ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

カターニャ

2007年01月30日 | サッカー


「カターニャ」の森本が初出場初得点。
イタリアセリエAでの話だが、映像を見る限り、今ま
での日本選手には無い強さを感じた。
ディフェンダーに囲まれながらの得点というのは、Jリ
ーグならいざ知らず、海外で見たのは初めて(高原も
あったか)のような気がする。
年齢も18だし、これからが楽しみ、とついつい期待
してしまう。
今までこのパターンで何度も裏切られてきたにも拘ら
ず、その都度同じように期待してしまう自分が、なん
だかね、ではあるが。

セリエAには他に「メッシーナ」の小笠原、「トリノ」
の大黒がいるが、はっきり言ってぱっとしない。
小笠原は元々好きではないが、多分精神面に問題があ
ると思う。
所謂「不貞腐れ気質」。
集中力があるときは、良いプレーをするが、駄目な時
はかなり駄目。
その駄目な時の対処の仕方が分かってない。
甘えが許されない海外では、尚更だ。
そこを克服して一回り大きくなったら、違う展開も期
待できるが、結局大久保のパターンではないだろうか。
もう一人の大黒に関しては、ピークを過ぎたか、と言
う印象だ。
精神面では問題ないと思うが、俊敏性が更にアップし
ないと、結局フィジカルに負けると言う、日本人選手
の宿命にまたまた飲み込まれる。
ちょっと難しいと言う感じだ。

そうなると、将来性という点でどうしても若手に目が
行く。
森本以外だと、フランスの2部「グルノーブル」に移
籍した伊藤。
かなり期待している。
間違っても、「第二の平山にはなってくれるな」が切
なる願いだ。
外見から判断する限り、それはなさそうだが。

翻って日本では、野球の北京オリンピックでの金メダ
ルがすでに大騒ぎの態。
そこまで大騒ぎすることか?とメダルフェチのマスコ
ミ、それに乗せられるファンに対して悪態の一つもつ
いて、更に大きくなると予想される狂想曲に備え、「馬
耳東風」訓練の日々なのである。
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インド

2007年01月29日 | Weblog
中国の次はインドだ。
最近よく言われる言葉だ。
注目度も著しく増している。
世界の工場が中国とすると、世界のオフィスがインド
であると言う風に言われているのだが、コンピューター
のソフト開発力においてはすでにその実力は実証済み。
と知ったように言うが、そういうことらしい。
なんせ、10億人もいて、数学が得意ときてる。
他国に先を越されないように日本も、中国と違って関
係が悪くないと言うことも手伝って、熱い視線を送っ
ている。
そういえば最近、現地の人間がやっている「カレー屋」
も増えてるし、結構良い関係なのかな、と身近なとこ
ろで感じられないことも無い。

そんなばら色のような未来像ばかりだが、本当にそう
上手くいくのだろうか。
10億人と言っても、その中でちゃんと教育を受けら
れるのは1億人という。
当然識字率も相当低い。
つまり、元々カースト制による階層社会が、更に一部
のエリート層の出現によって、超階層社会になるので
はないかと想像できないだろうか。
他にも、カースト制により、貧困層が貧困を宿命と受
け止めてるうちは良いが、変に民主化され不満がたま
れば、社会の安定は失われ大混乱。
不安要因は多いと思われる。

現在のインドの現実の一端を知ると、とても同じ時代
とは思えないことが多々ある。
甥っ子が経験したインドの話も凄かった。
ある村に入ると、肢体不自由な人ばかりで、何とも異
様な雰囲気。
口から泡を吹いている人もいるし、尋ねると、カース
トの最下層だか判らないが、生まれながらにして物乞
いをすることになっている人たちの村だということだ
った。
物乞いのために足なり手を切ってしまうから、そうい
う姿になるらしい。
唯一の楽しみは薬、それで泡を吹く。
また、違う場所のとある路地に入ると、全員がかっぱ
らいかと思われるようなところで、追っかけまわされ
危うく殺されるところだったという経験もしたらしい。
そして食べるものは全てカレー味、これは関係ないか。
まあ兎に角、そんな世界が今現在も存在していると言
う事実。
これもインドの奥深さか。

