ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

デンプ

2012年04月30日 | 食べ物

 

安い太巻き寿司によく入っているピンク色のあのデンプ(田麩と書くらしい)、未だ嘗て美味しいと思ったことはないが、彩がいいのと(勿論着色)甘いのとで子供には受けるのだろう。しかし、自分の子供の頃を考えると、当時から好きではなかったことを思い出した。あの甘さがどうしてもご飯のおかずにはならないのだ(他人の弁当にはよく入っていた)。デザートにするには魚くさいし、どうにも意味不明な食べ物であったのだ。因みに普通の佃煮もおかずにはならない。

何故急にデンプなのかというと、昨日それが入っている太巻き(貰い物)を食べたからだ。唯、安い太巻きと違って着色していないデンプであったので、ピンクと違って人工的な味ではなく、本来の魚の味のデンプであった。しかし、甘いことには変わりがない。やはり具としてはいらない。ただ同じ甘いでも干瓢は好きである。デンプの甘さは嫌いなのに何故干瓢は良いのか、そこには論理的な理由はない。そう感じるのだから仕様がない。他に甘い具で許せるのは、卵とアナゴがあるが、これも好きだからという理由しか見当たらない。

というわけで太巻きで一番好きな具は、アナゴと卵と干瓢が入ったもの、と言いたいところだが、アナゴはキュウリとの組み合わせが好きで、卵と干瓢は一緒でも良い。全部一緒だと、甘さがしつこくなる。って、どうでもいい話をだらだらと書き作るなり。

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JUDO 名勝負

2012年04月29日 | Weblog

 

昨日今日とまるで初夏のような気候で、大型連休でお出かけした人にとっては最高の天気であったことだろう。蓼科辺りも、ひょっとしたら桜が咲き初め超が付く込みようかもしれないが、普段の静かな蓼科を知ってる人間にとっては、この時期は絶対に避けたい。

付けっぱなしていた深夜のNHKテレビから、「これは明らかな誤審です」と叫んでいる声が聞こえた。何事かと思ったら、柔道の篠原とドイエのオリンピック無差別級決勝戦での中継だった。どうやらロンドンオリンピックに向けての盛り上げ番組の一つのようで、思い出に残る柔道名勝負ベストテンといった番組をやっていたのだ。この試合はベスト7辺りでその後いろいろ続くのだが、他の日本人が優勝した試合は殆ど覚えてなくて(例えば田村の試合とか)個人的には一番印象に残ってるのがこれだったのだ。対戦相手の名前を覚えてるのなんか、ドイエ以外だと、ヘーシンクと山下と戦ったラシュワンくらいしかいない。篠原の幻の決め技「内股すかし」なんてのも覚えたくらいだから。

何故これほどまでに覚えているかと言うと、まず口惜しかったというのがあるが、対戦相手のドイエがフランス国内では英雄的な名選手としてトップとして君臨していたという事実があり、その選手が明らかにやられたという顔をしてながらも、判定により救われ嬉しそうに表彰台のトップで金メダルを掲げていたのがどうにも腑に落ちなかったのだ。柔道のあるべき姿との違和感を感じたわけだが、JUDOというのはこういうものかとはっきり認識した。つまり、何でもいいから勝てば良いのがJUDOなのだ。微妙な判定、技を出すと直ぐに審判の顔を窺う、多分こんなものは柔道の目指したものではなかったはずだ。勝った瞬間ガッツポーズとか最早他のスポーツと一緒で勝てさえすればいいのである。

今や、柔道人口はフランスの方が多くフランスが本場になってしまうかもしれない。しかしそれは、JUDOを世界に普及させるのが目的だったならば喜ぶべき状況だろう。もし柔道の精神(礼節を重んじるなどの美学的世界)を広めたかったとしたら失敗。結局、オリンピックに柔道を組み入れた時点で行く末は決まっていたのだ。相撲に外人力士をいれるのも一緒。独自の世界を護りたいのならば、スポーツというグローバル化を免れない世界に色目を使っては駄目なのだ。

