ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

蕎麦打ち

2008年11月30日 | 食べ物


T君が、突然、蕎麦粉いりますかと言う。
どういうことか聞くと、ガレット用に仕入れた蕎麦粉
が大量にあり、良ければ使ってくださいということで
あるようだ。
と言われても、蕎麦を打つ趣味があるわけでもなく、
どうしようかと思ったが、折角くれると言っているの
だから、一丁蕎麦でも打ってみるか、という気になっ
た。
蕎麦は、地元産の、引退した人が趣味で作っている蕎
麦粉ということであった。
蕎麦を作ってるなら、自分で打てば良いのにと思った
が、T君によるとそこまでは本人はしたくないらしい。

「男の趣味」などと、よく雑誌などで特集されている
蕎麦打ちだが、もっぱら食べる時に文句を言うだけで、
自分で打ちたいとはあまり思ったことがない。
たまに、自分で打ったなどというものを貰う機会があ
るが、大体、素人にしてはまあまあという出来で、決
して良いというレベルのものではない。
要するに、自分でわざわざ打つ必要はないと思ってい
たのだ。
しかし、世の中には、好きが高じて自分で店まで開い
てしまう人もいる。
そしてそういう店は、結構良い店も多い。
やはり、特化して研究するので、それなりのレベルに
達するようだ。
問題は、そういう店は、変に求道的になって窮屈にな
る傾向にあることだ。
更に、総じてちょっと高い。

そんな蕎麦状況のなか、「荒挽きの田舎」くらいの蕎
麦粉を貰ってきた。
早速、ネットで作り方を見る。
普段から「更級」の主人に聞いたりしているのだが、
いざ作るとなるとそれらの正確なことを覚えていない。
結局頼るのはネットだ。
いくつかあるが、それぞれ微妙に違う。
この手のものは、実践して、自分のやり方をみつける
しかないということは、経験上わかっているので、と
りあえず実践だ。
量は少な目。
何故かというと、まず最初は上手く行くはずないので、
出来の悪いものの処理まで考えないといけない。
不味いものを大量に食べるのは辛い。

水回しが重要なことは知っているが、どういう状態が
良いのかということがよく判らない。
適当なところでまとめ、こねて、これも程度が今一
判らないが、ほぼ円錐状の形にした。
見かけだけは、それっぽい。
それをのし、同じ厚さにする。
ここまでは、見かけ上は蕎麦である。
そして、切る。
初めて蕎麦を切るわけだが、なるほどあの蕎麦包丁が
適しているのだ、と実感する。
包丁自体に重さがあったほうが、はるかに切りやすい
のだ。
何とか、切り終わる。
ありがちなきしめん状にはなっていない。
蕎麦も、まだ何とか繋がっている、と思ったが、そん
なことはなかった。
移動していくうちに、何だか短くなってきたぞ。
この時点で、「万が一成功」という期待はなくなった。

こういう蕎麦は、盛では絶対食べられないので、かけ
にする。
できれば、掻き揚げがほしいところだ。
お味のほうは、なんだか田舎の民宿ででてくるような
蕎麦であった。
よく言えば素朴、正確に言うと典型的な出来の悪い蕎
麦であった。
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突破口

2008年11月29日 | 映画


昨日の続きになるが、「ノーカントリー」の殺し屋、
あの不気味さは必見であるのは言うまでもないが、つ
いこの間、BS2で深夜、ドン.シーゲルの「突破口」
という映画をやっていて、ついつい観たのだが、その
中の殺し屋が、「ノーカントリー」の殺し屋の系譜で
はないかと思ったのだ。
原型に近いのでは。

この映画は公開当時に、どこかの試写会で観た記憶が
ある。
当時の印象は、アクション映画ではあるが、派手なア
クションがなくちょっと物足りないというものだった。
主役はウォルーター.マッソー。
喜劇の印象の強い役者なので、余計にそう感じた。
で、今回改めてみると、印象は大分違った。
まず、映画として非常に面白いということ。
当時は、アクション映画の面白さは派手なアクション
である、というあまりに素朴な観方をしていたのだと
思い知らされた。
歯切れの良いテンポ、気の利いたストーリー展開、実
によく出来た犯罪アクション映画であった。
確かに、主演は、所謂格好良い役者ではないが、そこ
がまた良い味となって映画に厚みを持たせている。
若い時には、こういう映画の良さが見えないというこ
となのだろう。
これからは、ドン.シーゲルを、アクション映画の巨匠
今回の場合はドンか、そう呼ぶことにする。

