ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

コノハズクとマイルス

2009年05月31日 | 生き物 自然


最近、家の前の神社で、「フクロウ」或いは「ミミズク」
或いは「コノハズク」らしき鳥の鳴き声がする。
声の高さからすると、多分「コノハズク」ではないだろ
うか(適当)。
<その後調べてみると、アオバズクの可能性の方が高
いことが判明>
繁殖期ということか、毎年ではないが、この時期に耳に
することが多い。
所謂、鎮守の森的ところには、昔からこの手の鳥は生息
していたらしいが、鳥の中で猛禽類はどうしても別格な
ので、この声を聞くと素直に嬉しい。

一方、家の「滝壺ビオトープ」では、「ツブゲンゴロウ」
が交尾を行っていた。
生態を観察すると、「ツブゲンゴロウ」は縁に沿って泳
いでいることが多い。
単独で泳いでいるのだが(方向は決まっていない)、そ
こでたまたま他の個体と遭遇し(オスとメスが)、息が
合うと交尾ということになるのだろう。
未だ、第二世代は誕生してないが、果たしてどうなるか。
そう言えば、「チビゲンゴロウ」も数日前に交尾らしき
ことをしていた。
しかし、何せ2ミリほどの虫なので、例えめでたく孵化し
ても、幼虫がどのくらいの大きさで形はどうなのか、全
く不明なので確認しようが無い。
日本のどこかで「チビゲンゴロウ」を研究している人は
いるんだろうか。
取りあえず、ネットにはその情報は無い。

知り合いが、CDを借りたいと言ってきた。
何でも良いというので、たまたま手元にあったマイルスを
貸す。
「ビッチェズブリュー」「オンザコーナー」「ゲットアッ
プウィズイット」「イン.ザ.サイレントウェイ」のフュー
ジョンアルバムと、「マイルストーン」「ポギーアンドベ
ス」のそれ以前のアルバムと、文字通りマイルス尽くし
となった。
が、後で考えたら、その内何枚かはすでに貸したような
気がする。
本人が忘れていたら、よしとしよう。
それと、グレングールドの「平均律クラヴィーア」と、
プリンスの新し目の一枚とクロノスカルテットの現代音
楽系も。
何でも良いと言ったら、本当にそういうラインナップと
なった。
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携帯電話

2009年05月30日 | Weblog


遂に携帯電話を購入することになった。
今迄は、ほしいと思ったことは無く、必要性も感じて
なかったので持ってなかったのだが、若干必要性を感
じ始めたので仕方なくそうすることに決めた。
その必要性というのは、もしもの時を考えてというも
のだ。
つまり、山に行ったとき(山と言っても登山ではなく
裏山的場所を歩くという意味)の緊急用だ。

今は、裏山程度でも人は歩かないので、例えばそこで
バッタリしても発見される可能性は低い。
しかもこの辺の裏山は、その延長上に「霧が峰」なの
で範囲が相当広い。
そのまま発見されず白骨化なんていうのも、それこそ
「朝の紅顔夕べの白骨」を地にいくようなもので、考
えられないことではない(それはそれで悪くないとも
思うが)。
無常観を思わず感じるような出来事もありうるという
話は置いといて、現実問題としてはそれより、車に何
かあったときということも考えなくてはならない。
基本的に、人のいないところに行きたいので、助けを
呼ぶ時にいないことを想定しないとならない。
すると、やはり携帯があった方がということになるの
だ。

そして、実際買うとなるとけっこうすることに初めて
気付いた。
よくこんなものを、皆当たり前のように持ってるもの
だと改めて思う。
機能的には、最低限のものを選択する。
以前、ゼロ円の機種がよくあったが、あれは結局月々
の料金に加算されるから、決して安いわけではない、
のか?
兎に角、一番安いのをというこちらの希望を伝え選択
したが、本当にこれが一番安いのかは分からない。
平均的には、一体いくらかけているのだろうか。
ソフトバンク同士だと無料とか言っていたので、取り
あえずソフトバンク系には心置きなくかけられるが、
基本的にはかけるのも受けるのも好きではないので、
あまり使うことはなさそうだ。
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自転車

