ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

霧が峰2

2008年07月31日 | Weblog


先週に引き続き「霧が峰」に行く。
身近な割りに、行くところは決まっているので、知っ
ているようで知らないところのほうが圧倒的に多い。
歩かないと、そういう場所には行けないので、結果的
に遠足でもない限り行くことはなくなり、自然と足は
遠ざかってきたのである。
しかし、このところの観察好きの復活によって、徐々
に足元に目が向かいだしたのだ。

前回は、ほんの数分の範囲だったが、今回はちょっと
ハードである(飽くまでも前回との比較)。
距離により、いくつかのコースを自分で設定でき、そ
れに沿って好きなように歩けるのが「霧が峰」の良い
ところ。
しかも、草原主体なので、急坂もあまりない。
だから、本格的登山ではなく、ハイキングなどをした
い人にとっては最適な場所であるのだ。
ここ数年の中年登山ブームの煽りも受け、今回も平日
にも関わらずその数の多いこと(個人的には、少ない
ほうがありがたいが)。
特に多くなったのは、ここ二三年のことらしい。
それで何ゆえ、少ないほうがありがたいかというと、
挨拶する回数もそれに応じて少なくて済むから。
多いと、結構煩わしいのである。
しかも、こちらは、殆ど普段着で、いかにも山という
格好ではなく日常の延長のような感覚。
その意識の違いもあり、余計にそう感じる。

一応、山の掟として、挨拶を交わすというものがあり、
「霧が峰」でもそれは適応される。
しかし、その掟がどこから有効になるかというのが難
しいところで、スタート地点では、車で来てちょっと
周辺を散歩などという人間と、そうではないハイキン
グ客が混在している。
どうやら、スタートから半径数百メートルの範囲は、
緩衝地帯であるようだ。
つまり曖昧なエリアなのだ。
いずれにしろ、挨拶するべきかしないべきか、そうい
うことを考えること自体が疲れる原因となる。
結局、人がいない方が良いということになるのだ。
で、今回こちらが選んだコースは、10キロ以上はあ
りそう。
途中、一山越えたり降りたりで、起伏にとんだコース
である。
人が集まるところは、車山周辺。
そこに至るまでの道は殆ど歩いてなかったが、近付く
に連れ、ここは「尾瀬」か、という風景に一変する。
まあ、観光できて高原を満喫したいのだから、ある場
所に集中するのも致し方ない。
こちらは日常、向こうにとっては非日常だから。

途中、昼食タイムとして、今回は「ジャンボンサンド
イッチ」(バゲットのハムサンド)を用意した。
観光客用のレストランはもう使いたくないし、コンビニ
のものはあまりに貧しいしということで、自分で用意
したのだ。
マヨネーズ味というのも避けたかった。
「バゲット」はレベル以上のいつものパン屋のもの。
それにバターを塗りハムをはさむだけ。
ハムが今ひとつであったが(スーパーのものには限界
がある)、高原の風景を見ながらの食事は文句なしに
気持ち良い。
缶コーヒーすら、「カフェ」のエスプレッソの如くで
ある。

そのご、新たな蝶(ウスイロオナガシジミ)も撮れた
し、全体的には満足のいくちょっと長い散歩であった。
写真は、その「ウスイロオナガシジミ」。



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田圃の環境

2008年07月29日 | 生き物 自然


近所のおばさんから、庭で採れた「木苺」(英語だと
ラズベリー、フランス語だとフランボワーズ)を貰った。
生で食べても酸っぱくてそれほど美味いというもので
はないので、ジャムにする。
酸味が強いものは、ジャムには良い。
適当に砂糖を入れ、ただ煮るのみ。
状態を見て、良いと判断したところで出来上がり。
使ったものは砂糖のみ。
種がプチプチあたり、気になるといえば気になるが、こ
れも「木苺」の個性と思えば、気にならない(という
ことでもないが)。
パンにジャムを塗ってという食べ方は、あまり好きでは
ないので、ヨーグルトと食べることにした。
野生の風味が生きたジャムとプレーンヨーグルトを一
口食べると、一瞬にして、室内に信州の爽やかな空気
が満ちたのだった(嘘です)。

昨日の豪雨で、「滝壺ビオトープ」の、何かわからな
いが多分、「ゲンゴロウの幼虫」らしき水生昆虫のため
の上陸用の土(蛹用)をちょっとした脇に用意したの
だが、それが流されなかったか心配になり様子を見た
が、一部だけなくなっただけで後は大丈夫であった。
久しぶりの新たな水で、一段と透明度も上がり、浮き
草も少し流され、より隅々まで観察できる状態となっ
た。
その幼虫も健在で、たまに、お尻を水面に出しては呼
吸する。
そう言えば、一匹だけ残った「フナ」はどうなった。
姿が見えないのだが、ひょっとしたら流され、鯉の池
に入ってしまったか。
いなくなるといないで、今ひとつ寂しくなるから不思
議である。
本当、勝手なものだ。
「チビゲンゴロウ」は元気に泳いでいるが、全体では
もう少し数がほしいところなのだ。
大き目の、と言っても5ミリほどの「マメゲンゴロウ」
か「ツブゲンゴロウ」がいたはずなのだが、その姿が
見えないのも、寂しさの印象を強めている。
また調達してくるか。
一番水草が豊富で、「チビゲンゴロウ」の密度の高い
田圃は、甥っ子と一緒に行って確認したばかり。
甥っ子に言わせると、結構貴重な水草も生えているら
しい。

