ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

キドニー

2007年11月30日 | 食べ物


昨日の「イングリッシュパブ」で、「キドニーパイ」と
いうものが英国では名物である、と書いたが、実際に
どれほどポピュラーであるのかは知らない。
それに、「キドニーパイ」がどういう味付けでどうい
う形状なのかも勿論知らない。
ただ、何故食べ物不毛の地英国で、「キドニー」など
という、他ではあまり使わないちょっと珍しい食材を
使った料理があるのかが不思議で、ずっと記憶に留まっ
ていたのだ。

キドニー、英語ではkidney、腎臓のことだが、実は個
人的には内臓系の中で一番好きなものだ。
フランスだとロニョン(Rognon)、ビストロメニュー
としてもポピュラーで、フランスでは特別珍しい料理で
はない。
ソテーとか軽く煮込んだ料理が多いと思うが、パイで
は聞いたことがない。
しかし、何故かイギリスでは「キドニーパイ」。
非常に気にかかる。
ただ、イギリス料理だからという偏見が、どうしても
拭いきれないでいる。
実践するにも、そもそも純イギリス料理を出すところ
など殆どないし。
昨日のイングリッシュパブも、多分イギリスを適度に
取り込んだ日本人用の料理であると思う。
この先、「キドニーパイ」を食べる機会は果たして訪
れるだろうか。

腎臓に限らず内臓系は、鮮度が大事なのだが、その中
でもこの腎臓は注意が必要だ。
というのも、鮮度の悪いのは強烈な臭いを発するから
だ。
それはアンモニア臭。
一度だけそういう腎臓にあったことがある。
昔々、下北沢のフランス料理屋でのことだ。
あの店が、下北沢のフランス料理屋第一号だと思う。
そのくらいフランス料理屋が少なかった時代の話だ。
もう当然ないので店の名前を出すが、確か「マリーアン
トワネット」と言ったと思う、今から思うと気恥ずか
しい名前のレストランだ。
フランス料理屋そのものが少ない時代に、まして腎臓
など出すところは滅多になかった。
場所柄、高級な雰囲気でもないし、使う方としては気
楽に行けて、所謂使いかっての良い店であった。
そんなある日のメニューに「ロニョン」が載っていた
のだ。
冷製だったよう気がするが、その辺はもう定かではな
い。
当然のこと頼んで一口頬張る。
始めは特有の感触、ちょっとほくほくとした感触で、
これこれなどと思っていたが、噛んでくうちに猛烈な
アンモニア臭が口中に広がり始めた。
うっ、これが噂の臭いか、と身に染みて実感すること
となった。
それでよせば良いのに、貧乏性ゆえか全て無理して食
べてしまった。
その後食べた他の料理も、全てアンモニアの香りだった
事は言うまでもない。
その日は、ずっとアンモニア臭を口中に引きずってい
たように思う。
ゲップをしてもアンモニア。
たまらないね。
昔の小学校のトイレを思い出す。
まあ、郷愁の臭いとすればそれも良しか。
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イングリッシュパブ

2007年11月29日 | 芸術


映画少年兼サッカー少年Yに、かねてより連れて行っ
てくれと頼まれていたイングリッシュパブに、とうとう
行く事になった。
店の名は「BULL AND BEAR」という。
場所は、ここから車で一時間ほどの、八ヶ岳の麓の、と
いうより懐か、そんな周りが殆ど林の中。
夜出かけることになるが、真っ暗な人の気配が殆どない、
こんなところにそんな店があるのか、と誰しも不安に
思うような場所に、忽然と、明かりに照らされたイギ
リスのパブそのまんまの姿の一軒家が眼前に登場する
のだ(大分大袈裟に言ってます)。
それにしてもイギリスそのものだ(行ったことはない
が)。
イギリス人なら泣いて喜びそうだ(多分)。

店内に入ると、これまた現地そのまんまだ(行ったこ
とはないが)。
兎に角、雰囲気は良い。
イギリスと言えば「フィッシュアンドチップス」とい
うことで、フィッシュ、チキンアンドチップスの盛り
合わせを頼む。
要するに、チキン、フィッシュのから揚げとポテトフ
ライの盛り合わせだ。
居酒屋で言えば「から揚げセット」。
流石イングリッシュパブ、居酒屋セットも何か特別な
もののように感じられる。
これこそイングリッシュマジックだ。
マジッククリスチャン(適当)。

飲み物はYはギネスの生をone pint、こちらは運転
なのでノンアルコールビール。
美味そうにYはギネスをゴクゴク。
こちらのノンアルコールビールも心なしか香りが良く、
ノンアルコールにしては美味い。
これもイングリッシュマジックか。
あっという間にone pintを飲み干し二杯目を頼んだ
Yは、このポテト美味いですよと、幸せそうに言う。
確かに、揚げたてでかりっとした皮付きポテトは美味
い。
フィッシュ、チキン無しのポテトだけで良いかもしれ
ない。
次に、こちらは「ミートパイ」Yは「手羽先の何とか」
を頼む。
「ミートパイ」は、一般的なひき肉ではなく、すね肉
を柔らかく煮込んだものを使っていて、これぞ正しく
ママンの味。
イギリス人が故郷を思い出し、望郷の念に暫し涙する
ものではないか(全て適当)。
「ミートパイ」ではなく「キドニーパイ」は確か名物
ではあったと思うが(これは本当)。