瞑想するヨギ、ガンジス川を流れる死体、近代社会以
前のものに触れられる神秘的な世界、とばかり言って
られないインドと言う国がこの先どうなるかは、誰に
も分からない。
はっきりしているのは、現地のスパイシーなカレーの
方が、日本的なカレーより好きだということ。
これだけは間違いない。
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捏造

2007年01月28日 | Weblog
テレビの捏造問題は、当事者が思っている以上に大き
くなっているようだ。
しかし、考えてみればそれも当然だ。
ブームになるエネルギーが、逆に働いたに過ぎないの
だから。
わっと飛びつく人が、今度は、わっと糾弾側にまわっ
ただけのことだ。
つまり、全てが同じ人達によって演じられていると言
うわけだ。

そもそも、テレビに取り上げられただけで、すぐさま
それを鵜呑みにしてブームになるくらいの現象を作り
上げてしまう、そのことの方が普通ではないというか、
なんとも恐い。
ちょっとしたきっかけで、一斉に同じ方向に向かうと
いう土壌は間違いなくあるということだから。
それにしても、テレビの影響力は。
これからは、「ノーテレビデー」とか作った方が良い
んじゃないかと、本気で思う。
デジタル放送開始とともに、「ノーテレビ」運動とい
うのもいいかもしれない。
デジタル放送は、決して視聴者が望んでいるわけでも
ないのだから、これをきっかけにテレビを止める。
良い機会ではないか。

テレビと言うものは、あればあったで、だらだらだら
だら見続けてしまうものだ。
見終わると、大体は「詰まらない」と思う。
そして、分かっていても、またついつい手軽というか、
習慣というか、点けてしまう。
この中毒性のようなところが厄介なのだ。

しかしたとえば、一人暮らしの年寄りの唯一の楽しみ
がテレビである、と言う話を聞くと、テレビも生活の
中で重要な役割がある、とそれなりの価値は認めざる
得ない。
そんなポジティヴな面とネガティヴな面、どちらが多
いかによってテレビの価値を判定したいところだが、
数値によって出るわけも無く、それは不可能だ。
結局、個人それぞれのテレビに対する捉え方の問題と
いうことになる。
はっきりしているのは、テレビというのは作り物だと
いうこと。
要するに、嘘が多いということだ。
その点を常に押さえて見るということが重要なのだと
思う。
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アルトマン

2007年01月27日 | 映画


ロバート.アルトマン追悼をかねて「マッシュ」を見
返したが、今見てもやはり良かった。
シャワーシーンしか覚えてなく、日本なんて登場した
か?と言うくらいの、実にあやふやな記憶しかなく、
一体「マッシュ」のどこが面白かったのか全く覚えて
ないというひどい状態なのだが、良いものは良いと、今
回も再認識した。
なんせ、舞台をベトナム戦争と(実際は朝鮮戦争)間
違えていたくらいだから。

そんな流れで棚を物色していると、まだ見たこと無い
(この時点では)アルトマンがあった。
「ゴスフォード.パーク」がそれ。
早速借りることにした。
微かに記憶にはあった、この作品名は。
お特異の群像劇で、殺人事件が起こるような、確かそ
んなもののような(とこの時点では情報として知って
いると思っていた)。
DVDを挿入。
うん?どこかで見たことあるような。
イギリスが舞台。
女主人と召使が、車で貴族の館に向かう。
何かのパーティーがある。
ここで気付いた。
見たぞこれは。
まあ、ありがちなことだ。
特に最近は。
と、自分に言い聞かせ、どうしようかと思案。
ここで今回の趣旨を思い出した、追悼だ。
ということで、そのまま見ることにした。

しかし、覚えてないものだ(Deja Vuのような書き出し
が再び。要するに、全般的に良く忘れるのが最近の傾
向なのだ)。
登場人物は、屋敷(ある貴族の)に集まった館の主人
とその招待客、そしてそれぞれのお付、総勢50人く
らい(もっと多いかもしれない)の人間で、それぞれ
の人間関係が複雑に絡み合って錯綜する。
90パーセント以上(100パーセントに近い)は館
が舞台。
つまり、館内での話が全てだと言っても良い。
他のアルトマン作品では「ウェディング」がこれに近
いか。
しかし、人間関係の複雑さにおいては、こちらの方が
より凄い。
最後の最後まで、名前と顔が一致しなかった。
と言うと、わけが解らなくなるような印象を受けるが。
確かに最初は名前を追ってるだけで一杯になるが、そ
れをやると意識がそこに行き全体が見えなくなる。
もうその辺は適当で良い。
なすべきことは、画面に集中することだ。
レンブラントのような色調の画面だけでも、充分魅力
的だ。
良くしたもので、最後には大体の人間関係も理解でき
るし、終わったあとの印象も、心地よい疲労感に変わ
る。
これだけのことで、最後まで見せるアルトマンという
監督も、とふたたび感心する。
もう、群像劇でここまで描ける監督は出ないだろう。

