ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ミュージカル

2007年02月27日 | 映画


映画のジャンルで、一番興味の無いのが「ミュージカ
ル映画」。
昔から、面白いと思ったことがない。
基本的に「ショー」と言われるものが好きではないの
で、同じ匂いのする「ミュージカル」も好きではない
のだろう。
それでも、今まで数多くの「ミュージカル映画」は見
てきてはいるのだ(本当は数えられるほど)。
有名どころの「マイ.フェアレディー」とかジェット
団の、えーと何だったか(ここで確認)。
そう、「ウェスト.サイド物語」とか「サウンド.オブ.
ミュージック」とか。
もっと古いところでは「雨に唄えば」とか。
もっともこれは、断片的にしか見ていない。
そんな数も多くないミュージカル体験からの結論とし
て、「一体何が面白いんだろう」が導き出されたのだ。
映画以外の、所謂ブロードウェイなどの本格的ミュー
ジカルなどは、もう言わずもがなだ。

しかし、そんな非ミュージカル体質な私だが、それで
も例外というものが存在していた。
唯一ちょっと面白いと思ったミュージカル映画があっ
たのだ。
こういう言い方をすると、例えば、チーズ嫌いが「私
でも食べられるくらいに美味しかった」とまるで美味
しさの証明をしてるつもりで言ったりするが、この場
合実際は全くその証明にはなってなく、「味の判らな
い私が食べられたくらいの個性の無い味だ」の証明に
しかなっていない、ということと同じで、これから挙
げる映画も、ミュージカル映画として良くできている
という意味ではなく、個人的には結構興味深く面白か
ったという程度の意味である。

それは「オズの魔法使い」。
まず極彩色の古っぽいカラー。
そしてそこに登場するフリークスの楽園。
毒を感じるのは私だけか?。
そして、いろんな解釈が可能な寓話性。
品行方正な映画ではないと感じたのだが。
それと、内容には関係ないが「Yellow brick road」は
エルトンジョンのあの歌と関係あるのか、とか、これが
一番気になるのだが、悪い魔女の城の衛兵達が発する掛
け声「オーイーオ」というのが、「プリンス」の「サイン.
オブ.ザタイムズ」の中に同じフレーズであるのだ。
何かいわれのある「オーイーオ」なのかずっと気になっ
ている。
と、そんなこんなで、衛星でやっていたミュージカル特
集の「オズの魔法使い」をまたまた見てしまったのだ。
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松本散歩-締め

2007年02月26日 | Weblog
松本散歩とか言いながら、松本の描写が無いのは今に
始まったことではない。
などと書いていると、まるで随筆家にでもなったよう
な錯覚を覚える。
などと書いても、またまた随筆家、のようなもの、に
見える。
まあ、結局、気分は随筆家というのが正解なのだろう。

ということで、いつしか松本の中心である「縄手通り」
に辿り着いた。
ここは、昔の通りをその雰囲気を生かしリニューアル
したところで、狭い石畳の両側に、「古道具屋」など
小さな昔からの店が、夜店のように並んでいて、観光
客にとっては、「古い街」風情を感じるであろう所と
なっている(多分)。
この通りの中ほどにある鯛焼き屋に、ちょっと用があっ
た私は、つまり鯛焼きを買おうと思って来たのだ。
もったいぶった言い方をしたのは、単に鯛焼きを買う
という行為を修飾したかったに過ぎない。
少しでも、格好悪さを誤魔化したいと。

ということはどうでも良く、ここの鯛焼きは「美味い」
ということなのである。
一つ一つ鯛の型(連結式ではない)で焼くのも今とな
っては珍しいが、餡子も尻尾までたっぷり、素朴な程
よい甘さ、鯛焼きの原点がここにある。
一個150円のささやかな幸せ。
メニューにはもう一種類、カスタードクリームという
のがあるが、これってどうなんだと我々は(ってだれ
だ)思うが、コンビニ世代にとってはノープロブレム
なのだろう。