と、映画の出来が良いのは間違いないのだが、そこに
登場する主人公を追う殺し屋が、当時は大して話題に
もならなかったが相当不気味というか、非情な殺し屋
なのだ。
そういえば、殺し屋に狙われる理由というのが、たま
たま襲った銀行で、洗浄のために一時的に置いてあっ
たマフィアの大金を偶然手にしてしまったからという、
ちょっと「ノーカントリー」にも通じるストーリーで
ある。
ひょっとしたら、コーエン兄弟、かなりドン.シーゲル
が好きなのではないか、などと思ったりもする。
どこまでも追ってきて、有無を言わせず殺す殺し屋と
いい、共通性が多い「突破口」と「ノーカントリー」、
同じ時期にたまたま目にしたから気付いたことである
が、こういうのも映画のちょっとした楽しみであると
思う。
このところ映画が続いているが、これもまた、たまた
ま面白いと思うものを立て続けに観たからなのだ。
本当、こういうのは偏るものである。
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ノーカントリー

2008年11月28日 | 映画


CNNニュースサイトの「映画に出てくる猟奇殺人者」
ベストテンという記事を発見。
それがこれ。

 1 ベン・キングスレー・・・『Sexy Beast』 
 2 ハビエル・バルデム・・・『ノーカントリー』
 3 デニス・ホッパー・・・・『ブルーベルベット』
 4 ジャック・ニコルソン・・・『シャイニング』
 5 ゲイリー・オールドマン・・・『レオン』
 6 ジョー・ペシ・・・『グッドフェローズ』
 7 ロバート・デ・ニーロ・・・『キング・オブ・コメディ』
 8 ロバート・ミッチャム・・・『狩人の夜』
 9 浅野忠信・・・『殺し屋1』
10 クリスチャン・ベイル・・・『アメリカン・サイコ』

見てないのもあるので(例えば1)、はっきりは言え
ないが、個人的には2がダントツである(因みに、映
画としては、8の「狩人の夜」がダントツに良い)。
最近見たから印象が強いというのは勿論あるが、彼だ
けは他の殺人者とは異質に感じるのである。
異常者の枠を越えた、突き抜けたものがある。
異常者は飽くまでも人間だが、彼の場合は例えば「ジェ
イソン」のような人間ではない不気味さを持っている。

コーエン兄弟の「ノーカントリー」という映画に出て
くる殺し屋なのだが、その容貌といい(おかっぱ頭で
目がくりっとしている)、今までのどの映画の殺し屋
とも違う。
有無を言わせぬ暴力性。
人間としての感情は一切持ち合わせない。
つまり、理解不能の殺し屋として登場するのだ。
映画は、彼から逃げる男、そしてその殺し屋を追う保
安官、そして殺し屋、この三人の姿を描いている。
普通だと、一応主人公と言われる保安官が殺し屋を捕
まえて(殺して)メデタシメデタシとなるところだが、
そうはならない。
そこがまた「ジェイソン」的なのだ。

面白いのは、この映画がアカデミー賞を受賞したとい
うこと。
すっきりした話ではないにも関わらず。
考えるに、これは今のアメリカの気分を反映している
のではないか。
社会を覆う、不安。
不気味な暴力性を、社会の中に感じているからではな
いだろうか。
銃乱射事件、テロ、あとは市場の暴力的力、それらの
暗喩として殺人者を捉えているのではないかと思える
のだ。
同じような、遥かに判りやすい暴力を扱った「クラッ
シュ」も受賞しているし、最近のアカデミー賞は、ア
メリカの病巣を描いたものに与えられている。
この流れからは、救いを提示した「クラッシュ」から一
切救いのない「ノーカントリー」と、どんどん悪くなっ
ているという今のアメリカの実体を読み取ることもで
きる(これは日本も無縁ではないが)。

コーエン兄弟の映画は、どの作品もよく出来ている。
隙のない映画という感じだ。
これも、「クラッシュ」よりは面白いと思う。
すっきりした話ではないが、例えば、理解不能の殺人
者に呆然とする、それだけでも一つの楽しみ方として
はありなのではないだろうか。


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グレースと公爵

2008年11月27日 | 映画


この前の記事で、「エリック.ロメール」の映画の九
割方は観ているなどと書いたが、確かめてみると27分
の17、つまり六割ちょいであった。
大分下駄を履かせたようだ。
どうも、ブログだと、何の証拠も要らないし、誰も確
かめようがないのでので大袈裟に書く傾向がある。
要するに、嘘を書いてもばれる恐れがないのだ。
書くほうとしては、快感にもなるところだろうが、見
るほうからすればこの点は気をつけないといけない。
と、他人事のように言っているが、自分がその嘘を書
いた張本人だった。