しかし、いい年した二人が田圃を覗いている姿という
のは怪しい。
小学生だったら分かるが。
甥っ子は、この前、高校生くらいの学生に怪訝な顔を
されたらしい。
今時の子供は、こういうことにあまり関心がない。
関心があるのは、嘗て子供のころ浴びるほど経験した、
今やおっさんのそんな世代の人間ばかりである。
実に困ったものである。
と言っても、環境があまりに違うから今は。
いずれにしろ、おっさん連中にとっては、単なる郷愁
かもしれないが、それが、少しでも環境を守る方向に
働くのであらば、それはそれで良しなのだ。
ジャクソン.ブラウンの「Late for the sky」を聴い
ているので、今「郷愁」という言葉が反復している。

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テレビの終焉

2008年07月28日 | Weblog


それにしてもひどい番組が続く。
まずは、TBSの芸能人の結婚中継。
何か悲しくて、こんな番組を見なくてはいけないのだ
ろう。
見たくなければ見なければ、なのだが、未だにこうい
う番組を平気で作る局の姿勢が信じられないのだ。
だからTBSはどうしようもないのだ、と結論付けた
いところだが、どこも同じようなものだった。
NHKが絶対やらないだけであった。

そして24時間番組(最近は24時間以上らしいが)。
いい加減にしてほしい。
エコがどうしたこうしたと言ってる局が、自分とこで
はこんな無駄なエネルギーを平気で垂れ流しているの
だから、聞いて呆れる。
筋書きありの感動マラソン24時間番組も、相当うん
ざりだが、一体いつまでこんな番組を作り続けるつも
りなのだろうか。
こんなことをやってるから、地デジに切り替わる時に、
「テレビを見ない運動」をするべきだなどという発想
が生まれてしまうのだ。

それにしても、「さんま」は面白くなくなった。
この数年面白くないと思うことが多くなったが、今回
改めてそれを確認した(20分ほど見ての感想だが)。
芸人としては「飽きは」不可避なのだと思うが、他の、
例えば「タモリ」は好奇心旺盛で、それを生かす芸人
としてではない「タモリクラブ」という番組がある。
「たけし」は映画監督という確固たるものがある。
「所」は、自分の守備範囲を心得ているし、芸人とい
うより趣味人。
そして今や「さんま」より勢いのある「紳助」は、「さ
んま」と比べればいろんな分野に知識があるし、一番
の違いは「毒」がありそれが上手く生かされている(飽
きられる可能性は<さんま>の次にあるが)。
そんな中、一番芸人臭のある「さんま」が飽きられる
のは当然と言えば当然だ。
よく今まで続いたものである(過去形ではなかった)。
「さんま信者」対「さんま」でしかお笑いが成立しな
い今の状況は、何だか末期的にも感じるの。

と、見てると思えるのだが、世の中まだまだ飽きない
人のほうが多いとすると、今言ったことは丸っきりの
見当外れとなる。
後、数年見ないと結論は出ない。
というか、基本的にはどうでもいいことであった。
タレントの衰亡など、社会現象として見れば、それな
りに意味があるが、見てるほうは単に消費しているだ
けのことだから。


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名作映画

2008年07月27日 | 映画



「勇気と感動の映画ベスト100」とか、「知ってお
きたい名画100」などというものを取り上げている
番組、或いは記事をたまに目にする機会があるが、い
つも感じるのは、その類の映画を殆ど見てないという
事実である。
今でこそ、観る回数は減ったが、高校生の頃は公開さ
れる映画は端からすべて観ていた(と言っても田舎の
ことだから僅かであるが)という映画好きだった。
つまり、その頃は正しい映画ファンであったのだが、
いつの頃からか、すっかりひねくれた人間になってし
まった。

でその名画であるが、たまたま見た「勇気と感動の名
画ベスト100」は、アメリカ映画が対象で、一つ一
つの映画に俳優などのコメントを添えるという方式で、
一様に如何に感動したかというようなことを言ってい
た。
「ジェシカ.アルバ」などが出てきたのは良かった(単
に好きであるという理由)。
確かベストワンとなったのは「素晴らしき哉、人生」。
全体の印象としては、「古き良きアメリカ」を描いた
ものが多い。
「アラバマ物語」「スミス都に行く」とか、正義のた
めに戦う人間を主人公にしたものも含め。
解り易い感動ドラマが上位に来るのは、当然といえ
ば当然だ。
だから勿論のこと「夜の大捜査線」も上位に来る。
そして、そのアメリカの良心を体現した「ジェームズ.
スチュアート」「グレゴリー.ペック」などが当時
人気であったのも頷ける。
しかし同時に、「失われたもに対する郷愁」も強く
感じるのもまた事実だ。
いくら、この映画で正義を学んだとか誠実さの大切
さを学んだとか言われても、今のアメリカを見る限り、
一体どこにそれらの映画が生かされているのかと首を
傾げたくなる。
そこにあるのは、やはり郷愁だけのようだ。

と、そんなことではなかった。
これらの名画についてだった
今出てきたものに関しては、結構観ているような気が
する。
何故かというと、これも高校生の頃の話だが、毎日「午
後の名画劇場」というテレビ番組があり、必ず観てい
たから、確率的には観ている可能性は高いのだ。
一番手頃な番組だから、やっていてもおかしくない。
多くは、西部劇だったが、この手のものもやっていた
筈だ。
ただ、如何せん古い出来事でよく覚えていない。
「ジェームズ.スチュアート」に関しては、当時から、
誠実そうな人であるといういい印象を持っていたから、
相当映画も観ているはずであるのだ。

