ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

スウィーニー.トッド

2008年10月31日 | 映画


自転車で戻って来る途中、久しぶりに「レンタルビデ
オ屋」に寄った。
このところのビデオ屋に来るペースは、数ヶ月に一度
といったところ。
本当、最近はあまり観たいものがない。
ざっと棚を見渡すが、知らないタイトルが結構多い。
それだけ、最新作には疎くなっているということだ。
どちらにしろ最新作は借りないから、準新作の棚を集
中的に見る。
そこで決めたのが、コーエン兄弟の「ノーカントリー」
と、ティム.バートンの「スウィーニー・トッド」。
どちらもそれなりに話題になったはずだ。
一般的には、気楽に観るにはちょっと癖があるのかも
しれないが、こちらとしてはこのくらいでちょうど良
いと思ったのだ。
基本的には監督で選んでいるので。
それでまず、「スウィーニー.トッド」を観る。

知ってはいたが、これはミュージカル仕立て。
ミュージカルのホラーで、しかもスプラッターという
ところが目新しいといえば目新しい、のか?
しかし、知ってはいたが(自分のことなので)、ミュー
ジカルは映画のジャンルで言えば一番嫌いな部類。
過去、唯一例外的に面白いと思ったのは「オズの魔法
使い」のみである。
他のものは、最後までちゃんと観たことすらない。
そんな私の、久しぶりのミュージカル。
普通のミュージカルではないということも、ある程度
情報として入っていたので観ようという気になったの
だが、やはり、今回も、ミュージカルは駄目であると
いう再確認をする結果となってしまった。

映画そのもののトーンは、同じ監督の「スリーピー.
ホロウ」(これは結構好き)に似ている。
どちらもゴシックホラー的雰囲気だ。
陰鬱な天気しか描かれてなく、登場人物も殆ど不気
なのも共通している。
ミュージカル仕立てでなかったら、多分結構好きだっ
た、と思える。
しかし、題材が題材だから。

基本的には復讐譚。
それも、悲劇的な。
そこに猟奇的な要素が(殺した人間をひき肉にしてミー
トパイで食べさせる)加わるから、映画としてはえげ
つなさ過ぎるのかもしれない。
それを和らげるためにミュージカル仕立てにしたのか、
と想像するが、そもそも何故こういう映画を撮ろうと
思ったのか、ついそちらの方に興味が向いてしまうの
は、それだけ映画に集中できなかったという証である。
しつこいが、ミュージカルでなかったらなあ。
そうであれば、多分、耽美的な世界として受け取った
と思う。
ゲテモノ趣味と耽美主義、表裏一体だから、メジャー
な映画としての公開は難しいか。



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軟弱自転車野郎

2008年10月30日 | Weblog


今年に入って、二度目の「ロードレーサー」。
普段近所を乗るときは、どうしても手軽な「マウンテン
バイク」になってしまうので、めっきり「ロードレーサー」
に乗る機会は減ってしまったのだ。
「マウンテンバイク」なら、履くものはビーチサンダル
だってかまわないし、兎に角着るものに関係なく気軽
に乗れるというのがあり難い。
ところが、ちょっと長距離の場合(と言っても10キロ
以上というレベル)、「マウンテンバイク」だと、えら
く疲れれる(タイヤが磨り減って接地面積が増してい
るという理由が、結果的には大きかったのだが)。
この前など、風が強くてなかなか進まなく、あまりに
スピードがでないので、そのまま放り出したくなって
しまった。
その時は、自分の脚力の無さに怒りさえ覚えたが、後
で考えてみると、どうも、自転車に原因があったので
はないかと思い至ったのである。

そして、久しぶりの「ロードレーサー」の登場となった
わけである。
買ってから、もう十七八年。
考えてみれば、よく持つものである。
今のところ、全くおかしいところは無い。
メーカーは「丸石」。
まだあるのか。
当時街中で、それ程こういうタイプの自転車は見かけ
なかった。
兎に角、そのタイヤの細さと軽さには驚いた(これで
十キログラムほどだが、今は七八キロか)。
最初の五年ほどはよく乗ったが、徐々に頻度は少なく
なってきている。
これを乗るときの格好は、靴だけは気をつけるが、所
謂レースのような専用のコスチュームではない。
どうもああいう格好は恥ずかしくて出来ない。
本格的なトレーニングでもしてれば別だが、単に乗り
やすいから選んでいるだけだから。