というわけで十七本目の「グレースと公爵」を観た。
フランス革命時の、グレースという(映画の中ではグラー
スと発音)貴婦人(貴族であるがどういういきさつの
人間かはよく知らないが、知らなくても問題ない)が
主人公の映画だ。
これも前に書いたことだが、エリック.ロメールの映
画は、現代が舞台の、日常のなんでもないことを題材
にした、ロケが殆どのセットを使わない映画であるの
だが、これは完全に例外。
CGを多用し、しかも題材は歴史的出来事。
だから、全体では史劇的雰囲気の映画である。
それで過去の作品を振り返ってみると、「O公爵夫人」
(未見)「聖杯伝説」がこの系譜の映画であるようだ。
監督個人に、この時代を題材に描きたい何かがあるの
だろうと想像する。

王党派であるグレースは、フランス革命によって、立場
が危うくなる。
周りの仲間は次々に処刑されていく。
そこに、革命側に付いた公爵が絡む。
公爵とグレースは、深い友情で結ばれてるようである。
過去に、何があったかということは判らないが、今は信
頼関係があり、何かと公爵はグレースを助けてくれる。
元々イギリス出のグレースなので、イギリスに帰れば
問題ないのだが、帰ることも難しい状況。
結局、最後につかまり裁判にかけられる。
終いには、革命派であるはずの公爵までもつかまって
しまう。
その間に、王党派の追われる人間をかくまったり、い
くつかのエピソードがはさまる。

ざっと内容はこんなものである。
舞台は、グレースのパリの家と郊外にある別宅、そし
て裁判所の三つ。
あとは、そこを移動する道だけと言っても良い。
そこにCGでつくった、如何にも安っぽい背景が置か
れる。
しかし、この作り物然とした背景が良いのだ。
リアルな感じではないのだが、独特の雰囲気をかもし
出す。
殆どが室内の会話で成り立っているのだが、そこにこ
の少々安っぽいような外の風景が挿入されると、ふっ
と映画の瞬間を感じる。
全体としては「一貴婦人から見たフランス革命」とい
う構成ではあるが、歴史的事実を基にした劇的な大河
ドラマでもなく、スペクタクルもない映画で、取りよ
うによっては、退屈な会話しかない面白くない映画と
言えそうだが、そこには、魅力的としか言いようのない
正しくロメールの世界がある。
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蕎麦屋での風景

2008年11月25日 | Weblog


「更級」で、テレビのニュースを見ている時のこと。
最近は、何故か若い客が増えている(多分、ネットの
せい)。
以前は、滅多に見なかったのだが、今日も二十代と思
しきカップルが二組いた。
それぞれに話に夢中で、ニュースなどは聞いてないよ
うだった。
ところが、その二組の視線が、突然、テレビに釘付け
となったのだ。
何事かと思ったら、「西村和彦」が事故にあったとい
うニュースが流れたのだった。
と言っても「西村和彦」って誰、と多くの人は思うの
ではないか。
こちらも誰だ、と思って写真を見たら、ああ、あの人
かと判ったという具合なのだが、彼らカップルはその
点は始めから判っていた様だ。
凄い集中ぶりで、こちらが会計を済ませようが全く目
に入らない様子。
それにしても、こんなことそれ程関心を持つことか、
と思わずはいられなかった。
たかだか俳優が怪我をしただけのニュースだ。
そしてそれに対する異常とも思える(こちらからすれ
ば)反応、どうしても程度というものを考えてしまう。
昔は、この手のものは無視さえしたものだが。
現代の若者に対する芸能界の占める位置、を垣間見た
というやつである。
今の首相がマンガしか読まない、と同じ背景を感じて
しまうのだが。
これは、単なるこじ付けか。

それにしても、外は雨。
寒い。

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ほろほろ鳥のコンフィ

2008年11月24日 | 食べ物


まだまだあった「ほろほろ鳥のコンフィ」を、普通に
焼いて食べた。
ビストロの定番メニューは、皮目をかりかりに焼いて
ジャガイモなどを付け合わせに出すのが多い。
ボリュームもあり、しかもカロリーの相当高そうな料
理だが、素直に美味い。
気取らないフランス版大衆料理といったところだ。
今回は、付け合せにやはりジャガイモをあわせた。
フライドポテトなどもいいが、脂に油というこってり
攻撃はちょっときついし、フライドポテトもいざ作る
となると手間がかかりすぎる。
そこで、マッシュポテトにすることにした。
あとは、セロリがまだあったので、ゆでセロリにして
それも加えた。
このセロリも、昔は馬鹿の一つ覚えのようにマヨネー
ズなんかをつけたスティックで食べたものだが、ゆで
たりしたほうが最近では美味いと思う(味付けはなし)。
なんでも生が一番とは思わない。
焼きセロリなんてのもいいかもしれない。
兎に角、マヨネーズに頼ると幅がなくなるのは間違い
ない。

