ある料理店の主人が自身のブログに書いていた、一番信用できない情報が食べログのものというのは、結構多くの人が認識していることでもある。四五人いいことを書くと必ず全く駄目と書く人間が現れ、平均すると似たようなところに落ち着くのだが、これは、多数の意見を平均すれべ大体どんなものでもそうなるという一つの例に過ぎない。専門家(この言葉もちょっと怪しいが)の平均ではなく一般人の平均というのがみそだ。食べログに関しては、それこそ小学生、中学生、高校生、大学生が、同じ事柄を論じてるようなもので、信頼できる基準など出来るはずもないのだ。それにコメントしたがる人種に偏りと言うのもある。結局多数派が支持するものが良いものという前提で成り立ってるわけだが、そうなると、それこそコンビニの食べ物が一番美味しいとなりかねない。
そしてもう一つ、味ではなく店の人間の態度についても矢鱈とうるさいというのがある(評価が低くなるポイントでもある)。本人曰く、料理は味だけではなく店の人間、サービス含め雰囲気も重要なポイントである。うるさい人間ほど、理は我にありと確信している。確かに、客の立場はサービスされる側だ。しかしここは人間、店側からすると客側にもこれはちょっと、と思う人間がいる。プロであれば、どんな客にも同じように接すべきという理屈は理屈、実際はそうはいかない。つい態度に出てしまうことはよくあることなのだ。そしてここがポイントなのだが、食べログにコメントするような人間は、かなりの確率で店側からすると感じが悪いと思われるタイプの人間なのである。たまにそれらしき客を目撃することがあるが、共通するのは、「どれどれどんな店なのかな」というちょっと偉そうな態度だ。そして、兎に角いろいろ聞きたがる。本人とすれば、これも店の貴重な情報集め、という、殆ど使命感に近いものなのだろう。写真は言わずもがな。そして、まず間違いなくお勧めは?と聞く。傍から見ても結構不愉快である。店側からすれば、相当うんざりなのではないか。
口コミ情報が一番確か(影響力と言う点では確か)、というのは正しい原理の如く思われているが、電化製品のように、機能的、便利、丈夫という客観的基準があるものであれば成り立つが、こと食べ物に関しては成立しない。唯一、誰が言ったかという時だけ、その言った人間に応じて情報の確かさが決まる。