鯛焼きを抱えて、残りのコースを歩く。
鯛焼きの暖かさが懐炉替り、ということもないが手提
げ紙袋に入れてくれたので、邪魔にはならない。
ほぼ6キロコースを歩き、ここらで一休みか、と丁度
終点に近いところに「オ.クリヨー.ドヴァン」が位
置しているので、カフェオレでも飲んで一休みしよう
かなどと思ったが、本日臨時休業。
「なんか、良く臨時休業に当たるな」と思いつつ、や
や肩透かしを食らった状態で、川沿いの道を歩いてい
ったのである。
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松本散歩3

2007年02月25日 | 音楽


店に関して、もう一つ言い忘れていた。
BGM。
ジャズがかかっていたのだ。
一般的な洋食屋だと、そもそもBGMはないのではな
いか。
「Porte Bonheur」では、スピーカーが
「BOSE」の小さいやつで、CDがいくつかあって、
行った時にかけたのは「ビルエバンス」だった。
最近いやに「ビルエバンス」に遭遇するのだが、何か
のお導きか、ということはどうでも良く、BGMだ。

「ジャズ」をかける店というのは、一般的に「こだわ
りの店」という位置づけになっている。
というのは、そもそも「ジャズ」を好むこと自体が、
はっきりとした音楽的嗜好宣言みたいなもので、個性
を前面に出すという姿勢の表れという風に捉えられる。
音楽的にはちょっとうるさいぞ、ということと共に、
思索面でもちょっとね、というイメージだ。
で、ステレオタイプ的に「個性派」ということになる
わけだが、個性的というのがはっきりした嗜好、思考、
を表す事を指すのなら、それも強ち間違いではない。
やはり音楽的嗜好は、そういうものの表出でもあるか
ら。

店の場合、使う側はその店のセンス(味を含めて)を
雰囲気(インテリアやBGMを含めた空間全体の)で
測る。
それが100パーセント味に直結しているわけではな
いが、かなりの確立で関係する。
「フランス料理屋」「蕎麦屋」「すし屋」に関しては、
その確立はぐっと高くなる。
センスが悪いところは、味のセンスも無い、と言える。
これは、センスが良くて味が良いという確立より、セ
ンスが悪く味が良いという確立の方が圧倒的に少ない、
ということからも実証できる、かな?
実際は、主観の領域なので実証なんかできるはずも無
いのだが、要するにそう感じると言うことだ。

没個性の店の代表が「ファミリーレストラン」なのだ
が、これらの店に慣らされた人は、そもそも「個性的」
と言う意味すら判らなくなる可能性があるし、「個性
的」ということがマイナス要因にすらなるかもしれな
い。
平均的嗜好の店ばかりできる現状と、「個性的」と言
われるラーメン屋ばかりが隆盛の今の「食べ物や」状
況は、決して豊かな食文化の表れとは思えない。
と、随分BGMから遠いところに来てしまいました、
本日も。
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松本散歩2

2007年02月24日 | 食べ物


スープの次は、メインのチキンだ。
胸肉に、ガラムマサラのようなものをつけてグリルし
てある。
皮目につけてあるのだが、スパイスをつける前に予め
グリルしてあるのだろう、ぱりっとしていて相当熱い。
見た目も端整で、「スパイシーモスチキン」とは一線
を画していた。
この料理も、皿全体に丁寧さが表れていた。
完全にフランス料理の一品になっていた。
しかも、ビストロ系ではなく、今日のに関して言えば
エスニックフランス料理やや高級版、と言った所だ。
この味付けにはライスは合わないだろう、と思ってい
たが、ちゃんと頼んでいる人がいた。
位置づけは、やはり[洋食や]のようだ。
店の主人が、本当は本格的なフランス料理をやりたい
のかどうかは分からないが、客に合わせるとこういう
スタイルになるのは致し方ないか。
個人的には、本格派を望むのだが、松本といっても、
田舎は田舎だしね。
それに、個々が旨ければ良いわけだ。