付け合せもでき、後は「ほろほろ鳥のコンフィ」を焼
くだけ。
これは本当に焼くだけで、すでに熱は通っているので
皮がぱりぱりになれば完成。
冷凍してあるものだから、中まで熱くなっているかと
いうのも気をつけるポイントではある。
油もコンフィの脂があるので、殆どいらない。
で、「ほろほろ鳥のコンフィ」の完成だ。

見かけは、付け合せ含め店で食べるのと殆ど変わらな
い。
白のお皿かなんかに盛れば、もう完璧だろう。
お味は?
店なんかでも、多分沢山作って冷凍にしておくのだと
思うが、たまに、冷凍状態が長いと思われるものが出
てくることがある。
高級店では、そんなこともないだろうが、そうではな
いところだと、ともすれば起こりがち、と思われる。
何が違うかというと、脂の味である。
冷凍焼けというのもこんな常態か。
例えば、バターピーナッツでも、ちょっと古いと油の味
が変わって全く美味くなくなる。
そういう現象に近いのが、この脂の味の変化ではない
だろうか。
今回の「ほろほろ鳥のコンフィ」も、若干そういう味が
したのだ。
許容範囲ではあったが。

結論としては、保存食とは言え、あまり冷凍庫に入れと
くなということであった。
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屋久島

2008年11月23日 | Weblog


屋久島を取り上げた番組を見たが、噂には聞いていた
が、本当に観光客が多い。
来る人たちの目的は、「縄文杉」を見に行くというも
のなので、当然、皆トレッキング仕様である。
あれだけ多くの人が歩いたら、そりゃあ地面も杉その
ものも痛むわ、というのが正直な感想である。
単純に、人数制限したほうがいいんじゃないか、と思っ
たりもする。
少なくとも、し尿処理のための費用を賄うためにも、入
山料は取るべきではないか(あるのかもしれないが)
と思うが、観光業との絡みがあって決められないのか
もしれない。
主な収入源が観光であるとすると、結局どこでも問題
になる「保護か収入か」の現実を抱えることになるの
だろう。

あと、明らかに違うと思った風景は、普通山歩きだと
圧倒的に中高年なのだが、屋久島はいやに若い男女が
多いのだ。
女性の割合が多いのは、どこでも一緒だが。
その理由として考えられるのは、「縄文杉」に対して
持つイメージの違いなのだと思う。
神秘的なあるイメージを抱いているのは、多分間違い
ない。
そして、かなり強力な「パワースポット」として捉え
ているのではないか。
これは、女性雑誌などの影響だと思う。
「太古のパワーを秘めた縄文杉に癒される」なんて特
集があったのではないかと推測される。
ヒーリングスポットとしての屋久島、その中のパワー
スポット縄文杉、大体こんなところではないだろうか。

元々、古い大木は、自然の中にあるとそれなりの存在
感がある。
だから、御神木というものにもなるわけだ。
周りの環境が、ひんやりするようなちょっと鬱蒼とし
たしかもくぼ地であったりすると、感覚的にも何かを
感じやすい。
しかし、そういうところは、そこらの山の中にいくら
も存在している。
特別、珍しいものではないが、古い大木が、生命の象
徴自然の象徴として存在感を発揮するのは事実である。
それが、縄文時代からとなると、確かにパワーアップ
という趣となる。
要するに、有り難味が増すのだ。
で、屋久島詣でということになるわけである。

そこにヒーリング、パワースポットなどと流行の言葉
が付くと、アニミズム的な信仰とは別物と捉え(本質
的には同じなのだが)、バリにでも行くのりで行きた
くなるのではないか。
これも、ある種のブランド化だろう。
本当は、そこらの山の中に「マイ御神木」を発見でき
るのだが、そこはやはり、客観的な物語が必要なのだ
ろう。
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その後のパン屋

2008年11月22日 | Weblog


駒澤大学が、デリバティブで150億円の損失か、それ
にしても大学も、資産運用をやらないと経営は楽にな
らないという時代なのか。
挙句に損を出したら元も子もないが、多分、担当者は
過去にそれなりの実績を作ったのだろう。
調子に乗ったらこの事態、なんてのが真相ではないだ
ろうか。
箱根駅伝で頑張って、イメージ挽回となるか、今年の
ではなく今度の大会は、駒沢に要注目である。
相当内部からのプレッシャーもきつくなっているはず
だから。
と言っても、個人的には興味がないから見ないと思う
が。