そんな状況の中、今回の「ロードレーサー」、改めて
長距離の楽さを確認した。
同じ距離の「マウンテンバイク」と比較すると、時間
にして半分、疲れ具合は三分の一程度だ。
如何に、わが「マウンテンバイク」の抵抗が大きかっ
たかということである。
しかし、そんな「ロードレーサー」も、あと少し。
寒くなると、全く乗る気にならないわが自転車ライフ
なので、本格派のバッチリ決めた自転車野郎からする
と、超軟弱派の、自転車愛好家と言ったところである。
愛好家もおこがましいかも知れない。
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居酒屋少年2

2008年10月28日 | サッカー
昨日の続き。

「ところで、日本代表はどうよ」(私)
「まあ、あんなもんでしょう、自分的にはそれほどひ
どいとは思ってないですよ」(Y)
「何だ、落胆して立ち直れないのかと思ってたのに」(私)
「負けたわけじゃないですし、ウズベキスタンだって
弱いチームじゃないですからね」(Y)
「いやに前向きだね、どうしちゃったの、脳炎にでも
なったのか」(私)
「何言ってるんですか」(Y)
「でも、同じタイプの更にレベルアップのオーストラ
リア相手では話にならないんじゃないの」(私)
「それはそうですが、サッカーというのは相手次第で
内容もがらっと変わるものですから」(Y)

と、どこまでも前向きなYである。

「しかし、本当に問題なのはセンタバックじゃなか」(私)
「そうなんですよ、実は一番の問題です、得点力不足
は今に始まったことじゃないですし、日本にメッシが
いるわけじゃないからもうしょうがないんですよ、ディ
フェンスはそんなこと言ってられないですからね」(Y)
「あのレベル相手に簡単な失点というのは、問題だね、
トゥーリオだっていつ駄目になるか分からないし、中
沢ひとりじゃあ、このまま行ったらジーこの二の舞だ
よ」(私)
「そうですよ、岡ちゃんに攻撃のアイデアを求めるの
は酷だし、せめてディフェンスだけはしっかり組織作
りしてもらわないと」(Y)
「いずれにしろ、今ひとつ可能性を感じないよな」(私)

「ところで、WBCは」(私)
「あまり興味ないですよ、実質、日本、アメリカ、キュー
バ、それに韓国を入れた四ヶ国対抗戦ですしね」(Y)
「よく、世界大会とか言うよね」(私)
「でも、監督が星野にならなくて良かったですよ」(Y)
「信望ないらしいね、イメージとは大分違うことが図
らずも露呈しちゃったのが本人にとっては一番の誤算
だね、元々が政治力の使い手だから」(私)
「そういう感じですよ」(Y)
「昔、彼が学生だったころ、大学封鎖を、大学側の手
先となって率先して阻止したという話があるよ、なん
せ体育会系というのは完全に体制側だから」(私)
「体質は変わらないということですね」(Y)
「そういう行為を、リーダーシップがある、勇気があ
る、或いは正義感があると評価する見方もあるけどね、
しかし、裏が見えたら駄目だよね」(私)
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居酒屋少年

2008年10月27日 | 食べ物


ゲロゲロ少年Y登場。

「<佐々木蕎麦倶楽部>行ってきましたよ」(Y)
「で、どうだった?」(私)
「いやあ、良いですね」(Y)
「何が?」(私)
「蕎麦も優しい感じでいいんですが、おつまみがいろ
いろ充実しているし、日本酒も良いのが揃ってます」(Y)

ゲロゲロ少年だけあって、酒好きの視点からの高評価
であった。
今回知ったのだが、Yは「杉浦日向子」を信奉している
らしく、蕎麦屋で一杯という過ごし方が粋な世界と思っ
ているようだ。
個人的な粋なイメージは、玉子焼きで一杯、そして盛
を一枚でさっと帰るというものなのだが、飽くまでもY
に拠ると、「杉浦日向子」の蕎麦屋の過ごし方は、どっ
しりかまえいろいろつまみを頼み飲む、ということら
しいのだ。
まあそれは良いのだが、度を越すのがYである。
今回も、いろんな肴を頼み、BGMのジャズを聴きな
がら結構な金額と時間をかけたようだ。
尤もこの「佐々木蕎麦倶楽部」は、夜は居酒屋的要素
が強くなるらしいので、決しておかしいことではない。
が、昼からだからね。
またゲロゲロにならなければ良いが。
直ぐ自分の世界(迷宮)に入り込むから。

「ホヤの塩辛が美味かったですよ」(Y)
「ああ、あれね、こっちが行った時にもあって、ちょっ
と魅かれたよ」(私)
「前一回食べたことがあるんですが、その時は臭くて
吐き出しました」(Y)
「本当の新鮮なものは、そんなに臭くないって言われ
てるけど、ホヤらしい個性があるはずだから、それな
りのくせはあるとは思うんだよね、しかし、食べたこ
とがないので何とも言えないよ」(私)
「あそこの塩辛は食べてみた方が良いですよ」(Y)

