ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

マッチ棒ハウス

2010年08月31日 | トマソン


こういう物件は、この辺りでは割と珍しい。この方向から見れば、正にマッチ棒ハウスだ。もし正面から見ても同じ幅だったら、もう正真正銘の揺ぎ無いマッチ棒ハウスなのだが、まさかそこまでの完品ということはありえない。普通にビルの顔だろう(実はまだよく確認してないのだ)。となると普通のビルの顔であっても、実態はマッチ棒ではなく今度は剃刀ハウスということになる。この場合刃先がないから剃刀ハウスは正しくないかもしれない。薄々ハウスというのがより適切だろうか。何だか、構造からするとアパートのような雰囲気であるが、この薄さはやはり尋常ではない。いずれにしろ、もう一度よく検証しなくてはならない。
コメント

異国人

2010年08月30日 | Weblog


「殺人の追憶」の登場人物のような女性が歩いていく。何故そう思ったかというと、若い世代だと今や中国も韓国も日本もそう服装は変わらないのだが、それより上の世代は、どこかしら自分の生まれた国の文化を背負っている、歩いていたのはそんな典型の女性だったのだ。まず色彩センスが違い(光った原色を好む)、日焼け防止なのか、サングラス麦わら帽子までは分かるが、その上マスクまでもしているその姿はちょっと異様であるのだが、韓国映画にはしばしば登場する。よって結論として、多分韓国人であろうということである。

今や、スーパーに行って、若い女の子が韓国語或いは中国を話しているのは珍しいことではなくなった。見かけは日本人の普通の女の子なのだが、よく聞くと日本語ではなく、えっ日本人じゃないの、何て調子でびっくりしていたのはいつ頃までの話だったのかもう分からなくなるくらい、それらはすでに日常の出来事となっている。この先この調子で彼らが増えてくると、やはり民族主義的排外運動が活発になるのだろうか。経済的にも文化的にも停滞すると(そうなれば必然的に彼らは少なくなるのだが)、その不満の捌け口が何処に向かうかといえば、矢張り言わずもがなであろう。そういうのはサッカーだけに留めておくべき、などという長閑な論理がいつまで有効だろうか。
コメント

再びハヤブサ

2010年08月29日 | Weblog


昨日「ハヤブサ」のドキュメントを見たが、改めてその快挙ぶりを認識した。しかし、最後の大気圏投入の折、自身は採取容器を守るために燃え尽きるところなどは、所謂自己犠牲の美学で、多くの日本人は思わず共鳴してしまうところであろう。パニック映画であれば他の人間を守るために自分が犠牲になる良い人、という役どころだ。どうしても擬人化して見てしまうのだが、最先端技術の現場にそういう部分があるというのは、ひょっとすると日本の文化のいい部分かもしれない。情緒的と言えなくもないが、最近の行き過ぎた利己主義個人主義というものを考えると、むしろ必要なのではないかと最近は思うようになった。お金だけがモチベーションのアメリカを考えると尚更だ。
コメント

防火壁或いはウダツ

2010年08月28日 | トマソン


久しぶりに見つけた物件を一つ。一番ポピュラーな「原爆タイプ」だが、これはちょっと変わった「原爆タイプ」。普通「原爆タイプ」というと、壁に残った隣の建物の跡ということで、謂わば嘗てあった建物の記憶という物質を持たないものなのだが、これはその物質を持ってしまったという珍しい例。正確に言えば、途中まで原爆タイプだったものが、建物から突きでてその部分が物質化し壁となったもの。何のための壁かと言われれば言葉に窮すが、防火壁、或いはウダツ(漢字が出てこない)と宣言すれば、なるほどそうかと納得する(わけないか)。まあ、斯様に珍しい「原爆タイプ」であったのだが、この建物の前も実は何度も通り過ぎている。今まで全く気づかなかった。見ているようで見ていないねえ。写真も逆光でイマイチだ。
コメント

モン・サン・ミシェルのムール貝

2010年08月27日 | 食べ物


T君が「モン・サン・ミシェル」のムール貝をくれるという。一応説明すると、モン・サン・ミシェルというのは、フランスのブルターニュ地方の海に浮かぶ修道院として有名なところ。世界遺産でもある。その周辺は勿論海の幸でも有名なところなのだが、ここにきて何故か、モン・サン・ミシェル産ムール貝が日本でよく聞かれるようになってきたのだ。大間マグロの大間に当たるわけだが、これは、この手のブランドに弱い日本に特化した戦略なのか、その点はちょっと興味のあるところである。