店を後にして、来た道ではない裏道を歩く。
初めて通る飲み屋街。
どうしてこういう通りは、「新宿歌舞伎町」のように
なるのか、皆同じ匂いがする。
昼間の飲み屋街、気だるさと微かな日本酒の匂いに包
まれている、ってところか。
例えば「来夢来人」というような微笑ましいというか、
暴走族的センスのネーミングのスナックを発見すると、
どういう人が来るのか想像する。
一生縁が無さそうなこれらのスナック、無くてはなら
ない人がいるという事実が不思議に思える。

飲み屋街を抜けて暫くすると、大きな壁が目に飛び込
んできた。
街中にはそぐわない、工場の壁のような大きな側面。
トタンをつぎはぎつぎはぎ張り合わせたようなものだ
が、それがなかなか良い味を出している。
コンポジションというやつだ。
というわけで、本日の写真は、久しぶりの壁シリーズ。
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松本散歩

2007年02月23日 | 食べ物


松本城を過ぎた辺りには、古い洋館などもあり、どこ
か落ち着いた雰囲気を漂わせている。
が、これといった収穫も無く歩き続ける。
区画整理され道が大分広くなっているようだ。
昔の家並みも、徐々に消えていく運命にあるのだろう。
こうやって、街は平準化されていくのである。
なるべく広い道を避けて歩く。
昼時でもあるし、ここは「スノッブなM氏」が最近お
気に入りの店にでも行こうか。

店の名前は「Porte Bonheur」。
これでポフト.ボナーと読ませる。
一般的なカタカナ表記だとポルト.ボヌールだと思う
が、ネイティヴな発音に近い方を選んだのか。
元々フランス語の発音は難しいので(特にrが)、カ
タカナ表記には無理があるのだが、あえてこの表記を
選択した理由は何なのだろう。
と、店の名前も気になるが、店内がまたシンプルで、
イメージとしては高原にでもありそうな「オーガニッ
クレストラン」という雰囲気だ。
自然素材を使ったインテリアは、余計な装飾も無く悪
くは無い。
それより初めての人は、その外見とのギャップに驚く
のではないだろうか。
外見は、全く普通の新築した民家といった感じで、店
の看板も控えめにあるだけ。
店という主張が希薄だ。
実際、営業してるのか半信半疑で扉を開けた。

第一声は「いいですか?」。
ちゃんと営業してるようだ。
昼のメニューは三種類で、「チキン」「オムレツ」「カ
レー」と完全に洋食やのそれだ。
しかし、黒板メニューには「Dejeuner」とフラ
ンス語。
しかし内容は洋食。
店名といいメニューといい、なかなか神秘的なところ
だ。
その後入ってきた常連らしき人たちは、「オムレツ」
「カレー」などを普通に頼んでいる。
これだけ見れば、完全に「街の洋食屋さん」だ。

三つのメニューの中では一番フランス料理寄りか、と
「チキングリル グリルチキン?」どっちだったか忘
れたが兎に角チキンを頼んだ。
店の人は、「スパイシーですが大丈夫ですか?」と訊
く。
スパイシーモスチキンという言葉が浮かぶ。
チキンにはスープが付く。
蕪のポタージュ。
まずそれが出てきた。
しかしそれは、見た目も味も洋食やのポタージュでは
なかった。
非常に丁寧に作られていて、クリーム系は少なく、蕪
の味が良く生かされたスープだった。
ベースのスープも良いのだろう、やや塩味は薄く、飲
み終わったときに丁度良いという絶妙な塩の使い方。
レベル高いぞ、と感じた。
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大暖冬