こうして「アルトマン」追悼は、無事に終了したのだっ
た。
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マグロ

2007年01月26日 | 食べ物


マグロの漁獲規制が、いよいよ現実のものとなりつつ
ある。
この先、マグロ大国日本の未来は、などと益々騒がし
くなるだろうが、個人的にはマグロが食べられなくな
っても、さして困らない。
ねっとりしたきめの細かい赤身とか、確かに美味しい
とは思うが、無ければ無いで問題ない。
トロに関しても、美味しいとは思うが、全身トロだらけ
の蓄養マグロを見るにつけ、積極的に欲するほどでは
ないので、これもノープロブレム。
実際のところ、マグロが食べられなくなって心底悲し
くなる人はどれほどいるのだろうか。

世界的な需要が多くなってきて、嘗てのように日本だ
けでマグロを占有できなくなったのが、そもそもマグ
ロが注目される原因となったわけだが、皮肉にも一番
影響を受けるのがその食文化を広めた日本とは。
と言っても、今までの日本のマグロの扱い方を見てる
と、自業自得という側面もかなりある。
まず、まき網漁法による根こそぎ稚魚まで含めて獲る
そのやりかた。
これでは、資源が枯渇するのは当たりまえだ。
そしてごっそり獲ったマグロを、消費者がどう扱って
きたか。
宴会で出てきた冷凍マグロ、とりあえず形だけで刺身
の盛り合わせを望む悪しき習慣によって、食べもしな
いそれらのマグロがそのまま廃棄、こんな光景が当た
り前のように繰り返されてきた。
つまり、これからそのつけを払わされるということで
はないだろうか。

個人的には、連鎖の頂点にあるマグロより、その底辺
の魚、鰯の状況の方が気にかかる。
海の環境の変化に一番敏感な魚、バロメーター的鰯の
方こそもっと注目すべきなのでは、と常々思っている
のだが、どうもブランドの方に目が行くのが人間で、
相変わらず大衆魚的扱い(瞬間的に高級化するかとい
う時もあったが)で、低く見られている。
もっと鰯に光を、これからはこっちのほうだろう。
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DATA

2007年01月25日 | Weblog
CDに保存しようと思うデータがあったので、いつも
のように記録しようと思ったら、パソコンがCDを認
識しないと言うどうにも困ったこととなった。
何回やっても同じ表示が出てくる。
ついこの間まで普通に出来たことが出来ない。
ったくどうなってるんだ。
何だか解らないが、パソコンは突然というより唐突に
部分的に不具合がでる。
いつものソフトが、突然使えなくなるとか、ソフトの
ある部分だけが使えなくなるとか、今まで何度も経験
している。
パソコンに詳しい人なら、解決できるものもあるのだ
ろうが、全然詳しくない当方は、その度に物言わぬパ
ソコンに対して八つ当たりするだけだ。

しかし、データをどうしようかという問題は厳然と存
在している。
インターネットで誰かに送って焼き付けてもらおうか
とか考えたが、転送時間とかいろいろあって、可能で
はあるがちょっとね、だ。
今時フロッピーもだし。
第一このパソコン(ノート)はフロッピーに対応して
いない。
そこで他の方法をと考えてるとき、確かUSBメモリー
とかなかったかと思いついた。

ということで近くのY電気へ見に行く。
パソコンコーナーは、一年も見ないうちに様変わりす
る。
知らないものが棚に並んでいる。
こりゃ訊いた方が早い。
正式名称はUSBメモリーでよかったかとやや不安だっ
たが、自信無げに店員さんに訊いてみた。
「USBフラッシュメモリー」が正解。
容量別にいくつかあった。
こんな小さく華奢なのにいろいろ記憶できるんだ、が
第一印象。
しかも、定価五千円が二千円と特価(半年もすれば更
にだろうが)。
早速それを購入。
Yカードは一年以上使ってなく、過去の点数は消滅。
またやってしまった。