今回初めて知ったのだが、Yは軟骨好きで、手羽先の
骨も全てぽりぽり食べて、完食した。
お皿には何も残っていない。
焼き鳥の軟骨は判るが、手羽先の骨まで食べるか、普
通。
まあ、骨も食べられ、ギネスの生黒ビールを4pint
飲み、Yにとっては至福のひと時であった事だろう。
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輸入食材

2007年11月27日 | 食べ物


たまに利用する輸入食材屋、松本の「トレジャーマー
ケット」(我々の間ではトレジャーハンターで通って
いる)がなくなってしまった。
最初に一報を入れたのはカフェのT君。
「潰れましたよ」と言うので、「ウソ!」と思わず聞
き返した。
しかし、よくよく聞いてみると、いつも使う店舗は引
き払って、元々あったもう一店に統合したということ
のようだった。
「そういうのは潰れたとは言わないよ」と当然T君に
は言っておいたが、全く人騒がせな。
我々が利用していたのは駅近くの店で、駐車場もなく
そんなに人も入っていたようには見えなかった。
家賃も高そうだし効率化を図ったのではないか、とい
うのが結論であった。
今度の店舗は、大きなスーパーの中らしいので駐車場
もあり、むしろ便利になったと言えるかもしれない。
というわけで一安心。

輸入食材などは、今やネットで買えるので昔よりは買
いやすくなったと言える。
以前など、わざわざ、例えば麻布の「ナショナルスー
パー」とか「紀伊国屋」などに行かなければ手に入れ
られなかった。
東京に行ったときに、食材購入というのは一つの目的
でもあった。
田舎の不便さははっきりしていたのである。
ところが今は、もっと特殊なものでも簡単にネットで
手に入れられる。
このことに関しては、本当ネット様様である。
しかし、少量ちょっと何かがほしい時には、近くの店
がやはりありがたい。
送料、代引きなど考えると、ある程度の数で頼むのが
ネットなので。

そんな時の「トレジャーマーケット」であったのだが、
一般的に言って、田舎での需要というのは、なかなか
難しいものがある。
パスタなど種類も多いし、しかもスーパーなどよりか
なり安いのだが。
アンチョビペーストも充実しているし(実はこれが切
れたのだ)、良い店だと思うが、何故かそれほどの入
りではなかった(感じとしては、アメ横辺りの輸入食
材屋に似ている)。
ディチェコに関しては、圧倒的にここが安い。
ママースパゲッティと比べたら、その味の違いは相当な
ものだと思うが、一般的にはそんなことはどうでもい
いのだろうか。
「スパゲッティーニ」「フェデリーニ」の違いなど、
どうでも良いのだろうか。
良いんだろう、そんなことは。

実際は、そんな一つ一つの小さな差が、結果的には大
きな差となって美味い不味いが決定されるのだが。
まあ、昔から珍しい食材があると、とりあえず試して
みるという好奇心の持ち主であったから、自分が特殊
なのであろうことは重々承知なので、自分好みの店が
出来ないのは当然と言えば当然なのだ。
はっきりしているのは、自分好みの店は、大体経営的
には苦しいということ。
これじゃあYのことも貧乏神と言ってられない。
彼の気に入った店は、潰れるという傾向にあるのだが、
私もそのお仲間であったということなのだ。
オーマイガー。


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ミシュラン2

2007年11月26日 | 食べ物


昨日の続きになるが、Yが持ってきた例の「ミシュラン」、
当然中を見せてもらった。
散々Yに毒を吐きつつ辿り着いた結論は「貧乏人は来
なくて良い」だった。
本国でも、星付に一生縁のない人のほうが圧倒的に多
いというのは聞いたことがあるが、今回の日本版ミシュ
ランも、結果的には殆どの日本人には縁のない世界の
できごとであろうというものである。
要するに、高い。
敷居も高いし、値段も高い。
だからYなど、買ったはいいが「こんなところ行けな
いですよ」とぼやくことしきりである。
「別に行かなければ済むことだよ」と当然のことこち
らは言うが、Yとしてはそれでも「参考までに行って
みたいじゃないですか」と言う。
一体何の参考だ。
しかし、こんなところが一般的な感想なのかも知れな
い。

あとYが不満だったのは、何故か浅草辺りの店がない
事で「ミシュランの傾向が判らないですよ」と言った。
ミシュランの傾向も何も、そんなに判るほどYは広く
は知らないし、ミシュランの基準は調査員の基準なの
だから、掲載されている店で判断するだけの事だ。
それで判断すれば、庶民的な店、つまり浅草辺りの店
は対象ではない事は一目瞭然。
始めに言った「貧乏人は来なくて良い」が基本的な店
選びの基準であろう。
つまり、この程度の金額で高いと思うような人間は、
端から相手にしていないということだ。
そのことをよくYに言い聞かしたのは言うまでもない
が、それでもまだ、どこか不満そうであった。

