ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

自然の法則

2013年04月30日 | 生き物 自然

 

ビオトープに移住させるヤゴを獲りに行く近くの溜め池は、去年完全に干上がって今年はどうなってるかと心配だった。それで観察に行くと、案の定ヤゴの姿は見えない。いるのはマメゲンゴロウ、マツモムシ後はイモリにヤマアカガエルといったいつものメンバーだ。普段だとタカネトンボやエゾトンボのヤゴが一杯いてぽつんぽつんとヤンマ系のヤゴが見つかるのだが、兎に角見えない。そして一杯いたはずのオオタニシの姿もない。それらは全滅か、と更に観察を続けると、ようやくタカネトンボらしきヤゴが一頭、オオタニシが一頭みつかった。あんな苛酷な環境でも生き残ったものがいたのだ。こうやって生き残る強い個体がいて種は続いていくのか、と自然界の法則に思いを馳せた。

確かに自然界では干上がるなどという現象は珍しくない。この辺りは自然の底力を見る思いなのだが、反面農薬などにはいちころ。自然な変化には強いが、人工的な変化には弱いわけだ。いずれにしろ、去年救出をかねて移住させたタカネトンボorエゾトンボ8頭、そしてヤンマ系のヤゴ2頭は、今のところ我がビオトープでは元気である。

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アウトロー

2013年04月29日 | 映画

 

トム.クルーズの「アウトロー」を見る。今や娯楽映画の帝王と言う観のあるトム.クルーズであるが(今勝手に名付けた)、今回の映画でも超人的な活躍をする。役どころは必殺仕置き人といったところだ。トム.クルーズ自体好きでもないし嫌いでもないので、娯楽映画として純粋に楽しめればいいと思っていつも見ている。今回の映画もそこそこ面白くは出来ている。ただ、陰謀が解明されてからの後半は大分緩くなる。疾走感が最後まで持続する同じくトム.クルーズの「ナイト アンド デイ」よりはかなり劣る。敵のアジトに乗り込んでいくところなどセガールか?と突っ込みたくなった。唯一加勢する役の射撃場の主人、ロバート.デュバルも、あまりにあっさりな演出だし、超人的なはずの主人公も隙がありすぎるし、全体としてはB級アクション映画の基本をあまりに踏襲しすぎている。徹底して超人でいいのに、と思った。

最近この映画のタイトル「アウトロー」を聞いて、何故今頃イーストウッドの昔の映画が脚光を浴びてるのか、と思ったのだが、イーストウッドの「アウトロー」は西部劇で、謂わば「許されざる者」の原型とも言える作品。個人的には「許されざる者」より好きな映画だ。

 

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ビデオコレクター

2013年04月28日 | Weblog

 

親戚に、膨大な数の映画ビデオを持っている従兄弟がいる。久しぶりに東京で会ったので、コレクションのことを聞いてみると、相変わらず一部屋を占領しているということだった。今後どうするかは決まってない。やろうかと言われたが、その殆どがビデオテープなのであまりに嵩張るし、コレクションの中心は、昔の西部劇とか志向がちょっと違うのでそれはお断りした。DVDであれば考えたのだが。

いずれにしろまとまった量なので(千の単位)、本人も言っていたが、好きな人が一手に引き受けるのが望ましいのだろう。唯、もうビデオテープの時代ではないし、テープ自体がいつまで持つかというのもあるし、最終的には処分される運命にあるのかもしれない。家族で引き継ぐ人もいないだろうし。個人的に考えても、最近ビデオテープをかけた記憶がない。第一デッキがテレビに接続さえされてない状況だ。他人事ではなく、自分の持っているビデオテープさえ同じ運命を辿ると思われる。まあその数は三四十本程度だから、従兄弟に比べたらそれに対する思い入れは雲泥の差がある。膨大なコレクションにかけたエネルギー(時間)に比例して思い入れは強いのだと思う。

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目黒川

2013年04月27日 | Weblog

 