というわけで、これからテレビではオリンピックに向けての盛り上げ番組が多くなると思うが、今年は本番を全く見ないことにチャレンジしたい。前回も殆ど見なかったが、サッカーの予選だけは見たような。

 

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脱皮の季節

2012年04月28日 | 生き物 自然

 

このところの暖かさで、ビオトープのヤゴたちも大分活発になり、昨日はヤンマ系の二頭が脱皮していた。ヤゴは、羽化するまでに脱皮を十数回繰り返すのだが、この辺りの詳しい値は定かではない。そしてその脱皮殻は、まるでぬいぐるみをきれいに脱いだようにヤゴの形をしているので、一瞬、数が増えたのかと思うくらいだ。つまむと、ぬいぐるみと一緒でふにゃとなってああ脱皮したんだと実感する。古い殻を脱いだばかりのヤゴ本体の方は、直後はいつもの茶色ではなく、薄いペパーミントグリーンのような色で、こちらはこちらで一瞬新種か?と思う。色、更にその変態ぶりと、なかなかに神秘的である。

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東京名所

2012年04月27日 | Weblog

 

東京タワー(☆)渋谷ハチ公(☆)六本木ヒルズ(☆☆)青山墓地(☆☆)都庁(☆☆☆)新宿御苑(☆☆☆)は、ミシュランがつけた観光名所の格付け(カッコ内)ということだ(今朝のNHKおはよう日本より)。東京タワーは一つ星で都庁が三ツ星というのは、日本人からするとちょっと意外な気がするが、エッフェル塔のある国からすると東京タワーはエッフェル塔モドキにしか見えないようだ。それとは逆に都庁の方は、現代の聖堂という風に見えるらしい(展望台がお勧め)。文化の違う国からすると見え方も違ってくるわけだ。後、ハチ公に一つ星というのは引っかかる。

そして何と言っても気になるのは、東京スカイツリーのこれからの評価である。上海電波塔モドキの評価だったら面白い。ライトアップしたところを見たが、色合いはなかなか綺麗だと思った。が、新興国のよくある塔のイメージが払拭されることはない。建築技術は凄いと思う。これから当分大賑わいなのは間違いないが、果たしていつまで続くのだろうか。行くことはまずないから関係ないのだが、入場料はちょっと高いのでは、と思った。

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初春の高原

2012年04月26日 | 生き物 自然

 

チャンピオンズリーグは、バルサもレアルも準決勝で敗退しチェルシー対バイエルンという組み合わせになった。まさかスペインが両方負けるとはね。

というわけで再び初春の高原に。相変わらずウスバサイシンは姿形は見えず。当然、ヒメギフチョウもまだ出ていない。いつものコースで川に出ると、川の水溜りに何かが動いている。早速近付いてみる。それはコオイムシだった。この川でゲンゴロウ(小型の種類は判らないもの)以外の水生昆虫を見るのは初めて。結構急流なので、こういった水溜りぐらいしか住む所がないのだが、増水したらひとたまりもないところだから、あまり環境的には適しているとは言えない。コオイムシと言えば、去年の春、田んぼから捕ってきた幼虫(と言っても姿は親と同じ)をビオトープに放したのだが、無事に冬を越え再び動き出し元気な姿を見せていた。しかし、親となるとこのビオトープの環境は少し狭いし、ヤゴが食べられる恐れもある。しかも、二頭いたのだがもしそれらがオスメスで繁殖に成功したらそれこそ手に負えなくなる。そこで我がコオイムシは再び自然に帰すことにした。以前それら水生昆虫がいた環境の所を選んで放したのだが、果たして現在の水環境は合うだろうか。上手く繁殖してくれれば良いのだが。この辺りはトキを放鳥した人の気分である。

川の近くの毎年コツバメが姿を現すところに今年もコツバメが。

山の木々はいよいよ芽吹きのシーズン。木のよって芽吹きの形もいろいろダス。

今日もルリタテハが。

 

そして里に下りると、桜が満開。

春の花として、最近良く目に付くのはこれ(外来種)。この色形でよく目立つのである。

 

 

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「無用門」或いは「無用庇と無用階段の複合型」

2012年04月24日 | トマソン

 