この間、例の今年一杯で閉店するパン屋に、閉店告知
後初めて行った。
その日の閉店間近の時間だったので、パンも殆どなく、
ありがたいことに「バゲット」のみあったのでそれを
買い、他のお客さんもいなかったので店主とちょっと
話をした。
やめる理由は、ほぼこちらの予想した通りで、家族の
この先を考えてのということであった。
居抜きで売るということなので、直ぐに違うパン屋が
オープンするわけだが、そのパン屋にとっては実にい
い条件でオープンできる。
三分の一以下の資金でオープンできるのだから。
それが、どんなパン屋なのか聞くのを忘れたが、同じ
ものということは有り得ないので、あまり期待はして
いない。

「お客さんには失礼な話なんですけどね」と店主の弁、
いやに殊勝でありました。
本人は、てっきり自分の故郷に帰るのかと思ったが、
その辺はまだ決めてないらしい。
何かあてがありそうにも見える。
元々T君と親しかったので、いずれゆっくり話をする
機会があるかもしれない。
ゲロゲロ少年Yも、残り少ない期間、せっせとバゲッ
トを買いに通っていることだろう。
カタール戦に快勝ということもあり、止めは刺されて
ないからまだ精神的には大丈夫だろう。
そういえば、「パン屋襲撃」とかいうタイトルの本な
かったか、今、ふと思い出した。
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エリック.ロメール

2008年11月21日 | 映画


エッリク.ロメールの「グレースと公爵」をBS2でやっ
ていたので早速録画する。
予約録画も久しぶりにするので、すっかりやり方を忘
れていたが、何とかセットする。
これはずっと観たいと思っていたものだ。

もともとエリック.ロメールは好きな監督で、作品の
九割方は観ていると思う。
カメラ一つあれば映画は出来る、と公言するくらいに、
あまりお金をかけずに作ってしまう監督であるが、確か
に作品の多くは、大掛かりなセットを使うこともなく、ロ
ケで済ましているのだろうなと思わせるものが多い。
スペクタクルとは全く無縁な監督である。

以前、「モード家の一夜」を(これは自分のビデオコ
レクション)、ちょっと映画好き、そして文学好き(村
上春樹が好きだったような)の人間に貸したことがある。
どういう反応を示すか興味があったが、それは予想通
りというかあまりに普通で、その人間に対する個人的
評価もちょっと低いものとなった。
その感想は、一言で言えばドラマがないということだっ
た。
これは、多くの人が「エリック.ロメール」の映画に
対して持つ感想である。
話が普通すぎて面白くない。
或いは、日常の世界過ぎて面白くないと。
「小津安二郎」に対しても言われがちな感想である。
それは、映画を(ここは文学にも置き換えられる)物
語としてみた場合の感想であり、同時に、それでしか
映画をみられないという限界をも表わしている。
どうしても、波乱万丈、劇的なもの或いは起承転結を
求めてしまうのだ。

例えば、日常の風景の中に一瞬きらめく瞬間を映画が
捉えても(ロメール作品の魅力の一つ)、それを感知
できないのは仕方ない。
見えない人には見えない世界としか言いようがない。
「小津安二郎」の世界にも欠かせない、日常の中に現
れる普遍の世界、いい映画に共通するのはこの部分で
あると思うが、これがなかなか理解されない。
なんでもない路地の風景。
水面に映る太陽のきらめき。
人の後姿。
これらのなんでもないと思われる映像が、映画となっ
たとき生命を吹き込まれ魅力的なものとなるのだが、
物語の筋のみに囚われてしまうと、それらは、いつま
でいっても単なる日常、退屈な風景であるのだ。
だから、世の中の映画評は、あらすじが重要な意味を
持ち、ネタバレという言葉すら生まれたのである。
はっきり言って、そんな映画は大したことはないのだ
が、そんなことを思っている人間の方が極極少数であ
るのだから、実は、こちらの方が大したことないとい
われる立場なのかもしれない。
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寒気襲来

2008年11月20日 | Weblog


流石に厳しい時間帯だったので見なかったが、「日本
対カタール」、アウェイで3-0の快勝とは少々びっ
くりである。
まずは良かったのだが、こうなるとちょっと出来すぎ
ではないかと思ったりしてしまうのは、まだまだその
実力を信用してないということか。
守備に関しては、形になってきたようなことを言って
いたから、確実に進歩していると見てよいのか、どう
も自分自身でもはっきりしない、このところの代表に
対する評価である。
要するに、今ひとつ解らないのだ。
次回のオーストラリア戦で、その辺ははっきりすると
思う。

それにしても寒い。
昨日、峠道を通ったら、マイナス一度の表示。
しかも、雪まで降っている。
まだ、積もるほどではないのでいいが、スタッドレス
に変える作業をいずれしないといけない。
それと、車検代も払わないと。
今回は、思ったより修理箇所は少なかったが。
冬の前には、何かといろいろすることがある。