急用があり車で東京へ。初めて行く所なので、ストリートビューでシミュレーション(当然のことながらカーナビは持ってない)。ちょくちょく出かけてた頃は、通りの名前で大体の位置関係は頭に入っていたが、今はもうすっかり忘れてしまっている。だから映像つきのストリートビューは有難い。白金あたりを走るのも初めてだったが、三時間ちょいですんなり目的地に到着した。隣は有名な雅叙園だった。目黒川を見るのもひょっとして初めてかもしれない。庭園美術館には何回か来た事はあるが、こっち側は来たことがないと思っていたが、思い出した。一度、何故だか目黒通りを自転車で走って、自由が丘だったか、知り合いが働いていた店に行ったことがあったのだ。ということは、目黒通りを走るのは二度目ということになり、目黒川も通過はしていた筈だ。昔の記憶は曖昧になる一方だ。その知り合いも今どうしているか全く分からないし。当時すでに癌経験者だったので、ひょっとするともう亡くなってる可能性もある。目黒川の濁った水を見たら、そんなことを思い出した。

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CL準決勝

2013年04月25日 | サッカー

 

CLの準決勝、バイエルン対バルセロナは4-0でバイエルン、ドルトムント対レアルは4-1でドルトムントの勝利と、どちらもドイツ勢が圧倒した。スペイン勢としてはちょっと信じられないスコアーではないだろうか。尤も、バイエルンは相当有利だが、ドルトムントは次戦レアルのホームで3-0で負けたら敗退なので気は全く緩められない。それにしても、スペインのこの2チームは図抜けていると思ったが、ドイツ勢にここまでやられるとは。マンチェスターUなど、レアルには明らかに劣っていたのだが。香川も、抜けたチームがここまでやるとなると複雑な思いであろう。一人一人見ると、マンチェスターUの方がドルトムントより上だと思うが、チームの実力となるとそうはならない。結局戦術の差ということになるのだろう。もしこのままドルトムントが勝ち上がると、ドルトムントのフォワード、レヴァンドフスキーも、噂のレアル移籍を躊躇してしまうかもしれない、と思ったが、年俸のことの方が選手にとっては大事だから関係ないかもしれない。まあ、どっちでもいいことであるが。

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amazonレビューアー

2013年04月23日 | Weblog

 

amazonには、商品にレビューアーの感想コメントが載っている(ないものもあるが)。買うときには参考にするので一応役には立っている。そしてそのレビューには、それぞれレビューアー以外からの評価に値するかどうかのポイントが表示される。役に立ったか(参考になったか)どうかというポイントだ。何人中何人が評価していると表示されるのだが、見てると多くの支持が得られるものもあれば、逆にわざわざ評価しないという意思表示されるものもある。一番多いのはどちらもつかないもの。評価されるものは、まず文章がちゃんとしてるもの、逆はひどい文章のもの。そして内容は、思い込みの強いものは当然逆評価で、良いものはより客観的で論理的なものであるようだ。

と、前置きが長くなったが、実は試しにこのレビューを投稿してみたのだ。プチ長靴マニアとしては長靴に対するコメントの一つくらいはやってみてもいいのではないかと思ったのだ。実際やってみて、いくつか新たな事実を知った。これは当然だが、自分自身では自分のレビューに対する評価はできないようになっている。知り合いに頼んで押してもらうというのは可能だが、そこまでする人間がいるだろうかの疑問があるが、中にはいるかもしれない。なぜかと言うと、これも今回知ったことだが、評価ポンイトの数で、レビューアーの中の順位が付くのである。こうなると一種の競争原理が働き、数字に応じてやる気が増すのである。これははもう性のようなものなのだ。資本主義の磁場では不可避な行動だ。思い出すのは「数に溺れて」というグリーナウェイの映画のタイトルだ。こうして、ベストレビューアーなどと自尊心をくすぐるような言葉も用意され(amazonによって)、レビューアーはせっせと投稿に励むわけだ。上位のレビューアーのものを見たが、驚くのはその凄い投稿数。しかもそれぞれ文章が長い。買ってるわけだから、当然購買数も凄いし、そのレビューにかける労力も凄い。しかしここまでくると、そこまでやるかと思わずにはいられない。