2009年05月29日 | Weblog


近所のカフカ君相手に、いかに近代化された競輪が面
白くなくなってしまったかを力説したら、どっと疲れ
てしまった。
健全を追い求めると、面白さが犠牲になるというわけ
だ。
いかがわしさも魅力の一つなのに。
懐かしの京王閣の大判焼きも、記憶のかなたに消えそ
うだ。

この前「クリヨー ド ヴァン」で見た雑誌は、「Tour
 de france」特集だった。
チームを維持するためには五億だか十億必要らしい。
どうしてもそのくらいはかかるのだろう。
しかし、一度は現場で見てみたいものだ。
こちらは競輪と違って、いかがわしさは無い。
ドーピング問題は根強いので、不正はある。

「滝壺ビオトープ」のヤゴは、順調に成長しているよ
うなのだが、そろそろ羽化第一陣があってもよいので
はと思う。
大きいのは、2.5センチくらいになっている。
脱皮を十回以上繰り返すらしいが、トンボになるまで
の道のりは思った以上に大変だ。
羽化途中に他の虫に襲われる危険性もあるし、今まで
は成虫を見て普通に一杯飛んでるなあという感想しか
なかったが、トンボに歴史ありということを考えると
これからは違う見方になりそうだ。
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日本代表戦

2009年05月28日 | サッカー


昨日の「チリ対日本代表」の試合は、ここ最近では一
番の出来だったのではないか。
いつもの代表の戦い方と違って、全体がダイナミック
に動いて、まるでオシムさんの目指すサッカーを見て
いるようだった。
駒野とか、中村憲剛、安陪とオシムの時の常連も復活
したのでよりその色も増したようにも思うが、停滞す
る時の、決まりきったサイド攻撃で中が詰まって何も
出来ずといういつか見た光景というものが、今回は無
かった。
怪我したメンバーによって、大きくメンバーを変えた
ことが結果的には功を奏した感じだ。
やはり、中村憲剛は必要な選手だろう。
今野も久しぶりに良かった。

攻撃では、本田がやっと本領を発揮しだした。
今迄は口だけという印象で、元々運動量で勝負ではな
いところに持ってきて、肝心のシュートも打てずと使
えない選手だったが、今回のように常にシュートを打
つという姿勢をもち隙あらば実際に打つ、そしてボー
ルも取られない強さを発揮すれば、日本にとってはか
なりの武器になることが証明された。
常連のFW玉田が物足らない分、いやに逞しく感じた。
そのFWだが、岡崎という選手、今まで何が良いのか
と思っていたが、今回見てよく分かった。
フィジカル的にもしぶといし、玉田と違って常にゴール
という姿勢があるし、飛び出しも良い。
FWとしては、待望されてたイメージに近いFWではない
か。
運動量もあるし、これでは大久保も影が薄くなる。
本田にしろ岡崎にしろ、問題は、常に今回のように出来
るかだ。

あと18歳の山田直輝、視野が広くてアイデアもあり良い
選手だ。
見た目もありパクチソンを思い出す。
第二のパクチソンと言われるかもしれないが、大体第二
のなんとかと言われて成功した人間は少ないから、ここ
は飽くまでも山田直輝としてこのまま成長してほしい。
怪我が恐いけど。
しかしこうなると、松井とか稲本は益々使いようがなく
なる。

親善試合のような日本代表戦を見て気分よくなったら、
すっかりチャンピオンズリーグの決勝を忘れてしまっ
た。
結果は2-0でバルセロナの快勝。
こうなるとロナウドはバルセロナに移籍か?
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BGMにはジャズ

2009年05月26日 | Weblog


更科の主人に、ジャズのCDを何枚か貸した。
オスカー.ピーターソン一枚では、流石に飽きるだろ
うと思ったからだ。
BGM用は、50年代60年代のジャズと決めたので(私が決
めるのもおかしな話だが)、それに合わせてチョイス
した。
と偉そうに言ってるが、ジャズのCDをそんなに持って
るわけではなく、飽くまでも手持ちの中の少ない選択
肢からの話である。
買ったばかりのレッド.ガーランド、ジュニ.アマンス
それとチェット.ベイカーとマイルスのフュージョン
前やつの四枚だ。
もっとということになれば、スノッブなM氏の出番とい
うことになる。