で、そのムール貝だが、何と生で送られてきたらしい。土嚢袋のようなビニール製の袋にはご丁寧にA.O.C(原産地証明)まで印刷されていたが、ほんまか?とつい疑ってしまう。生できたのだが、こちらに回ってきたのはその生をTくんが冷凍したもので、残念ながら来た状態のムールとは言えなかった。取り敢えず茹でて熱だけ通したが、既に解けかかっていたムールからは出汁も一緒に流出と言った状態であったので、洗うことも出来なかった。案の定、身の方はすっかりしょぼくなっていて、いくつか食べてみたが臭みもちょっとありあまり旨くはなかった。しかし、茹で汁の方は充分に旨みがあり、適度な塩気もありの(ブルターニュの海の味か?)出汁としては利用価値が高そうなものであった。

というわけでその出汁を使って、夏野菜のパスタにしてみた。にんにく、ブロッコリー、トマト、胡瓜(以上畑のもの)としいたけで作ったが、胡瓜とトマトは最後にざっと熱を通す程度と工夫して、出汁もしっかり煮詰めパスタ(フェデリーニ)と合わせ、仕上げ用のオリーブオイルをたらしたら、これがかなりいけて、普段は出汁がわりにアンチョビペーストを使っているのだが、それより野菜の味が生きていて数段旨かった。ムールの身の方は、結局二三十個と廃棄することになったが、出汁は充分に利用したのでこれで良しとしよう。しかし、本当にモン・サン・ミシェルのムールなのか?という疑問は最後まで消えなかった。実がぷっくらしてきれいな海の新鮮なものであれば、別にどこ産のものでも構わないのだが。
コメント (2)

霧の中の風景

2010年08月26日 | Weblog


ここのところBSNHKでアンゲロプロス特集をやっている。一昨日は「霧の中の風景」だった。ふと目覚め例によってチラッと見てみると、姉弟が寂しく歩いている場面(そんな場面がいくつもあるが)で、ああ「霧の中の風景」だ、そう言えば特集をやっていたのだと思いだしたのだ。それから一時間ほど見て寝た(最後までは見ずに)。元々保存用にビデオは所持しているので、いつでも見られるのだが、こういう風に時場所を変えて断片的に見ると新たな発見があったりするので、こんな見方もありだろうと思う。しかし、この時間帯でリアルタイムで見ると、かなりの確率で眠くなるだろうことも容易に想像出来る。

昨日は、今年初めて車のエアコンを作動させた。駐車していたらあまりの暑さとなり、とうとう我慢できなかったのだ。ただ、入れたわりにはなかなか涼しくならず、効き出したのが家につく頃だった。これだったらいつものように窓全開で行けばよかったと、ちょっと後悔した。
コメント

遠雷

2010年08月24日 | Weblog


久しぶりに、間近に雷の音を聞いた。昨夜のことだが、雨も一週間ぶりくらいか。昼間晴れて夕方から夜にかけて雷雨というのは、わりに夏の始めに多いような気がするが、どうも今年はお盆頃の戻り梅雨(パーソナルな命名)と、平均的な夏の変移ではないようだ。

と、最近は時候関係の話が多い。確かに、暑くて何かしようという気力が湧かないのは事実である。映画もあまり見る気がしないし(その代わり情景は想像する)、ついついぐたーっとしてしまう。尤もこれこそが正しい日本の夏という気はする。たとえば小学生のころ、外で遊んだあとは、縁側あたりでずっとグタグタしていた記憶がある。そんな夕暮れどき、遠雷が徐々にその大きさを増し近づいてくる。稲光が走ったと思ったら突然の雷雨。そして停電。あたりを闇が包む(最近闇もあまりない)。早速蝋燭の火を灯し、その薄明かりで西瓜などを頬張る。いつもと違い、なにか嬉しい。非日常性がその場を祭りの空間に変容させる。何て世界が昔は確かに存在していた。一歩間違うと「三丁目の夕日」の世界に行ってしまうが、ここで重要なのは飽くまでも闇の世界だ。
コメント

夏の情景

2010年08月23日 | Weblog



毎年だと今頃は、「お盆を過ぎると風に秋の気配を感じる」などといった表現をついしたくなる時期であるが、今年の夏はなかなか本格派である。一時鳴き始めたコオロギも、心なしか鳴きに勢いがなくなってきたように感じる。そこで夏の情景を小津風映画で。

「晩夏」(仮題)

父親(笠智衆)が縁側で涼んでいる。三十過ぎの娘(原節子)は台所で西瓜を切っている。
「今年の夏はいつまでも暑いのう」(父)
「ええ、そうですわね」(娘)

袂の蚊遣から上がってくる煙を見ながら
「こう暑くっちゃ体が持たんわい、この煙と一緒にそろそろわしも空へ行くかのう」(父)
「何言ってるんですかお父様、縁起でもないことを仰らないでください!」(本気で怒る娘)
「そりゃあ済まんかったのう」(父)