ということであったが、ホヤに関しては他人に聞けば
聞くほど、どうも自分の好みでは無さそうに思えてく
る。
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マラソン.登山

2008年10月26日 | Weblog


山好きの孤独なクライマーも、最近は、お仲間ができ、
複数で登山するようになったらしい。
その理由は、もしもの時に困るからというものであっ
た。
確かに、単独で山に登り、見えないところにでも落ち
たら、一生発見されない可能性だってある。
自然と一体化だ。
悪くない死に方だとも思うが、身内はそうも言ってら
れない。
それは、そこらの普通の山でも同じこと。
いくらでも死角はあるので、用心に越したことはない
ということだろう。

その彼は、今日の「諏訪湖マラソン」に出る。
盛んに寒いと連発していたが、「平塚」に比べれば寒い
に決まっている。
標高差750メートルだから、5度くらい低いんだ、
と納得していた。
おまけに雨まで降りそうな空模様。
「マラソンに雨」、つきものである。
自分がやるわけではないので、気楽である。

この日のマラソンを楽しみにしている人間は結構いる
らしく、「更級」でも、東京の常連のグループが毎年
帰りがけによって、電車の時刻まで飲みながら蕎麦を
食べる。
予約して来るくらいだから、彼らにとっては、「更級」
を含めての「諏訪湖マラソン」なのであろう。
お楽しみなことである。
今年も、多分大忙しだ。

マラソン好きで山登りも好きというのは、結構多いと
推測される。
無心になって、単調な運動をする快感というのは、ど
ちらにも共通するのではないか。
体をいじめるというのも、ポイントだ。
そして、必ずゴールがあるというのが一番のポイント。
それなりに達成感がないと、長続きはしないだろう。
しかし、個人的には、どちらにも興味をもてない。
なだらかで、草原の多い「霧が峰」のトレッキングで
充分である。
それ以上は望まない。
マラソンに関しては、とうにお散歩自転車に転向して
いる。
まあ、一生縁の無さそうな「マラソン」「登山」であ
る。

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エイのムニエル

2008年10月25日 | 食べ物


T君はこの前、「エイのムニエル」を食べたらしい。
念願のエイであったが、どうだったと聞くと、始めは、
あの軟骨はどうしたものかとか、いろいろ言っていた
が、結局は美味しかったということのようだ。
同じものを嘗て食べたことがあるが(同じ店の)、個
人的には、はっきり言ってそんなに美味しいものでは
ないと思う。
しかし、T君の場合、エイを食べるのは初めてで、比
較するものがなくそのものだけで判断して、結果美味
しかったということであるのだが、美味しいものはもっ
と美味しいので、あのレベルは決して美味しいと言え
ないのだ。
変に知らない方が、美味しいものが多くなるというい
い例でもある。

何故、その「エイ」が美味しいというレベルではない
かというと、全ては「エイ」そのものの品質に原因が
ある。
そこのは間違いなく冷凍物である。
元々足が早い「エイ」は、鮮度が命なので、田舎で使
うとなると相当注意しないといけない。
鮫とかと同じ肉質なので、アンモニア臭が発生すると
聞いたことがある。
鮮度に鈍感な田舎でも、流石にアンモニア臭は判るだ
ろう。
そうなると、使うとしたら冷凍物ということになる。
これは、生で鮮度の悪いものを下手に使われるより食
べる方としてはありがたい。
何故かというと、例え冷凍物で身がパサついたとして
も、食べられることは食べられるから。
で、そこの「エイのムニエル」だが、元々ゼラチン質
が特徴のエイなので、あまりパサ付くということはな
いが、旨味もなくなっている。
どちらかというと、水っぽい。
やはり「エイ」というのは、そのゼラチンと旨味を含
んだ肉質を味わいたい。
軟骨はどうでもいい。
好きな人は食べれば良いし。

初めて「エイ」を食べたのは、「コートドール」という
店でだが、シェリー酢の利いたソースとキャベツがマッ
チして衝撃的に美味かった。
その後何回か食べたが、この手の宿命で、最初の衝撃
的な美味さはなくなったが、常に美味いことは美味かっ
た。
エイの品質も良かったのだろう。
そして、そこの「エイ」以外で次に食べたのは中ちゃ
んのレストランであった。
田舎の店であるのだが、魚の品質にはうるさい中ちゃ
ん(そういう店はここだけだった)、調理法は「ムニ
エル」であったが、相当美味かった。
ここで、「エイ」というのは素材そのものが美味いも
のであると確信した。
ビストロの定番として「エイのムニエル」があるという
事実は、それなりの裏づけがあったということである。