早速家で試してみる。
実に簡単だ。
CDより使い勝ってが良い。
この世界は、日進月歩ではなく時進日歩いや分進時歩、
どんどん便利になるが、本当に人間にとって良いこと
なのかどうなのかと今ひとつ確信を持てないまま、日
々恩恵に与かり、それを享受する。
実際、どうなんだろうね。
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ソフトマシーン

2007年01月23日 | 音楽


今ひとつ覚えの悪い映画好きのMは、音楽好きでもあ
る。
その彼が「ソフトマシーン」のCDを持ってきた。
なにやら、渋谷陽一が絶賛していたので買ったという
ことらしい。
彼は密かに渋谷陽一を師事しているのだ。
そんな渋谷陽一が奨めていたのでは買うしかなかった。
彼にとっては未知のグループの「ソフトマシーン」、
一体今現在、どれほどの人がこの名前を知っているの
だろうか、こちらとしてはそのことの方が興味ある。

と言ってる自分だが、実際に聴いたのは極最近で、カ
フェのT君から借りて聴いたものが初めてだった。
活躍していたのは、もう30年も前の話で、当時プロ
グレ好きだったら一度は聴いていても良いはずなのだ
が、何故か抜けていた。
渋谷陽一曰く、ジャズロック的、だそうだ。
で、今回聞いてみると、現代音楽的な要素も一部にあ
るが、確かにジャズロック的だった。
それでMに訊いて見た。

私「で、良いと思うの?」
M「うーん、ちょっと」
私「好きじゃないんだろう?」
M「ええ、まあ」
私「大体、ジャズだってそれほど好きじゃないんだか
  ら当然というか、始めから分かってんじゃない」
M「そうなんですけど」

本人としては、新たな音楽体験を求めての結果だから、
決して無駄ではないのだが、ついつい余計なことを言
ってしまうのは、こちらの性格のなせる業。

私「ヴォーカルとか入ってるのだったら、ファースト
  アルバムがいいよ」

最近知ったくせに、前から知っているような口ぶりだ。

M「そうなんですか」
私「そう」
M「じゃ、ファーストアルバムの方買いますか」
私「それが良いんじゃないの」

次にMは「ベック」のCDを取り出した。
彼のお気に入りだ。
「ベック」と言えば「ジェフベック」しか思いつかな
い年代からすると、何故今になって「ベック」なんだ
と、訝しく思うところだが、これも違う筋から借りて
数枚聴いていたので、「ベック」は「ベック」だとい
う今現在の知識は持ち合わせているのだ。
下手をすると「今時ジェフベックはないよね」などと
言いかねない位の勢いだ。
で、その「ベック」のCDは、結局聴く時間がなくなっ
てしまい、次回にまわすこととなった。
特に好きと言うほどでもないが、新しいものはそれな
りにお楽しみではある。
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レイテ戦記

2007年01月22日 | 芸術


「硫黄島からの手紙」で、戦争の実態を知ったという
話を聞くが、確かに、ありがちな「戦争賛美」、或い
は逆の「徹底批判」、と類型にはまらない映画で、バ
ランスよく描いているとは思う。
のだが、この映画によって教えられたと、初めて思う
人が多いと言う状況には少々驚く。
それだけ、当時の情報と言うのがちゃんと伝えられて
いないということだから。
普段、たとえばドキュメンタリーの太平洋戦争ものな
ど見ないのかね、と思ってしまう。

映画によってある事実を知るというのは、確かにある
とは思うが、多くは単純化、脚色などによって本来と
は違うのではないか、と想像できてしまう。
本当の事実とは何か、というのは難しい問題で、戦争
の真実など、誰にも解らないという事実はあるが、と
りあえずは、なるべく主観の入らない実際に起こった
事柄からその全体像を想像するしかない。
だから、映画からそのきっかけを得るのは、良いこと
だと思うが、それが全てだと思うことは危険だ。
知らず知らずに嵌められ洗脳(思い込まされる)され
るというのは、普通によくあることだから。
最近の若手と言われる議員たちにも、そんな傾向が見
られる。
はっきり言って、大丈夫か?と思う。