問題は、もっと有名な作品だ。
「アラビアのロレンス」も観たことないし「風とともに
去りぬ」も観たことないし「カサブランカ」、そしてこ
の前番組を見ていて気付いたが「オードリー.ヘップバ
ーン」の映画は殆ど観ていないことが判った。
「ティファニーで朝食を」「ローマの休日」「暗くなる
まで待って」と観てないものは一杯だ。
「シャレード」と「麗しのサブリナ」くらいか観たのは。
この理由も簡単だ。
面白いとは思えないから。
自分の基準から言って、絶対面白くないというのはす
でに判るので、多分この先も観ることはない。
「ET」「未知との遭遇」もそういう対象。
今だったら「マリー.アントワネット」を主人公にした
ような映画が、間違いなくその対象。

これではっきりしたが、このブログで紹介するお気に
入りの映画は、オーソドックスな映画ファンが気に入
るようなものではないということである。
つまり、一般的には面白くない映画である。
これだけはっきりしていれば、ある意味、一番参考に
なるのではないだろうか。
間違いなく、面白くないのだから。
これでも嘗ては、「ロッキー」で感動した時代もあっ
たんだが、気が付いたらこうなってしまったんですね、
残念なことに。

写真は、この前「霧が峰」に入ったとき撮った「アカ
セセリ」という蝶(この写真では全く判別できないが)。
周辺には一杯いたが、全国的には希少種である。
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BIOTOPE BEER

2008年07月26日 | Weblog


『滝壺ビオトープ日記』

「ボウフラ」は相変わらずあまり発生していないが、
よく見ると小さいのが数匹確認できる。
発生しては食べられ、発生しては食べられというサイ
クルを繰り返しているようだ。
水草や貝などのせいか、ここ1週間まったく新たな水
が入っていないのだが、透明度は保たれている。
他に何か新しいものはいないかと、目を凝らし更に観
察すると、底を動く何かがいた。
長さ1センチ位の、水生昆虫の幼虫らしき虫が(推定
であって、いつものように全く違う可能性もある)3
匹ほどグループを形成している。
それらが、水死した甲虫をむさぼり食べて始めた(こ
の部分を拡大すれば<スターシップトゥルーパーズ>
の世界だ、虫が忌み嫌われる一番の理由となる光景
がこういうのだろう)。
新たな生命が発生して、虫の死骸を食べ、そのかすを
他の生物が分解する。
その養分を栄養にして、植物が育つ。
そこに止まって、アシナガバチは水を補給。
よくしたものである。
水は生命の源である、なんてことも素直にに実感でき
る、今日の<滝壺ビオトープ>であった。
それにしても、カブトムシは成虫にならない。
ひょっとして全滅か。
どうも、自然のほったらかしは性に合っているが、飼
育の方は失格のようである。


ところで、この暑さだとビールの消費にも勢いが付く。
銘柄にはこだわらないというか、大差ないのが日本の
ビールだと思うが(当然発泡酒も含め)、目先を変え、
次から次と同じような銘柄をよく出すものである。
今時、「ビールはキリンに限る」などという人もいな
いと思うが、嘗てそういう時代がった。
一体あれは何だったのだろう、と、そういうことを断
言する人間の、どう見ても味の判る連中には見えなかっ
た顔を思い出しては今更ながら不思議に思う。
多分今は、「ビールはアサヒ本生に限る」などと言う
のではないか。
要するに、そういうことを言いたがる連中の味覚は基
本的には信用していないのだ。
きっちり違いを理解した上での好みの銘柄がそういう
ものであるのだったら、信用するが、飽くまでも印象
だが、十人の内一人もいないと思う。
それより重要なのは、鮮度だと思う。
銘柄よりは鮮度、つまり酵母の香りがするかしないか
が美味さの基準なのだが、なかなかこのことを理解し
てくれる人がいない。
昨日の続きではないが、これって私だけ、なのだろう
か。
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五輪のあれこれ

2008年07月25日 | Weblog


U23の対オーストラリア戦を見たが、ベストエイトに
入る力は無さそうだ。
いずれにしろ、オリンピックという舞台でのサッカーの
位置付けは、世界的に見れば低いし、どっちでも良いの
だが、選手にとっては晴れ舞台なはずで、それなりに頑
張っているのだろうが、動きを見ている限り、今ひとつ
ぴりっとしない。
オーストラリアの選手は、はっきり言って動きは遅い。
その相手に、どうして直ぐに停滞するのだろう。
小技はあるが、ダイナミックな動きが少ないように感じ
るのは、日本代表と同じである。

ついでに、オリンピックの球技のメダル予想。
可能性があるのは「野球」と「ソフト」。
しかも、この二つの競技は、「テコンドー」と同じくら
い価値が低い(客観的に比較してみれば)。
しかし、メダルを取れば、間違いなくマスコミは大騒ぎ。
オリンピックで大騒ぎするより、もっと大事なことがあ
るだろう、というのは毎回感じることだ、間違いなく今
回も同じ光景が繰り返される。
それと、これもいつも感じることだが、オリンピックに
出たいという選手の気持ちは解るが、それにしても派遣
する選手数が多すぎではないか。
今の三分の一でいい。
慈善事業ではないのだから。
ひょっとして慈善事業か。

マスコミにとってのオリンピックは、自分達の生命線と
も言えるものだから、どうしても当たり前のものという
前提で話を進めるが、別に無ければ無いでどうってこと
も無い(こう考える人も極極少数であろうが)。
それより、見る度に腹立たしい国会議員の「海外視察」
の無意味さなどを何故もっと追及しないのか。
現地の大使館員は、その役に立たない議員の接待で、本
来の仕事が後回し。
どう考えても、おかしい。
「議員年金」問題もそうだし、根本的な議員の数(今
の半分でいい)とか、そういう問題を徹底的に追及して、
その後にオリンピックであるなら、別に騒いでも許せる
が、どうも、娯楽優先があからさまで信用置けない。