久しぶりの「無用門」と言うか「無用庇」と言おうか「無用階段」と言おうかの物件。本来ならば「無用門」で済むのだが、肝心の入り口の痕跡が全くなく、庇と石段のみが残されている。綺麗に壁を統一している良い仕事ぶりだ。となるとここで疑問が。庇も撤去すればよかったのでは、と思うのだ。これだけきちんと仕事するのだから、庇がなければより完璧な形だと思うのだ。その辺りがどうしても引っかかる。何か他に理由でもあったのか(見かけより庇は内部までぐっと侵食してるのかも)。普通の新興住宅地にあり佇まいも非常に地味なのだが、なかなか味わいのある「無用門」或いは「無用庇と無用階段の複合型」であった。

 

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水牛 モッツァレラ

2012年04月23日 | 食べ物

 

T君からモッツァレラチーズを貰っていて、それを使って普通のチーズトーストで食べてみた。保存もきかないし、さっさと食べねばと思い、結局簡単な食べ方になってしまったのだが、改めてモッツァレラを味わってみると、普通のチーズトースト(食パンに何も付けずに乗せて焼くだけ)でも十分美味いということを再認識した(よくある生を使ってトマトと交互に挟んだあれは美味いと思ったことがない)。但しこれには、モッツァレラの質が問われる。スーパーに普通に売っているモッツァレラでは駄目だ。嘗て一回買ったことがあるが、風味もなければ味もなかった。感触だけがモッツァレラで、あれは別物と考えた方が良い。ミルクの風味がないモッツァレラは全く美味くないのだ。

結局、同じモッツァレラでも水牛の本物(ブッファラ)との違いは大きいのである。ポイントはミルクの風味があるかどうかで、単純な(単純ゆえ)チーズトーストの味が決まってしまうのだ。考えてみれば、これはマルゲリータを食べるときにチーズがどれほど重要かということと一緒だ。単純なものほどその素材の重要性は増すわけだから、チーズトーストで食べたと言うことは、殆どモッツァレラを味わったと言うことであったのだ。まあしかし、同じチーズトーストでも、スーパーに普通に売っているシュレッドチーズを使ったものと比較した場合値段の差がどれほどかと考えると、1対5いやもっと差が大きいかもしれない、そのくらいの差がでるわけだ。これを考えたら、なかなかブッファラを買う勇気は出て来まへんです。

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インランドエンパイア

2012年04月22日 | 映画

 

久しぶりにAmazonでDVDを購入。フリッツ.ラングの「M」とロバート.アルトマンの「ナッシュビル」、そしてドン.シーゲルの「真昼の死闘」(これはまだ未着)の3本だ。どれも1000円以内。とは言え、ここのところ韓国系通販で安いからと言ってコマコマ買っていて、トータルするとそれなりの額になるので、この通販買いもいい加減自重すべきと思っている。ネット通販の罠(次から次と如何にも買いそうな候補をピンポイントで送り続けること)から脱却せねば。取り敢えずクレジットカードは箪笥の奥にでもしまった方が良さそうだ。

DVDではなく無料映画で、デビッド.リンチの「インランドエンパイア」を観た。が、この映画3時間ほどという長さで、しかも内容が、現実なのか妄想なのか劇中劇なのか良く判らないものが延々と続くというもので、結局半分以上は寝てたか飛ばした。「裕木 奈江」が出てるのでその部分だけを合わせたりとはっきり言って映画としてはまともに観てない。要するに面白くなかったわけだが、デビッド.リンチワールドが好きな人にとっては、この何となく宙吊り状態な不確かな世界がいいのかもしれない。それにしても主演のローラ.ダーンが、「CURE」の役所広司に見えて仕様がなかった。

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21st Century Schizoid Man

2012年04月21日 | 音楽

 