そんな経緯があっての、そのカフェの「エイのムニエ
ル」に対する評価であったのだが、ここは田舎でこう
いう料理を出すということそのものを評価した方が良
いのかとも思うが、料理に対する評価は置いといて、
T君には本当に美味しい「エイ」を一回は食べてほし
いものだ。
それと「リエット」も(ここのは今ひとつで、T君は
他のを知らないというエイと同じ事情を抱えている)。



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ファミリーレストラン

2008年10月24日 | 食べ物


この前、久しぶりにファミリーレストランを利用した。
以前はよく利用したものだが、今は一年に一回あるか
ないかという頻度だ。
元々が、美味しいものを食べるという理由で利用する
ものではないのだから、他の理由がなくなった場合、
自ずと利用することもなくなるわけだ。
そのほかの理由というのは何だったのかと思い起こせ
ば、それは、嘗てはグループで利用したからだった。
基本的にサークル活動というのは好きではないのだが、
以前、テニスをよくやっていた時には、テニス帰りに
利用する機会が多かったのだ。
そういう時には、ファミリーレストランというのは最適
である。
まず、広い。
そして、お茶だけでもいいし、食事も出来る。
それに、何と言っても気兼ねなく長居ができる。
ローカルの喫茶店ではこうはいかない。
常連の視線も鬱陶しいし。
しかも、夜遅くても大丈夫。
要するに、いろんな理由で使い勝手が良いのだ、特に
グループに。
ところが、テニスをやらなくなったと同時に、利用す
ることもなくなってしまった。

個人的にはそんな理由だったのだが、殆ど同時期に、
ファミリーレストラン全体の需要も減ってきたらしい。
飽和状態を迎えたということなのだろう。
それに客の嗜好の変化。
ファミリーの形態の変化。
要するに少子化。
若者の、内食化。
そこへ持ってきて、今回の原油高による車による外食
抑制はかなりの打撃のようである。
と、新聞の解説によればそういうことだ。
草分けの「すかいらーく」も厳しいようだし、実際久し
ぶりに入った店内には、栄枯盛衰という言葉が漂って
いた(これはこじつけ)。

そんな中でも伸びていたのは、「サイゼリヤ」だった
が、今回の一件でちょっと躓いた。
これをきっかけに駄目になるとは思わないが、食べ物
も、安ければ安い程よいというのは考え直さなくては
いけない時期にきているのではないだろうかとは思う。
ところが、日本国内は偽装だらけで、値段だけで信用
することは出来ない。
むしろ、管理がしっかりしているところの中国産のほ
うが良いかもしれないから、困ったものであるのだ。
野菜に関してはもう、生産現場を見て判断するしかな
い。
これはあまりに非現実的である。
しかし、現実的な第一歩というのはある。
一般消費者が、きれいに揃った野菜ばかりを求めない
ということである。
少々の虫食いも厭わない。
これだけで状況は大きく変わると思うが、まあ無理か。
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リニア

2008年10月23日 | Weblog


リニア新幹線の建設が現実的な話となって、ルートに引っ
かかるところは、気がきではない状態になってきてい
る。
わが地元が正にそれ。
ABルート、どちらにも引っかかるのが諏訪地方で、
最初の頃は、Bルートというのが大方の一致した見方
であった。
しかし、それは、まだ現実的な話ではない内の、謂わ
ば、夢物語の類であったと思う。
ところが夢物語であろうがなかろうが、そのルートに
当るところはその気になっているので、既定の事実の
如く考えてしまう。
そんなところにもってきて、今回のJRのCルートの
方針である。
地元は、寝耳に水に近い反応を示している。

そもそものリニアを作る理由を考えれば、自ずと結論
は出てくるものなのだ。
東海道新幹線のバイパスなのだから、なるべく速く、
しかもコストがかからないようにするというのは、論
理的に考えれば当たり前のことだ。
ルートは真っ直ぐな方がいいに決まっている。
後はコストの問題で、トンネルを作る費用がどの程度
なのかということだったが、地質調査をして目処が付
いたのだろう。
そこで、トンネルという結論に達したわけだ。
どこから見ても、疑問の余地はない。
しかも、費用はJR(そんなお金あるのか)持ち。
そうなると、全く説得力のない、地元の不満である。