そのM氏が、日曜の「クリヨー ド ヴァン」で食べた
ものは、田舎風テリーヌとサラダニソワーズだったが、
どうしても単品で食べないと気がすまないのがM氏だ。
ランチのお得なセットがあるのだが、頑なに頼もうと
しない。
どうやらそこに、彼なりの美学があるらしいのだが、
同時にそこがスノッブたる所以でもある。
傍から見れば「何だかなあ」である。
そのランチだが、「チキンのソテー」「鯖のポワレ」
「横隔膜のステック」(バベットステーキだが日本
語で何だったかど忘れ)と相変わらずの代わり映えの
しないラインナップだが、新店舗になれば、当然そこ
は改善されるものと思う(そうあってほしい)。
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大国インド

2009年05月25日 | Weblog


NHKスペシャルのインド特集を見たが、これからは本
当に中国インドの時代になるのだろうか(インドの場
合はカースト制がネックになりそうだし、中国は民族
問題があるし、そう上手くいくとも思えないのだが)。
人口の多さと、経済的発展の余地、それと人材の豊富
さに拠るものだと思うが、発展すると供に軍事力を増
大させるのも常道だ。
結局、外交というのは、個人レベルと一緒で、強そ
うな人間の言いなりになるように、軍事力がものをい
う世界で国力と同義語という部分が強く、ここが何
とも進歩という概念が入りえない原始的な世界といえ
る。
日本の外交が弱いのも止む無しと思うところだ。
平気でダブルスタンダードを駆使できるような厚顔さ
が必要ということだ(表は平和外交、裏で軍事力をち
らつかせるという)。
その点日本は、ナイーブなのだと思う。
何だかんだ言っても、軍産複合体が、実質世界の動き
を左右するというのは変わりそうもない。

スノッブなM氏は、今月で今の場所では終わりとなる
「クリヨー ド ヴァン」に行ってきた。
最後に行って来ようと思ってのことだが、同じような
思いの人間も多いらしく、結構店は賑わってたという
ことだ。
そこで、ゲロゲロ少年Yらしき人物を目撃したというの
だが、思うに多分本人だろう。
いつも座るテラスの席が専有され、残念そう、或いは
不満そうに一瞥をくれていたらしいので、間違いなく
本人だ。
同じように、最後の時間を惜別の念と供にすごしたの
かな?
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小津映画

2009年05月24日 | 映画


テントウムシは、新たに三匹ほどが蛹に変身した。
一方、蛹だったものの一匹は、どうやら羽化して飛ん
でいっもよう。
世界は常に変化している。

今年の小津映画祭(茅野市で毎年行われているもの
で、嘗て蓼科の別荘で小津が映画の構想を練ったこと
に由来)で上映される作品は「トウキョウソナタ」に
なるらしい。
キョンキョンでも出席したら、過去に無いほどの盛り
上がりになるだろうが、どうなるか。
多分、関係者はそうしたいものと推測されるが、結
局は香川照之に落ち着いて(個人的にはそれはそれで
結構だと思うが)ちょっとがっかりなんてことになる
のではないか(こういうイベントは集客が命なので)。
しかし、監督の黒沢清は来るらしいので(多分)、今
年は行ってみようかという気にはなっている。
誰がコーディネートしてるか分からないが(市の関係
者に「東京物語」と「トウキョウソナタ」の関係に気
付く人間はいそうに無い)、今年に限っては魅力的な
ラインナップである。

小津安二郎は有名ではあるが、実際に彼の作品が好き、
良いと思っている人間は相当少ないと思う。
唯、有名であるというその点だけで何となく良いのだ
ろうと思っていて、映画そのものは観たことが無いと
いう人間が多いのではないか。
観たけど寝たという人間も多そうだ。
私の周りでも、小津が好きでいろいろ観ている人間は
あまりいない(スノッブなM氏と映画少年Yだけだ)。
そこそこ映画好きという人の中には滅多にいない。
結構映画好きでもあまりいない。
なかなかの映画好きという中にたまにいる、という程
度である。
むしろ、フランスの方が小津ファンは多いんではない
かと思うくらいだ。
と、状況を見てると感じる。
黒澤対小津だと、10対1くらいか?