キングクリムゾンの「宮殿」と「アースバウンド」は、共に出だしは「21st Century Schizoid Man(21世紀の精神異常者と今は表記されない)」で始まる。今回CDを購入して久しぶりに聴いてみた訳だが(アースバウンドはライブ版)、よくこんな曲を作ったものだと改めて感心した。しかも40年も前の曲である。個人的には非常に好きだが、どう考えても一般受けする曲とは思えない。当時「宮殿」は、ビートルズの「アビーロード」の売り上げを抜いたと話題になり、プログレに全く関心のないような多くの青年少女が飛びついた。彼らにそういう行動をとらせたのはその話題性である。流行と言うのは恐ろしい。しかし、レコードを買った、多分9割以上の人間は良いとは思ってないはず。いずれにしろ、キングクリムゾンに飛びつくそんな時代があったということが、今となっては不思議としか思えない。

で、その「21st Century Schizoid Man」だが、十数年前くらいか、何かのCMで使われ、再び世に出たことがある。そして今でもちょくちょくテレビ番組の効果音的BGMに使われたりもする。最早スタンダードナンバーと言っても良いのだろうか。確かに、今聴いても古臭いということはなくやはり名曲だと思う。この曲で思い出すのは、昔、バイト先でこれをBGMでかけていきなり大音響で始まってえらい顰蹙を買ったこと。確かにBGMには適さない。クリムゾンでは「太陽と戦慄」も同じくBGMにかけて同じように顰蹙を買ったことがある。まあこれも当たり前っちゃあ当たり前の話である。

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アルコール0ビール

2012年04月20日 | 食べ物

 

フィールド調査に「サブウェイ」のサンドイッチを買ったというのは昨日書いたが、飲み物については触れてなかった。普通、ファストフード店で飲み物を買うことはまずしないので、当然今回も他で購入した。何を買ったかというと、いつもだったらお茶あたりだが、ビール系が飲みたいと思いキリンンのFREEを。話はずれるが、こういう場合コーラなどを飲みたがる人間がいるが、あれはちょっと信じられない。甘い飲料とともに食事をする感覚はとても付いていけないのだ(20歳くらいまでは自分でもやっていたが)。アメリカの典型的食事風景と言えばハンバーガーにコーラ(もう殆ど世の終わりに見えてしまう)、ジャンクの二乗やね。そう言えば、サブウェイもアメリカだった。ここはヘルシーさを売りにしてジャンク色を感じさせないが、アメリカ系(こちらは知的スノッブ系)だけにあまり美味くもないところが残念である。

で、そのFREEだが、確か味が改良されたはずである。初期型は人工的な香りが強く、決して美味いものではなかったが(でもコーラよりは遥かにマシ)、果たして今回は、と思ったのだ。そして飲んでみたら、大して違いはなかった。人工的な香りは弱くなったのか、その場で飲み較べてみないと分からない。いずれにしろ美味いというレベルではない。他のメーカーのものも飲んでみたことがあるが、慣れている分FREEが一番マシだった。これは、アルコール0の限界と言うものなのだろうか。

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初フィールド

2012年04月19日 | 生き物 自然

 

今年初のフィールド。やっとぽかぽか陽気の中、蓼科に。その前に昼食用にとサンドイッチを「サブウェイ」にて購入。ここのサンドイッチは、不味くはないが特別美味くもないというのが個人的評価だが、コンビニのサンドよりはマシという理由で買うことにした。今回は「野菜とアボカドのサンド」(ドレッシングの山葵しょうゆ味しかしない、その味もスーパーに売ってるようなドレッシング味)と「タンドリーチキンのサンド」(多分、鶏肉を低音調理か何かで火を通しそれをタンドリー味のソースに漬けた物で、本当に焼いたものではないので肉はしっとりしていて、サンドイッチとしてはこちらの方が完成度は高い)。

蓼科のいつもの駐車場に車を止める。タンポポは花どころか葉も出ていない。取り敢えずいつものコースを辿る。原生林には雪がまだ残っていた。

木々の芽吹きはこれからといった感じである。中には、これぞ芽吹きというものも。

茶色一色の小さな鳥。

久しぶりの上り坂は結構堪える。山用に購入した色鮮やかなイエロー野郎(韓国系通販サイトで送料込み2500円で買ったnativeというメーカーの靴)は、日本人の幅広足にはちょっときつく小指が痛くなる。革ではないので慣れるまでには相当履きこむ必要がありそうだ。その他は満足。

森の中には、こんな動物に引掻かれた木もあったが、まさか熊か?