で、プチマニアのレビューはどうなったかというと、世の中奇特な人がいてちゃんと役に立ったポイントをつけてくれている。こうなると、ポイントが気になり始めるわけだが、レビューマニアにはなりたくないのでこれ以上は投稿しないと決めている。

 

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田舎の法則

2013年04月22日 | 食べ物

 

冬用の毛布はとうに仕舞い込んでいたので、湯たんぽを使った。まさかこの時期に湯タンポンのお世話になるなんて。寒さのぶり返しにも程がある。

嘗てよく利用していたナポリピザの店が閉店してしまった。このところすっかりご無沙汰で、何とも言いようがないが、この事態は予想されたことでもある。この地方では唯一の本格ナポリピザを出す店だったのだが、その本格的であるという部分(粉の美味さ、水牛モッツアレラの美味さ)を理解されたかというと決してそうではなかった。要するに、食べる側のレベルが追いついていないというのが実情だったのだ。ピザはパリパリした生地の方が美味いと思ってる人も多いし、それ以外はチェーン店のパン生地のようなものしか知らない人相手には、本格派の良さは却って理解され難い。生地の美味さを味わうにはシンプルにマルゲリータ或いはマリナーラなのだが、結局多くの人にとってはミックスチーズのマヨネーズがかかった具沢山のピザの方が美味しいということになる。田舎では本格派ほど苦戦するという法則は未だ健在である。

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コラージュ箱

2013年04月21日 | Weblog

 

今日はいきなり冬に逆戻りのような雪。今年は例年より寒暖差が激しいように感じる。

旅行鞄などにシールをべたべた貼るというのが、極極一部では好まれている。一部なので流行というわけではないと思うが、そんな鞄などに貼るためのシールを偶々入手した。いろんなシールがA4サイズ一枚のシートに揃っているものだ。これを使ってベタネタ貼ればコラージュ完成である、が、鞄などに貼ってあるのを見ると、どちらかというと汚いという印象の方が強い。他人のものと間違われる心配はないが、もう少し美的に何とかならないかと思う。

しかし考えてみると、鞄に貼る予定もないし(肝心の鞄がない)、さし当たって使いどころが見つからない。何となく面白そうという理由だけで入手したから、こんな事態も予想されたわけだが、それでも何かないかと見回すと、丁度いいものが見つかった。箱だ。以前コラージュ箱は何点か作ったが、あれは紙の箱。今回は木の箱だ。色だけ塗ってテープを貼り、中途半端なコラージュの状態で置いていたものだ。何故中途半端な状態だったかというと、当時は貼るものがテープ(梱包用の)しかなく、このまま貼り続けると汚くなるだけと思ったからだ。そして、今回再び日の目を見ることとなった。結果は写真の通り(難しいのは止め時)。それにしても、こんなグーグルやらヤフーのシール、ほしがる人はいるんだろうか。

 

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パリで逢いましょう 20区

2013年04月20日 | Weblog

 

久しぶりに「パリで逢いましょう」の話題。舞台は20区のAux Petits Oignonsというカフェ。早速グーグルストリートビュー(今この単語が出て来ず検索してやっと思い出した)で現場の映像を見てみた。マップにもその名前で表示があり、赤い外観のその店は直ぐに見つかった。ところが、外観は同じなのだが店の名前がちょっと違う。Au Petit Cafeとあるのだ(AuやAuxで始まる店名は多い)。ということは、店主が5年前に始めたと言っていたので、この映像はそれ以前に撮影されたものか。それで撮影日時を確認すると、2008年5月とあった。どうやら買い取る直前の前の店の映像のようだ。外見を見る限り店名を変えただけの様に見えるし、中は古い感じのカフェそのままだったから居抜きで買ったのだろう。改装費はあまりかかっていないと見た。いずれにしろ、買い取り価格がいかほどか興味のあるところである。あと、古いシトロエンの2CVが出てきて、この車は故障しにくいとオーナーが言っていたが(構造が単純なので修理しやすいという意味なら納得)、本当か?むしろよく故障するイメージなのだが。

