェイスフル」は、確かに昔の面影は
あるが、体型的な変化が著しい。
あれは映画のためのメイクか?
映画自体は、人生のある一面を、皮肉も込めて描いて
いるということなのだろうが、それほど面白いとも思
えなかった。
人情劇の要素もあり、家族の再生の物語でもあり、男
女の出会いの物語でもある。
ただ、映画的瞬間を感じるような映画でもなかった。
「カウリスマキ」なんかが撮れば違ったかと思うが
(オーナーのミキという人物が、どうにもカウリスマ
キ映画の登場人物にかぶるのだ)。
唯一、客の一人が興奮を抑えるためにサッカーチーム
の名前を言ってく場面は笑えた。
アーセナル、アストンビラで終わってしまったところ
が。

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