前にも触れたことがあるが、いろんな状況を考えあわせ
ると、スポーツとは、国民の目を政治に向かわせない一
大ツールである、とどうしても思えてしまう。
「馬鹿な国民はスポーツで熱狂してろ」、とほくそ笑ん
でいる人間の存在を感じるのは、私だけ?
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霧が峰

2008年07月24日 | 食べ物


例年よりは早いが、田舎ももう完全に「夏」である。
そんな中、「滝壺ビオトープ」の残り二匹の魚を何と
か捕獲して、鯉の池に放流。
運がよければ生き残れるが、多分、鯉に食べられる運
命であろう。
そして、一時撤去した水草を戻し、「チビゲンゴロウ」
などの活発に動く様子を暫く観察。
すると、一匹の魚の姿が。
「オーマイガー」或いは「オーモンデュー」、もう一
匹いたのか。
再び、水草を撤去し、一匹のためだけに同じ作業をす
る気には到底なれない。
一匹くらいだったら良いか、すでにそんな気になって
いた。
「滝壺ビオトープ」全体の大きさに対して、小鮒一匹
(大きくなるということをこの時点では想定していな
い)、「ボウフラ」が湧いて食べ続けて、つまり、他
の水生昆虫には影響のない調度いいバランスに保たれ
るのではないか、と、またまた都合のいい考えをこの
状況に当てはめ、このままでよしということにした。
上手く行って、チョウダイ(財津風に)。

そのご、「霧が峰」に行く。
家から車で20分ほどだが、その下まではマイフィール
ドなのでちょくちょく行くが、所謂「正調霧が峰」、
強清水、車山、八島湿原にはなかなか行くことはない。
「ニッコウキスゲ」のシーズンは過ぎたので、この前
通った時(通過しただけ)より人は少なかったが、そ
れでも結構な数の観光客である。
昼時でもあるので、その強清水(コワシミズ)のレス
トハウスで何か食べることにした。

観光地のこういう施設で食べることは、まずないのだ
が、今回は、たまにはこういうところで観光客気分を
味わうのも良いか、と思ったわけではなく、何か簡単
に済ますものがあれば、と思ったのである。
「コンビニ」で買ってくればそれで済みそうだが、ど
うも「コンビニ」のものも、今ひとつ食べる気になれ
ない。
一番良いのは、入りたくなるような店がこの周辺にあ
れば(或いは、自分でバゲットサンドでも用意すれば)、
なのだが、これが見事に、どこの観光地でも見られる、
今ひとつぱっとしない店ばかりなのである。
今回のレストハウスも、昔ながらのサービスエリアの
レストランという風情で(土産物屋がセット)、メニュ
ーには簡単に済ませるようなものはなく、値段だけは
高い。
シーズンのみの商売なので、原価100円のものを10
00円で売るというのは当たり前といえば当たり前だ
が、基本的に、観光客でもない我々が利用する店では
やはりない。
そこで、スタンド方式の店もあったのでそっちを利
用することにした。
こちらは「サービスエリア」ではなく「パーキング」
にありそうな店だ。
中途半端な店で食べるよりは、立ち食い蕎麦で食べた
方が満足度は高い、というのと同じ方式だ。
そのスタンドで「ラーメン」を頼む。
何故「ラーメン」かというと、他になかったから。
あまりに暑かったので、ついでに「ソフトクリーム」
も。
この組み合わせは、「ラーメンソフト」などとお子様
専用のメニューでよく見たことがある。
味については、そういう対象ではないのでとやかく
言ってもしょうがない。
ただ、「ソフトクリーム」は、よく言えばあっさり、
しかし乳脂肪の殆ど感じない、原価50円(推定)を
400円という、なかなか正統派観光地値段のソフト
であった。

それより、外で食べなくてはいけないので、ひっきり
なしに人が通るので全く落ち着けない。
しかも、用意しているテーブルも少ない。
家族連れが座るところがなく、わさわさしていたの
で、ソフトの残りを持って早々にそこを後にした。
やはり、こういうところは利用しない方が良い、と
あまりに当たり前のことを感じ、そこからいくつかあ
るハイキングコースの一つに進んでいった。
観光客も、殆どはレストハウス止まりで、コースに出
る人間は、その十分の一もいない。
歩くのは、見事に中年グループだけである。
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BIOTOPE BEIJING

2008年07月22日 | Weblog


『滝壺ビオトープ日記』

滝壺ビオトープの小魚を排除すべく、網で捕ろうとす
るのだが、動きが素早く捕らえられない。
そこでもう一つの網を(よく水槽で使ったりする緑色
のあれ)買って来て、挟み撃ちにしようと思った。
新たな網は少し大きめのもの。
その前に、視界の邪魔をする浮き草をバケツに移動。
すでに殺気を察知した魚は、底でじっと息を潜めてい
る(多分)。
一つの網で追い、逃げた魚をもう一つで掬おうという、
いわば追い込み漁だ。
早速実践。
速すぎる。
しかも敵は見えない。
こういう時のために、魚も保護色のような中途半端な
色をしてるんだ、と納得せざる得ない。
それでも、何とか4匹捕まえて鯉の池に放流。
まだ、2匹残っている。
厳しい体勢の作業なので、今回はここまで。
ということで、残りを始末するまではまだ終結宣言は
出せない。
それより、またまた新事実が発覚した。
前回「カダヤシ」と同定したのだが、捕まえたものを
じっくり観察すると、全く違うではないか。
同じなのは、その大きさだけだった。
横から見ると、姿は違うは、ヒレの形も全然違うはで、
「カダヤシ」ではないことは明らか。
よくみるその姿は、「フナ」。
ここで断定すると、違ってた場合また訂正しないとい
けないのでとりあえず「フナ系」ということにしてお
こう。
全く、お騒がせな魚どもである。
というより、こちらが勝手に騒いでるだけのことだっ
た。