 

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廃屋

2013年04月19日 | Weblog

 

桜見物の帰り道、街中のとある場所に廃屋を発見した。廃屋そのものは別に珍しいことではないが、この廃屋、兎に角年季が入っていて、相当放置されていると思われる。自然と一体化し始めていたのだ。よく、山にある別荘や山荘はこんなことになりがちで、やがては自然に帰るのだろうとものの哀れを感じたりするが、街中でここまで放置されるのは珍しいのではないだろうか。まるで「大木に飲み込まれる家」である。思わず地力(ちぢから)というものを感じてしまった。

 

 

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桜見物

2013年04月18日 | Weblog

 

花見の話などしたら、ちょっと見てみようかという気が起こり、松本では桜の名所として有名な弘法山古墳に行ってきた。ここはほぼ一年前に行った所で、その時は花見ではなく春の蝶が目的だった(3月29日記事)。今回は一応桜がメインだが、満開ではないことは道中の桜の開花状況で分かっていた。現地に着くとこんな感じで、見たところ七分散りといったところだった。このように古墳が桜で包まれているので、満開であればそれなりであることは容易に想像はつく。

入り口は神社(公式には違う)、いい具合に花びらが敷き詰められている。

桜の花道、いい感じである。

頂上に上るとこんな風景に。

満開のときは人出も凄かったことだろう。そういう時は絶対に行きたくないので、このくらい花びらが散ってるときの方がいいのだ。

満開過ぎの桜ばかりではあれなので、ほぼ満開の桜も。これは帰りに寄った諏訪の高島城。一分散りといったところか。びっくりしたのは、大型観光バスがわざわざ来ていること。京都やなにわナンバーとえらく遠方からだ。はっきり言って、それほどのものではないと思うのだが。

 

 

 

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花見について

2013年04月17日 | Weblog

 

このところの暖かさで桜も一気に開花、のようで、あちこちで花見会などが催されている。良く見る(車から)土手の桜が、日露戦争を記念して植えられたものというのは昨日のニュースで知ったばかり。桜の場合、何かの記念で植えるというのが多いようだ。考えてみると、正しいお花見というのをやった記憶がない。何十年も前に、小金井公園の夜桜が唯一の正しいお花見になりかけたが、それも寒くて(花冷えというやつ)結局室内で普通の宴会となった。それ以後は、高遠公園の夜桜というのもあったが、これは面倒くさくなって結局不参加。要するに、あまり好きではないということ。何故かと言うと、桜に下には死体が埋まっているから、というのは勿論冗談だが、その如月の望月の頃というフレーズは好きだ。好きではない理由と全く関係ない話だが。

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スーパーでの出来事

2013年04月16日 | Weblog

 

昨日、あるスーパに合い挽き肉(牛70豚30)を買いに行った。本当は牛100パーセントがほしいのだが、最近地元のスーパーにはその手が置いてないのだ。行ったスーパーは、唯一割合の表示があり、しかも肉の質が安定しているので、挽肉を買いたい場合行くのである。予定通り買って袋に詰めようとした時事件は起きた。挽肉のパックに貼ってあったシールが一部めくれて、重ねた上の椎茸のパックの底にくっついて、椎茸を袋に詰めようとした時一緒に持ち上がりひっくり返ってしまったのだ。蓋の部分だけ持ち上げられたので、当然のこと開いて、中身がそっくり買い物籠にばら撒かれたのだ。挽肉がばら撒かれた籠は、視覚的にはちょっと異様。一瞬、中身をパックに戻そうかと思ったが、どう考えても素手でやるには躊躇われるし、戻したものを使う気になれる類のものでもない。よく考えれば、こちらの過失ではなさそうだ。そこでレジ係りに言うと、「すみません直ぐに換えます」と言って、散乱している挽肉を片付けようとしたが、本人も素手は躊躇われたようで掃除よりは新たな商品を持ってくることが優先だと思ったらしく肉コーナーに行った。そして、全く同じ重量のものを持ってきた。これはちょっと不思議、だが、こちらとしては新しいものを貰ったので何の問題もなくそのまま普段通りに帰った。結論、挽肉をばら撒くと後始末は大変である。