その寒い中、松本だったのだが、「クリヨー.ド.ヴァン」
も寒かった。
この時期、流石にテラスを使う馬鹿はいないが(Yなら
やりかねない)、店内も結構冷える。
勿論暖房は利かせているのだが、何せガラスの部分が
多いので、下から冷気がじわじわ襲ってくるのだ。
やはり、テラスでまったりというのが、この店の一番
の魅力だ。
早く、暖かくならないか、とこれから寒くなるという
時期に言うことではないが、ついそう思ってしまう。

その後、「アンチョビペースト」を買いに行く。
輸入食品専門店の「トレジャーマーケット」。
前回、新しいもの買って、いざ使おうと思ったら、微妙
にいつものチューブと色が違った。
出てきたものも思いっきり違い、緑色だった。
茶色のものがでるはずが、緑色、一瞬「エクソシスト」
かと思った。
確認すると、それは「ジェノベーゼソース」であった。
こんなもののチューブがあるんだ、とそのとき初めて知
った。
というわけで、本来の「アンチョビペースト」を改めて
買うことになったのだ。
同じチューブ入りは、他にも「黒オリーブ」とか「ニン
ニク」とかいくつかあることを今回しっかり確認した。
これでもう間違うこともないだろう。
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レンズ豆の煮込み

2008年11月18日 | 食べ物


「Mozilla」を使い出したら、「Explorer」がますます
使い辛くなり(日に日に遅くなる)、もう「Explorer」
には戻れない、といった状況だ。
ただ、「ギャオ」は「Explorer」でなくては見られな
いようだ。
まあ、見られなくても何の問題もないが、ついでに
「yahoo動画」も確認したところ、こちらも同じだった。
どうも、そういうことらしい。

そろそろ、冷凍しておいた「コンフィ」を処分しないと
といけないと思い、「カスレ」にしようか、或いは他
の何かにしようかといろいろ使い道を考えた末、「レ
ンズ豆の煮込み」というのが浮かんできた。
何故こんな料理が浮かんだかというと、昔パリのレス
トランで食べた、「レンズ豆と鴨の煮込み」というの
が忘れられないのだ。
よほど印象が強かったのだろう。
その一回だけで、その後どこでも食べたことは無いの
だが、初めてのパリということもあり(1フラン60
円の時代)その体験は鮮烈だったのである。
ただ、美味かったことは覚えているが、それが確かに
レンズ豆だったかというと、それは自信が無い。

今のように、レンズ豆が日本で売っている時代ではな
い。
当然、こちらにもその知識は無い。
その後、あれはレンズ豆であったと、勝手に記憶を改
竄している可能性もあるのだ。
ひょっとしたら「グリンピース」かもしれない。
確かなのは、豆であるということ。
しかし、この際どちらでもよい。
どちらも合いそうな食材である。
それに、常備しているのは「レンズ豆」である。
どう考えても、「レンズ豆」で行くのが順当だ。
というわけで、晴れて「レンズ豆とコンフィの煮込み」
を作ることとなった。

鴨ではなく、「子牛とほろほろ鳥のコンフィ」だ。
なんだか物凄く本格的な臭いがする。
しかも、ばりばりの郷土料理という感じだが、向こう
にそんな料理があるかどうかは不明である。
全て、手元にあるものを使うだけだから。
基本的な煮込みの材料、玉ねぎニンニクと、たまたま
「更級」の主人に貰った大きなセロリがあったのでそ
れも一緒に炒め、「レンズ豆」とコンフィを入れ煮込
むだけ。
煮込むと言っても、「レンズ豆」は直ぐ柔らかくなる
し、コンフィは熱が入って充分柔らかくなっているし
で大して時間はかからない。
あと、出汁代わりにハムも刻んだ。
ワインがあれば入れるところだが、なかったので水気
は水のみ。
スープの素も必要ない。
で、出来上がった煮込みは、コンフィから充分味(塩
味も)がでているので旨味は充分。
それが豆に移っていい味となっている。
見た目は今一だが、典型的なビストロ料理として充分
いけそうな一品となった。
昔食べたのとは、大分違う感じだが、それはこの際不
問である。

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二人のシド

2008年11月17日 | 音楽


スノッブなM氏が、車でかかっていたテープ(いまだ
に音源はカセットテープだ)の曲に反応した。

「このカントリーっぽい曲、誰?」(M氏)
「カントリーじゃないけど、確かにそんな感じはする
ね、ベックだよ」(私)
「ベック?」(M氏)
「そう、ジェフ.ベックじゃなくてただのベック」(私)
「あの、黒人の」(M氏)
「違う違う、完全に白人の」(私)