そこに近所の八百屋の女将(杉村春子)が通りかかる。
「いつまでも暑いわねえ、本当いやんなっちゃう」(女将)
「ああ、ところでご亭主はお元気かね」(父)
「家で暑い暑いとウダウダ言ってるので、いっそのことくたばったら楽になれるわよ、と言ってきたばかりなんですよ、あはははは」(女将)

通りすぎる女将、思わず笑みを漏らす親娘。
「明日も暑くなりそうじゃのう」(父)
「ええ、そうですわね」(娘)

縁側に腰掛けた二人は遠くの空を眺める。視線の先には、夕陽に縁どられた雲が数片。

コメント

剪定

2010年08月22日 | Weblog


今日のパソコンは、立ち上げたとき、指定していた背景が消え唯のブルーとなっていた。理由は分からいが、徐々に調子がおかしくなってきているのはどうやら間違いなさそうだ。まあ背景の方は、このままgrand bleuで行けばいいという話である。シンプルさがかえって新鮮だ。

庭師のお兄さんに、剪定する時の選別のしかたを聞いた。素人と違い、切り方の思い切りの良さが目立って違うところだが、その時の心得のようなものを聞いたのだが、いざ実際やってみると、何故こちらを残すのかという理由がはっきりしないまま、取り敢えず大胆さだけを真似て切ってしまった。葉っぱが茂っていたケヤキは、何だか枯れ木みたいにってしまったが大丈夫だろうか。盆栽の要領だ、と言われたが、盆栽そのものをやったことがないのでそう言われてもの世界だが、形優先で切ったら取り合えすこうなてしまったのだ。まあ、枯れたら枯れたでしょうが無いか。そもそもが勝手に生えてきたケヤキで(神社から種が飛んできて庭に勝手に生えたもの)、盆栽として育てているわけでもないしと考えたが、生えて既に何十年と経っている。やはり、枯れたでしょうが無いとするには申し訳ない。根は石に巻きついてしっかり張っているから大丈夫だろう、と考えることにした。






コメント

蚊取り線香

2010年08月21日 | Weblog


夜、蚊取り線香が切れたので買いに行くと、最初のコンビニ(ファミリーマート)には売ってなく(元々おいてないということだった)仕方ないので24時間営業の西友に行く。当然あると思ってたのだが、何と棚の蚊取り線香コーナーに肝心の物がない。しょうがないので違うコンビニ(ローソン)を当たる。そしたらそこもコーナーはあるが物がない。ここで三つめのコンビニ(セブンイレブン)に行く気にはもうなれなかった。どうやら、今年の夏は蚊取り線香払底の夏のようである。結局蚊取り線香は諦め、窓をしっかり閉めて寝た。ああ、日本の夏。

コメント

モネの湖面

2010年08月20日 | Weblog



諏訪湖畔では、大きなトンボが同じところを行ったり来たりとパトロールに精を出していた。始めは、元々多くいる(嘗ては)ウチワヤンマかと思ったのだが、どうも特徴であるしっぽの先端にある団扇状の広がりが見えない。そこで推理した。広い湖を好む大型のトンボで占有行動をする縞々ストライプのトンボは?ということでオオヤマトンボというのが浮かび上がった。絶えず飛んでいるので、じっくり観察できないのが何とももどかしい。飛んでる写真、マニアの間では飛翔写真と言われ価値が高いらしいが、それに挑戦もしてみたが、あとで確認するとブレブレで辛うじて写っているという状態であった。しかし、何とか種の同定も可能で、結果オオヤマトンボで当たりのようであった。何でも挑戦してみるものである。それにしても、見たことなかったトンボを同定できるまでに、知らず知らずの内にトンボ能力が上がっている自分には吃驚である。遥かに環境の良かった子供の頃にそれくらい関心があれば、と少々思ったりもする。

写真はその時の湖面。まるでモネ(シスレーでも可)の描いた絵のようだった。
コメント

8月19日

2010年08月19日 | Weblog



炎天下、ロードレーサーで水辺中心に走ったら、想像通り相当きつかった。これは、わざわざ熱中症の渦に飛び込むような行為である。それにしても、暑かった。ちょっと足を伸ばして、諏訪湖サービスエリアに寄ったのだが(初めて利用したが、ここは外からも利用出来るのだ。ただ山の中腹なのでプチ山岳コースとなる)、来ている観光客もみなぐったりであった。如何にも涼し気な風がきそうな風景なのだが、実際は強烈な紫外線ばかりであった。つい冷たいものが欲しくなり、バニラとリンゴのミックスソフトクリームを買ってしまった。リンゴはシャーベット状、人工的な香りが強く甘ったるく美味くはないが、それ以上に喉が渇いていたのでノープロブレム。コーンを伝わってくる溶けたクリームを気にしながら、外の椅子でしばし諏訪湖を眺める。ここの景色は、サービスエリアの中では良いほうではないか。