それにしてもぽかぽか陽気で山歩きも気分爽快。「クジャクチョウ」もリラックス。

「テングチョウ」も以下同文。その他では「キベリタテハ」を目撃。

ぐるっとコースを回り蓼科は終了。そして今度は定点観察池に行くことにした。当然そこも今年初。

人っ子一人いないと思っていたら、前方の山道に人影が。何者?と思ったが当然向こうも同じように思っているはずだ。水面を眺めながら歩いていると、「ミズカマキリ」が一頭呼吸をしに水面に出てきた。「ミズカマキリ」はここでは初観察。そして端の方で暫く眺めていると、その間だけでも3頭の「ナミゲンゴロウ」が呼吸のために水面に顔を出した。この池には結構な数が生息してるのかもしれない。そうだとしたら益々貴重な池ということになる。あと、ここでは「ルリタテハ」が多かった。

 

 

 

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グルメな人々

2012年04月17日 | 食べ物

 

ネット上の情報は悪意が込められたり、逆にやらせの誉めそやしがあったりと信用できないものが多い。となると信頼できるのは雑誌の情報(実際は似たり寄ったりなのだが)、というのが一般的な捉え方のようである。活字と言う形に残るもののほうが権威があると見なされるのだ。繰り返すが、実際は似たようなもので、活字になったからといってその内容が保証されているわけではない。唯、雑誌によってのひどさの程度は大分違う。相当ひどいものからそうじゃないものとの差は結構ある。

問題なのは、それらの情報によって大きく影響される「グルメな人々」なのである。共通するのは自分の基準がない(本人はあるつもりなのだが)ということである。並ぶから美味い店と当たり前のように信じるそれら「グルメな人々」は、兎に角情報には敏感である。どこそこに新しい店が出来たとあると直ぐに行きたい。同じような仲間で情報交換するのも楽しみ。仲間内で行った店の数を競うのも楽しみなのだろう。傍から見てると大差ないような店を、どうでもいようなことで比較して喜んでるさまは果たして微笑ましいと言えるのだろうか。ここで彼ら彼女らの典型的なグルメ文を一つ(太字)。カッコ内は神の声。

前々から気になっていたこの店にやっと来ることが出来た(気になってたらさっさと来ればいいのに何故かこういう文章を書きたがる)

入り口を入るとマダムが明るくお出迎え。名前を告げると、お待ちしていましたと席に案内してくれた(兎に角店の人の対応にはうるさい、必ず言うのが自分は特別神経質ではないがという一言)

メニューを見てお勧めを聞く(お勧めより自分の食べたいもの、或いは、興味を惹かれるものが優先だろうに、ここが情報に左右されるグルメな人々の真骨頂)

結局ランチのAセットにする(だったら聞くな)<ここで食べたものを羅列、味については柔らかくて美味しい、或いは独特な香辛料が私には合わないなどという感想を述べるだけで、どういう料理かというのは殆ど伝わらない。そして写真だけは撮りまくる>

始めは私たちだけだったのがいつしか満席、やはり美味しいものを嗅ぎ分ける人たちはそういう店に集まってくるんですね(笑い)(とさりげなく自分のグルメ振りを強調、笑いも忘れずに、それといつしか女性の文章に)

ケースに入っているケーキがあまりにも美味そうだったので、デザートとして頼むことにした(セットには付いてなかったので)、デザートは別腹別腹(笑い)(笑いは忘れずに)

十分満足した私達は、店を出る時、マダムに笑顔でまたいらして下さいと声をかけられ、今度は夜来ますと元気に返事して店を後にした。とっても満足のいくランチでした。(当然逆のパターンもある、しかし内容は大体こんなもので、ランチ一回で全てを判断するのがグルメな人々の特徴。それとまた来ますなどと言ってまた来る人は驚くほど少ない、それよりは兎に角違う店に行って数を稼ぎたいのである、そして行く行くは食べログで有名になりたい)

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ツバメ不在

2012年04月16日 | Weblog

 

