ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

マイルス

2007年08月31日 | 音楽


カフェのT君に借りたCD、ロバート.ワイアットの「The
end of an ear」というのを聴いている。
1970年製作の古いアルバムなのだが、当時の音楽
状況、つまり充実したロック環境もあり、なかなか聴
き応えのある、今聴いても充分新鮮で刺激的なアルバ
ムとなっている(前衛ジャズ的、現代音楽的な要素が
詰まった)。
流石プログレッシブ野郎のT君である。
こちらの知らないアルバムをいろいろ提供してくれる。
ロバート.ワイアットは「ソフトマシーン」の一員だっ
たということらしいが、これまでは名前は知っているが、
という程度の認識だったが、これで完全に認識された。
何故か、ジョン.ウェットンと混同していたが、これ
からは大丈夫であろう。
兎に角最近は、特に人の名前に関して、流入より流出
の方が勝っているので、定着させるのに一苦労だ。

それでT君は「カフェ コクトー」という、個人的に
も、前々からその名前に惹かれ、ちょっと関心のあっ
たカフェでランチを食べてきたと言う。
内容を聞くと、「所謂カフェ飯ですよ」と言った。
名前にコクトーなんてつけるからには、当然ジャン.コ
クトーに何らかの関心があるのだろうが、その辺のこ
とを聞くのを忘れてしまった。
ランチの内容しか聞いてなかった。
付け合せに、インゲンと茸があったが、それって「クリ
ヨー.ド.ヴァン」の定番じゃないかとこちらが言うと、
でも、「クリヨー.ド.ヴァン」の付け合せのほうが美味
しいですよ、とT君が答える、そんな会話しかしなかっ
た。
いずれにしろT君としては「クリヨー.ド.ヴァン」の
方がお気に入りのようである。

そして再び話題は音楽に戻った。

「このロバート.ワイアットのアルバムにマイルスとそっ
くりな部分があるんだよ」(私)
「そうなんですか」(T君)
「それでどっちが先かと思って調べたら、ロバート.ワ
イアットの方が二年早かった」(私)
「何ですかそのアルバムは?」(T君)
「オン.ザ.コーナーっていうアルバムなんだけど」(私)
「なんだか凄いメンバーが参加してる頃の?」(T君)
「そうそう、チックコリアとかハービーハンコックと
かジョンマクラフリンとかね」(私)
「ジャズとロックが接近してきて強力な磁場が発生し
た時代ですね」(T君)
「上手いこと言うね、座布団一枚、尤も似ていると言っ
てもほんの一部で、多分偶然の産物だと思うよ、何と
言っても同じ磁力を受けていたわけだからそういうこ
ともありうる、ということじゃないの」(私)
「でも、僕はマイルスは聴いてないですからね」(T君)
「ビッチェズ.ブリューもまだだっけ?」(私)
「ええ、まだ聴いてないです、買おうと思った時二枚
組みで3500円だかしてやめたんです」(T君)
「ビッチェズ.ブリューはロバート.ワイアットより
は前だと思うし、マイルスのフュージョンの真髄も分
かるし必聴だね」(私)

ということで「ビッチェズ.ブリュー」をT君に貸し
た。
ついでにスノッブなM氏からもらった「UA」と「菊池
...」の競演アルバムも。
T君は「UA」のコンサートに行く予定があるのだ。
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オートマチック

2007年08月30日 | Weblog


車の事故でちょっと考えられなと思うのに、ブレーキと
アクセルを間違えるというのがある。
年寄だったらしょうがないか、というか起こりうるか
なと思うが、普通はないだろう。
と今までは思っていた。
しかし、今日からは大いにありうるに訂正。
というのも、危うくぶつかりそうになったからだ、昨
日。

状況は、バックで運転している時。
後ろを見ながら、ほぼジグザグで方向を変えながら一
台分の駐車スペースに入れようとした時だ。
距離にして10メートルくらい。
最後にそのスペースに入れる正にその時、こちらの想
像以上のスピードが出ていて、ブレーキブレーキと思
い踏んだら(ブレーキのつもりで)、更にスピードが
上がってしまった。
一瞬、何が起きたのかとあわてて、兎に角隣の車に当
らないようにハンドル操作だけはしたが、足がしっか
りブレーキに収まったのは、その後だ。
車止めとかないところなので、当然後ろのラインはオー
ヴァー。
もう少しで、歩道に出るところだった。
危ない危ない。
やはり、今年は「注意車」の年なのか。

言い訳を一つ。
後ろを見ながら、10メートルの距離を右左運転した
ことにより、感覚が麻痺したからしょうがないのだ。
言い訳にならないか。
それだけ、感覚が衰えているということなのだから、
それ相応に注意しなくてはいけない。
いやあ、それにして一瞬分からなくなるというのは、
実際あるんだ。
もう、がっくりである。

そんな「がっくり」を払拭しようと思い、蓼科に山
散歩しに行く。
しかし、軽い意気持ちで歩き始めた山道は、思って
た以上に急坂で、トレッキングというより登山といっ
たほうが良いような道だった。
始めは森の中だったが、尾根に出ると、石がごろごろ
で、しかもその幅2メートルで左右崖という場所。
ここだけ見れば、立派な縦断登山といった感じだ。
昔一回来たことあるが、その頃は全然そんなことは感
じなかったし、きついという記憶がない。
これも年のせいなのか。
結局、一時間以上歩き上まで出て、また引き返したの
だが、今度はその下りで、右足を二回ひねった。
昔、ひどい捻挫をしてちょっと癖になっているのだ。
三回目やったらアウトだな、と思いながらガクガクし
た足を慎重に運ぶ。
もしここで動けなくなったら、誰にも発見されないぞ、
或いは、この崖から落ちたら白骨死体だな、などと想
像をめぐらし降りた。
上りは一時間以上だったが、下りは30分もかからな
かった。
ああ、汗ダクダクの膝ガクガクだ。