中国で、いよいよ爆弾テロのようなことが起こった。
以前、聖火騒動の時、冗談で、本番ではそこらじゅうで
爆弾テロが起きてオリンピックどころではなくなる、と
誰か相手に言った事があった(思い出した、更級の主
人だった)。
冗談では済まされないことになるかもしれない。
各地で小さな暴動も起こってるようだし、オリンピック
を契機に一気に不安定化では、平和の祭典という看板
が如何に嘘であったかを世界に証明するようなものだ
し、更には、糊塗しきれない世界の実像を露にすると
いう、いろんな意味で、歴史的オリンピックとして記
憶されるかもしれない。
それにしても、「東京オリンピック」のころは、素朴
な時代であったものだ。
純粋に楽しみにしていた人間が、実際多くいたのだか
ら。
やはり、もうオリンピックはいらないのでは、とつい
思ってしまう。
それと、もう一つ危ないと思うのは、次回のサッカー
WC。
南アフリカではないところに変更される可能性は、結
構高いのではないかと思っている。
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CAFE LA NUIT

2008年07月21日 | 食べ物


夜、松本の「オ.クリヨー.ド.ヴァン」に行く。
現地で合流ということで、一人早めに行き、ビールで
も飲みながらゆっくり待つか、などと最初は余裕で、
テラスで涼みがてら「ヒューガルデン」というビールの
生を飲んでいた。
目の前の川面を、昼なら「ツバメ」、薄暮のこの時間
だと「コウモリ」が盛んに飛び回る。
季節はもう夏である。
ゴッホの「夜のカフェテラス」にでもいる気分だ(あ
の絵の季節はもう少し寒い時期か)。
それにしてもこのビール、独特の香りがある。
ちょっと変な味で、何故か「オイルサーディン」を思
い出した。
要するに、あまり美味しいとは思わない。
「パナシェ」にするべきだった。
後で確認すると、「ヒューガルデン」というこのベルギ
ービールは、「コリアンダー」を使っているらしい。
それでか。
と言っても、それが何故「オイルサーディン」を連
想させたかのかは解らない。

時間が時間なので(7時過ぎ)、「フレンチポテト」と
「チキンのソテー」も注文する。
すきっ腹にビールというのもと思い。
他の客は3組ほど。
混雑というほどではない。
ところが、その後十五分で、次から次と入り、しかも
どの組も三人以上とすっかり盛況状態となった。
これだったらアルルのカフェにも負けない。
ホールの男性(一人)はもうてんてこ舞いである。
こうなると、食事はなかなか出てこない。
というのも厨房も一人だから。
しかし、こちらのオーダーはその前に済んでいる。
まあ、30分もすれば出てくるであろう、とその時点
では悠長に構えていた。

暫くして、「フレンチポテト」が出た。
それを肴に、ビールを飲む。
やっぱりこの味は好きではないな、と飲むたびに確認
しポテトを摘む。
そろそろ「チキン」か、というこちらのタイミングで
は出てきそうにない。
そうこうする内に、「フレンチポテト」は払底。
量的には、ファストフードの「ポテトのL」x3、つ
まりエルポが三個位である。
ここからが長かった。
時間は、7時半を過ぎている。
待ち合わせの時間も過ぎている。
変に間が空くと、ポテトがずっしり来て他のものを食
べる食欲が奪われてくる。
徐々にそんな状態になってきた。
しかも、まだどちらも来る気配というものがない。
だんだん、こちらも悠長な気分はなくなり、むしろい
らいら方向に向かいだした。
「チキン」が来たら、さっさと食べて帰ろうと思い始
めた。
わざわざ一人で、「夜のカフェテラス」を味わいに来た
わけではないのだから。
時刻は8時過ぎ。
すると、待ち人が到着。
こちらはすっかりお疲れ状態。
食べたら先に帰るからと、始めに宣言。
何故かというと、この時点でオーダーしたら、食べ物
が出てくるのは間違いなく2時間近くかかるから。
と、そんなことを説明しているとやっと「チキン」の
登場。
所要時間、一時間10分位か。
参りました。
それでも結局、二時間ほどは付き合い、宣言どおりに
一人先に帰ったのであった。
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カダヤシ

2008年07月20日 | 生き物 自然
『滝壺ビオトープ日記』

ボウフラは殆どその姿を見ることがなくなった。
魚が食べつくしたわけだが、メダカほどの大きさなの
に凄い食欲である。
しかし問題は、ボウフラ以外の水生昆虫も食べてしま
うその旺盛な食欲と肉食性だ。
このままでは、魚しかいないビオトープになってしま
う恐れがある。
そこで気になるのは、この魚の種類であるが、「カダ
ヤシ」というのが非常に可能性としては高い。
「蚊絶やし」で「カダヤシ」。
元々、蚊を退治するために輸入したらしいが、繁殖力
と環境に強い特性で、日本の「メダカ」までも駆逐し
たようなのだ。
一見、そこらの川に「メダカ」が一杯いて、本当に絶
滅危惧種か?と思った人は多いと思うが(というか誰
も気にしてないか)、その「メダカ」と思われている
殆どはこの「カダヤシ」であるらしいのだ。
しかも今では「日本の侵略的外来種ワースト100」に
めでたく登録もされている。
人間の都合で入れたはいいが、増えすぎて今度は悪
者になるという毎度のパターンである。