と、いろいろ話題を提供してくれたミシュランである
が、本の体裁は普通のガイドブックだし(写真が半分
文章半分、本国のは写真なし)、情報量も少ないし
(星付のみ)、本国の物と比べると大分安っぽいとい
うか軽っぽい印象である。
これは伝統の違いもあるだろうが、明らかにアジアを
見据えた、成金相手の戦略ではないかとどうしても思
えてしまうのである。
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食べ歩き

2007年11月25日 | 食べ物


ミシュラン日本版は、思ったより反響があるらしく、
良く売れているということを聞いたが、本当なのか。
まだ判らないが、ひょっとしたらフランスでのフランス
国内版より売れるかもしれない。
予想通りの、日本人の権威にたいする弱さを露呈した
ということになりそうな雰囲気である。
少なくとも、フランス=ミシュラン=ブランドという
図式は成立しているのだと思う。

暫くは、掲載された店は大賑わいになると思うが、そ
れがいつまで持つか。
こういうものに影響される人間は、行ったという事実
だけがほしいので、まずリピート客にはならない。
全店制覇、などと嬉しそうにブログ上に宣言するのも
出てくるんじゃなかろうか。
とりあえず行く為のモチベーションが与えられ、やる
気満々な人間が、少なくとも何人か何十人かは生まれ
た事だろう。

以前だったら、掲載された店を見て、興味を持ったと
ころに今度行ってみようかなどと思ったかもしれない。
しかし今は、全くそうならない。
誰かにゴチしてもらうならその限りではないが、自腹
でなどもってのほかだ。
例えば三ツ星の「次郎」というすし屋など、予算三、
四万と言われているし、しかも客をあからさまに差別
するらしいし、山本益弘が広報としてべったりだしと、
こういうところだったらゴチでも行きたくない。
しかし、かなりの人気店らしい。
世の中には、そういうところで特権的な気分を味わい
たい人間もいるのだ。
むしろそういう人間の方が多いのか。
いずれにしろ、三ツ星など貰うと更に偉くなってしま
うことだろう。
店側も客側も。

ブログで良く目に付くのは、食べ歩きであるが、ブロ
グの主が決まって言う言葉がある。
「私はグルメではないが」ということ。
つまり、グルメではないが、美味しいところは分かっ
ているので紹介します、という非常に曖昧な位置にお
いて批判だけはかわしたい、つまり、都合の良い立場
を確保したいという意思の表れだが、やってることは
グルメのやることそのものという気がする。
味にうるさいと思っているのだから、他人よりはグルメ
だという意識はあるはずだ。
グルメであると宣言できるほどの自信はないが、実は
グルメだと思っているということなのだから、わざわ
ざ「私はグルメではないが」という保険をかけるのが
何とも潔くない。
いっそのこと「私はグルメ気取りです」と宣言すれば
むしろすっきりする。
そして、グルメと判断するのは他人、つまり相対的な
価値なので(本当に価値かどうかは置いといて)、自
らそれに言及する必要もないのだ。
基本的に皆(自分も含め)グルメ気取りなのだ。

そんなところに、映画少年Yがやってきた。
そして何やら赤い本を小脇に。
まさかミシュランではあるまいな。
「やっと買えました」とYは嬉しそうにミシュランを
差し出した。
「おいおいおい」とおいの三乗を思わず発した私は、
図らずもミシュランの威力を目の当たりにしたのであっ
た。
思ったより影響力が。
コメント

三丁目の夕日

2007年11月24日 | 映画


映画「三丁目の夕日」は人気ある。
撮った監督は知らなかったが、地元の番組に出ていて、
同じ長野県の出身だということを初めて知った。
年代的にはこの監督が、映画の中の時代を体験してい
るわけではないが、あの時代の雰囲気を良くつかんで
いる、ということなのであろう。
リアルタイムで体験している、所謂団塊世代が、涙を
流し懐かしむのが、あの時代なのだ、多分。

この前テレビでやっていたのをチラッと見たが、個人
的にはこの手の映画は全く興味をもてない。
あの頃は良かったなあ、とどっぷり感傷に更けりたい
ものだが、そうできないから困ったものである。
つくづく損な性格だと思う。
まず映画としてみた場合、こちらの基準でいくと(見
てもないが想像)、ちょっと良い話のほろっとさせる
ハートウォーミングな話のそれ以上でもなくそれ以下
でもないという、その他大勢の映画という評価となる。
全体を、茶色っぽい画面にし、レトロ感を演出してい
るが、それだけなのである。
こういう世界はそもそも受け易い。
失われた共同体(家族、隣近所)に対しては、誰もが
惹かれるものだ。
郷愁を誘う典型的映画。
貧しくても、心は豊かだった、と。
実際は、貧しい故に、心が歪んでいたとしてもだ。