かえりがけ、「ナタラジ」でヒヨコマメのカレーとナン
を食し(まだシーズン価格だった)それと水を二杯飲
み、ナンというのも作る人によって微妙に味が変わる
な、材料が単純な分難しいのかも、いや、カレーでは
そんなナンの微妙な味出来具合は問題ではない、どう
しても日本人は「蕎麦」と同じように粉物にはうるさ
くなる傾向がある、まことに困ったものである、など
と今食べたことに関していろいろ思いをめぐらし岐路
に着いたのだった。
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オニヤンマ

2007年08月28日 | 生き物 自然


「オニヤンマ」が、三年かかって成虫になるという事
実はあまり知られていない。
と言ってる本人も、知ったのは去年なのだが。
そうやって見ると、毎年減らずに飛んでいる「オニヤ
ンマ」も、一際いとおしくなる。
時期的には今頃が多い。
同じ道(オニヤンマにとって)を行ったり来たり悠々
と飛ぶ姿は、どこか威厳がある。
それに、あの縞縞模様も美しい。
エメラルドグリーンの眼は、神秘的ですらある。
但し、咬まれるとかなり痛い。
そんなオニヤンマが飛んでいるのに遭遇すると、まだ
自然は大丈夫か、という気分にさせられる。
本当は、バロメーター代わりの昆虫は他にいるはずな
のだが、あの堂々とした外見が、なんとなく安心感を
与えてくれるだ。
もし、オニヤンマの姿が全く見えなくなったとしたら、
もう世界は終わりだろう。
そのくらい、オニヤンマの位置付けは高いのだが、こ
れって極私的なことか?

何でそんなことを思ったかというと、スポーツニュース
で室伏のハンマーが飛んでる映像を見たから(完全に
こじつけで話題を転換)。
今回メダルに届かなかったが、知らぬうちに、他の選
手の実力が上がって、相対的に室伏の力が落ちてきた
から、というのが真相ではないだろうか。
テレビでは、いつものように日本選手の力を五割り増し
で喧伝するので、まるで意外な結果の如く放送してい
るが、為末にしろ、むしろ実力通りの結果という気が
する。
完全に欠落している、日本選手を客観的に捉えるとい
う視点。
手前味噌報道のテレビ局は信じない、これはもう常識
というものだろう。
視聴者がもっと賢くならないと、テレビは痴呆化する
ばかりだ。

それにしてもTBS、「世界陸上」凄い長時間放送だ。
まるでスポーツチャンネルではないか。
そんなに日本人は陸上好きなのか。
作られたスポーツドラマが好きなのは知っているが、
いい加減飽きないのだろうか。
「作られた」という部分が、「本当の」になっている
ということだと思うが、夢は夢のままでというメカニ
ズムが働いてのことなのか、どちらにしろ、私には理
解できません。


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葭原

2007年08月27日 | 生き物 自然


昨日の夕刻、葭原のある川を車で渡ると、薄暮の空に
無数のツバメが飛んでいた。
まるで、降ってくるようなツバメの大群だ。
ちょうど、ねぐらの「葭原」に帰ってきた時間に当たっ
たわけだが、改めてみると、やはり感動的な光景だっ
た。
毎日、この光景が繰り返されているはずなのだが、タ
イミングが合わないので、なかなか見る機会もない。
だから、たまたま遭遇するとその感動もひとしおとな
るというわけだ。

その後、畑の野菜(サニーレタスのようなもの)を食
べようと思い、冷蔵庫から出して洗おうとした瞬間、
葉っぱの影からなにやら緑色の虫が出てきた。
当然、最初はびっくりする。
そして次には、それが何であるのか確認する。
どうも「キリギリス」のような。
きっと、冷蔵庫の中でじっと我慢していたのだろう。
それとも、とりあえず食料はあるし、ちょっと寒いが
死ぬほどではないからまあいいか、ぐらいに思ってい
たのか。
そんな虫(キリギリスよりツユムシが正解のようだ)の
思惑はこちらとしては与り知らない。
庭に放そうと思い、やおら掴むと、向こうはこちらの
好意を仇で返すかのように咬んできた。
そりゃあないだろうと叩きつける、ということはせず、
噛まれないように(この場合噛むなのか咬むなのかど
っちだ)手で包み込み、予定通り庭に開放。
きっと、新たな地で元気に行き続けることだろう。
そしてサニーレタスは、予定通り食し、無事お腹に収
まった。

今回も、ロケット(イタリア語でなんて言ったか、直
ぐ忘れる)と一緒のサラダで食べたのだが、このロケット
も虫に人気あるらしく、穴だらけだ。
隣のバジルは完品なのだが、ロケットは葉っぱの半分
以上が無い(いや三分の二か)。
ゴマ風味が、人気の秘密か。
見事なほど食べられている。
それにしてもこのところの食事、殆ど虫の食生活と見
紛うばかり。
ライバルは、虫。
本当、そんな感じである。
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空蝉