どうも、誰かと勘違いしているようだ。

「最近と言っても、この十年ほどだと思うけど、結構人
気あるよ、要するに知らないわけね」(私)
「まあ、ジミヘン世代だから」(M氏)
「今はロック系なんて聴かないだろうし、無理もない
けど、このベックは、今の連中にとっては新しい音楽
として受け取られているるようだよ、想像するに」(私)
「我々からすると、単に懐かしの音楽って感じだけど
ね」(M氏)
「このアルバムは、特にアコースティックばかりだか
らそういう感じがするけど、他のは、もっとパンクっ
ぽいようなロックロックした曲だよ、と言ってもそん
なに知ってるわけじゃないけど」(私)
「これなんか、ピンクフロイドだよ」(M氏)
「そう言われると、確かにピンクフロイドだ」(私)
「プログレっぽさが、今の連中にとっては、当時と同
じく新しいということになるのかな」(M氏)
「そんなところじゃないの」(私)

「ところでシド.ヴィシャスはメンバーだったの」(M氏)
「えっ、シド.ヴィシャス?」(私)
「だから、ピンクフロイドのアルバムには参加してた
の?」(M氏)
「それを言うなら、シド.バレット、シド.ヴィシャス
は、甥っ子のところの犬の名前の元になった、セックス
ピストルだよ、因みにビーグルだけど」(私)
「ああ、そうか、よく知らないから」(M氏)
「しかしこのベックのボーカル、シド.バレットっぽ
いところもあるね、もっと病的な感じにすればより似
るけど、この辺のポップな感じで止めてるから良いん
だと思うよ、シド.バレットまで行くと重すぎるんじゃ
ないかな、個人的にはそれが良いんだけど」(私)
「適度な軽さは、今の音楽全般に通じるんじゃないの」
(M氏)
「それは言えるね」(私)

と、嘗てのロック世代の話は、とりとめもなく続くの
である。
コメント

ピザ屋行脚

2008年11月16日 | 食べ物


スノッブなM氏が、新しいピザ屋を発見したらしく、
行こうと言ってきた。
ピザ屋と言われても、昔ならいざ知らず、今はなかな
かわざわざ行こうという気になるものでもない。
その為の「フォルマッジョ」であったのだが、今はも
う無いので、食べる機会もそれに応じてなくなるのだ
ろうと思っていたときのお誘いだ。
写真で見て、「ナポリピザ」で美味そうだった、とM氏
は言う。
場所は、ちょっと遠い「駒ヶ根」というところ。
ここから60キロほどだ。
となると、高速を使っていくことになる。
ますます、そこまでして「ピザ」を食べに行くか?と
いう疑問は生じる。
しかし、そこは他のメニューもあり、決してピザ専門
店ということでもなさそう。
M氏は、自分達に車が無いから、行きたい時にはこち
らを誘うしかないのである。

駒ヶ根インターから近いところにその店はある。
この辺は、実は結構来たことがある。
その理由は、まず「ハッチョウトンボ」の生息地が近
くにあるということ。
そしてもう一つは、「丸富」という蕎麦屋があるとい
うこと。
この蕎麦屋は、完成度の高いものを提供するところで、
値段は高めだが、それだけの技術があると納得する店
である。
一時、よく行った。

そんなわけで、初めての店ではあるが、すんなり辿り
着いた。
周りは、普通の住宅と畑という、ちょっと店があるよ
うな場所ではない。
店内は、白木を使ったカントリー調。
所謂、本格派を思わせる雰囲気ではない。
一般主婦層からすれば、親しみやすいと言えそう。
ピザは種類も多く、パスタも、「鹿のラグー」を使っ
たものとか、ちょっと変わったものもある。
釜は石釜(だから良いとは必ずしも思わない)。
個人的には、予めブログで紹介された記事とか見てい
て、それほどの期待は持っていなかった。
何故かと言えば、ブログの内容は当てにならないから。
特に主婦が書いているのは当てにならない(単純化し
て言えば)。
一般論として、主婦の評価の基準は、こちらの基準と
はかなり違う。
味付けの本格度とか素材を重視するこちらの基準と、
判りやすい味、見た目のかわいらしさ、店内の親しみ
やすさ(対応を含め)が基準の主婦では、合わないの
は当然である。
ローカルで人気のグルメサイトを見れば、それは一目
瞭然である。

ということで、今回の店は、主婦層には受けるであろ
うという店であった。
ファミリーレストランと比べれば、本格的だし、この
くらいがちょうど良いのかもしれない。
しかし、こちらの基準で言えば、これはナポリピザで
はなく飽くまでもナポリ風である。
とは言え、決して不味い訳ではなく、それなりに美味
いものもあった。
ただ、求めているのとは違うというだけだ。
まあ、予想の範囲であったので、落胆することも無かっ
た。



