ネット上の情報は悪意が込められたり、逆にやらせの誉めそやしがあったりと信用できないものが多い。となると信頼できるのは雑誌の情報(実際は似たり寄ったりなのだが)、というのが一般的な捉え方のようである。活字と言う形に残るもののほうが権威があると見なされるのだ。繰り返すが、実際は似たようなもので、活字になったからといってその内容が保証されているわけではない。唯、雑誌によってのひどさの程度は大分違う。相当ひどいものからそうじゃないものとの差は結構ある。
問題なのは、それらの情報によって大きく影響される「グルメな人々」なのである。共通するのは自分の基準がない(本人はあるつもりなのだが)ということである。並ぶから美味い店と当たり前のように信じるそれら「グルメな人々」は、兎に角情報には敏感である。どこそこに新しい店が出来たとあると直ぐに行きたい。同じような仲間で情報交換するのも楽しみ。仲間内で行った店の数を競うのも楽しみなのだろう。傍から見てると大差ないような店を、どうでもいようなことで比較して喜んでるさまは果たして微笑ましいと言えるのだろうか。ここで彼ら彼女らの典型的なグルメ文を一つ(太字)。カッコ内は神の声。
前々から気になっていたこの店にやっと来ることが出来た(気になってたらさっさと来ればいいのに何故かこういう文章を書きたがる)。
入り口を入るとマダムが明るくお出迎え。名前を告げると、お待ちしていましたと席に案内してくれた(兎に角店の人の対応にはうるさい、必ず言うのが自分は特別神経質ではないがという一言)。
メニューを見てお勧めを聞く(お勧めより自分の食べたいもの、或いは、興味を惹かれるものが優先だろうに、ここが情報に左右されるグルメな人々の真骨頂)。
結局ランチのAセットにする(だったら聞くな)。<ここで食べたものを羅列、味については柔らかくて美味しい、或いは独特な香辛料が私には合わないなどという感想を述べるだけで、どういう料理かというのは殆ど伝わらない。そして写真だけは撮りまくる>
始めは私たちだけだったのがいつしか満席、やはり美味しいものを嗅ぎ分ける人たちはそういう店に集まってくるんですね(笑い)(とさりげなく自分のグルメ振りを強調、笑いも忘れずに、それといつしか女性の文章に)。
ケースに入っているケーキがあまりにも美味そうだったので、デザートとして頼むことにした(セットには付いてなかったので)、デザートは別腹別腹(笑い)(笑いは忘れずに)。
十分満足した私達は、店を出る時、マダムに笑顔でまたいらして下さいと声をかけられ、今度は夜来ますと元気に返事して店を後にした。とっても満足のいくランチでした。(当然逆のパターンもある、しかし内容は大体こんなもので、ランチ一回で全てを判断するのがグルメな人々の特徴。それとまた来ますなどと言ってまた来る人は驚くほど少ない、それよりは兎に角違う店に行って数を稼ぎたいのである、そして行く行くは食べログで有名になりたい)。