そんな小津映画祭、集客に苦労するのも無理は無い。
今年の成功は、全てはキョンキョンにかかっているの
である。
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蕎麦にジャズ

2009年05月23日 | Weblog


「更級」に行くと、今までは無かったBGMが。
とうとう主人はCDコンポを買ったのだった。
この前そんな話をしたことはしたが、それにしても素
早い。
買ったコンポが、これまた安く、流石ドンキホーテと
いう代物だ。
こだわりの人間だと、JBLだBOSEだということになる
が、そこはそれ音さえ出ればということで、安ければ
安いほどいいということになる。
実際音は、ここで聴く分には全く問題ない。
しかし、この値段でちゃんと音楽が聴けるんだからた
まんない。
問題は耐久性か。

最近は、「蕎麦屋にジャズ」というのが定番になりつ
つある。
特に、新たに始める脱サラ組の蕎麦専門店にその傾向
が見られる。
理由は明らかだ。
まず彼らの年代、五十代前後の人間で趣味で蕎麦を打
とうと思うのは、元々いろんなものに拘る人間で、大
体趣味としてのオーディオをある時期経験している。
彼らの若いときは、ロック全盛であるのだが、蕎麦に
没頭する人間は、どこか求道的な精神構造を持ってい
る。
そういう人間が好む音楽は、ロックよりはジャズなの
である。
ジャズプレーヤーもどこか求道的なので、同調しやす
いのだ。
それにジャズは、歳を取れば取るほど身に染みるとい
うのがあるので、益々体質と一体化する。
しかも、BGMとしてもロックと違い邪魔にならない。

昔、喫茶店でバイトしてる時、BGMとしてキングクリム
ゾンばかりかけていたら、えらい顰蹙であった。
あそこは変な音楽ばかりかけると噂になったくらいだ。
確かに「太陽と戦慄」はBGMにはなり得ない。
明日なき暴走であった。

ということで、BGMにも良いし、自分のお気に入りだし、
蕎麦専門店のこだわりを表現する演出にもなりと、「蕎
麦屋にジャズ」というのは定着してきたのである。
「更級」の場合は、そういう脱サラ組でもなく老舗なの
で、今更自己表現の演出はいらないのだが、BGMもあっ
た方がいいということで導入と相成った。
暫くは、唯一のCDオスカー.ピーターソンが何度も活
躍することだろう。
結局、周りの状況の変化で、50年代60年代のジャズが一
番合うような気がするからよくしたものである。
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メタモルフォーゼ

2009年05月22日 | 生き物 自然


「滝壺ビオトープ」に落下するテントウムシは、何匹
か救助したが、それでも相変わらず落ちてくる。
とても全部は救えない。
それにしても、一体どういう理由で動き回ってるのだ
ろうか(落下の危険性もあるのに)、ツツジについて
れば餌のアブラムシだってあるし、と疑問に思ってい
たのだが、その疑問の答えらしきものを発見した。
それは「滝壺ビオトープ」を囲っている岩にあった。

本日の写真がそれだが、動き回っていたテントウムシ
の幼虫は、その岩にしがみついて動かなくなるのだ。
よく見ると、そんな幼虫が七八匹いる。
何をやってるのだろうかと思うところだが、その幼虫
の中に、一匹形が違う、成虫になりかけのようなもの
がいることによって、これはひょっとして羽化のため
の行動なのか?と思い至った。
つまり、テントウムシは完全変態なので蛹になるはず
だ、ということは、幼虫から蛹に変態しなければなら
ない。
今迄は気にもしてなかったので、テントウムシの蛹が
どんなものか全く知らなかったのだ。
その蛹が、写真の下のものだ。
つまり、上の幼虫も、暫くすると下の蛹状になるとい
うことだ。
いやあ、知らなかった。
試しに、蛹を突付いてみると、しっかり成虫のように
固かった。