2007年02月22日 | Weblog
どうやら今年の暖冬は、過去60年最高の暖冬になる
らしい。
この冬に関して言えば、立派な異常気象ということだ。
その割には、特別暖かさを体感できないのと、今ひと
つ風邪っぽさが抜けないのは、寒かったり暖かったり
の変動が激しいからか。
つまり、ちょっと暖かいと身体がそれに慣れ、そこに
寒さが戻ると(それでも平年以上)ものすごく寒く感
じ、気温よりその変動で調整能力が狂って旨く適応で
きない、ということなのではないか、と自分の身体を
基準にそう感じる。

そんな、まるで桜が咲く前の季節のような中、松本の
街を散策した。
と思ったら、そこまで暖かくは無く、気温は四五度。
まあ、歩いていれば暖かくなるだろう、ということで
大体6キロくらいのコースを考えた。
このところ全く写真を撮っていないので、何か良い素
材がないかと、きょろきょろしながら歩く。
結構古い建物が残っている街なので、いろんな発見が
期待できそう。

松本城のお堀の鴨は、気持ち良さそうに鯉と戯れ(捏
造)、お城の中からは見学に来たであろう小学生の
「やっほー」という叫び声が。
反響するところ無いのだから、コダマしないよと誰か
教えろよ、と思いながらも、別に彼らは叫びたいだけ
なんだからと考え直す。
よき思い出を。
流石にこの時期は観光客は少なく、うるさい小学生以
外はぽつぽつ。
考えてみれば、3月のつもりでいたが、本来ならスキー
客とか冬バージョンお城周辺であるはずだった。
これだけいる方が、珍しいのだ。
一ヶ月前倒し状態が普通ではなかったのだ。
コメント

寺町

2007年02月20日 | Weblog
寺町というのは、独特な雰囲気を持っている。
その大きな理由は、寺を中心にあまり再開発とかされ
ずに、道も広く、昔の状態を保っているからだろう。
つまり、その周辺だけ昔の風情が漂っているのだ。
寺そのものは、大体が立派な木造建築。
周りの民家は、その様式に無意識的に合わせたような
調和の取れた建物にするのが昔スタイル。
つまり、周りの民家が昔のスタイルで残っていればい
るほど、寺町の現代的価値は増すというわけだ。

ところが残念なことに、そういうところは年々減って
いる。
代が変わると、その住みにくさからだろうか、立て替
えられ、突如プロヴァンス風建物の出現などという事
態となる。
基本的に、周りの調和は考えずに、自分の好きなスタ
イルのみを考えて各自が建てるので、こういうことに
なる。
日本全国、どこでも同じ状況であることを考えれば、
いかに、日本的様式というものが今現在なくなってし
まっているかということだろう。
今の日本の街の普通の風景が美しいと思っている人
なんているのだろうか。
ばらばらで、しかも安っぽい。
特にひどいのが、地方の郊外。

考えてみれば、全国共通の風景がこの地方の郊外であ
る。
どこへ行っても、「Deja vu」。
ということは、これが典型的な今の日本の建築様式と
いうことになるのか。
アジア独特の、調和の無い猥雑な混沌とした風景。
というと、それはそれで魅力的な響きがあるが、日本
の場合、なんだか埃っぽいだけでエネルギーは感じな
い。
殺風景という表現の方がぴたりと来る。
こんな日本に誰がした!と言いたいところだが、皆で
したんだね、どうもこれが。
コメント

カルカッソンヌ

2007年02月19日 | Weblog
城壁都市として有名な、フランスの「カルカッソンヌ」
の特集をNHKでやっていた。
フランスでは、「カルカッソンヌ」を見ずして死ねぬ、
というような言い方をされてるらしい。
それくらい、見ごたえがあるということのようだ。
石の存在感をストレートに感じるこれら城壁は、映像
からではなかなその魅力が伝わらない。
実際見ないと、ということなのだろう。

石は意思に通じ、見る人に何かを訴える力があること
は、日本の城の石垣などを見ると素直に納得できるの
ではないか。
腐敗しないので、時が刻まれているのがそのまま残っ
ている(ように見える)。
適度な風化が風情を醸す。
悠久の歴史、人々の暮らしに思いを馳せ、想像の世界
は無限に広がる。