2007年08月26日 | 生き物 自然


先日、道路にひっくり返っていた「ミンミンゼミ」と
同じ辺に「空蝉」があったので(この場合落ちていた
という表現が適切か)、あの「ミンミンゼミ」のもの
かと思い、拾い上げると、抜け殻の割には重量があっ
た。
しかも、その周りには蟻が纏わり付いている。
つまり羽化前の状態で蟻に襲われ絶命した、中身のあ
る「空蝉」だったのだ。
ああ無常、である。
今のところ、夏の最後を演出する「ミンミンゼミ」は
あまり鳴かない。
ひょっとすると、今年は「ミンミンゼミ」受難の年か
も知れない。
といっても、この辺限定ではあるが。

「陸軍中野学校」は、予想通り良い出来の映画だった。
無駄な演出がなく、情緒に引きずられない主人公の非
情さも良く表現され、全体にだれることなく最後まで
緊張感が保たれていた。
それに、主演の「市川雷蔵」が良い。
「眠狂四郎」などと同じニヒルな主人公役だが、個人
的には「眠狂四郎」よりこの「陸軍中野学校」や「あ
る殺し屋」の「市川雷蔵」の方が良いと思う。
監督の違いというものも大きいが、時代劇という設定
ではないところに、あの虚無がより魅力的なというか
不気味な輝きを発するように感じるのだ。
尤も、時代劇の様式の中での虚無は、また違った魅力
があるとも言える。
いずれにしろ、今の役者の中からは出てこないタイプ
の、「失われた役者」であることは間違いない。

それにしても外付けDVDの音が激しい。
回転音てこんなに大きかったか。
答えは、大きい。
ネットで見たら、そのことを指摘しているコメントが
多々ある。
つまり、そういうことらしいので、これも個性と思っ
て慣れないといけないようだ。
音はしょうがないが、頼むから、故障だけはしないで
ほしい、今望むのはそれだけである。

そう言えば、その外付けDVDを買った日の夜は、サッ
カー日本代表とU22オリンピック代表の二つの試合
があった。
早速「映画少年Y」ではなく「サッカー少年Y」がぼ
やきに来るかと思ったが、現れない。
折角それようのコメントを用意しているのに。
「オリンピックは諦めた方がいいよ」というのがそれ
だ。
反町監督はもう少し出来ると思ったが、どうも平山中
心で心中、の雰囲気だ。
しかし、オリンピックに出られないというのは、はっ
きり言ってそんなに残念なことでもない。
過去を見ても、必ずしも、出たからといってフル代表
の強化につながった訳でもないし、出られるのなら出
たい、その程度だ。
こんなことを言うとまた「Y」がむきになって、「なに
言ってるんですか」と反論するのも目に見えている。
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アンダルシアの犬

2007年08月25日 | 映画


外付けDVDプレーヤーも買ったことだし、ここは使っ
てみなくては、ということで「蔦屋」にDVDを借り
に行った。
と行ったはいいが、なかなか借りたいものが見つから
ない。
アルトマンの「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は
まだ新作なのでパス。
棚をはじから探索する。
結構人気だと思うが「プラダを着た悪魔」は、見る気
が全く起こらない。
何か「掘り出し物的」なものはないか。
監督別に陳列してくれればありがたいのだが、などと
心の中で呟き目で追っていく。
洋物では、結局ひっかからず、韓国物に移行。
しかし「個人的韓国特集」で見たいものは一通り見て
しまっていた。
次に台湾、中国もの。
チェン.カイコーは、どんどん駄目になっていってる
のでもう見る気がになれない。
チャン.イーモーも同じく。
今はジャ.ジャンクーという未見の監督に興味がある
のだが、ここには置いてない。
ホウ.シャオシェンも見てないのははあるが、同じく
ここにはない。
アジアも通過。

そして辿り着いたのは日本。
新目のほうには、あまり興味のあるものはないので、
自然と古い作品のコーナーへ。
小津安二郎は、少なくともここにあるものは全部見て
しまっている。
ヤルセナキオ(成瀬巳喜男)は数本まだ見てないのが
あるが、今日のところは見る気になれない。
となると「悪名シーリーズ」「兵隊やくざシリーズ」
のなかの、「森一生」、「増村保造」版ということに
なるか。
と周辺を探索したところ、増村保造の「陸軍中野学校」
があった。
このシリーズでは、森一生の「陸軍中野学校 雲一号
指令」が、なんと言っても良い。
日本映画ベスト50には入れたい映画だ。
当然増村保造のも見ていたような気がしていたが、ど
うも未だのようだった。
シリーズ第一作にも拘らず。
そうなると、本日のレンタルはこれで決定。

ついでに、古いレンタルビデオを売りに出していたの
で、興味のある二本を買う。
「アンダルシアの犬」と「セシルB、ザシネマウォーズ」
の二本だが、どちらも見ているが、保存用にと思った
のだ。
良く考えれば、保存用でビデオというのは完全に時代
遅れなのだが、その安さに釣られた。
二本で160円なんだもの。
「アンダルシアの犬」は、ダリとブニュエルの実験映画
としてあまりに有名なので知ってる人も多いと思うが、
「セシルB、ザシネマウォーズ」は、知らない人の方が
多いかと思われる。
暴力的にハリウッドを馬鹿にした映画で、その突き抜
けた馬鹿パワーが笑える。
同じようなテーマの映画としては、アルトマンの「ザ.プ
レイヤー」があるが、こちらは知的にハリウッドを皮
肉っていて、タイプが違うがどちらも面白い。