全ては過去のもので、理想化されるのがこの手のもの。
基本的に記憶は美化される(厭なことは忘れるので)。
人間というのは、ユートピアがあったかのような錯覚
を持ちたいものなのか。
過去の共同体は、平均的に貧しかったので、自然と助
け合う気持ちも醸成された。
今でも海外の貧しい地域に日本のその頃が残っていた
りして、旅行者が、ここには日本が忘れた大事なもの
があるなどという感想を持つ。
旅の魅力か。
確かにその通りだと思うが、その平均的貧しさの均衡
が崩れると、嫉妬などの感情も生まれ、共同体そのも
のもが変質するのは、これまた普通に見られることだ。
そして大体そういう方向に向かう。
市場原理に基づいて変質していくのが殆どだ。

結局、この映画は、そんな今の世界にちょっと嫌気を
感じる人間の、過去に対する郷愁を心地よく刺激する
良く出来た映画ということになる。
娯楽作品としてはそれで充分とも言えるが、まあ始め
に言ったように、個人的には、どうもねえということ
だなのだ。
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Yとジャ.ジャンクー

2007年11月23日 | 映画


サッカーの五輪代表の出場が決まったのだが、日頃か
らその重要性に疑問を感じていてどっちでも良いと言っ
ていたのだが、サッカー少年Yに、「そんな事を言っ
てたらいつまでたっても日本は強くなれないですよ」
と大いに反論されてしまった。
それで過去出たことが、どれほどの強化に繋がったの
か聞くと、「目には見えない貴重な国際体験というも
のが重要なんですよ」と言う。
確かに体験は間違いなく積める、しかも本気の国際試
合。
しかし、特にヨーロッパなんか見ると感じるのだが、
大して五輪に力は入れてないように見える。
どうしても、思い入れの違いの方が際立つ。
アジア枠が3でヨーロッパも3というのも、納得でき
ないし。
日本だけが大騒ぎなのではないか。
結局、Yと話してても、この疑問が解消される事はな
かった。

そこで話題を変えて、最近ジャ.ジャンクーのDVDを
買って、それを更科の主人に貸した事を話した。

「えっ、本当ですか」(Y)
「プラットホームだけど」(私)
「僕もまだ観たことないですよ、ジャ.ジャンクーは」(Y)
「珍しいね、絶対観てると思ったけど」(私)
「あの蓮実さん絶賛のやつなんですよね」(Y)
「ひょっとしてそこがひっかかるの?」(私)
「まあ、そういう訳でもないですが」(Y)

どうも、蓮実重彦の言うとおりというのが抵抗あるよ
うだ。
嘗ては、かなり影響されていたが、今は反発の時期か。
個人的には、今でも一番参考になるのだが。
というのも、良いと思う監督のかなりの部分が一致す
るから。

「ホウ.シャオシェンとかエドワード.ヤンとか好き
なんだから、一応観ないとまずいんじゃないの?」(私)
「そうですかねえ」(Y)
「それに、中国のアンゲロプロスとか言われてるよ」(私)
「そういうのって、褒め言葉になるんですかね」(Y)
「オリジナリティーがないと言ってると受け取られな
くもないか」(私)
「そういうことですよ」(Y)
「飽くまでも宣伝文句だから、もう一つゴダールの再
来というのもあるけど、これも同じだね」(私)
「そんなんことも言われてるんですか」(Y)
「いろんな要素があるというか、全てを含めジャ.ジャン
クーの個性だよ」(私)
「いやに買ってますね」(Y)
「久しぶりの、興味のある監督の登場だから」(私)
「そこまで言うなら、今度貸してください、それとずっ
と前に言った<アンダルシアの犬>も」(Y)
「そう言えばそうどしたな」(私)
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賞味期限

2007年11月22日 | Weblog


最近流行の賞味期限偽装問題ではなく、賞味期限の現
実的意味を考えさせられる体験をした。
と言っても、大袈裟な事ではなく、日常的に体験する
事の些細な一つに過ぎない、と思う。

例えば、一日二日賞味期限が切れたからと言って廃棄
する人は少ないと思う。
殆どは問題なく賞味できるのが現実だ。
黴が生えたとか、酸っぱくなったとかであったら流石
に控えるだろうが、賞味期限に関しては、そこまでぎ
りぎりのラインではない。
しかし、それがもし一年以上経っていたらどうだろう
か。

そんな賞味期限から一年以上経過したものを昨日賞味
した。
正確には、一年と4ヶ月。
ものはアンチョビ。
瓶詰めのアンチョビで、いつ買ったかは記憶にないも
のだった。
アンチョビペーストを使うようになってすっかり出番
が少なくなってたのだが、久しぶりにペーストがなく
なって、急遽出番が回ってきたのだ。
相当持つものだと思ったので、賞味期限など気にした
事がなかったのだが、ガラスを通して見たアンチョビ
が、何やら普通とちょっと違うものを纏っている。
黴のような白いものが付着していたので賞味期限を確
認すると、去年の7月であった。
流石にこれはだめかと思ったが、一応味を確認してみ
ることにした。
元々が塩漬けで、しかもオイルに包まれているので、
黴が生えるというのはあまり考えられない。
一嘗めすると、間違いなくそれはアンチョビであった。
しかも旨味が増している。
超熟成のアンチョビということではないか。
黴の味は一切しないから、あの白い物質はアミノ酸の
結晶か、と好意的に解釈して使う事にした。
ただ、旨味は強くなっているが、香りは普通のアンチョ
ビと比べると、ちょっと違う。
魚臭さが強いというか、干物の古くなった臭いに近い
ようなものを感じた。
香りに関しては、あまり良くはない。