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食べログについて 補足

2013年04月15日 | Weblog

 

書き忘れたことがあったので昨日の続き。

食べログが当てにならないと認識している人は結構いる、と書いたが、実際の多数派は圧倒的に信じている方だろう。だから、情報の確度は低くてもその影響力はかなりのものなのだ。それはそのまま、余計にたちが悪いとも言える。こういう情報に影響される人は、自分の基準がないというのが特徴。だから、食べログの悪評はそのまま自分の基準になってしまうからその店に行くことは絶対ない。逆に高評価であれば行きたい欲求は高まる。結果、店にとっては無視できない大きな影響力となる。

もし、自分の基準があれば、他人との違いを日日認識できるはずで、食べログなどの情報も相対化できるはずなのだ。但し、思い込みが強すぎると、自分の基準が絶対的になり過ぎ相対化できないと言うことはある。最終的には好みの問題となってしまうのが食べ物の難しいところだが、それでも、それぞれの食文化に培われた美味いの基準はあるもので、それが、例えばイギリスは不味いなどの基準につながっていく。日本には洗練された素材の味を生かすという食文化があり、ある共通の基準を作っていると思うのだが、その基準が、今やとんこつラーメンに代表されるB級的基準に取って代わりそうなことに危機感を覚える(食べログとは関係ないが)。

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食べログについて

2013年04月14日 | 食べ物

 

ある料理店の主人が自身のブログに書いていた、一番信用できない情報が食べログのものというのは、結構多くの人が認識していることでもある。四五人いいことを書くと必ず全く駄目と書く人間が現れ、平均すると似たようなところに落ち着くのだが、これは、多数の意見を平均すれべ大体どんなものでもそうなるという一つの例に過ぎない。専門家(この言葉もちょっと怪しいが)の平均ではなく一般人の平均というのがみそだ。食べログに関しては、それこそ小学生、中学生、高校生、大学生が、同じ事柄を論じてるようなもので、信頼できる基準など出来るはずもないのだ。それにコメントしたがる人種に偏りと言うのもある。結局多数派が支持するものが良いものという前提で成り立ってるわけだが、そうなると、それこそコンビニの食べ物が一番美味しいとなりかねない。

そしてもう一つ、味ではなく店の人間の態度についても矢鱈とうるさいというのがある(評価が低くなるポイントでもある)。本人曰く、料理は味だけではなく店の人間、サービス含め雰囲気も重要なポイントである。うるさい人間ほど、理は我にありと確信している。確かに、客の立場はサービスされる側だ。しかしここは人間、店側からすると客側にもこれはちょっと、と思う人間がいる。プロであれば、どんな客にも同じように接すべきという理屈は理屈、実際はそうはいかない。つい態度に出てしまうことはよくあることなのだ。そしてここがポイントなのだが、食べログにコメントするような人間は、かなりの確率で店側からすると感じが悪いと思われるタイプの人間なのである。たまにそれらしき客を目撃することがあるが、共通するのは、「どれどれどんな店なのかな」というちょっと偉そうな態度だ。そして、兎に角いろいろ聞きたがる。本人とすれば、これも店の貴重な情報集め、という、殆ど使命感に近いものなのだろう。写真は言わずもがな。そして、まず間違いなくお勧めは?と聞く。傍から見ても結構不愉快である。店側からすれば、相当うんざりなのではないか。

口コミ情報が一番確か(影響力と言う点では確か)、というのは正しい原理の如く思われているが、電化製品のように、機能的、便利、丈夫という客観的基準があるものであれば成り立つが、こと食べ物に関しては成立しない。唯一、誰が言ったかという時だけ、その言った人間に応じて情報の確かさが決まる。

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