誘致したい地元は、例によって経済効果、地元の活性
化を掲げるわけだが、これがまた問題なのだ。
建築関係は、とりあえず何らかの収入は期待できるだ
ろう。
経済効果は、そこに限ればあると言える。
しかし、その時だけ。
次に、観光業に関して。
新駅が出来れば人が来る、と単純に考えての発想だが
(どこでも同じように考える)、すでに多くの例が日
本全国至る所に見られる。
閑散とした新駅の周辺。
或いは、便利になったお陰で日帰り観光客ばかりになっ
た観光地。
どこも同じ、似たような風景の出現。
独自性のない観光地。
要するに、リニアが出来ても、せいぜい「リニア饅頭」
が生まれるくらいのものなのだ。
いい加減、新しいものが出来るイコール経済の活性化
という発想を止めてほしい。
しかし、そういう発想を変えられないのが、所謂政治
と経済の中枢にいる人間達である。

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くず写真

2008年10月21日 | Weblog


スノッブなM氏は、撮りためた写真は全てパソコン内
に入れているらしい。
そのために動作が遅くなってとこぼしていたので、一
体保存すべき画像などどこにあるのかと、軽く毒を吐
いた。
そしてそれぞれの画像サイズを聞いてみると、3メガ
だという。
TOO LARGEじゃないか。
そんなに大きなサイズで撮るほどの写真ではないだろ
うと、更にたたみかけて、試しに具体的に何を撮った
のか聞いてみた。
すると、予想通りの普通のスナップであった。
本当に普通の写真であろうことは、普段のセンスを見
ていれば簡単に想像がつく。
そこで、さっさと削除するように言ったのだが、何故
か勿体無いと思うらしく、できないらしい。
ならば、ほしいのだけプリントして、残りは削除すれ
ば、と言うと、やっとその気にはなってきたようだ。
それより、CDに記録すれば済むことである。

確かに、写真は知らない内にたまる。
適当なところで削除しないと、それこそ無限増殖しそ
うである。
なんとなく勿体無いと思う気持ちも、分からないでは
ないが、それは、自分の日記を捨てられないというの
に近い感覚かもしれない。
過去の自分自身に対する愛おしさ、とでも言おうか、
そんな感情が生まれるのではないかと思うのだが、そ
れも写真の内容による。
スナップなどのその時の記憶を止めるような写真は、
そういう要素も強いが、私の場合は当てはまらない。
対象が虫だったり物だったりだから。

M氏と違い、削除は簡単だ。
ちゃんと写ってるかどうかという、絶対的な基準があ
りまずそれで直ぐに削除されるものが出る。
次に、これはちょっと感覚的な基準になるが、いい写
真かどうかで削除するかどうか決まる。
ここでは迷う時がある。
いずれ、素材で使えるのでは、と思うことがあるから
だ。
これはは、とりあえず空き箱をとっておくというのに
似ているかもしれない。
殆どは使われることがないのに、とりあえず取って置
くというあれだ。
そうやって、物だけは確実に増えていくのだが、考え
てみれば、パソコン内に画像が増えていくメカニズム
は、空き箱が増えていくのと全く同じではないか。
結局、パソコン内のものは殆どくずである、というこ
とになってしまうのか。
これじゃあ、M氏と同じだ。
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ドン.シーゲル「中国決死行」

2008年10月20日 | 映画


DVDにはいっていたもう一つの映画、「中国決死行」
の方はどうだったかというと、これは結構面白い。
「ドン.シーゲル」という監督は、改めて、上質なアク
ション映画を撮る監督であると認識した。
また比べてしまうが、昨日もやっていた「ミッションイン
ポッシブル」の「ジョン.ウー」とはものが違う。
間違いなく、「ジョン.ウー」の方が受けるとは思うが。
それにしても、今時のアクション映画というのは、金
がかかっていて、映像も凝っていてしかも無闇にアク
ション場面が多い。
だから「アクション映画」なのだ、と言われそうだが、
ちょっと違うのではないか、と思う。
それらは、お金をかけたテーマパークのアトラクション
以上には見えないのだ。

「中国決死行」は、日本未公開だったらしいが、さも
ありなんと思わせるスター不在の映画である。
殆ど知らない役者だが、唯一「リー.ストラスバーグ」
という名前だけは知っていた。
が、今でも誰が、という程度の認識である。
1953年の映画ということだから、日本もこれから、
高度成長に向かって太平洋戦争のことは忘れて、とい
う時代であったろう。
だから、この手の映画が公開されなかった、というよ
りは、やはりスターのいない映画というのが大きな理
由であったと思う。
内容は、日本蔑視でもなければ、アメリカバンザイで
もない。
むしろ、中国に対する皮肉が一番印象的であった。
この時代にこういう演出をしたというのは、只者では
ない。