「キャベツとアンチョビのフェデリーニ」で食した。
旨味が強いので、味はある。
でも、やはりちょっと香りが強すぎるか。
しかし、不味くはない。
不味いのは、最近買ったバリラのジェノヴェーゼだ。
サイドメニューで、「蛸とジャガイモのジェノヴェーゼ」
(なんだかトラットリアみたいなことになっているが、
名前をつければそうなるということ)も作ったのだが、
どうにも「ジェノヴェーゼソース」が美味くない。
スーパーでビン入りを買うときに、日本製とこのバリラ
のものを比較して、日本製は例によって余計な調味料
が入っていて却下。
結果、バリラという選択肢しかなくて買ったのだが、
どうもへんな味付けがしてあって、いやにマイルドな
のだがバジルの香りのシャープさがない。
以前買ったイタリア製はこんなことはなかった。
インスタント的味とでも言えばよいか。
要するに、ぼけた味だ。

そんな今一美味くない「蛸とジャガイモのジェノヴェーゼ」
と賞味期限大幅越えの「アンチョビとキャベツのフェデリー
ニ」。
どうなるかと思ったが、特別体に変調はない。
つまり、結構大丈夫なものは大丈夫であるということだ。
賞味期限よりは、体に聞けということか。
もっとも、体に変調をきたした時はすでに手遅れなの
で、それはそれで困ったことではあるが。



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2007年11月20日 | 生き物 自然


日本の捕鯨調査船が、海外で(主にオーストラリア)で
問題になっているらしい。
今回の調査対象ははミンククジラではなくザトウクジラ
ということだが、それがまたオーストラリアにとっては
特別な存在で、反感の元になっているようだ。
映像で良く目にするホエールウォッチングのあれが、ザ
トウクジラなのだ。
要するに、オーストラリア人にとっては特に思い入れが
強いクジラであるということだ。

クジラ問題となると、反対派は非常に感情的で、情緒的
な意見を展開する、ように日本では受け取られ、逆に日
本は、独自の食文化だと頑なに主張する、ように見える。
それではと、科学的な調査をして判断してくれと言う
立場をとっているが、なかなか上手くいかない。
中立の機関の調査ならまだしも、自分で調査では正確
な結果を得られない、と思われている。
御用学者の意見、と同じようなものと見られるのもしょ
うがない。
反対派は、自然保護グループの過激派までいるので、
かなりの妨害運動も起こる。
そうなると、やられた方はかっとくる。
益々泥沼化の様相、そんな展開が繰り返されるといっ
たところではないか。
順番からすると、信頼できる科学的な調査からという
ことになると思うが、限られたエリアの個体調査では
ないので、その基本となる数そのものの信頼度が上が
らないから、答えがでない。
つまり、科学的根拠というものの信頼性そのもが説得
力がなくなっているのが一番の問題であると思う。

知能が高いからとか、かわいそうだからという理由も
説得力ないが、同じように賛成派の理由も説得力ない
から堂々巡りの末、感情的に決裂、になりやすい。
野生動物として考えたら、増えたら食べても問題ない、
というのが世界の常識だから、クジラだけ特別扱いは
おかしいが、前提の数の問題がこの場合確定しない。
しかも、実際、特別扱いになっているのでことはやや
こしい。
崇高な生き物、そして自然保護の象徴というものにす
でになっているのだから。
そこがまた日本からすると、これまでさんざ獲りまくっ
て、しかも油にするだけで他は廃棄してくせに、とな
る。
それに、日本のほうが遥かに自然に感謝してクジラに
対する畏敬の念を持ちながら食べさせていただいてい
たのだ、となる。
しかし残念な事に、どちらも過去の話で、今の状況下
では全く説得力ない。
全ては、沿岸で獲ってた頃の話だ。

それでは独自の食文化というのはどうだろう。
飽食日本でクジラの重要性はどうかとなると、これま
た弱い。
アイスランドやノルウェーとはその重要性が違う。
傍から見れば、工業技術の国の日本が何故クジラにこ
だわるのかということになる。
それに、独自の食文化だからといってそれが理由とし
て通用はしない。
食文化は、常に変化するものなのだから。
文化ナショナリズムがめらめら燃え上がるから、結局
賛成派も感情的になってしまうから、さあ大変。
全体の流れは、水産資源の保護に向かっているので、
日本の立場は苦しい。
個人的には、クジラが食べられない事が日本の文化に
とって問題だとも思わないし、絶対食べたいものでも
ないし、食の問題だったら他にやる事はいくらでもあ
ると思うので、獲る必要はないと思っている。
コメント

技能オリンピック

2007年11月19日 | Weblog


サッカーの五輪代表は、一転有利な状況になって、再
び勢いづいてきたが、同じ五輪の「技能オリンピック」
に関しては、なかなか話題に上らない。
日本の静岡で行われているのだが、全く知らない人も
いるのではないだろうか。
同じ五輪でもその落差に愕然というのは大袈裟だが、
あまりのその扱いに、ちょっとではなく大いに不満を
感じる。
これも、如何にスポーツが特権化されているかの証左
ではないか。
全ては、マスコミの扱い方に表れている。