と、他人事のようなことも言ってられない。
同じ図式を、「滝壺ビオトープ」でも抱えてしまった
のだ。
ボウフラを駆逐するために選んだ魚が、他の生物も駆
逐する。
自然界は、難しい。
結局、人間のシナリオ通りには運ばないということだ。
こんな小さな「滝壺ビオトープ」でさえ問題ありなの
だから。
数日前まで、シナリオ通りに行っていると思って得意
になっていた自分が恥ずかしいどすえ。
取り敢えず「カダヤシ」(多分)の数を減らさなくては。
うかうかすると、何百の子を産むらしいし。
しかも、卵ではなく胎生のような形で。

で、6匹(或いは7匹)いる「カダヤシ」を捕獲しよう
と網を入れるが、ここのところ目一杯ボウフラを食べ
て「元気溌剌」である彼らの、その素早いこと。
結局、40分かけて一匹捕獲できただけである。
こりゃ、大変だぞ。
何とか、子供を生む前に捕獲したいのだが。
因みに捕まえた1匹は、滝壺の直ぐ下の、鯉のいる池
に放流。
こちらは間違いなく、鯉の餌になる運命。


ここからは『カスレ日記』

半分残ったしょっぱくてどうしようもない「コンフィのカ
スレ」は、生のトマトを二個足し、バター(嘘ですマー
ガリン、本場はラードを使う)を乗せ電子レンジで加熱。
するとなんとしたことでしょう(ここからピアノBGM
付き)。
あれほどしょっぱくてどうにも食べ辛かった「カスレ」
は、まるで嘘のようにまろやかになり、お店で出しても
決して恥ずかしくないお味に変身したのです。
こうして「カスレの魔術師」は、今回も食卓に笑顔を運
び、更なる仕事に向かって「子牛とほろほろ鳥のコンフィ
のカスレ」を後にしたのでした。
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トンボの産卵とカスレ

2008年07月19日 | Weblog


「滝壺ビオトープ日記」

心なしか、「ボウフラ」の数が減ってきている。
透明度も、何故か昨日より上がっている。
いよいよ、自然のメカニズムが働いてきたか。
そしてじっと観察していた時、直接その現場を目の当た
りにすることとなった。
例のメダカに似ているがメダカではない魚が、「ボウフ
ラ」をついばんだ。
ひと飲みは出来ないので、突っついて食べようとする。
やはり、ボウフラ減少の原因は魚だったか。
そうだとすると、今のところシナリオどおりの展開で
ある。
更に、そのボウフラの死骸は、「チビゲンゴロウ」(推
定)が底で食べ始めた。
いい展開である。
が、「チビゲンゴロウ」の数が少ない。
確認できたのは二匹。
これでは、繁殖は期待出来ない。
最初はもう少しいたような気がする。
しかしそれ以外に、もう少し大きい体長4ミリほどの甲
虫系の昆虫が(チビゲンゴロウは体長2ミリほど)一
匹確認できた。
「ケシゲンゴロウ」か(推定)。
いずれにしろ、これも一匹だけでは繁殖は無理だ。
また田圃に採りに入ってくるか、などと思っていたと
ころ、いきなり目の前にトンボが飛来し、三回ほど卵
を落としあっという間に飛んでいった。
いつもの「オオシオカラトンボ」ではない。
常連さんの方は、今日もその後飛来し、また頭に止ま
ろうとしていた。
で、そのあっというまの早業トンボは何かということ
だが、はっきり言って、良く判らない。
見覚えのない模様だったのだ。
それに、じっくり観察するには、あまりに短い産卵で
あった。
これは、とりあえず可能性のあるところに落としてい
くか、という作戦なのであろうか。
小出しに、多くの場所で作戦。
それにしても、何トンボだろう。
気になるな。
あとで、図鑑で検討だ。


さて、「カスレ」であるが、ついに完成した。
「子牛のコンフィ」「ほろほろ鳥のコンフィ」を使っ
た特性カスレ、その味はどうだったのか。
結論から言うと、やはりしょっぱ過ぎであった。
「コンフィ」自体が塩漬けなので、豆がしょっぱめでは
辛いに決まっているのだが、全くその通り。
喉の渇くこと渇くこと。
それと、「金華ハム」の臭いがきついということはなか
ったが、かと言って決して美味しい方向に導いてくれる
わけではない。
結果、今ひとつ、いや、今二か。
もし、これと同じ物が店で出てきたら、不味い店と判
定するだろう(フランスには、このくらいしょっぱい
のも出す店もありそうだが)。
もう一つ問題は、この時期にこってり系はきついと思っ
て脂分を控えたが、この料理はやはりこってりがその
本領であるようだ。
あっさりさせると旨味も足らない。
いろいろ改善点がみつかった今回の「カスレ」であった。

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カフカ「アメリカ」

2008年07月18日 | 芸術


「滝壺ビオトープ日記」
姿が見えないと思っていた巻貝(多分、サカマキガイと
いう外来種)は、ちゃんと生きていた。
貝のくせに活発に動き回るので発見しにくかったのだ。
これはひょっとして、環境的に合っていないことによる
行動なのかもしれない。

ところで、この前カフカの「アメリカ」を読み終えたと
き、同じくカフカの「城」に挑戦して、その三分の一か
ら進んでいないmのことを思い出した。
このところ顔を見ていないので、ひょっとして死んでい
るのではないかと思いメールをすると、生きてはいるよ
うであった。
「城」よりは「アメリカ」の方が読み易かったかもしれ
ないので、先にこちらを推薦しておくべきだったか。
遺品に読みかけの「城」というのも、なかなか文学的
な感じはするが。