そんなビデオと「陸軍中野学校」のDVD、こんな組
み合わせで自転車をこいでいる人間は、まずというか
絶対いないな、と確信しながら遠くを見ると、夜空に
今日も花火が上がっていた(9月1日の新作花火の日
まで、毎夜諏訪湖では花火を上げる)。



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究極のラーメン

2007年08月24日 | 食べ物


昨日の続き。
蓼科で、昼飯でもとカレーの「ナタラジ」に寄ろうと
思ったのだが、この時期でも(20日過ぎ)観光客は
多く、「ナタラジ」の駐車場も一杯。
昔の蓼科は、お盆(8月16日)も過ぎると一気に静
かになったものだが、今は分散型だから。
どうせシーズン価格だろうしと思って、パスすること
にした。
となると、ビーナスライン上の店で入る気になるよう
な店は思い当たらない。
それに、これといって何を食べたいという欲求も今日
はない。
こんな夏の日の、様々な条件が揃った時に浮上するの
がラーメン屋。
様々な条件というのは、まず、積極的に食べたいもの
がない、次に夏の暑い時である、そして安く仕上げた
い、の3っつである。
要するに、食べ物に対する消極的な状態の時の選択肢
が「ラーメン」なのだ。
当然、年に数回あるかないかの出来事だ。
今回食べれば、今年2度目となる。

店は、不味くなければどこでも良い。
ただ、入りやすいところをこちらとしては望む。
「チェーン店」でも「こだわりの個人の店」でもどっ
ちでも良いが、「こだわりの店」はちょっと鬱陶しい
ので、一般的には「チェーン店」の方が入りやすい。
そんな「チェーン店」の一つに入ることにした。
「和風ラーメン」(要するに魚のだしを使っている)
と、ニンニク抜き青紫蘇入りという「ギョーザ」を頼
んだ。
どちらも不味くはない。
それで充分。
しかし、和風ラーメンといっても、スープの味は充分
濃い。
良くあのしょっぱいスープを飲み干せるものだ、と今
回も感じつつ、スープの三分の二を残し店を後にした。
代金は、餃子と合わせ600円弱。
この値段では全く問題ないというか、ラーメン一杯で
600円以上出す気にはなれない身からすると、世の
中の、「究極のラーメン」とか「こだわりのラーメン」
とか言って、下手をすると1000円くらいとる「ラー
メン」自体がアンビリーバボーなのだ。
個人的には、500円だ。
限度は。
そして不味くはない、これが個人的な究極のラーメン
なのである。

そして、「外付けDVDプレーヤー」を買いに、近く
の「ヤマダ電機」に行く。
こういう場合、色んな機種がありはっきりその違いが
分からないので迷うのだが、店員さんに一応質問し、
納得したような振りをして、どのDVDにも対応して
いるというプレーヤーを買った。

その足で、今度は食後のコーヒーでもと思い、久しぶ
りにT君のカフェに行く。
コーヒーを飲みながら、近況を聞く。
そういえば、いきなりBGMでキングクリムゾンの「Isl
ands」がかかっていた。
相変わらずのプログレッシブ野郎である。
そして帰りに、お土産で「シードル」まで貰う。
なにやらイベントで使った時のあまりということらし
く、「Doux」と「Brut」の二本あり、最初は「Doux」
(甘口)の方を持ってきたので、これしかないのかと
思い、たまには甘口でも良いか、と覚悟していたのだ
が、「Brut」もありますよのT君の一言で、遠慮なく
「Brut」に変更してもらう。
ビールも切れたことだし、ちょうど良いタイミングだっ
た。

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赤とんぼ

2007年08月23日 | Weblog


今年はまだ霧が峰を歩いてなかったので、「ゴマシジ
ミ」探索を兼ね行ってみた。
昨日までとはうって変わって、結構涼しい。
しかし、観光客はまだまだ多い。
中でも京都ナンバーのバイクツーリングの10人ほど
の集団が目を引いた。
雲行がどうも怪しいが、バイクで雨というのはきついぞ。
京都からわざわざ来て、雨に降られる。
記憶には残りそうだが、などと他人事ではあるので、気
楽な想像をめぐらす。

そんな雲行きでもあり、コースは、5キロほどの短め
にすることにした。
で、歩き始めたが、日差しが出るとちょうどいいくら
いの気温は、陰るとティーシャツ一枚では寒いと感じ
る。
それにしても蝶の姿が見えない。
本当、今年は少ない。
なんだか、今ひとつだなと思いながら、2キロ程進んだ
ところで、蝶ではなく見たことないトンボの姿が目に
入った。
今時だと「アキアカネ」などの普通の赤とんぼは多く、
周辺にも一杯飛んでいる。
ところがそのトンボは、大きさは同じなのだが、胴体
が真っ黒。
なんだこれは、新種か?と少々興奮し、慎重に撮影し
た。
幸い、じっくり止まっていたので、今回は大丈夫であ
ろう。
あとで図鑑で確認すると、どうやら「ムツアカネ」と
いう赤とんぼの仲間で、赤くなるのではなく黒くなる
という、いわば「黒とんぼ」なのであった。
日本には黒くなるのはもう一種類いるらしい。
いやあ、日本にもまだまだ知らない、いろんなとんぼ
がいるんだね。
北海道から中部の寒冷地が生息域。
霧が峰は中部寒冷地だから条件ぴったりだ。
後で知ったが、昔はもっと一杯いたらしい。
その頃は注目もしてなかったので気付きもしなかった。
見ているのだが、見えていない。
普遍的な現象。
もっとたちの悪いのに、見えてるつもりだが、見えて
ないというのもある。
これも普遍的な現象。