事実に基づいた話である、とあったが、全く聞いたこ
とはない。
それはどっちでもいい。
アクション映画として面白ければ。
戦争末期、中国に潜入しているアメリカ部隊に、墜落
した飛行機に乗っていた日本軍の大佐を捕まえろとい
う命令が下る。
その大佐を捕まえるまでの色々が、映画の中身である。
つきものの戦闘場面は、数分の銃撃戦があるくらいで、
派手なものを期待すると、完全に裏切られる。
考えてみれば、戦争映画の範疇で、これだけ戦闘場面
がなかったら、観客が喜ぶはずもない。
やはり、興行的には期待できない映画として日本で公
開されるはずもなかったのだ。
かといって、アメリカバンザイでもないし、日本以上
に単純明快さを求めるアメリカだから、本国でも同じ
ように受ける要素はないと言える。
しかし、しつこさのない歯切れのよい演出は、観てい
ても心地よい。
誰かの映画に似ていると思ったのだが、思い出した、
「サミュエル.フラー」の作品と同じテイストがある。
どちらも低予算で、スター映画ではないし、共通点は
多い。
B級映画の巨匠「サミュエル.フラー」と同じく、い
い意味でB級バンザイの監督「ドン.シーゲル」であっ
た。
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変わった映画

2008年10月19日 | 映画


「ミナミヌマエビ」を投入したはいいが、姿を現さな
いので、いるのかどうかも判らない。
これでは、投入した意味がない今日の「滝壺ビオトー
プ」であった。

スノッブなM氏が、またDVDを持ってきてくれた。
「ザメッティ」というグルジアの監督の作品と、ドン.
シーゲルの「中国決死行」という作品。
今回は、しっかりファイナライズも忘れずにして万全
らしい。
ちょっと確かめてみたら、確かに大丈夫なようだ。
本人はちょっとボケが入っているので、確かめるまで
は安心できないのだ。

それで、まず「ザメッティ」というのを観て見る。
M氏曰く「ちょっと変った映画だから、好きなんじゃ
ないか」ということだった。
全く知らない監督の最近の作品で、変わったというか
らどの程度の、と思ってみたのだが、結論から言うと
全く変わった映画と言うほどのものではなかった。
こういう場合の「変わった」という意味は、あまりに
範囲が広いので、一まとめに「変わった」で表現され
ると、今回のことのようなことが起こるのである。
何を称して「変わった」というかは、人それぞれなの
だ。

例えば同じグルジアの「パラジャーノフ」の映画は、
変わった映画の代表と言えるのかと思うが、それは、
一般の映画と比べると明らかな違いがあるからだ。
物語性のない映画。
所謂ストーリーで説明できる映画ではない点が、その
違いである。
反面、芸術性は高い、と思う。
同じように「ストローブ=ユイレ」だって、間違いな
く変わった映画になるだろう。
グルジアの監督というから、「パラジャーノフ」を思
い出し、耽美的な表現をするのかなとつい観るのは仕
方ないことだと思う。

で、M氏が何を「変わった」と捉えたのかは、容易に
想像できた。
表現方法とか様式とかそういうことではなく、飽くま
でも内容だったのだ。
つまり、描かれている物語の内容が、日常的ではなく、
非現実的なものであるという意味で「変わった」であっ
たのだ。
ざっと説明する。
とある「屋根職人」が主人公。
仕事先で、怪しい雇い主に舞い込んだある仕事の招待
状を、雇い主が死んだことにより自分のものにしてし
まう。
それにはパリ行きのチケットが入っていた。
そして、指令のまま、仕事の内容も判らず場所を移動
する。
辿り着いた先は、非合法な賭博場だった。
しかも、賭けの対象は人間。
対象である彼らは、ロシアンルーレットで最後の一人
になるまでゲームを続ける。
その一人としての招待状だったのだ。
勝ち残れば、莫大なお金が入る。
しかし、負ければ死。
後は、想像したとおりの展開。

こういう話を「変わった」と捉えたのだろうが、話そ
のものは近未来映画に何度も出てくるようなものだし、
戦争映画にもありそうだし(実際ディアハンターの中
にある)、変わったというほどではない。
むしろ類型的だ。
奇を衒ったとは思えるが。
ストーリーではなく、表現の仕方で何かを見せてほし
い、というのが正直な感想である。