未だにツバメの姿を見ない。これだけ遅いのは過去20年例がないのだが、単に遅れているのか、一気に少なくなったのか現時点では何とも言えない。唯、この冬の小鳥の数の少なさを考えると、ツバメに限った現象ではないので何かあるのではないかと考えたくなる。小鳥の少なさはこの辺だけではなく、どうやら全体的な傾向のようなので、そうなるとどうしてもあの事故との関連を考えてしまう。

原因が分からないものは、それだけで不安要素となる。今の日本には見えない恐怖がすでに下地としてあるので、それらの不安要素は直ぐに見えない恐怖に収斂していく。自然界の異常は、あの異常事態と関連付けると因果関係が見えたような気分となり、得心できる。不安でありながらある種の安心を得られるのだが、これは異常現象の原因が分かった安心感で、原因そのものがなくなったわけではないので結果的には不安はより強度が増し確かなものになる。こういう気分が蔓延すると終末論などが自然と受け入られるようになるのだろう。

始まりはある異常現象からだった、というのは映画で何度も描かれた世界だ。あの手の映画は、人間の不安メカニズムを上手く利用したものであるが、実際にそれらしきものを目の前にすると、人は知らず知らずのうちに虚構であった映画の世界をなぞるのかも知れない。映画が人間の行動をパターン化したものを描いてるものであるとすると、ある種の予言と考えられるし、そのくらい映像の力は大きい。

などということをツバメ不在をきっかけに想像してみた(実際に起こりうる事態の一例として)。

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BS パリで逢いましょう ②

2012年04月15日 | Weblog

 

第二回「パリで逢いましょう」(BS日テレ)は、バスティーユのある11区。「La caravane」というcafeを中心に現地の日常を紹介していたのだが、そのcafeの常連の一人にある芸術家がいた。パリのどこのcafeにもそういった人間(自称他称は問わない)はいそうに感じるが、そんな人間がいてこそのパリであるので、それも一つの欠かせない風景となっている。しかし今回の常連さんに関しては、その作品をすでに間接的に見ていたので個人的にはちょっとびっくりした。と言っても多くの人の目に触れているはずだから、ピンポイントなというわけではない。

エリック.ロメールの「グレースと公爵」(フランス革命時の話)という映画には、当時の街を再現したCGが使われている。但しそのCGというのは、今の主流の超リアルというものではなく、油絵をそのまま利用したような、どこか飛び出す絵本的な如何にも作り物というCGなのだ。そのリアルではないところが逆に映画を重層的なものにしていて魅力的なのだが、どうもその背景となる絵を作ったのがその常連さんのようなのだ。具体的に説明をしてなかったが、多分そういうことだと思う。フランス革命ではバスティーユは重要な場所でもあったし、思わぬところでバスティーユつながりを見た思いがした。こんなことでも小さな発見として嬉しいものである。

あとこの番組、ナレーターは中谷美紀(彼女の日本文化に対する理解はタレントの域を超えている)だが、やや低い声のナレーションで落ち着いた感じで良いと思う。

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ポールの新譜

2012年04月14日 | 音楽

 

ビートルズマニアから貰った、ポール.マッカートニーのアルバムKISSES ON THE BOTTOMを聴く。アメリカンスタンダードナンバーを歌ったもので、全体にジャズ色が強く、そうなると声質からどうしてもチェット.ベイカーと比較してしまう。どちらが良いかと言われれば間違いなくチェット.ベイカーということになるが、これはこれで肩の力が抜けてBGMには丁度いいと言える。

このように畑違いの人間が出すアルバムは過去にもいろいろあるが、正直な所本職を越えたと思うようなものはあまりないのではないか。似たケースで思い出すのは、キース.ジャレットが出したバッハの平均律。これも、他のクラシックの本職が弾いたものと較べるとどこか軽い印象。引っかかる部分がないと言えば良いか、チェットベイカーも軽いといえば軽いのだが、ポールの軽さとは違い何かが引っかかるのだ。これは多分に感覚的なものなのでこれ以上説明できない。そんな感覚的な微妙な違いで好き嫌いが決まってくるのだから、音楽の世界も多種多様となってくるわけだ。

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