見えようが見えなかろうが、天気はお構いなしに変貌
する。
写真を撮り終えた頃、水滴を感じた。
まずい、降りだした。
今来た道を戻るのに2キロ、周回コースを進めばあと
3キロ、戻った方が良さそうだ。
下り坂を勢い良く下る。
完全に雨模様となった。
あっという間にずぶぬれ状態。
山の雨は冷たい。
体温を上げるためにも走った方が良さそうだ。
クロスカントリー状態となった。
気分は当然「トホホ」である。
やっとのことで駐車場に辿り着き、気持ちの悪い靴を
履いたまま、水でごわごわしたズボンも我慢し車を運
転する。
ヴィーナスラインを白樺湖に向かい、そこから蓼科に
出る。
その頃になると、天気は完全にカンカン照り。
「おいおい」という言葉しか思いつかなかった。
コメント

24

2007年08月21日 | Weblog


今朝、道路に蝉が仰向けになっていたので、死んでる
のかと思い拾い上げると、なにやらもがきだした。
まだ生きていたようだ。
「ミンミンゼミ」の羽化したての成虫、と推定される。
取り合えず安全な場所に移動した。
何故か知らないが、蝉はよく道路上に落ちている。
着地が得意ではないのか、大体仰向けだ。
一旦仰向けになると、自力では修正できないのだろう
か。
或いは他の理由でもあるのだろうか。
死んでるわけでも無さそうで、何事もなかったように
勢い良く飛んでいくのもいる。
その辺が長年の疑問である。

今年、道路上の昆虫を移動したのはこれで三匹目。
他は、「カトリヤンマ」という大型のトンボと、「スミ
ナガシ」というタテハ蝶。
「スミナガシ」は多分車に巻き込まれたかしたのだろ
う、潰されてはいなかったが打撲しているように見え
た。
羽ばたいても飛べそうになかったが、一応安全地帯に
移動した。
結構珍しい部類の蝶で、子供の時だったら大喜びだっ
たろうに。
どちらも証拠写真だけは撮っといた。
昆虫界も、今や交通事故は日常のようだ。

それにしても、「欽ちゃん」の24時間マラソンの視聴
率が40パーセント越えとは驚きだ。
何がそんなに引き付けるのか。
この手の欺瞞的な番組を全く見る気がおきない身から
すると、「アンビリーバボー」の一言だ。
頑張る姿を見て一緒に感動する、そのことが視聴者の
目的であるということは想像できるが、これってディ
ズニーランドの遊戯で楽しむことと殆ど同じだ。
「感動製造装置」が「仕組まれた物語」であるか「遊戯」
であるかの違いだけで、どちらも娯楽として消費して
終わり、ということには変わりない。
第一、あれだけサポートされれば、それ程大変なこと
でもないだろうに。
テレビ撮影という時点で、特権化され何か特別なこと
と見てしまう側の未熟さが常に出るのが、この手の番
組である。
それに、普段ひどい番組ばかり作っているテレビ局の
贖罪に利用されているという側面もあるのではないか。
いづれにしろ、これでまた製作側は勢いづくわけだ。
当分終わりそうにないね。
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異常発生

2007年08月20日 | 生き物 自然


地球温暖化と共に、各地で生物の異常発生が頻発して
いる。
と書くと、何の疑問もなく、今は「地球温暖化」だか
らいろいろおかしな現象も出てくるはずだ、と思って
納得する。
しかし、実際のところ、全て「地球温暖化」が原因かど
うかは分からない。
その点は、常に頭に置いとくことが必要だ。
そもそも、生物の異常発生というのは、どこかしらで
常に起こってることなのだから。
原因は複合的なはずだから、単純化して全てを地球温
暖化のせいにすることだけは気を付けないと、と思う。

今年は大阪で「クマゼミ」が異常発生しているという
ことだが、もともと蝉は、何年か周期で増えたり減っ
たりを繰り返す。
たまたま条件が揃えば(気象条件、土の状態、天敵の
あるなしなど)そうなるものなのだ。
しかし、今年の状態は、普段の多いを通り越したレベ
ルのようなので、「異常」といっても間違いではなさ
そう。
ただ、「温暖化」だけが原因であるならば、大阪だけ
というのはおかしい。
そこには、他の原因も隠されていると考えるのが論理
的だ。
しかし、「クマゼミ」の生息区域が北上していること
に関しては「温暖化」が原因と普通に考えられそうだ。

北上に関しては、他の昆虫でも思い当たるものがある。
蝶の「ツマグロヒョウモン」。
この十年ほどで、信州でも普通にみられるようになっ
た。
はじめて見た時は、迷蝶かと思ったくらいだ。
つまり、「南の蝶」というイメージがあったから、風
に飛ばされて辿り着いたか、と思ったのだ。
それが今では、すっかり普通種。
市街地で見られるのは、従来のヒョウモンチョウより
多いくらいだ。