「もの作り日本」を標榜するなら、もっと注目するべ
きものだと思うが、競技が地味なのでテレビ的ではな
いとか、或いは、感動の物語にするには盛り上がりに
かけるとか、それを盛りたてる観衆の熱狂がないとか、
そんな理由でテレビとしては扱えないのだろうが、例
えば、国力とかそんなものを考えたら、バレーで五輪
予選を勝ち抜いたなどということと、繊細な技術を持っ
た技術者が育つということでは、どちらが重要である
かは明らかである。
後進国が、国力の示威運動としてスポーツに力を入れ
大騒ぎというのは判るが、日本はまだ後進国か。
五輪フェチなら、技能五輪でもフェチぶりを発揮して
もらいたいものだ。
そこまでやったら、敬服する。

最後はまたマスコミ批判に落ち着いてしまうが、それ
に乗っかる人間がいてのマスコミなのだから、結局どっ
ちもどっちだ。
亀田問題と、特定のテレビ局でやるスポーツが盛り上
がるのは、本質的には同じ。
仕掛ける側と仕掛けられる側。
タイトルが変わるだけで、いつも同じことを繰り返し
ているのである。

コメント

ジャ.ジャンクーその後

2007年11月18日 | 映画


「プラットホーム」を途中棄権したスノッブなM氏に、
今度は「青の稲妻」あるけどどうする?と聞いた。
M氏は、「また長いの」と言うので「110分ほど」と
答えた。
そして、DVDに書いてある「マーチン.スコセッシ、
これは新たな勝手にしやがれだ」などという惹句に反応
して「借りる」と言った。
「プラットホーム」よりは解りやすいが、と言いかけ
て止めた。
そうとも言えないので、まあ短い分見やすいかなと言っ
ておいた。
どんな感想が返ってくるか楽しみである。

そしてもう一本の「プラットホーム」であるが、無事、
更科の主人のところに渡っている。
この前店に行った時聞くと、全部見たと言った。
2時間半を一気に見たらしい。
思わず「ほんまでっか」と言った。
主人公が誰とも言えず、いろんな話というか場面が、判
りづらく展開し、知らないうちに時が進み、ドラマ性
などというものもなく、物語としての起承転結も一切
なく、一体どこが面白いのか、と聞かれれば、多分退
屈極まりない映画だ、というのが一番適切な返答であ
るのだが、魅力的なのだ。
そんな映画であることは、予め主人には言っておいた
ので、それなりの覚悟をしてたようで、戸惑いはなかっ
たということである。
途中、眠くはなったようだが、これも自然な反応で、
かく言う私も何回か睡魔に襲われた。

そして主人は「もう一回見るからまだ貸しといて」と
言った。
かく言う私も、続けて二回見た。
普通の映画(物語中心の映画、よくネタばれ注意とか
言われる映画、要するに落ちの為に作ってる映画で筋
を知ったら面白さ半減という映画のこと)だと、二回
も立て続けに見られないが、これは全くその心配はな
い。
まず、筋そのもを上手く説明できない。
そして、落ちなどもないし、多分、見るごとに何か発
見できる映画であると思う。
ただ、ちょっとした忍耐を強いられるのが玉に瑕では
ある。

よく引き合いに出される「ゴダール」と比較すると、
この映画の特徴が判るかも知れない。
「ゴダール」の場合、物語を解体したところから始ま
る。
そして、映像もそれに沿って、コラージュのように小
気味良く断片を組み合わせ展開していく。
見るほうも、始めから普通の映画を見るというのとは
違う態度で接するので、戸惑う事はない。
「結局のところ判らなかった」という反応で終わる事
が多いが、これもまた不思議ではない。
「ピカソ」が本当に良いと思えるかどうかというのと、
かなり近いものがある。
で、ジャ.ジャンクーの場合だが、ゴダールと違って
一見普通の顔だから戸惑いも多いのかと思う。
場面場面は、日常の風景、それも小津安二郎のような
世界である。
小津安二郎も、実は、前衛的な部分があるのだが、全
体では起承転結の物語となっている。
ところがジャ.ジャンクーは、小津の映像で、ゴダール
のようなコラージュ的様式をとっている、ように感じ
るのだ。
一見普通なのだが、どうも違うと感じるのはそれが原
因ではないか。
コラージュと言っても、時系列で前後する事はないの
で、よくある、今の話か、過去の話かといった「判りや
すい判らなさ」とはまた異質の判らなさである。