歴史ロマン的表現。
こんなところでよろしいでしょうか。
個人的な歴史遺産体験は、あまり豊かではないので、
想像(適当に)で書いてみたが、強ち遠くも無いよ
うに思う。

それより、そこで紹介された現地の郷土食「カスレ」
にこちらのアンテナは大きく反応してしまった。
鴨のコンフィや豚の塩漬けなどを豆と一緒にぐつぐ
つ煮た「カスレ」は、正直食べたいと思った。
相当カロリーは高そうだが、これぞフランス田舎料
理というその姿(決して美しくは無いが)と良い、
食指がぐぐっと動く。
こういうのは、是非とも現地で食したい。
変に洗練されないありのまま状態で、観光客用では
ない現地の住人御用達の店で。
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70年代ロック

2007年02月18日 | 音楽


ラジオで流れていて、思わず反応してしまうのは、な
んと言っても「70年代ロック」だ。
それは、郷愁というより、その頃のロックが一番個性
的でかつ充実していたからだ、と思っている。
この前も「ジミ.ヘンドリックス」「ジャニス.ジョッ
プリン」「ドアーズ」と立て続けにかかっていて、な
んだなんだと聞き耳を立ててしまった。
今聴いても、なんら古びていないし、強烈な個性は輝
いている。
最近のものが、全て同じように聞こえてしまうのは、
単にこちらの年のせいなのか、或いは、実際当時と比
べると個性に乏しいのか、よく分からないところだ
(と言いながら、本心では個性が無いと思っている)。

今日も、かかっていた。
「レッドツェッペリン」だ。
ハードロック(今はヘヴィメタか)は、ツェッペリンと
ディープパープルだけで良いんじゃないか。
これを超えたグループはその後出てないと思うが。
プログレッシブだと「ピンクフロイド」「キングクリ
ムゾン」がいる。
時代の力なのだろうか。
時代のエネルギーがロックに注ぎ込まれ、本流という
ものが存在した幸福なロックの時代だった、と今から
見ると強くそう思える。

現在、「ベック」の新作を聴いているが、それなりに
個性は感じるが、新しさに関しては、嘗てのプログレ
以上と思うことは無い。
70年代以降で好きだったプリンスも、すでに旬は過
ぎてしまった感じだし、ヒップホップは全て同じに感
じるしで、今の音楽に関しては特別興味を引くものが
見当たらないのが現状だ。
ましてJポップと言われる日本のものに関しては、全
く興味が無い。
いまだ嘗て、一度も良いと思ったことが無い事に関し
ては、一貫している。

結局、嘗て聴きこぼしたプログレ系の「ソフトマシーン」
とか「カン」などを聴いて、こんなのがあったのかと
再発見的喜びとともに感心し、ラジオから流れてくる
懐かしロックに郷愁を掻き立てられ、「ホテル カリ
フォルニア」に当時の自分の姿を重ね、「ああ、あの
頃か」と呟き、「なんだかんだと言いながらも名曲か」
と独りごちる。
こんなのって、どうなんだ。
これだったら「ジョンケージ」を本格的に聴きなおそ
うか、の方が刺激的だ。
といろいろ考えるが、まあ、どっちでも良いか。
興味の向くままに、お好きなようにで。

コメント

OIL SARDINE

2007年02月17日 | 食べ物


昨日の夜、製造年月日が不明のオイルサーディンを食
べた。
何故、その缶詰に手が伸びたかというと、ビールのお
つまみが無いかと物色したから。
微かにサーディンの記憶があったのだ。
案の定、直ぐに見つかって、粒マスタードをつけて食
べることにした。
一応いつの缶詰かと思い、確認したのだが、賞味期限
などどこにもなく、ということはそれが義務付けられ
た以前の缶詰かと、やや古さに思いを馳せた。
今でもそうだが、あまり賞味期限に関しては気になら
ない。
それに関係なく、食べて変な味と感じたら食べないだ
けのことだ。
自分の感覚の方を大事にしている、などとちょっと格
好つけて食べ続けた。
別に、オイルサーディンがアンチョビになってたわけ
でもなく、変な味はしなかった。