その後、いくつかの川沿いを走る。相変わらず「コフキトンボ」(8月5日写真)ばかりが目に付く。本当に昔からこんなにいたのか。それに引き換え、田園地帯には、本来うるさいほどいるはずの超普通酒の「シオカラトンボ」の姿があまり見受けられない。これはどうしたことか。汚濁には強いはずのシオカラトンボだが。除草剤の使いすぎか。或いはたまたまか。ビオトープを初めて以来、どうも水辺の環境に目が行ってしまう。水辺から見る自然環境、なんてことを知らず知らずのうちにやっている自分に気づく。

写真は、中央高速を通して見た諏訪湖。
コメント

ピタパン

2010年08月17日 | 食べ物


暑さが一段と増したこんな時期に、何故かファラフェルが食べたくなった。手持ちのひよこ豆もそろそろ消費したほうがいいし。となるとピタパンだが、これも今回は自分で作ることにした。過去、取り寄せで何回か購入したことがあるが、どうも取り寄せで買うほどのものではないなというのがその都度の感想だった。そこで自分でやることにしたわけだ。そして教えてもらったレシピどおりに作ってみたのだが、はっきり言ってイマイチの出来であった。簡単とは言え醗酵ものはやはりコツがある。何だかセンベイみたいなものが出来てしまって、これは鯉の餌にでもしようかと今は思っている。なかなか初っ端から完璧に近いものは難しいようだ。取り敢えず今回も、ピタパンの代わりは食パンになりそうだ。

写真は全く関係ない中村屋、あの中村屋とも関係はない。
コメント (4)

8月16日

2010年08月16日 | Weblog


戻り梅雨も終わり、再び夏の到来(この部分適当)。購入してから三週間ほど、やっとセルシュールシェル(シェーブルチーズ)は食べごろになってきた。匂いも一段と増し、外側はトロっとし塩気が柔らかくなり旨みも増す。やはりこの時期のチーズはシェーブルに限る、なんてことを思う。これで、もう少しお値段がお安くなれば言うこと無いのだが。

昨日の諏訪湖花火大会は、四万発という大量の花火を打ち上げるので、その音のうるさいこと。家にいてもガラスが振動する。庭に出て、ビオトープの観察をしていると、あまりの音の大きさにヤゴが羽化するのではないかと思ったくらいだ(勿論嘘です)。この迫力が好きな人にはたまらない、反面好きでない人にはうるさいだけ。まあこればかりは仕方ないことである。因みに私は、そのどちらでもない。

そのビオトープだが、ヤゴはオオシオカラトンボのみという状態であったのだが、ここにきて遂に新顔が登場した。全ては来年以降に羽化するヤゴだが、ヤンマ系のヤゴが、最初は一匹だけだと思ったが二匹いることが昨日判明した。シオカラ系とヤンマ系のヤゴは、その形状が明らかに違うので、ヤゴに詳しくなくてもすぐ判る。だから私にも直ぐに判ったのだ。昼間は隠れていて、夜になると、金魚藻に掴まっておしりを水面に向ける、つまり腹部のみが見えるのだがそれだけでも違いが判るくらいだ。捕まえて、全身を見て図鑑と照らし合わせ種類の同定を試みようかとも思ったが、オオシオカラトンボのヤゴと違い逃げ足が早い。よって、まだ同定には至っていない。
コメント

ハマコー.マラドーナ

2010年08月15日 | Weblog


ハマコーを見てたらマラドーナを思い出した。この二人、体型が似ている以外にもいくつか共通点がある。まずは、両者役者であること。すぐその気になり、迷いなくそれを演じられる。少々演技かかってるように見えるが、キャラクターで許されてしまう。そしてそのキャラクターにも通じることだが、子供っぽさもその共通するところ。一言で言えば単純なのだが、これが分かりやすさでもあり、人気の元となる。生来の人気者というのはこの手の人間なのだと、見ていてつくづく思う。あとこのタイプとしては、朝青龍などを思い出す。所謂ガキ大将タイプというやつか。ネガティブな共通点は、脇が甘いこと、しかしこれは一つの長所でもある。それは、そういう部分があることによって、周りは大目に見るという、本人にとっては有利な甘えの構造を生むからだ。結局、役者として愛されることに変わりはないのだ。

しかし、今になって逮捕されるというのも、何か裏事情でもあるのだろうか。はたまた単に後援者の堪忍袋の緒が切れたのか。いずれにしろ、旬は過ぎた話題である。そんなことよりマスコミは、フィクサー気取りの元阿呆総理の息子の件をもっと突っ込んでもらいたいものである。
コメント