蝶に関してひとつ気になったのは、「蟻」。
テレビでやっていたが「アルゼンチンアリ」というの
が勢力を伸ばしているらしい。
日本産の蟻より運動能力が高いらしく、どんどんその
王国を拡大している。
日本の蟻がアルゼンチンにやられているのを見ると、
「頑張れ日本」とつい応援したくなる。
しかし、アルゼンチンは人材の宝庫、蟻界の「メッシ」
「テベス」が次々登場し、全く日本を問題にしない。
強い、強すぎるアルゼンチン。
日本が、アルゼンチンのレベルに達するのは不可能だ
(尤もこれはサッカーの話だが)。
ところで、この「蟻」がどう「蝶」と関連するのかと
いうことだが、蝶の中には蟻と共生関係を持っているも
のがあるのだ。
「クロシシジミ」「ムモンアカシジミ」「ゴマシジミ」
「オオゴマシジミ」これらのシジミ蝶は、特定の蟻が
いないと生きられない。
それらの蝶の幼虫は、蟻の巣の中で成長するのだ。
もしその蟻が、アルゼンチンにやられたりしたら、そ
の時点で絶滅となってしまう。
こんな、足元のミクロな世界の出来事一つで、微妙に
保たれた生き物の世界が変貌する。
それらのバランスが、いたるところで崩れつつあるこ
とだけは間違い無さそうだ。

コメント

スペインチーズ2

2007年08月19日 | 食べ物


先日ニューヨーク土産で貰った「スペインチーズ」だ
が、「マンチェゴ」ともう一つ、そのチーズがどうい
うものか分からなかったのだが、判明した。
山羊チーズを赤ワインで洗ったもので、スペインは
「ムルシア地方」(どこだか判らないが)の特産とい
うことだ。
昨日初めて食べてみたが、これがまた「山羊チーズ」
としては珍しいタイプで、セミハードタイプのような
肌理の真っ白なチーズで、見かけ上はフランスの「シェ
ーブル」とは明らかに違い、味の方も大分違った。
表面を赤ワインで洗ってあるので、色は赤紫。
紫蘇でも巻いてあるのか、と日本人だったら思うとこ
ろだ。
しかし、「マール」で洗ったフランスのウォッシュタイ
プなどとは違い、強烈な匂いは発しない。
つまり、全体としては山羊にも関わらずおとなしい。
食感も滑らかで、癖もそれ程強くない。
実に食べやすい「山羊チーズ」だ。
これはこれで、充分美味しい。
これでまた一つ新しいチーズがレパートリーに加わっ
た。
「ケソ.デ.ムルシア.アル.ヴィノ」覚えられるか
な。

ついでに「ムルシア」地方ってどこか調べてみた。
スペイン西南部の地中海に面したところで、なんだ
か良さそうなところだ。
古い町並みも残ってるし、尤もこれはヨーロッパの
どこに行っても感じるところ。
しかも「ムルシア州ムルシア」はスペインで7番目
の都市ということらいい。
そういえばサッカーチームの「ムルシア」って聞いた
ことあるぞ。
大して強くはなかったが。
そこで、確認すると、ちゃんとリーガエスパニョーラ
一部のチームだった。
ついでに公式ホームページを見てどんな選手がいるの
か確認する。
のつもりだったが、スペイン語で良く分からない。
知ってる選手はいないだろうから、まあ良いか。

こういうことをやっているといつも感じるのだが、本
当インターネットは役に立つ。
昔だったら(といってもほんの10年前でも)、それ
ぞれの専門書を見ないと分からない事柄だ。
この場合は、チーズとサッカーの専門書。
それと、観光パンフレット。
インターネットの一番の良さは、あらゆる専門書代わ
りになるこうした機能であろう。
って、今更言うことでもないか。


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バイク

2007年08月18日 | Weblog


昨日書いた「ロードバイク」、何か違和感があると感
じていたのだが、その理由が分かった。
「ロードレーサー」と本当は言いたかったのだ。
つまり、「マウンテンバイク」のバイクに引きづられ
ついつい「ロードバイク」と言ってしまったのだった。
「バイク」という言葉は、モーターバイクのバイクと
いうイメージが強い年代からすると、最近のそれらの
言葉はよくごっちゃになり、どれがどれを指すのかちょ
くちょく分からなくなる。

ここでちょっと整理すると、「マウンテンバイク」の
モーター版は「オフロードバイク」或いは「トライア
ルバイク」ということでいいのか。
「ロードレーサー」に対してモーター版は「ロードレー
サー」。
あれっ、同じでいいのか。
それで改めて調べてみると、「ロードレーサー」は自
転車、モーターバイク両方で使う言葉だった。
それと、違和感を感じていた「ロードバイク」という言
葉、ちゃんと存在していた。
何のことはない「ロードレーサー」と同義語だった。
つまり「マウンテンバイク」に対しての「ロードバイク」、
決して間違いではなかったのだ。
新語であるということなので、ちょっと混乱してもしょ
うがない、ということでした。

で、そのモーターの方の「ロードレーサー」だが、実
は以前、そのタイプのモーターバイクに乗っていた。
ヤマハの「RZ350」という、2サイクルの加速がか
なり良いバイクで、すっかりそのスピードに魅了され
馬鹿みたいに飛ばしていた(そんな時期がありました)。
バイクの魅力はなんと言ってもスピード。
一般的に言って、命が補償されているジェットコースター
(極まれに違う時もあるが)で、あれだけ大喜びして
いる人間が、命が補償されてないバイクが楽しくない
わけがない。
ジェットコースター(個人的には好きではない)の何
十倍かの興奮が味わえるのだから。
陶酔感といっても良い。
多分その瞬間はドーパミンでまくりだと思う。
バイクとは「陶酔製造装置」である。
要するに「危険なオモチャ」ということです。