「アメリカ」が「城」や「審判」に比べて読みやすいの
は、「ロードムービー」のようなストーリー展開になっ
ているからだ。
他の作品は、同じ場所で延々同じことを繰り返している
ような(その眩暈の感覚が魅力的といえるのだが)作品
だが、この「アメリカ」は、主人公が移動していった先
々でいろんな体験をするという、ストーリーの構造とし
てはオーソドックスなものを持っている。
だから「ロードムービー」的であるのだ。

小学生の読書感想文的にまとめてみる。

主人公「カール.ロスマン」(この名前、もう一生忘
れなさそう)は、お手伝いを孕ませたことによって、
父親から半ば厄介払いされ、単独アメリカに船で渡る。
その船中での、火夫とのやり取りが第一章。
その火夫の労働条件などを抗議しに船長室に行くと、
そこでカールは、音信普通だった、アメリカで事業で
成功して今は国会議員までやっている彼の叔父に会う。
お手伝いによって、甥がアメリカに行くことを知らさ
れていて迎へに来ていたのだった。

叔父のところに厄介になり、英語の勉強もしてニュー
ヨークの生活にもにも慣れてきた。
そんなある時、叔父の知り合いの、郊外の家に招待さ
れる。
そこで、カールは家の娘に柔術でやられる。
とこれは、本筋には関係ないエピソードだが、そんな
関係ないエピソードの集合体がカフカの全体の小説世
界であるのだ。
その家にいるとき、何故か叔父が、カールと縁を切る宣
言を他の者に託し伝える(唐突である)。
後ろ盾がなくなったカールは、仕事を探すため、ある
町に向かう。

最初の安宿で、同じく職探しの二人組のフランス人と
アイルランド人に合う。
彼らと暫く行動を共にするが、信用できずに別れ、カー
ルは親切な同郷の大きなホテルの料理主任の女性に誘
われ、そのホテルのエレベーターボーイとして勤めるこ
とになる。
そのホテルの名は「HOTEL Occidental」。
そこはエレベーターボーイだけで数百人という、巨大
なホテル(決して現実的な話ではない)。
真面目に働いていたある日、別れたアイルランド人が
カールに会いに来る。
しかし彼は泥酔し、ホテルに迷惑をかける。
その彼を連れて行くために職場を離れたカールは、職
場放棄とみなされホテルを首になる。
アイルランド人の目的は、カールをホテルから連れ出
すことであったのだ。

彼は、もう一人のフランス人とあるマンションに住ん
でいた。
フランス人が、歌手の紐のような存在となっていて、
その歌手の身の回りのお世話をする人間を探していた
のだ。
それで、カールが狙われていたのだ。
結局、彼らの策略で、奴隷のような囚われの身分となっ
てしまったカール。
しかし、どうにかこの身分から開放されたい。
そんな時、ある巨大な劇場の団員募集の張り紙を見つ
ける。
一日限りの、誰でも採用されるという募集。
勇躍乗り込んで、採用されることになったカールは、
すぐさまその劇場のある町に向かうため列車に乗り込
む。
そして、その車中の話で小説は終わる。

聞くところによると、小説は途中であるらしいが、こ
れこそがカフカらしい終わり方であると思う。
決して目的地に辿り着けない男の物語、終いには、目
的地の意味すらなくなる。
そうやって見ればこの「アメリカ」も、読みやすいが
というのもおかしいが、充分カフカの世界を味わえる
小説である。
それに改めて感じたのは、ストローブ=ユイレの「階級
関係アメリカ」が、如何に小説の世界をそのまま現して
いるかということだ。
オーソン.ウェルズの「審判」とストロ-ブ=ユイレの
「階級関係アメリカ」、間違いなくカフカ映画の二大
金字塔である。
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オオシオカラトンボからベルリン

2008年07月17日 | Weblog

先日、庭に飛来するトンボは「シオカラトンボ」では
なく、殆ど「オオシオカラトンボ」であると書いたが、
それにはそれなりのちゃんとした理由があることがわ
かった。
「オオシオカラトンボ」と「シオカラトンボ」では、好
む環境が違うのだ。
「オオシオカラトンボ」は、木などの日陰のあるとこ
ろ、「シオカラトンボ」は田圃などの日当たりの良い
ところと、はっきりした好みの違いがあったのだ。
それで、庭木の多い家の庭には「オオシオカラトンボ」
であったというわけだ。
昨日も、「滝壺ビオトープ」を観察している時一匹飛
来し、頭に止まった。
どうも、こういうところに止まりたがるようだ。
そのままにして観察は続けた。

それにしても、最近は自然関係の知識が増えるばかり
だ。
質量不変の法則のように、新たな知識が増えると、同
じ量の過去の何かが消える、なんてことになるかもし
れないが、この手の知識というのは、何の役にも立た
ないが、単純に知りたいという欲求によって身に付け
るので、多分忘れない。
そんなどうでもいいような知識を纏い、今日も「滝壺
ビオトープ」の観察はつづけるのである。

話は変わるが、「平成中村座」の松本公演は盛況の内
に終了したが、それではなく、その前の「ベルリン公
演」の様子を聞いてみた。
初日は、6分位の入りでどうなることかと思ったが、
現地新聞の劇評によって徐々に入りもよくなり終わっ
てみれば成功ということであったようだ。
向こうは、そういうものに対してシビアーだから、話
題性だけでは動かないということだろう。
すべては劇の内容だ。

