今年の土用の丑の日は明後日ということだが、過去、土用の丑の日だからという理由でその日に食べたことは記憶にある限り無い。ひょっとして子供の頃、年に一回食べていたのが夏であった好きではないということはあるあれがそうなのかもしれない。いずれにしろ、その後は食べたい時に食べていたのだが、それも一時期、今は平均すると年に一回も食べていない。取り敢えずこの五年で食べたのは二回だ。別に嫌いになったわけではないが(前ほどは好きではないということはある)、兎に角高い、これが遠ざかった主な理由だ。
そんな中昨日久しぶりに食した。それもスーパーの安い鰻。日本産という表示につられてというか魔が差したというか、何となく買ってしまったのだ。まあ嘗てのスーパーの鰻と言えば、殆どが臭くて食えたものではなかったが、今回のものは普通に食べられた。小ぶりの鰻なのであまり脂は乗ってないが、タレも地元の鰻屋のような馬鹿甘でなく、決して美味いというレベルではないが十分値段(800円)に見合った味だった。しかし、変に食べたことによって、まともな鰻(江戸前鰻)が食べたくなってきてしまったのが想定外。
これだけ長時間、毎回どこのテレビでもオリンピックオリンピックとやれば、知らず知らずの内にオリンピックというものがとんでもなく凄くて価値のあるものと思ってしまうのだろう、といつも思う。思い入れのエネルギーが強ければ強いほど価値が高まる。本当は興味のない人にとっては大した価値もないのだが、乗せられた国民が熱狂して興奮し適度にガス抜きされるのは政府にとってはかなり重要。取り敢えず日本凄いという幻想に覆われれば政府は万々歳、という構図が出来上がっているのだが、高校野球もそうだがそこに純粋幻想というものも加わって更に質の悪いものとなる。今回、五輪貴族の存在もあからさまになったが、この先もオリンピックは今の形(金まみれ)で続いていくのだろうか。個人的にはなくなっても全然かまわない。