そんな状況で、押さえておくべき本として真っ先に挙
げられるのが「レイテ戦記」だ。
大岡昇平の、膨大な記録を基にした戦記で、アメリカ
寄り日本寄りという偏りはなく、当時の作戦、現地の
状況が細かく書かれている。
物語ではないので、一般的な「面白い小説」ではない
が、非常に興味深い本で、戦争物では必須だと思う。

小説仕立てだったら大西巨人の「神聖喜劇」だ。
本人の経験を基にした軍隊での物語で、小説としても
面白いのだが(「失われたときを求めて」にどこか似
ている)、当時の日本軍の体質も充分に伝わってくる。
こういうのは、優れた小説家ならではの視点がないと、
描くことが出来ない部分だと思う。
つまり、軍国主義者の盲信によって見えなくなって
しまう部分を、的確に捉えているということなのだ。

そして映画だったら、ドキュメンタリーの「ゆきゆき
て神軍」。
ある兵士を追ったドキュメンタリーだが、その兵士の
極端から極端の突き抜け方が凄い。
こういう人間がいないと、戦場での上官のひどい行為
も知られることもなかったろうに、と納得する。
はっきり言って、世の中に対する適応性はない人だと
思うが、一つの事実を暴くためには極端さ、執念も必
要だと思わざる得ない。
よくこんな作品が撮れたものだと、本当感心する。

以上が、個人的戦争物必須教材だ。
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山羊チーズ

2007年01月20日 | 食べ物


昨日のオッソーイラティは羊のチーズだが、それより
もっとバラエティーの富むのが山羊チーズだ。
癖も更に強くなり、駄目な人は多い。
独特な匂いが好きな人には良い(とまで言わなくても
気にならない)匂いだが、嫌いな人には吐き気を催す
くらい厭な匂いとなる、典型的な食べ物がこの山羊チ
ーズ(シェーブル)ではないだろうか。
臭いチーズだったら、ウォッシュタイプもあるが、あ
れは牛乳で作るから、原料の違いである山羊の個性で
ある匂いとはまた別の違いとなる。
つまり、菌の違いによる匂いの違いだ。

昔は、田舎にも普通に山羊がいて、その乳も日常的に
飲まれていた(飼ってる家では)。
一度飲んだことはあるが、噂では草臭いとか青臭いと
か言われていたと思うが、今となっては確かな記憶が
ない。
多分、普通に飲んだから、特別変な味とは感じなかっ
たのだろう。
生理的に受け付けない味でなかったことは、今現在好
きであることを考えると間違いない。
体質的に山羊を受け付けると。

しかし、同じシェーブルでも大きく二つに分けられ、
その個性も大分違う。
それはフレッシュタイプと熟成タイプだ。
癖の強いのは、なんと言っても熟成タイプの方。
フレッシュタイプは、殆どヨーグルトか、と言うくら
い癖なしだ。
反面食べ易いとはいえるが、個人的には全く美味しい
とは思えない。
やはりなんと言っても熟成タイプだ。
中身がドロドロしてるくらい熟成したものが美味しい。
物によっては硬くなるタイプがあるが、そういうのは
周りが黴でぎっしりなったくらいの物が美味しい。
例えば「クロタン」。
カチカチの黴だらけの物が、チーズ屋の片隅にそっと
置かれていたりするが、自分だったら間違いなくそち
らを選択する。
値段が同じだったら、食べごろの物がが良いに決まっ
ている。
ただネックは、シェーブルはお高いということだ。
直径4センチほどの物が、平気で千円を超えでしまう。
ここは本当、どうにかならないか。
と常々思っているが、どうにもならないね。

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オッソーイラティ

2007年01月19日 | 食べ物


オッソーイラティと、一般的には今ひとつぴんとこな
いこの名前は、羊のチーズの名前だ。
ハードタイプの羊チーズとしては、イタリア辺りのペ
コリーノなんかの方がよりポピュラーだと思うが、好
きなのは断然フランス物のこちらの方だ(ペコリーノ
はどうもしょっぱ過ぎて駄目だ)。
イタリア物に関しては、他にももいくつかトライして
みたが、やはり好みとしてはフランス物に落ち着く。
同じく、スペイン物やオーストラリア物もやってみた
が、結果は同じだった。