それより、「ベルリン」の食べ物が良かったらしく、
「ニューヨーク」とは大違いだと盛んに言っていた。
ソーセージ、ハム類、ビールは美味しいのは間違いな
いと思うが、他に何があるのだろうか。
何故か、「イタリアン」がいいとも言っていた。
それにパンも美味しいと。
しかし、これは全て「ニューヨーク」と比較してのこ
とだから、ヨーロッパの中でどうなのかということは
解らない。
「ニューヨーク」と比較すると、ヨーロッパはどこで
も美味いということになるような気もする。
まあ、「ベルリン」だったら、ハム、ソーセージとビー
ルで充分。
「ライ麦パン」は好きではないので後はジャガイモ。
これだけあれば何も入らない、などと「ベルリン」で
の食事をシミュレートして、すっかり入った気になっ
てしまった。
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「滝壺ビオトープ」日記

2008年07月15日 | 生き物 自然


スノッブなM氏が来たので、昨日の「金華ハム」の臭
いについて聞いてみた。
確か、同じ出所の「金華ハム」を食べていたはずなの
だ。
すると、やはり臭いは独特なものがあるということで
あった。
個人的には「魚醤」的な臭いに感じた(ハムにも拘ら
ず)。
そこで二人とも疑問に思ったのは、「上湯スープ」に
使ったりするのに、あの臭いは邪魔にならないかとい
うことである。
しかし、どちらも中華には詳しくないので、その疑問
は疑問のままで保留状態となるしかなかった。
全ての間違いは、ベーコンの代わりに使ったことにあ
るのだが、旨味に関しては、十分すぎるくらい出てい
るので良いではないか、と思うことにした。

「滝壺ビオトープ」は、水草も定着し、徐々に増えつ
つある状態だ。
メダカに似た(稚魚は全部メダカに見える)何だか判
らない稚魚は、5匹ほどすでに小さな群れを形成し、
今のところ元気な様子である。
ただ、「ボウフラ」と同じ位の大きさなので、それを
餌にするまでには至っていない。
下手をすると、「ボウフラ」の餌がその稚魚かという
くらいの大きさである。
「チビゲンゴロウ」(推定)も元気に泳いでいるが、
何せ体長2ミリほど、何匹いるのかはよく判らない。
相変わらず「鬼ボウフラ」ばかりが目に付いて、底を
動き回る「チビゲンゴロウ」の視認を邪魔する。

気になったのは「巻貝」。
何匹か投入しているのだが、確認できないのだ。
「チビゲンゴロウ」と違い、1センチ程のどう考えて
も見失うという対象ではないのだが、何故か見えない。
死んだにしても貝殻があるはずなのに、どこかに隠れ
ているのだろうか。

現時点で、この「滝壺ビオトープ」の生態系の頂点に
立っているのは何だろうか。
肉食の、大型水生昆虫はいないので、今のところ空き
状態ということになるか。
この先、トンボの「ヤゴ」が生まれたら、間違いなく
その「ヤゴ」がこの王国の王ということになるのだが。
可能性が高いのは「オオシオカラトンボ」だ。
「シオカラトンボ」ではなく「オオシオカラトンボ」。
何故かというと、毎年この庭に飛来しているのだ。
ついこの間も、今年初を目撃した。
池があるからだが、不思議と「オオシオカラトンボ」
ばかりなのだ。
いままでは、例え生んだとしても全て鯉に食べられて
終わりだったが、今年はちゃんと場を用意しているの
だから、ここは是非ともちらのシナリオ通りに行って
ほしいものである。
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「カスレ」への道

2008年07月14日 | 食べ物


こんなに暑くなった時期になんであるが、懸案の「カ
スレ」をいよいよ作ろうかと思い、豆を、今回は「う
ずら豆」と「手亡豆」(早速使ってみた漢字、白イン
ゲンのことだ)、を煮た。
このときに、本場の場合ベーコンなどを出汁代わりに
一緒に煮るのだが(日本の場合スープの素も)、しかし
その為だけにベーコンを買いに行く気に今ひとつなら
なかった。
元々がこってり料理なので、動物系を使わないと「カ
スレ」としての味が弱いだろうことは分かる。
だから、何かは入れないといけない。
すると、何かそれに適したものがあったようなかすか
な記憶が蘇ってきた。
思い出した。
「金華ハム」だ。
以前、中国土産で貰ってずっと冷凍してあった固まり
があったのだ。
ただ問題は、結構前だったということ。
そのまま食べるわけではないし、飽くまでも出汁代わ
りだから、ということで、冷凍庫の底で殆どその存在
を忘れられていた「金華ハム」が、久しぶりに外界に
その姿を現すことになった。

直方体の「金華ハム」は、表面のところどころが変色
していた。
見るからに怪しい色である。
しかし、まあ、出汁代わりだから。
で、その部分をこそげ取り、適当に刻んで豆と一緒に
煮込んだのであった。
ここからが問題なのだが、元々「金華ハム」のいい状
態というものを知らないので、これが本来のものなの
か分からないが、一言で言えば臭いのである。
それと、かなりしょっぱい。
ちょっと下味程度に塩を入れたら、物凄く塩辛い豆に
なってしまった。
仕方ないので、薄めるために、「手亡豆」をたすとい
う追加手段をとった。
それでもまだちょっとしょっぱい。
今度は、他の野菜を追加せねば、という段階である。
「金華ハム」というのは、相当塩辛いものなのか。
それに臭いは、本来こうなのか。
そこのところがどうにも疑問である。
中華系は、得意分野ではないので良く分からないのだ。

思わぬ豆の追加で、量だけは多くなった「カスレ」の
ベース。
これに今度は「コンフィ」を乗せパン粉などを振り、
オーブンで30分ほど焼けば出来上がりなのだ。
どう考えても、この時期に食べるものではないが、兎
に角ここまで来たら、「カスレ」の完成目差し、意地で
もやろうという気になっている。
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