何十年も繰り返されていた営みであるが、気付いたの
は初めて。
これも「滝壺ビオトープ」を始めたお陰である。
自然界の出来事は知らないことばかりである。
そう言えば、三匹のヒメダカ、どうやらメスが混じっ
ていたようで一匹が抱卵している様子だ。
しかし、水温はそれほど上がってない。
無事に孵ることができるだろうか。

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多分インフルエンザが

2009年05月21日 | Weblog


池のクリーナーの掃除をして、その後土手を含めた土
地の草刈をして、蓼科に様子を見に行き、今度は霧が
峰の端っこを探索したら、すっかりつかれてしまった。
初夏のような陽気で、条件的には最高の探索日和だっ
たが、もう元気に歩き回る気力はなかった。
山は、ウスバシロチョウばっかりだった。
途中で昼寝でもすれば良かった。
今度は、ビニールシート持参にするか。
それにしても、ちょっといろいろ詰め込みすぎた一日
だった。

しかし、このところ風邪っぽいのが抜けないが、新型
インフルエンザか。
と、冗談にもいえない雰囲気の今の状態だ。
日本だけ感染者がいないのもおかしいと思っているうち
に次から次と発覚するのも、当然といえば当然だ。
これが、致死率何十パーセントととなれば、直ぐに気
がつくが、今回の場合、普通のインフルエンザと大し
て変わりないから気付かない方が多いのだろう。
過剰反応で、マスク姿ばっかりというのも、いかにも
日本的な風景だ。
しないよりした方が良いのだろうが、まあおまじない
程度に効果があればそれはそれで充分か。

いやに大騒ぎという観も無きにしも非ずだが、本格的
なもののためのシミュレーションと考えたら、良いケー
ススタディーになると思う。
気になるのは、報告する側がいやに緊張しすぎている
ところだ。
もっと落ち着いた態度がほしい。
これも、場数を踏めばということで改善されるか。
聞いてるほうは、その態度だけで動揺するから普段か
ら訓練した方が良いかもしれない。
桝添さんも、どうも自然体じゃない。
元々が感激屋なのだろう、感情が直ぐ態度にでてしま
う。
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映画のポスター

2009年05月19日 | Weblog


「滝壺ビオトープ」に、このところ同じ虫がやたらと
落下して溺れている。
どうも天道虫の幼虫のようだ。
早速ネットで調べてみる。
「ナミテントウムシ」というのが一番近そう。
アブラムシを餌とする、いわば益虫的昆虫である。
それが分かると、途端に態度が豹変。
元に戻そうかという気になる。
現金なものだ。
というわけで、今度からは落ちた元のつつじに戻すこ
とにする。
それにしてもナミテントウムシの幼虫、ちょっと簡単
に落下しすぎである。
見てるそばから、それこそぽったんぽったんだ。

カフェのT君は、「クリヨー.ド.ヴァン」の移転話は
知らなかったようだ。
当然知ってるものと思って話してなかったのだが、聞
くと驚いていた。
今月一杯なのであと僅かだ。
最後のテラスを味わいに、もう一回くらい行かないと。
店内の「勝手にしやがれ」のポスターもちゃんと移転
先に持っていくのだろうか。
ゲロゲロ少年Yは、あのポスターがあったから行って
たようなものです、とわけの分からないことを言って
いたが。

ポスターで思い出したがこの前Yは、地元で上映した
市川崑の「野火」を観てきたのだが、その「野火」の
ポスターが登場する映画が、ゴダールの「女と男のい
る舗道」だった。
以前「女と男のいる舗道」を見たとき、カフェの場面
でカウンターの後ろにこれが貼ってあり、何故に「野
火」がと思っていた。
その時は、映画のポスターとは分からず、書道の展覧
会か何かと思った。
大岡昇平好きの書道家か、とちょっと不思議には感じ
たが。
それが最近、Yが映画を観に行ったことで、思い至っ
たのだ。
確認すると、やはりそういうことだったようだ。
市川崑ということで見逃していたが、これは一度観な
いといけない。