と、更科の主人と話している時に思った。
コメント

オシム

2007年11月17日 | サッカー


心臓が悪いというのは聞いていたが、脳梗塞とは。
誰にも起こりうることではあるが、非常にショックな
出来事だ。
基礎固めが徐々に出来つつある日本代表に、いきなり
暗雲が、といった状況である。
ストレスの多い仕事であるので、そういう病気が発症
する確立は高くなるのだろうが、本人が言った「死ぬ
時は故郷のサラエボで」という言葉が冗談では済まな
くなってきた。
たとえ回復しても仕事を続けるのは厳しいと思うので、
監督に復帰しなくても、命だけは助かってほしい。
何かと評判の悪い川淵キャプテンが、記者会見のとき
思わず言葉に詰まったが、こちらも釣られて泣きそう
になってしまった。
多分、日頃の仕事振りを見ての思いがああさせたのだ
ろうが、今までの代表監督の中では、間違いなく一番
真摯に取り組んでいたのではないかと思う。
兎に角、早い回復を祈るのみだ。

そして今日は、五輪代表のベトナム戦があるが、オシ
ム監督のためにもなどというフレーズが多分発せられ
ると思うが、どっちでも良い。
まあ、勝ったほうが嬉しい事は間違いないが、この辺
でもたもたしているようなレベルでは、いずれにしろ
大したことはないし、何度も言っているが五輪を特別
視する必要もないし、地道に行くしかないのだ。
この年代では、トップ選手はフル代表に入るくらいの
レベルなのが世界。
五輪でどうのより、日々の鍛錬が重要だ。
クラブで、今回の浦和のように、アジア代表になる方
が価値あると思うので、そこで頑張るのが進歩への道
だ。

話はがらっと変わるが、カフェのT君から好きな男性
ヴォーカルでこれだけは入れてほしいと頼まれたもの
があった(入れてくれと言っても、単なる一ブログ上
の出来事なのだが)。
ティム.バックレー、ルイス.フューレイ、レーナード.
コーエンの三人だ。
と言われても、最後のレーナード.コーエン以外名前
を聞いたこともない。
早速CDを借りて聴いてみると、確かにT君好みの、
軽い脱力系のヴォーカルで、結構良かった。
それにしてもT君は、こちらの知らないのを次から次
といろいろ紹介してくれる。
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ミシュラン格付け

2007年11月16日 | 食べ物


「船場吉兆」の取締役は、かなり怪しい。
完全に個人的な憶測、印象ではあるが、自分のやった
ことを従業員のせいにして責任逃れ、典型的な駄目経
営者に見える。
老舗のぼんぼんとして、何の苦労もせず、どこかの大
学、或いは海外留学(遊学)して経営学を学んだなど
と言って、クラブで良い気持ちになっている姿しか浮
かばないのだが、どうだろう。
世間によって悪者に仕立てられる、というケースの可
能性もないではないが、今回は自分の勘を信じる。
ああいうしゃべり方をする人間は、根本的に信じられ
ないのだ。

それにしても、「吉兆」という看板が泣く。
創業者の湯木貞一も、草葉の陰で泣くに泣けない状態
ではないか。
しかし、始まりは、分家という形で店舗展開をしたこ
とにあるから、創業者が種をまいたとも言える。
多分、最初は確かな人間だけに任せたのだろうが、大
きくなれば、個人の目など行き渡らないしその哲学も
継承される事はなくなり、経営面だけしか考えなくな
る、とそこまでは想像できなかったのだろう。
そんな「吉兆」という名前に騙され続けた消費者が、
これまたご苦労さんなのだが、ブランド一般と同じで、
その記号だけが重要なので、発覚しなければ何の問題
もなかった。
コピー商品でも、本物と思ってれば問題ないわけだか
ら、それと同じ事。
ブランド天国日本の面目躍如、良い意味ではないから
この表現はおかしいか、ブランド天国日本の陥穽と言っ
たほうが良さそうだ。

そう言えば、これもある意味ブランド化なのだが、ミ
シュランの日本版がもう直ぐ出るらしい。
和食屋も格付けするようだが、覆面調査員の覆面がば
ればれだとかいろんな噂が飛び交っている。
いずれにしろ「権威」がまた物を言うのだろ。
星ほしさにその権威に擦り寄る店が出ることは容易に
想像できる。
客もまたその星を盲信して、あそこは三ツ星だからな
どと言って、それだけで一つの行く目的になり、行け
ば満足して、その行ったことをまた吹聴して更なる満
足を得る。
山本益弘も、どうせまた、あの貧相な顔を晒して尤も
らしい事を言うのだろう。

本国での権威も相当あるとは思うが、飽くまでも一企
業の格付けだ。
ある程度は参考になるとは思うが、最後は自分の判断
だ。
その点は、フランス人ははっきりしている、多分。
日本の場合は、そこが全く弱い。
なんせブランド天国だから。
ミシュランは絶対的ではい、これだけはいつも頭の隅
に置いとかないと。

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アジアチャンピオンズリーグ

2007年11月15日 | サッカー


ああー良かった、浦和が勝って。
それにしても相変わらずの凄い応援だ。
現場に行くと、はっきり言ってうるさくてたまらない
が、やってる連中はもうライヴ会場の観客と同じで、
始めから最後まで総立ちのトリップ状態みたいなもの
だから、快感であろう。
テレビで見るに限る。
まあ、今回はテレビ朝日でもよしとしよう。
急遽放映を決めたその姿勢は、評価できるわけだから。
いくら分数の計算が出来ない松木安太郎でも、今回に
限り我慢だ。
良い大人が何故分数の計算が出来ないのか、一応監督
まで務めた事もあるのに、その点は不思議を通り越し
て愕然であるが、それは関係なかった。