昔は、おつまみにして良く食べたものだが、最後に食
べたのはいつだったか、十年以上前になるな、まあ特
別旨いというほどではないが、缶詰としてはあまり余
計なものも入ってないし、味付けしたものよりは断然
良い、とつらつら思い一缶食べ終えた。
直後に、なんとなく厭な前兆らしきものはあった。
冷たいビールで、ちょっとお腹が冷えたかなくらいな
感じで寝床に着くと、急激にお腹が。

苦しくなってきて、「これはまずい」となった。
滅多に下痢はしないのだが(去年、これも十数年ぶり
だが、風邪がお腹に来て三日苦しんだ)どう考えても
その痛みだ。
トイレに駆け込み用を足す。
この手のものは、大体一回きりの一過性が自分にとっ
ての普通なので、これで終わりかなとひと段落。
とはならなかった。

二三時間過ぎた頃に第二波が来てしまった。
今度の方が、何だか強力だ。
招からざる客をトイレに放出。
こうなると、三度目が不安になる。
ひょっとして本格的なやつか。
まさかO157、腸炎ビブリオ、サルモネラ、葡萄球
菌、といくつか候補を探る。
しかし、それは杞憂に終わり、第三波は来なかった。
一夜の悪夢か。
結局、サーディンの油が原因かな、と無難な結論を得
て、何事も無かったように一日は始まった。
一体、あれはなんだったのだろう。
コメント

アカデミー賞

2007年02月16日 | 映画


日本の「アカデミー賞」とやらが、今日あるらしいの
だが、なんだか田舎の「ミスコンテスト」的貧乏臭さ
を感じる。
要するに、しょぼいのだ。
かといって、本場の「アカデミー賞」がすばらしいと
思ってるわけでもなく、あちらはあちらで「虚飾の世
界」丸出しの、どうせ「薬漬けの日々」なんだろうな
と、先入観を抱かせるようなわざとらしい世界だ。
が、その表面的な華やかさに本気で憧れる人も多いの
だろう、演出たっぷりでどうにか近づけようと苦心し
ている。
セレブだどうのと、所詮は成り上がりなのに(だから
こそ余計に憧れるのだろうが)、無理するからおかし
くなるのだ。

たとえば「華やかなドレス姿」も、虚飾の世界ハリウッ
ドでこそ似合うものではないか。
むしろ痛々しく感じてしまうのは、自分だけか?
何も真似することは無いだろうと思うが、何度もやっ
てればそれなりの権威が出てくるそれを狙っているの
か。
いずれにしろ、どちらも興味がわかない世界である。

昨日の続きになるが、興行的には絶対だめだろうとい
う映画を選ぶ自信はある。
つまりそれは、自分が気に入ったものを言えば良いだ
けのことだ。
ということは、関係者にとってはこちらは貧乏神のよ
うなものになる。
気に入られたら最後、儲からないというお墨付きを貰
ったようなものだから。
それで思い出したが、映画少年Yのお気に入りの店は
大体つぶれるか消滅するという法則がある。
彼は、店にとっての貧乏神ということになる。
本人も薄々それに気付いていて、なくならない事を祈
っているようだ。

それにしても、貧乏神というのは人知れず生息してい
て、しかも一所に集まる傾向があるようだ。
全然ありがたくないことだが、これも一種の類が友を
呼ぶということなのだろうか。