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日常

2009年05月18日 | Weblog


かえるの合唱が聞こえる田圃と全くその気配がない田
圃、両極端である。
この時期、やはりうるさいほどのかえるの声を聞きた
い。

フローベール「感情教育」は読了。
引き続きミシェル.ビュトールの「心変わり」を読む。
始めは並行して読んでいたのだが、どうも登場人物が
混乱するので一つだけにした。
「感情教育」も決して読みやすいとは思えないが、「心
変わり」は更に上をいくかもしれない。
しかし、それは一般論で、物語的面白さを望むと、とい
う条件付だ。
タイプは違うが、小説としたら両方面白いと思う。
「心変わり」は、パリからローマまでの車中での話のみ
で終わるのか。
スティーヴ.ライヒでも聴きながら読むなんてのがぴっ
たりしそうだ。

「おくりびと」を返しついでに、新しくできたホームセ
ンターを覗いた。
大きな器だが、その割りに品ぞろえはそれ程でもない。
通路が広々はいいのだが、その分移動距離も長くなる。
印象としては、特色が無いだが、果たしてどうなるか。
それより「黒めだか」一匹百何十円は、ちょっと高い
のでは。
こういう細かな部分で、既存店と比べられ評価される
のだろから、こういう大型店も大変だ。
まあ、どうでもいいことか。
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プリンター

2009年05月17日 | Weblog


立て続けに買った「ジュニア.マンス」「レッド.ガー
ランド」のCD、雨降りに聴くとあまりにフィットする。
雨の日にはジャズピアノ、か?

今もっているプリンターは、貰い物だがこれがなかな
か良いもので、A3まで対応している7色インクのエプソ
ン製だ。
画質には、全く不満は無い。
しかし、まだA3でプリントをしたことはない。
何故かというと、プリントしたいものが無いというの
と、失敗はしたくないからからという理由による。

以前、ショップでA2でいくつかプリントしたことがあ
るが(写真ではなくコラージュ)、その半分以上はイ
メージと違って結局無駄になった。
それなりの料金を払ってその結果だ。
パソコン画面上と、実際のプリントアウトされたもの
との違いは結構大きい。
試し刷りが必要なのだが、紙質は同じにしないと駄目
だし、しかも大きさも同じにしないと、これまたイメ
ージが大きく変わる。
要するに、試し刷りの費用も同じにかかるというわけ
だ。
となると、気軽にはできない。
結果、A3でプリントはそう簡単にはしないぞというこ
とになるのである。

で、最近プリントするのは、A4で普通の写真だ。
これだったら、イメージと違うとかあまり起こらず気
軽に出来る。
それでも、色の明るさとか調整は必要だが、別に展覧
会に出すわけでもないし、単なる蝶の写真だしという
ことで何も問題は無い。
今年は「ヒメギフ」の写真がよく撮れたのでプリント
アウトした。
それを壁に貼って、なかなかよく撮れたと一人悦に入っ
ていればそれでいいのである。
プリンターの使い方なんて、大体そんなものであろう。
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小早川家の秋>>>おくりびと

2009年05月16日 | 映画


「トウキョウソナタ」を返却しにいったら、「おくり
びと」も返却されていたのでついでに借りてしまった。
昨日は、いつでもいいようなことを言っていたが、い
つでもいいという状態だと、まず見ることもないのが
現実だ。
折角見る気になっている今を除いたら、一生見ること
もないと思い(それでもいいのだが)借りることにし
たのだ。
先入観は持たないように(この場合、アカデミー賞と
いうことではなく、どうせつまらない映画だろうとい
う先入観)と努める。

出だしの雪の中を走る車のシーンは悪くない。
いかにも映画的。
しかし、そこまでだった。
最近の映画の特徴である、MTV的めまぐるしいカット
割りが何故この映画に必要なのか最後まで理解できな
かった。
その割には退屈で、単に物語をなぞっているだけの映
画にしか見えないのだが、そこがまた分かりやすくて
良いのだろうかとも思える。
アカデミー外国賞は、この分かりやすさと、最近の映
画の基本ともいうカット割の技術で獲得したのかとい
うなら納得である。
それにしても、アカデミー賞をあまりに過大評価しす
ぎである。
ハリウッド関係者が選んでるだけの賞という事実を、
もっと考えた方が良いのではないか。