体感するものなので、乗る前には自分自身のスピード
に対する感度、つまりスピード狂の要素が認識できな
い。
乗って初めて分かるという、その自分自身の未知の部
分が厄介なのだ(体験談)。
何度となく、死にそうになってもまた同じことを繰り
返す。
結局死ぬまで分からないのか。
と思っていたが、ある時その死の恐怖心が、快感より
数倍ふくらみ、その時点でバイクに対する興味が見る
見る内にしぼんでいった。
きっかけは、高速道路を全開で走ったことだった。
何度かやってはいたが、その時もメーター表示の限界
180キロで走っていて、完全にトリップ状態。
このスピードだと、高速道路のコーナーでも結構車体を
倒さないとならない。
車体を揺らしながら(自然にゆれる)身体を地面に近
づける。
道路の表面が顔面にせまる。
スローモーションのように風景が流れる(この部分ちょっ
と修飾)。
ここで転んだら即死だね、と他人事のように考えてる
自分がいる。
「バニシングポイント」なんて映画があった。
消失点とはこういうことか。

結局、この体験がバイクを降りたあと何度も蘇り、冷
静に振り返るという機会を同時に何度も与えることに
なった。
というわけで、これからは自転車だね。
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藪の中

2007年08月17日 | Weblog


先日、久しぶりに(考えてみたら今年初)「ロードバ
イク」に乗った。
まずは空気を注入し(最近乗る時にはいつも空気入れ
から始まる、それだけ頻度が少ないということ)、勢
い良く飛び出した。
いつもそうだが、出だしだけは快調だ。
しかし、そんな勢いも、続いたのはほんの数分だけ。
太陽の勢いにあっさり白旗。
直射日光は、やはりきつい。
行き先は、山方面なので、坂道を登らないといけない。
ある程度、体力を温存しないとと思ったが、これでは
温存どころではない。
無理して坂道を漕ぐことは、この時点であきらめた。
押しながら歩く。
坂そのものは、車ならローギアで登る位の結構な急坂
なので、押して歩くだけでも汗ダクダク。
その途中に、学校の校庭を見下ろすところがあり、こ
んな暑い中「ソフトボール大会」らしきものを行って
いた。
何もこの暑いさなかソフトボールでもあるまいに、と
思ったが暫く見物する。
簡単なフライをバンザイとか、正しい球技風景を見る
ことができ、「楽しそうだけど熱中症になるよ」と心
の中で呟き更に上に向かう。

舗装道路が途切れ、いよいよ本格的な山道に入る。
殆ど人が通らない山道を、ロードバイクを押して上が
る。
こんな光景は、どう見ても奇異だ。
押している本人がそう思うくらいだから。
なにしろ押してるのは「マウンテンバイク」ではなく
「ロードバイク」だ。
しかし、日差しは木々に遮られ大分和らぐ。
なのだが、ここで完全にガス欠状態。
暫し休憩。
遥か昔、この山道は良く歩いたものだが、今は本当に
こういう近場の山道を歩く人がいなくなった。
田舎の人間の唯一のストロングポイントは、身体だろ
うに(敢えて極端に)。
今は、ほんの数百メートル先のコンビニでも車の時代
だ。
困ったものである。
汝の足元を見よ、だ。

最初の頂に出た。
高圧線の鉄塔が並ぶところなので、見晴らしが良い。
この周辺だけは、電力会社の関係者、つまり中部電力
で草刈などをしていて広々していて、ちょっとした広
場のようになっている。
それにしても、蝶の姿もあまり見えない。
草原なので、ヒョウモンやセセリがもっといてもおか
しくないのだが、「ツマグロヒョウモン」一頭が石の
上で休んでいるだけ。
蝶にとっても暑すぎだろうか。
その分蝉がやたらと飛んでいたが、暑さで自家空冷状
態にでもしていたのか。
以前、東京の熱帯夜で、ゴキブリが狂ったように飛び
まわっていた、あの夜を思い出した。
一瞬、「クワガタ」と間違え、こんなところにも一杯
いるんだと思った、今となっては懐かしい思い出。
自分の中では「ゴキブリの夜」として、深く記憶に刻
まれている。

さて、問題はここからだ。
道なりに行くと、この道は下になり(かなり急な滑り
やすい道)、上ったところより大分先の地点に下りる。
これでは、自転車を押して上がり、押して下りるとい
う、それこそ何のために自転車ということになってし
まう。
考えていたのは、もっと上の地点で自動車道路と合流
するはずだから、帰りはそこを自転車で下る、という
ものだった。
だから、鉄塔があるのはまだ山の中間地点だから更に
上に行かないとならないのだ。
ところが、その上に向かう道が見当たらない。
あることはあるはずなのだがと思い、あるとしたらこ
の先の、ということで林の中に突入する。

殆ど藪状態の林に、自転車は邪魔この上ない。
車輪に、枝が絡むこと絡むこと。
ここで、自転車などを持ってきたことを後悔する。
それでも奥に進むと、道らしきものを発見できた。
人が通らないと、獣道なのか、豪雨の時にたまたま出
来た川筋なのか良く分からない。
しかし、飴の包みなどが落ちているのを見ると、道で
あることは間違いない。
少なくとも、人は通った。
いつもなら、こんなところに捨てやがってと思うとこ
ろだが、今回に限っては良くぞ目印を置いていってく
れた、となる。
ここから、再び一応山道を上る。