しかし、良く勝ち上がったものである。
攻められゴール前の必死のクリアー、最近の浦和の試
合の特徴だ。
最後の最後に点だけは入れさせない。
坪井のフィードの悪さ、スピードの衰えなど弱点が目
に付くが、不思議と点は入らない。
トゥーリオが最後の一足を出してセーフ、なんて光景
が何度も繰り返される。
ひやひやさせられる試合は、心臓に悪い。

ところで最近、NHKがプレミアの試合を放送するこ
とになった。
一応説明すると、プレミアというのはイギリスの一部
リーグのことで、世界3大リーグの一つ。
他の2つは、また殺人事件が起こったイタリアセリエA
とスペイン、リーガエスパニョーラの二つ。
もう一つ、高原のいるドイツブンデスリーガを入れ、4
大リーグと言うこともある。
そのプレミアの試合「リヴァプール対フラム(嘗て稲本
が所属)」を見たのだが、普段見慣れているJリーグの
試合とは明らかに違う。
まずパススピードの速さ。
兎に角早い。
普段からあのスピードでやってるから、トラップの技術
も上がるわけだ。
そして、体の強さ。
簡単に倒れない強さは、はっきり言って日本人には難し
い。
それと、運動量。
ジェラードなんかも、本当良く走る。

で、当然「浦和対セパハン」の試合も比較しながら見
てしまう。
そうなると、今回活躍の永井なんかでも、その運動量
のなさに不満を感じるようになる。
前線では、ポンテが一人走回っているイメージがある。
浦和はポンテがいて、本当助かっている。
伊達に「レーバークーゼン(ブンデスリーガ)」にいた
わけではないな、と思う。
結局、オシムが言ってる「走れ」は、基本中の基本な
んだと、今更ながら確認した次第だ。

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スポーツ中継

2007年11月13日 | Weblog


昨日の続き

「ところで、松坂はどう?」(私)
「えっ、牛肉ですか?」(T君)
「野球の」(私)
「野球、あんまり興味ないですからねえ、まあしかし
あんなもんじゃないですか」(T君)
「実力通りって言えば実力通りだと思うけど、それに
してもあの年俸だから」(私)
「確かに、非常識な年俸ですよね、大リーグって」(T君)
「大体、人気は徐々に落ちていると言うのに、よく金
あるよね、松坂だって十分の一でも充分じゃないの」(私)
「ふざけた世界ですよ、これも一種のバブルじゃない
ですか」(T君)
「サブプライムローンの影響で、球団消滅とかね」(私)
「まあ、興味のない人間からすれば関係ないですけど
ね」(T君)

「日本シリーズも視聴率ひとけたと、昔に比べれば明
らかに人気はなくなってきていると思うけど、これも
今までが人気ありすぎたんだよね」(私)
「今までがバブルと、それにしても長いバブルでした
ね」(T君)
「それを何とか盛り返そうと、サッカーの真似してア
ジアチャンピオンリーグのようなことしてたけど、観
客入ってなかったね」(私)
「見たんですか」(T君)
「まさか、ニュースで」(私)
「そうですよね、野球なんて見ないですよね」(T君)
「これは、いつも言ってるけど、野球の普及度の問題
だと思う」(私)
「日本では逆ですけど、世界ではやはりサッカーです
からね、サッカーもあまり見ないですけど」(T君)
「本当、日本とアメリカだけでやってればいいと思う
ね、それにしてもアメリカ国内なのに何ゆえワールド
シリーズか」(私)
「これもアメリカの傲慢ですよ」(T君)

「日本なんか必死で五輪種目にしたい様だけど、アメ
リカの本音はどっちでも良いんだろう、高額年俸さえ
貰えれば」(私)
「夢だなんだと言っても、イコール高額年俸ですから」(T君)
「五輪よりは高額年俸、ところが日本は、なんせ五輪
フェチだから五輪に特別な思い入れがある」(私)
「ロマンですか、いっそのこと、五輪そのものを止め
ちゃえば」(T君)
「個人的には、もう五輪なんて無くても良いけど、な
んせ五輪フェチの国だから」(私)
「好きですね、その言葉」(T君)
「だって、一番その本質を表わしていると思うんだも
の、揶揄も入ってるけどね」(私)
「実際は、テレビ局が困るから絶対無いですけどね」(T君)
「また煽って視聴率稼ぎか」(私)
「煽れば、バレーだってあんなに視聴率行くんですか
ら」(T君)
「ああー、バレーも鬱陶しい」(私)
「要するに、何でも鬱陶しいんじゃないですか、それ
だったら見なければ良いことです、でも日本シリーズ
より視聴率良いらしいですよ」(T君)
「見ないんだけど、ほら、自分達の局で宣伝するじゃ
ない、あれが鬱陶しいんだよ」(私)
「だったら、テレビそのものを見なきゃあいいんです
よ」(T君)
「ザット イズ ライト」(私)
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