コメント

周防正行

2007年02月15日 | 映画


前回の「Shall We Dance」からもう十年も
経っているいるとは知らなかったの、周防正行監督の
新作「それでもボクはやってない」という映画が公開
されている。
で、このところマスコミにちょくちょく顔を出してい
るのだが、その顔を見ると、やはり十年は経っている
か、と思うのだった、という話はどうでもよく、それ
より、何故これほどまでに寡作なのか、そのことの方
が気になる。
前回の前が「しこふんじゃった」でその前が「ファン
シイダンス」。
今調べたら、「ファンシイダンス」は1989年だった。
ということは、ほぼ二十年で四作。
立派に寡作だ。

監督の話を聞くと、準備に三四年かけるということだ
から、完成するまでに五六年。
計算が合う。
ということは、今現在監督のペースで作ることが出来
る状況であるということだ。
良い環境で仕事をやれる、数少ない羨ましい監督なの
かもしれない。
実際のところはどうか判らないが、そう見えるという
話で、これも全く作品には関係ないが、夫婦の関係も
なにやら良い感じである。
自然体。

そんなことより作品だ。
個人的に一番評価の高い周防作品は「ファンシイダン
ス」なのだが、これが見事に世の中の評価と反比例し
ている。
世の中の評価というのは、人気度という尺度、つまり
興行収入。
こちらが良いと思うものは、人気度では大体駄目で、
こんなの、と思うような作品がヒットするという現実
はもう否定しようが無く、周防作品にかんしても当て
はまる。
「ファンシイダンス」から新しくなればなるほつまら
ないというのが、個人的評価(今回のは見てないので
分からないが)。
だから、ここで良いと紹介している作品は、一般的に
は評価されてないものと受け取った方が良い。
そういう意味では、参考になるのではないか。
反面教師的に。
基本的に、ひねくれた視線なので、評価する点そのも
のが、一般的なところとはずれているのだ。
コメント

第三の足

2007年02月13日 | Weblog
いやあ、ひどい。
全然駄目だ。
何の話かというと、現在の自分の脚力。
予定通りに、自転車で警察署まで免許を貰いに行ったの
だが、その僅か片道2.5キロほどの距離を、ちょっと
一生懸命漕いだだけで(ママチャリで)もうガクガクに
なってしまった。
途中、川の土手を、カルガモを掻き分け掻き分け疾走す
る筈が、現実はカルガモのような速度。
情けない。
どうしたものか。
これでは「Tour de France」に出られない。
第二の「インデュライン」はまたまた遠のいた。

それにしても、鈍ってるのは肉体だ。
確かに、この数ヶ月、運動らしい運動をした記憶が無い。
「美しい肉体を求めて」という耽美的肉体派ではないが、
最低限の運動能力は必要だと思っている。
もしもの時、例えば地震が起きたとき、生死を分ける要
素にもなるだろう。
それより、日常的な身体の切れの悪さは、不快にも通じ
る。
思い通りに動かない肉体は、ストレスのもとにもなるの
だ。
日々の肉体は、常に美しく動かなくてはならない。
舞踏の日常化。
「ニジンスキーを求めて」。
そういう話ではなかった。

単に、弱った肉体をどうしようかという問題であった。
要は、意図的に鍛えるだけの話。
ということで、今年は「第三の自転車の年」にするこ
とに決めた。
因みに第一期は、ロードレーサーの時代だった。
第二は、マウンテンバイク。
そして今回はママチャリ、じゃあしょうがないので先
祖帰りでロードレーサーにしよう。
まずは、デジタルスピードメーターのマイル表示をキ
ロに直さなくては。
どういうわけか、前回電池交換をしたとき、キロから
マイル表示に変わってしまったのだ。
いちいち1.6倍するのは非常に面倒くさい。


コメント

中国野菜

2007年02月12日 | 食べ物


農薬まみれのイメージがある、中国野菜、必ずしもそ
うではないことはなかなか浸透しない。
斯く言う自分も、安さに釣られ、一時は結構使ってい
たが、ある時期から避けるようになった。
一旦定着したイメージを払拭するのは、定着までにか
かる時間の十倍以上はかかるのではないか、と思われ
る。
問題は、中国からの輸入野菜の安全性が、徹底してな
いからということだろう。
問題ないのもあれば、問題なのもあるという、怪しさ
が問題なのだ。