で、このオッソーイラティだが、今回お土産で貰った
ものだ(最近こんなのばかりだ、たまには自分で買え
ということは重々承知です)。
こちらの好みを知っていて買ってきてくれたので、当
然のこと嬉しいお土産ということになる。
一応、山羊か羊の、フレッシュではないもの(熟成した
もの)、ということが好みとして行き渡っているのだ。
この辺は、はっきりしていた方が買うほうも判り易い
のではないかと、周知徹底させた結果だと、一人納得
している。

しかし、フランスの羊のハードタイプは他にもいくつ
かあるが、その中でも特にこのオッソーイラティがお
気に入りであると言うわけではない。
アベイドベロックでも良いし、プティバスクでも良い
し、どれも美味しい。
ポイントは、熟成しているかと言う一点だ。
好みとしては、古漬けのような香りがするくらいの状
態のもの。
チーズそのものもやや硬くなった頃、良い香りが仄か
にしてくる。
旨味も増し、味も複雑になり、正に食べごろとなる。
人によってはこの状態を、「駄目になった」と表現す
るが、とんでもない。
実際は、その逆だ。

チーズに限らず日本の漬物でも、今は、この熟成に関
しては省みられなくなりつつある。
サラダ感覚の浅漬け流行りで、熟成の旨味が判らなく
なってしまったのではないかと危惧するくらいだ。
例えば、千枚漬けひとつみても、昔は塩だけで味付け
だったが、今はいやに甘く、そもそも熟成すら考えて
ないようなものが多いし、キムチなんかも、酸っぱく
なった頃が旨いと思うのだが、キムチ味のサラダのよ
うなものが一般的だ。
こんなことで良いのか、と一人思ったところで、これ
が全体の好みの反映ということを考えると、所謂本物
の味も、今や「絶滅危惧種」の仲間入りか、と思わざ
る得ない昨今の状況である。
コメント

ウィーン交響楽団

2007年01月18日 | 音楽


欠員補充のコンサートは、「ウィーン交響楽団ヨハン.
シュトラウスアンサンブル」の、一応ニューイヤーコン
サートと銘打ったものだった。
ウィーンフィルのメンバーで構成された12人のアン
サンブルで、主にヨハン.シュトラウスを演奏するわ
けだが、ヨハン.シュトラウスの音楽は、これ以前積
極的(能動的)に聴いたことはなかった。
思い出すのはワルツ。
今回も、案の定ワルツ主体で、楽しげな音楽が、演奏
者の演技(小芝居と言えば小芝居)も加わって、観客
を巻き込みつつ展開していく。
親しみやすさを狙った演出は(オペレッタもあり)、
充分成功していた。

個人的には、これだけ具体的な情景を思わせる音楽も
ないと感じた。
例えば「デビュタント」(で良かったか)の風景。
或いは、工場かなんかで従業員が楽しげに労働してい
る姿。
そして、アルプスの草原を、俯瞰しながら流れる映像
(NHKの名曲アルバムのイメージかサウンドオブミ
ュージック)のようなもの。
それだけ、この手の音楽が日常的に使われていて、知
らず知らずの内に耳(目)にしているからなのだろう
か。
類型を喚起する音楽。

しかし、好みか?と問われれば、「違う」と答える。
思うに、共通して、調子の良い音楽はそれ程好きでは
ないようなのだ。
大分好みが偏っているとは思うが、だんだんそれがは
っきりしてきた。
あと、ロマンチストでない故か、ロマン派と言われる
音楽も駄目だ。
というより、好きなのはバロック(調子の良いのもあ
るから前言と矛盾するが、その辺は???で)と現代
音楽と言い切ったほうが解り易い。
その中間のクラシックに関しては、よく知らないとい
うか、今のところひっかかるものがあまりない。
唯一マーラーの交響曲は好きだった、と言えるぐらい
だ。
まるでキセルのような偏愛だ。

それで同日、T君のカフェで「Curved Air」(プロ
グレ)のライヴビデオを見たりしているのだから、なん
とも脈絡のない「音楽の一日」だったと言うしかない。
コメント