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アンティークな椅子

2008年11月15日 | Weblog


車検に出していた車が戻ってきた。
テープで止めていたサイドミラーは、車検に通らない
ということで交換となった。
今の車は電動なので、交換するとなると一式変えない
といけないので、ちょっとこわれただけでもなにかと
費用がかかることになる。
別に、手動式で良いのだが。
むしろ、もしものことを考えたら(水没した時とか)
手動式のほうが良いくらいだ。
メカはシンプルな方が良い。
と、車やさんも言っていた。
修理する方も、腕の見せ所がないだろうに。
一つ、変なランプが点灯するその原因を聞くのを忘れ
た。
電子系のトラブルは、直ぐに判らないから困る。

この前、T君のところから、椅子を貰ってきた。
その椅子がなかなかのアンティークで、味がある。
T君のカフェで使えばと思ったのだが、一つだけでは
ということと、固く重いから使い勝手が悪いというこ
とのようだ。
何故かというと、無垢のケヤキの椅子だから。
鑑定したところ、昭和三十年代の椅子である。
勿論、適当。
まあしかし、四五十年は楽にいっていそうだ。
当時のものは、兎に角つくりが良い。
釘も打ってないし、と思ったが、仔細に観察してみる
とそうでもなかった。
そんなに、作りそのものは丁寧なものではなかった。
しかし、味がある。

アンティークは100年以上のものを言う、というの
がイギリスのアンティークの定義らしいが、実際はそ
んなに厳密ではない(個人的にはという意味で)。
もう、個人的の感覚のみが基準である。
その基準でいくと、この椅子は充分アンティークであ
る。
昔だったら、ガラクタ市のようなところにはこんなも
のごろごろしてたんだろうな、と思わせるものだが。

それにしても、こういうものに興味を持つようになっ
たのは、それだけ歳をとったということなのだろうか。
確かに、どんどん興味は増してきているが、その対象
は、高価なものではなくアンティークの世界で言えば
ジャンク系に属する雑貨的なものである。
つまり、一般に言われるところの骨董趣味とはちょと
違う。
考えてみると、それは今に始まったことではない。
二十代のとき、初めて行ったパリで買ってきたものは、
「クリニャンクール」で買ったガラクタが一番多かった。
実際ガラクタで、今もあるが、何でこんなものを買った
のかと思うようなものばかりなのだ。
唯一満足なのは、これも未だに使っているが、コーヒー
ミルだけだ。
つまり、結局は、もともとそういう資質があったと考
えるのが自然のようだ。
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モジラ

2008年11月14日 | Weblog


最近、「エクスプローラー」の動きが急に鈍くなって
きた。
日に日に開くのが遅くなっている、様な気がする。
原因は、思いつかない。
ウィルスとかそういうものではなく、単に遅くなって
きただけだと思うが、ひょっとして、PCの寿命という
ことではないだろうか。
というわけで、「エクスプローラー」より「モジラ」(こ
う書くと怪獣のようになるので以後英語表示にする)
が良いという話を聞いて、インストールだけはして
あったその「Mozilla」を使ってみることにした。
そしたら、「Mozilla」の速いこと。
やはり「Explorer」の調子だけが悪かったようだ。
長年親しんだ「Explorer」とも、これでお別れか。
その前に、「お気に入り」の移動をしないといけない。
一度に何とかする方法でもあるのだろうか、一つ一つ
コピーするのは、結構な手間である。

昨日の、日本代表対シリア戦は3-1の快勝。
しかし、なかなか意味を見つけにくい試合であった。
中村憲剛と田中達也はいいと思うが。
それと最近気になるのは、呆気なく失点する、その守
備のエアーポケットのような状態。
ぽっかりと穴が出来る。
攻撃に関しては、今更なのだから、守備はきっちりし
てほしい。

「滝壺ビオトープ」の「ミナミヌマエビ」は、やっと
適正な数に近付いてきたようだ。
死亡する固体が、大分減ってきた。
それより「ヒメダカ」の方に異常事態が発生。
今まで、全く平気であったのだが、ここに来て「ヤゴ」
の餌になっているようなのだ。
「ヤゴ」はもう冬支度だと思っていたが、まだまだ元気
に活動中だったのだ。
寒くなって、他の餌がなくなったからだろうか。
しかし、その分「ミナミヌマエビ」がいるわけだし、な
かなか自然の営みは、こちらの思惑のようには展開し
ない。
ついこの間は、上半身がなくなった「ヒメダカ」が浮
いていた。
この「滝壺ビオトープ」は、「ヤゴ」中心なのでそれ
は良いのだが、来年までもって、繁殖してほしいと思っ
ていたのでその点が予定外となるのである。
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