途中、何かの動物の糞を踏み潰した。
「クロヒカゲ」が止まっていたのはそのためだったの
に、気が付かなかった。
それに、むっとした臭気も感じたのに。
気付いた時は、すでに遅し。
オーマイガー。
倒木が、道を塞いでいたり、どこまで続くのかこの一
本道は。
蝉の鳴き声と、自分の呼吸だけが聞こえる林の中、一
体何が楽しくてこんなことをやっているのか。
じっと手を見る。
「cofusion will be my epitaph」とキングクリム
ゾンの「Epitaph」でも歌ったら、この状況に同調でき
るのではないか、などとつまらないことを考えた。


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真夏の夜の花火

2007年08月16日 | Weblog


年々人が多くなる「諏訪湖の花火大会」。
15日の夜諏訪地方に来る人は、よほど覚悟しないと、
うんざりすること間違いない。
昼前から、甲州街道は渋滞が始まり、それが夜まで続
き、花火終了の9:00からは、渋滞を通り越して、
全車路上駐車状態となる。
普段十分で行くところを、四五時間。
よくこれだけ来るものだと感心する。
それだけ魅力的?
人口五万ほどのところに、その十倍の見物客が押し寄
せるのだから、推して知るべし、だ。

その花火が上がる諏訪湖から直線距離で1.2キロほどの
家からも、花火の上の部分は見られるのだが、そんな
ことより、見る気がなくても音で脅かされ、その存在
を否応なく身体にぶち込まれる。
どうも、数ある他の花火大会との明らかな違いは、そ
の音のようだ。
諏訪湖があり周りを山で囲まれている地形、つまり盆
地なのだが、それがちょうど自然の共鳴装置のように
働いて、良く反響するのだ。
下手に湖畔辺りで見ると、まずその音でびっくりして、
次に爆風でびっくり、という状態になる。
和太鼓は身体で感じるものだが、花火もそうだったの
かと、新たな認識を得ることだろう。
この体感花火は、ひょっとしたら諏訪湖の花火が一番
なのかもしれない。
そういうものが好きな20代が特に増えつつあるとい
うことは、そんな理由があるからではないだろうか。
個人的には、うるさ過ぎて間近で見るのは好きではな
いが、遠くから眺める分には問題ない。
それなりにきれいだと思う。

団扇片手に窓辺により、遠くの花火を眺める。
いつか見た風景であるような気がするが、実際浴衣を
着てそうやった人が多くいるとは思えない。
原型は、京都の大文字焼きの風景なのではないか。
「日本の情緒」を感じさせる夏の風景。
多くの「日本的」と言われる原型は、京都の風景であ
ることが多い。
つまり、テレビで映像として「夏の風景」として繰り
返し流すので、いつしかそれがイメージとして定着し
て、本人も気付かないうちに、行ったこともないのに、
それこそが「日本」だと思ってしまっている。
そういうことは、結構多いのではないだろうか。

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ゴダールの映画史

2007年08月14日 | 映画


こんな暑い時にとも思ったが、「映画少年Y」から借
りてずっとほったらかしだった、「ゴダールの映画史」
をとうとう見ることにした。
全編十二時間ほどの映画で、その一部分だという話だっ
たのだがこれがそのどの部分だとは聞いていなかった。
しかし、見初めてその辺のことは直ぐ分かった。
右上に、時間が表示されているのだ、しかも0.1秒単
位で。
カウンターは10:00:00から始まったから、最後
の2時間あまりがこのテープに収められているという
ことのようだ。
それより問題は、字幕がないということ。
フランス語の、独白のようなナレーションがずっと続
いていく。
当然のこと、何を言ってるのか分からない。
映像は、実際の映画の断片をモンタージュしたものが、
これまた次から次と延々と続く。
そこに、フランス語の文字が重ねられる。
このようなコラージュ的な手法は、最近のゴダールの
特徴でもあるが、正直なところ、嫌いではない。
むしろ好きだ。
映画と言っても、全く会話はなく、物語も一切なく、
これは正しく「ゴダールの映画史」だと言うしかない
のだが、一般的には「なんだこりゃ」と一蹴される代
表的映画であることは間違いない。

嫌いではないが、それにしてもフランス語の洪水はな
かなか受け止められない。
そんな中でも、たまに理解できるフレーズがあると、
ちょっと嬉しくなったりするし、むしろ、映像と文字、
そして言葉の重層的世界に身をゆだねるのがこの映画
の楽しみ方かな、と思ったりもする。
そのお陰で、二三度睡魔に襲われた。

先に、過去の映画の断片を、と言ったが、なかなかそ
れが何かは分からない、
だから、分かった時は、これまた嬉しいのだが、写真
では「小津安二郎」「バスターキートン」ははっきり
認識できたが、それ以外の多くの監督らしき人物はよ
く分からなかった。
「チャップリン」ではなく「キートン」というのが、に
くいところだ
フィルムも、数多く引用されている。
なにぶんにも古い映画が多く、これも分からないのが
多い。
流石に「ヒチコック」は分かったが、それより嬉しかっ
たのは「狩人の夜」をみつけた時。
ロバート.ミッチャムの変質者ぶりが秀逸で、それに
も拘らず映画は幻想的なメルヘンの域に達していると
いう、実に個性的な作品で、個人的な映画史でも間違
いなくベストテンに入れたいと思っている映画だ。
「La nuit du chasseur」とタイトルが出たが、フラ
ンス語でもそのまんまや、と何故か嬉しくなってしま
った。
「狩人の夜」、決してあずさに乗って夜移動ではない。



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