鰊そば

2007年01月16日 | 食べ物


温かい蕎麦を食べるのは滅多にないのだが、唯一美味
しいと思えるものが「鰊そば」。
基本的に蕎麦が美味しい場合は、「もり」に限る。
天麩羅とかそういうものは、救済措置的に蕎麦自体が
美味くないときに必要となるアイテムだ。
つまり、天麩羅でどうにか流し込むわけだ。
こういう場合は、勿論温かいのが条件。
その延長線上に、立ち食いそばというのもある。
これはもう蕎麦を味わうと言う感覚ではなく、掻き揚
げと葱もたっぷり入れ(この場合七味も)、蕎麦とは
別物として食べる。
これはこれで結構食べられる。
「蕎麦から遠くはなれて」だが。

で、本来の蕎麦だ。
飽くまでも、一年を通して「もり」なのだが、そこは
人間、たまに「色物が」ほしくなる。
それが「鰊そば」なのだ。
嘗て、本場の京都で食べて、蕎麦自体の味はきわめて
普通なのだが、甘辛く煮た身欠き鰊が結構合う、と思
った。
ホット蕎麦でそう思ったのは、「鰊そば」が初めてだ
った。
以来、たまに欲するようになった。
柚子などが薬味にあると更に嬉しい。
いずれにしろ色物なので、蕎麦自体の美味さはあまり
重要ではない。
乾麺でもノープロブレムかも。
でも、最低限の味は必要か。

しかし、こういう食べ方が確立されていると言うこと
も、京都の食文化の高さを表しているということなの
だろうか。
身欠き鰊と蕎麦を合わせる、この発想が底力というも
のか。
以前、有名店のパック入りの鰊そばセットをお土産で
いただいたが、味的な違いはそう大きくはなく、どこ
で食べてもそれなりの味になっているものと認識した。
つまり、余程身欠き鰊の味付けがひどくなければ、充
分食べられるという、許容範囲の広い食べ物というこ
となのだ。
やはりポイントは、この組み合わせだろう。

そして今現在、盛り蕎麦でも噛むのがちょっときつい
ので、蕎麦(らしいもの)を食べたいときにはこの「鰊
そば」が重宝している。
やや、柔らかめになった蕎麦を鰊で流し込む、これが
今の自分には丁度なのだ。
コメント

ライヴ

2007年01月15日 | 音楽


元々、そんなにライヴ演奏は好きというほどではない
のだが、今でもたまに行く機会がある。
自らチケットを買って、ということは当然なく、行く
予定の人が行けなくなり、欠員というかチケットがあ
まったという状況の時お声がかかり行くというパター
ンだ。
つまり「只」。
ここが重要だ。
基本的に「家でCDで聴く派」なので、ライヴ全体に対
してあまり能動的ではない。
だから、チケットがあまっていて行く人いないのだっ
たら行きます、というスタンスになるのだ。
そのチャンスが久々今週ありそうだ。
「ウィーンフィル」のなんとかかんとか言っていたが、
詳しいことはそのときになって見ないと判らない。
クラシックであることは判明してるが。

しかし、いくら余っていても、行かないジャンルはあ
る。
クラシックかジャズ以外はまず行かない。
やはり興味のないものには、いくら只といっても行く
ことはない。
只なのだから、いろいろ文句はつけられないが、そこ
は好みのはっきりしている自分がついつい出てしまう
ところだ。
まあ、そんな機会を待っている訳でもないし、多くも
ないし、飽くまでもたまたまあればの話だ。
ある種の僥倖みたいなものだ。

そんな自分でも、嘗ては、ライヴハウスに何度も行っ
た時代がある。
主にジャズだったが、「ピットイン」(確か森山威夫
だった)にも行ったし、吉祥寺の「サムタイム」とか
にも結構行ったものだ。
コンサートも「アート.ファーマー」「チック.コリア」
「ローランド.ハナ」など外タレ組のものにもそこそ
こ足を運んだ。
こうやって見ると、一端のジャズファンに見えるでは
ないか。
しかし、「マイルスデイヴィス」以外に関しては、そ
んなに知識は身に付いていない。
「マイルス」に関してもよく聴いたというだけで、曲
名とか時代背景などの知識は見事に無い。
だから、所謂「ジャズ通」とは一線を画している、と
いうより積極的に避けたい。
話されても、付いていけないから。
と言いながらも、貰ったCDでフェイクラッセンの
「チェット.ベイカー」などという割に最近のもを聴
いたりしているから、困ったものだ。
コメント