結果的には予想通りだったが(終わり三分の一は早送
り)、ネット上などで判断すると、八割方は高評価で
ある。
日本人の死生観が表現されているとか、死を正面から
見つめているとかさもありなんという感想が兎に角多
い。
そういう風に映画が説明しているのだから、当たり前
といえば当たり前。
想像力を問わないという点がポイントか。
個人的には、単に納棺師という職業を紹介している映
画としか見えなかったのだが。
話としては上手いのか?
例えば、風呂屋で会う常連が、焼き場の職員だったと
か、女と思った遺体が男だったとかのシーン。
これらはオチ的とは言えるが、果たして映画的と言え
るのだろうか。

例えば、小津安二郎「小早川家の秋」の、焼き場から
上がる煙を見上げるシーンは、間違いなく映画的瞬間
だ(これこそ死生観というのに相応しいシーンだ)。
しかし、この映画ではそういう瞬間は一切なかった。
どう考えても良い映画(私の)には入りようがない
のだ。
ある映画雑誌のワーストワンが「おくりびと」であった
が、そこまではっきりワーストと言うほどでもないが
(映画館で観たらそうなるかもしれない、Yのように)、
全く印象に残らない映画という評価は変わらない。
後、問題の広末涼子だが、思った以上のひどさは無く
いつものような広末涼子だった。
鼻から口にかけての表現が、喋りを含めどうにも良く
ないのは今に始まったことではない。

コメント

トウキョウソナタ

2009年05月15日 | 映画



見てもないのに批判は出来ないとも思い「おくりびと」
を借りようと、いつも行く「蔦屋」ではなく、ローカ
ルのレンタルショップに久しぶりによる。
何だか品揃えがコミック中心になっていて、普通の映
画は益々隅の方に追いやられていた。
「おくりびと」は新作だった(ついこの前まで公開し
てたから当たり前だ)。
そこには2本だけしか置いてなかったが、どちらも貸
し出し中。
流石アカデミー賞(2本だけで判断しても良いのか)、
権威は絶大である。
どうせいつでも見られるし、わざわざ新作でなくても
と、何か違うものを探す。
直ぐ近くに「トウキョウソナタ」があった。
1本だけだが勿論借りられていない。
こちらの方は積極的に見たいものなので早速借りる。
これも新作。

「トウキョウソナタ」はある家族の物語だ。
都内に家を持つ、大企業に勤める外見上は恵まれた一
家であるが、その実、すでに崩壊の萌芽を抱えた家族
であった。
それが、父親のリストラを契機に一気に崩壊する。
その様を、監督の黒沢清はちょっと誇張しつつも冷や
やかに描いていく。

父親の権威を保とうと振舞おうとするが、すでに子供
達からはその駄目さを見破られている情けない父親に
香川照之。
こういう役は本当にぴったりだ。
その妻役に小泉今日子。
長男は、日常の不満を、日本の平和ボケのせいにし外人
部隊に志願、醒めた次男は教師の権威を貶め、ピアノ
教室に通うために給食代をこっそリ回す。
そんな家族の中ではその母親が一番まともに見えたの
だが、強盗と逃避行のようなまねをし、抑圧された人
間の欲望が一瞬噴出する。
共通するのは、家族でありながら皆それぞれに孤独を
抱えているということだ。

しかし、そんな一家が空中分解一歩手前のぎりぎりの
ところで踏みとどまる。
しかも、再生の希望が見える。
「東京物語」で始まった家族の崩壊は、「トウキョウ
ソナタ」で再生の道筋を見つける。
悲惨な内容ではあるが、最後に救いがあるところがブ
レッソンとは大きな違いだ(ブレッソンの良さがそれ
によって損なわれるわけではないが)。
イーストウッド「グラントリノ」では、家族と決別し
違う所に新たな関係を求めたが、日本では飽くまでも
家族に回帰。
これはアメリカの成り立ちと日本のそれとの違いに
起因する(のかな?)。

切実度は見る人によって大分違うと思われる「トウキョ
ウソナタ」は、否応無く時代を感じさせる映画で、少
なくとも、「おくりびと」よりは見るべき作品である
ことは多分間違いないし(ここでも見てないのに言っ
てしまったが)、黒沢清は常に注目すべき監督である。
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