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ピタサンド

2008年10月18日 | 食べ物


昨日の続き。

「クリヨー.ド.ヴァン」の前は川が流れている。
「女鳥羽川」(メトバガワ)という、風情のある名の
川だ。
帰りにはその川沿いを歩いていくことになる。
そこには、住み着いた水鳥がなにかしらいる。
今日は、「なんとか鴨」と「アオサギ」であった。
「アオサギ」というのは、目つきが非常に鋭い。
しかも、大きいので、まるで眼(ガン)をつけてるよ
うに見える。
が、結構警戒心は強く、ちょっと近付くと直ぐ飛んで
行ってしまう。
強気なのは、外見だけか。
今日も、他の鴨はじっとしているのだが、「アオサギ」
だけは飛んで行った。

駅までの道すがら(ほんの七八分)、「バゲット」を買
わなくてはと思い出した。
新しい店が駅にある。
そこに初めて入ることにした。
以前、「ピタサンド」などを出しているという情報を何
かで得ていて、ちょっと他の店より専門的なのかと思っ
ていたので、今回はいい機会である。
本当は「ピタサンド」ではなく「ピタパン」そのもがほ
しいのだが(ファラフェル用に)。
今まで「ピタパン」は、いくつか取り寄せたが、今ひ
とつこちらのイメージとは違うので(より素朴なもの
がほしいのだ)、いつかイメージどおりの「ピタパン」
に出会わないかとも思っていた。

そこの「バゲット」は、見た目はオーソドックスなも
ので、明らかに美味そうと言うものでもなく不味そう
なものでもなく、標準的だ。
まずはそれを買い、「ピタサンド」を探す。
チキン、スモークサーモンんどのサンドが、何種類か
あった。
見た目は、食パンのサンドイッチより美味そうだ。
最近は、食パンの、所謂普通のサンドイッチはあまり
食べる気がしない。
大体味が想像つく。
九割以上がマヨネーズ味だ。
下手をすれば100パーセント。
あまりに同じ味なのだ。

で、「香草チキンのピタサンド」というのを買ってみ
た。
期待としては、エスニックな味。
でどうだったかというと、見事にマヨネーズであった。
しかし、食パンのサンドよりは美味しい。
ピタパンと具材の組み合わせが、普通の食パンサンド
より良いのだろう。
しかし、個人的にはここは、ヨーグルトソースとかそ
んなもので決めてほしかった。

結果的には、そこには「ピタパン」そのものは置いて
なかった。
まあ、置いても買う人はいないだろうし。
「ピタサンド」も、マヨネーズ味が一番受けるだろう
し、市場原理を持ち込めばこうなることは想像がつく。
コメント

地獄の季節

2008年10月17日 | Weblog


昨日の続き。

一時間ほどしかない土手散歩だったが、天気もよく条
件的には最後の「クロツバメシジミ」には最適だった。
狙い通りの収穫もあったし。
せめて二時間はほしいところだ。
車で来れば問題ないが、電車というのも捨てがたいの
だ。
そして、予定した電車に乗り、松本市内に戻る。
毎度のカフェ「クリヨー ド ヴァン」に寄る。
テラスも、そろそろ終わりだろう。
ランチの「鯖のポワレ」とビール。
ここに来たら、これしかない。
昼間の背徳的ビールの魅力はたまらない。
テラスで読書。

    とうとう見つけた、
    何を、
    永遠を、
    海に溶け込む太陽を、
    (ランボー地獄の季節より)

ランボーの「地獄の季節」が、あまりにもぴったりな午
後のけだるいひと時。

と、格好つけたいところだが、実際はビールで眠くなり
テラスで一眠りだ。
しかも、日が影って寒くすらある。
そう言えば店内にある映画のポスターは「気狂いピエ
ロ」だったか「勝手にしやがれ」だったか。
「Pierrot le fou」(つづりはこうだったか)と書い
てあったような気がしたが。
もしそうだったら、「地獄の季節は」はぴったりだが、
そうだ、ジャン.ポール.ベルモンドはどうしている
だろうか、サルコジは若いときのベルモンドに似てい
るが、などと眠い頭で考えていたが、目の前にあるポ
スターは(これはドアに貼ってある)「山海塾」の松
本公演のものだった。
それを見て、昔、知り合いがピンクフロイドの「MEDD
LE」で踊っていたのを思い出した。
「舞踏の季節」か。
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サッカー.ミヤマアカネ.ツメレンゲ

2008年10月16日 | 生き物 自然


「ウズベキスタン」相手にホームで1-1というのは、
ちょっと情けない。
上背のある連中に守りを固められると、途端になす術が
なくなる日本。
これでは、同じようなタイプで、更にレベルの高い「オー
ストラリア」が相手だったら、もう話にならないとい
うことになる。
「大久保」もアシストはしたが、こういう試合での可
能性はあまり感じない。
つまり、個の力で打開できるほどのものは感じないの
だ。
個で駄目なのだから、全体でのダイナミックな動きが
ほしい。
「サッカー少年」改め「ゲロゲロ少年Y」の、大きな
嘆きが聞こえそうな昨日の試合であった。