中国女

2007年01月14日 | 映画


T君からもらったビデオ、ゴダールの「中国女」は、相
変わらずまだ見てないが、ケースは飾っている。
赤と黒のこのビデオケース、結構良いのだ、飾り用と
して。
ビデオケースもこういう使い方があったか、と合点。
しかも、ゴダールというのもポイントだ。
格好付けにはうってつけなのだ。
知的或いは芸術風を気取るには、ゴダールなんか最高
ではないか。
これがもしスピルバーグ辺りだと、「ああ好きなんだ
ね」で終わる。
知的なものを感じるまでには至らない。

一般的にフランス映画は、知的芸術的雰囲気を持って
いるので(そういうことになっている)、実に格好付
けには重宝だ。
「ゴダール」以外でも「トリュフォー」「ロメール」
「ブレッソン」「リヴェット」とごろごろいる。
どうしてもヌーヴェルヴァーグが中心となるが、それ
は単に個人的趣味が反映されての結果だ。
それ以前はあまり広くは知らないのだ。
例えば名画といわれている「居酒屋」なども、押さえ
てはいるがあまり印象には残っていない。
はっきり言って、世の中の名画と自分の名画は、大き
くずれている。
それより、今回の趣旨は「知的芸術風」格好付けに適
した映画ということだった。
話を戻そう
他には「ルノワール」や「コクトー」なんかも良さそ
うだ。
もっと芸術系だったら、いっそのことレジェが美術担
当した「人でなしの女」など最高かもしれない。
そしてピカビアも参加し、サティが音楽担当した「幕
間」とかも。

いずれにせよ、ヌーヴェルヴァーグを押さえておけば
間違いない、とここでは断言する。
というのも、この辺からパッケージがお洒落になって
きているのだ。
特にゴダールものが。
お洒落系だけなら「アメリ」もありだが(実際飾って
る人は多いのではないか)、知的な感じは今ひとつ。
同じジャンピール.ジュネだったら「デリカテッセン」
の方が、芸術的雰囲気もありいいかもしれない。
と、一つ一つ挙げたら限がなくなる。
結局振り出しに戻って、「ヌーヴェルヴァーグ」で間
違いない、ともう一度断言することとなる。

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味覚

2007年01月13日 | Weblog
今現在、左の歯でしか噛めない状態なのだが、たった
これだけでも、今ひとつ味が判らなくなる、というよ
り、自由にどの歯でも噛めないというこのことだけで、
味わうという行為が不完全になるという事実が、何と
も歯がゆい(文字通り)。
丁度、麻酔をしたときの麻痺した何とも言えない厭な
感覚が、ずっと残っているといった感じなのだ。
時とともに解消されるんだろうね(と、想像上の医者
に確認したつもり)。

右で噛むと、痛みがピキッと走るので要注意で、左に
してもまだ硬いものは駄目だ。
普通に食べられないことが、何故これほどの影響力を
持つのか。
気分的にも、大分左右される。
こんなことで、影響されること自体が問題だ、という
ことも重々承知なのだが、そうなってしまうのだから
自分の心理メカニズムを呪うしかないのか、残された
道は。
どうも、最近は、ついつい表現が大袈裟に傾く。
これも、今の状態からきているというこなのか。
あまり考えない方が良いいのかもしれない(と自分に
言い聞かせ)。

美味しいものを食べたいという欲求が、あまり強いと、
それが奪われたときのショックも大きくなるという良
い例を、いま現在実証中の身なのだが、これを糧に、
次からは実際に食べなくても、想像上で食べたつもり
になって、「ああ美味しかった」と感想を漏らし、想
像上のブログに食べ物日記を書いたつもりになって喜
ぶ、なんてのはどうだろうか。
「コンセプチュアルアート」に倣って「コンセプチュ
アルイート」。
しかし考えてみれば、これって単なるバーチャルリア
リティーのような気もする。
しかしここで考える。
「コンセプチュアルイート」にすれば何か新たな地平
が開けた感じがするではないか(自分だけか?)。
名前を変えただけで気分も一新。
結局、その程度か?

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