しかし、これは対岸の火事なのか。
考えてみれば、日本でも同じではないか。
一応、信用で成立っている安全性、実際のところどう
なのかなんて分かりようが無い。
しかも、企業の信用問題は定期的に表面化して、その
都度大問題となる。
結局、陰で何をやっているのか、という疑心暗鬼だけ
を定着させひとまず終結。
作る側の良心頼みしかないのが現状だ。

この地域でも、たとえば「セロリ」の農薬問題が、ご
く一部の間で話題となることがある。
農家は、一切自分のところのものは食べない、などと
実しやかに囁かれると、これはやばいとなってしまう。
世の中には、嘘か本当かわからない情報が溢れている。
何を信じればいいのかということになるが、もう個人
個人の勘しか残されてない。
最後は勘頼み。
全ては、ギャンブルだ。

そもそも、農薬を使うきっかけを与えた一因には、消
費者が形の整った、虫に食われてないきれいなものを
ほっするという消費行動もあったわけだから、根本的
にはここから変えないと、いつまでたっても農家は農
薬頼りで現状は変わらない。
これだけは、はっきりしているのではないか。
コメント

ブルーチーズ

2007年02月11日 | 食べ物


カフェのT君が、ブルーチーズがほしいというので、
インターネットで注文することにした。
こちらの「オッソーイラティ」も残り少なくなってき
たので丁度良いタイミングだった。
「フェルミエ」というチーズ専門店なのだが、ここは
今でこそ途絶えているが、嘗て(十七八年前)チーズ
に凝っている頃、散々お世話になったところだ。
当時は、インターネットなどあるはずも無く、当然電
話注文でのやりとりだ。
チーズ専門店の草分け的店で、随分知らないチーズを
試させてもらった。
直接店にも行ったこともあったし、これも当時はまだ
それ程有名ではなかった「ポワラーヌ」の「パンドカ
ンパーニュ」などもそこから購入した。
確か、一個5千円近くだったのではないか。
今から思うとちょっとした暴挙だ。
パン一つに5千円。
考えられない。
その後、パリの「ポワラーヌ」の店の映像などを見る
機会があり、一体現地ではいくらで売ってるのだろうか
と興味津々で確認してみると、日本円で800円くらい
だった。
まあ、世の中そういうものだ。
旨かったから良いだろうの世界だ。

そして今回、かなり久しぶりに注文したわけだ。
インターネットショッピングは、矢張り手軽で便利だ。
ブルーチーズをまだ知らないであろうT君には、基本的
なブルーチーズの「ブルードーヴェルニュ」を買うこと
にした。
青カビの香りが鮮烈なのは「ロックフォール」だと思う
が、ちょっとしょっぱいのと、値段も高い。
個人的にも「ブルードーヴェルニュ」辺りが好きだし、
良いのではないかと思ったのだ。
それと、「パルメザン」がほしいというので、「パルミ
ジャーノレジャーノ」も頼んだ。
自分用には、「ガローチャ」というスペインの山羊チー
ズと「トムドサヴォア」を買った。
「トムドサヴォア」は、フランスサヴォア地方の牛のハ
ードタイプのチーズで、生食牛ハードタイプチーズの中
では唯一好きなものだ。

トム独特の香り味が好みなのだろう。
他のハードタイプにはない個性が好きだから「トムドサ
ヴォア」ということになるのだが、本当好みというのは
微妙なもので、他の味には寛容鈍感でも、ある味に関し
てだけはいやに敏感となり、他人には説得力を持たない
個人的世界がそこで展開される。
微妙な味の探求。
味に限らず、好きな世界というのは「僅かな差異」を楽
しめるか楽しめないかということだから、無いよりあっ
たほうが面白いにきまっている。
他人から見ればどうでも良いことでも、自分が楽しけれ
ば良い、それが全てなのだ。
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