この十年で日本のワイナリーは一気に増えたのではないだろうか。殆どが小さなワイナリーで、ワインづくりをしたいという思いを持った作り手が多いということだが、個人的には日本のワインに対しては良いイメージがなかった。過去いろいろ飲んだが、美味しいと思ったことがなかったからだ。そんな中、その日本のワインのなかでもかなり人気の城戸ワインを飲む機会があった。知り合いから貰ったのだが、その人気故普通に買えないということは知っていたので有難くいただく。
で興味津々に飲んでみたのだが、飲んだものは白のブレンドでどうかなと思っていたところ、始めの懐疑的な気持ちは一瞬にしてなくなった。結構美味いのだ。値段も2000円程でこの価格帯でこの味だったらかなり良い部類ではないかと思った。一番はバランスの良さ。ピノグリ中心らしいが、日本のワインもレベルが上がっていることを再認識した。まずは偏見をなくさないと。
山のてっぺんにあるこの広場、過去一度来たことがあり、その時偶然キバネツノトンボが多く発生している場所であることを発見。それから数年再び訪れると、やはりそこはキバネツノトンボ天国であった。二三十匹かもっと多くのキバネツノトンボが飛んでいた。トンボと名が付いているがウスバカゲロウの仲間で、数は多くない。実際ここ以外では見たことがなかった。気がかりは写真に写っている木、桜。環境的には日当たりのよい草原がベストなのだが、直ぐにこういう一般受けの良い桜を植えて人を呼ぼうとする(ここは市が管理)。自然の貴重な生態系を保とうという発想はないから、唯の草原としか映っていないのだろう。確かに、貴重なキバネツノトンボの生息地と言っても人は来ないとは思うが。
最近は近所でも本当にボケ老人の話をよく聞く。それだけ高齢の老人が増えて来たということだが、それはその老人の数だけ対応に苦労している家族がいるということも意味している。隣の家の母親はデイサービスを嫌がって息子がいつもなだめすかして何とか誤魔化している。これも認知症の典型的症状だが、突然、もう何十年も前に閉店している店のお菓子を買いに行くとか言い出したりとか、今のところ徘徊はないが色々大変そう。しかし、そういう話を隠さず他人に話すのは世話している人間にとっては結構大事。ため込むのは良くない。そしてそういうボケ話は話題としても良く盛り上がる。話してちょっと楽になる、というのは実際にあることで、悲惨な話しも笑い話にならないこともない(真っただ中だとそうもいかないが)。自分の母親(最後の五年がボケ期間)を見てて思ったが、ポイントは如何に慣れるかということではないだろうか。
この前カレー屋でミールスを食べて(その店はミールスしかメニューにない。因みにミールスと言うのは、カレー数種と野菜の和え物揚げ物などをプレートの中心のライスを取り囲むように置いたワンプレート料理。)以来、カレーが続いている。家庭のカレーでも、大体多く作るのでカレーが続くというのは良くある話で、ルーを使ったカレーは味が熟れてきて他の料理に比べると味の劣化もなくそれなりに美味しく食べ続けられるものである。今回続いているのは豆のカレー。レンズマメが余っていて処理しなくてはと思い作ったのだ。
そのカレーはルーではなくではなくスパイスを使って。これだけで何んか本格的な匂いがする。そのスパイスも以前買ったものがたっぷりあり使わないととずっと思っていたものだ。香のものだから本当は新鮮なものがベストだ。現地系のカレーは基本の作り方は一緒で(多分)、あまり繊細な過程はない。大胆に作った方が良いのではないだろうか。たっぷりの油でクミンシードを炒めショウガニンニク玉ねぎを炒め、コリアンダー、ターメリック、チリ、ガラムマサラ、カルダモン(この辺り手元にある物を適当に投入)を入れ、トマトジュース水を足したらレンズマメを入れ柔らかくなるまで煮て塩で味を決める。出来上がったものはもう店の味だ。少なくとも、ナン食べ放題を売りにしている現地系のカレー屋よりは美味い。
この前新聞か何かに出ていたのが古民家暮らしの問題点。古民家を買って移住と言うのは最近よく聞くことではあるが、気を付けないことがいくつかあるという話だ。間違いなくあるのが隙間だらけで寒いということ。作りが立派でもこれはまず避けられない。基本的に天井は高いし、断熱材は一切ないし、そのくせ暖房は掘り炬燵位という冬に快適にと言う考えがないのが古民家である。これを解消するには、部屋を、密閉性を高め断熱材も使って暖房設備を備えたものにしないといけない。相当費用もかかるだろうし、しかも改装すると古民家の良さを損なう可能性がある。お金が潤沢にあるなら床暖房にしてとか古民家の良さを生かしながらいろいろできるが、そんな人はそうはいないであろう。基本古民家暮らしにはある程度の我慢が必要ということである。
あと隙間が多いということはそこからいろんな虫が入り込むということも意味している。つまり虫嫌いは古民家暮らしにはむいていないということである。これは結構重要なポイント。