もう、今年の「蝶シーズン」も最後であろう。
ということで、松本の河原に行って来た。
この河原は、結構昔ながらの自然が残されているので、
虫密度は高い。
今回は、いつも行くところの上流側から下りに向かっ
て初めてのコースを歩いた。
すると、いきなり「雉」がお出迎えだ。
この前違う川で、オスメス子供の雉ファミリーを目撃
したばかりなのだが、雉にとっては、河原というのは
住みやすい場所なのだろうか。
こちらの様子を窺いながら、決まった距離を保って警
戒している。
枯れた草の幹の間から覗いているが、「大丈夫、別に
食べようとしているわけじゃないから」と心の中で囁
く。

そこには、小さな小川も流れていて、「ミヤマアカネ」
がやけに多く飛んでいる。
最近はめっきり見かけなくなったトンボであるが、確
かにこの周辺には多い。
秋も深くなり、体は赤く「赤とんぼ」となっている。
この小川が発生源なのか。
こういう光景を見ると、何気ない小川の重要性を感じる。
久しぶりというか、初めての「ミヤマアカネ」の乱舞
である。

そして、小川を越え、土手沿いを歩く。
下方を見ながら、「ツメレンゲ」があるか注意深く歩
いていく。
暫く行くと、なにやら、柱サボテンのような塔状のも
のを突き出した植物の一群が見えた。
塔状の花を突き出した「ツメレンゲ」である。
いつものところより数は少ないが、やはりこの河原に
は、何箇所か「ツメレンゲ」の群落があるのだ。
となるとそこには、「クロツバメシジミ」がいる。
何頭か飛び回っている。
流石にこの時期、体がぼろぼろの蝶の方が多い。
無事に飛び回っている姿に安心し、直ぐにUターン。
帰りの列車の時刻が迫っているのだ。
持ち時間が一時間ほどしかない。
今回は、ゆっくりしてられない。
まあ、場所は確認したから、また来れば良い。
何せ、これを逃すと2時間待ちだから。





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漢字

2008年10月15日 | Weblog


最近、クイズ番組でよく出るのが漢字の読みなどの問
題だ。
「漢検」などというのもすっかり有名となり、一級、
準一級、二級と難易度による問題が出されると、見て
いるほうはついむきになってやってしまう。
が、準一級、一級の問題は、はっきり言って無理やり
の問題のように思える。
要するに、普段目にする漢字ではなく、当て字のよう
な、すでに絶滅したような漢字が多いように見えるの
だ。
難易度から言えば、「スジグロチャバネセセリ」と「ヘ
リグロチャバネセセリ」を見分けろ、というくらいの
一般的ではない難しさであるのと、マニア性である。
常識的には、二級レベルが出来れば充分という感じで
ある。

とは言え、日本人にとって漢字というのは、知らず知
らずの内に頭を鍛えることにはなっているようだ。
少なくとも、記憶力を維持するためには重要であると
思う。
歳をとると、思い出そうとするその行為そのものが重
要であるので、すでに蓄積がある日本人にとっては、何
も道具のいらない漢字というのは、非常に都合の良い
ものと言える(同じ漢字圏の中国でも同じことが言え
るのか)。
ところが、最近はパソコン中心なので、辞書とか調べ
ることがなく一発変換の時代だ。
しかも、パソコンでは略字になって正確に出てこない
漢字さえある。
それに、変換間違いに気付かないことも多々ある。
基本的に、書かないと漢字能力は衰える、と経験的に
は感じる。
つまり、パソコンによって、日本人の漢字能力は衰え
る方向にあるのだ。

自分で書いていても(パソコン上でこのように)、後
で漢字の間違いに気付くことは多い。
しかし、その時は何の疑問もなく変換しているのだ。
あと、普段使わない難しい漢字も、勝手に変換される
のでそのまま使ってしまうのだが、自分で実際書いた
わけではないので実感というか、実体が伴わないとい
うか、要するに使っているにも拘らず自分のものには
ならないのがパソコン上での漢字である。
全てが上滑りしていくような感覚である。
そう考えると、クイズの無理やりの漢字でも、その場
で覚えようと書いたりすれば、パソコンよりは役に立
つのかもしれない。
ただ、同じようなクイズ番組で同じような出演者(最
近ではクイズタレントといった雰囲気さえある)、流石
に飽きるぞ。
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