昔、吉祥寺の駅の近くに「ブルーゾーン」と
いう、見るからに怪しい喫茶店なのかスナッ
クなのか、要するにわけの分からない店があっ
た。ただ、店内が青一色であることだけは窺
い知ることは出来た。駅の近くなのだが、そ
の周辺だけは時代に取り残されたような一角
で(今から20年近く前の話)、とても吉祥寺
とは思えない場所だった。今から思うと、全
体に妖気が漂っていたような気もする。ふと、
本当にあったのかという疑問さえ浮かぶが、
確か知り合いが一回入って、その時の様子を
聞いた筈だ。自分では、今一つ勇気が出ず行
くことはなかった。店内には、何故かマネキ
ンが置いてあり怪しさ満開であったとその知
り合いは言った。ひょっとしたら、異界の入
り口だったのかと、今にすると思う。という
のはマンガの世界だが、怪しい店だったとい
うのは本当だ。それにしても一体誰がやって
たのか。
何故こんなことを思い出したかというと、先
日松本までの道を走っているっ途中に、一角
だけブルーに染まってるところがあったのだ。
怪しさはないが、青空に溶け込むようないい
味を出している建物。信号で止まった時発見
したので、早速車の中から撮ったのが本日の
写真である。
当時ロック少女を気取っていた私は何度か訪れたことがあるのですが今となっては記憶は曖昧模糊として場所も思い出せません。
ふと、あの不思議な店がはたして何だったのか知りたくなり検索したら、こちらのブログに出会いました。
あの店、ほんとに真っ青でしたよね・・・。
実際に行ったんですか?それは貴重な
体験かと思われます。
私は、あの妖しさに、結局入ることは
出来ませんでした。
今思い出したのですが、デビッド・ボ
ウイがかかってたという話は聞いたこ
とがあり納得した覚えがあります。
三代ギタリストとは、あまりに健全
な。
行かれた人が、場所も思い出せない
というのは、矢張りあそこには魔力が
働いていたのでは、と思いたくなりま
すね。
あの店も時代の産物だったということ
ですかネ。
私の周りで実際入ったのは一人だけで、
それは舞踏家(暗黒系)でした。
好奇心だけは旺盛で、妖しい雰囲気に
惹かれたのかと思います。
あの頃は、吉祥寺にもそういう妖しさが
少しはあったのでしょう。
今となっては、場所も多分分からない
と思います(探索したい気はあるので
すが)。
いせやの焼き鳥を焼くときの煙の隣で、コーヒーなんぞ飲むんだ・・・と
朝、井の頭公園にいったから、いせやもスタバもしまっていましたが、想像したら変な光景だな~と思いました。
ね。当時あの周辺は、時代に取り残され
た雰囲気があり惹かれました。今どうなっ
てるかも興味があります。
曼荼羅は「三上寛」や「ヒカシュー」を
見に行ったりと懐かしいです。
いせやは結局入らずじまいでした。
喫茶店は、「西洋乞食」「くぐつ草」に
よく行きました。
ジャムを紅茶に溶かし込んだロシアンティーとトースト1枚、これがいつもの朝食兼昼食となる。店の壁には、二十枚ほどの絵が飾ってあって、購入することもできた。画家志望者の個展という体を装っているのだ。ふらっと、酔っぱらったサラリーマンがドアを開けて店内の様子を窺うが、世間の常識から外れたこの暗がりの中で蠢いている若者達を前に、すぐに場違いと気づきドアを閉めて後退する以外にないと悟る。
佳恵という女の子が常連で、近くの縫製工場で働いていたと思うが、この店の閉店後、僕と佳恵と絹子さんの三人はよく吉祥寺駅までの道を一緒に歩いた。佳恵もまた、将来に衣服デザイナーを目指していて、絹子さんが身に着けているほとんどの衣装は彼女の製作によるものであった。絹子さんがお気に入りの魔女が着ているようなテキスタイルのざっくりとした黒のワンピースも佳恵の作だった。佳恵の話によれば、実家は栃木県の農家で、三女として生まれた彼女は、地元の高校を卒業すると今の縫製工場に就職して、月に十数万円の給料から毎月5万円程を実家に仕送りして、実家の暮らしの一部に充ててもらっているのだと言う。けれども、デザイナーとしての夢を叶えるために、その住まいには到底ふさわしくない業務用のミシンを5年のローンで購入し、会社の休みには谷中辺りの下町の生地屋に足しげく通っては、衣服の材料を購入してそのスキルを高めているらしい。しかし、目下のパトロンは絹子さん一人と言うことになり、そのパトロンの経済状況も多分脆弱なのだ。「絹子さん、何か夏物の洋服作んなければね・・・。」と佳恵が言った。「佳恵ちゃん、未だいいよ。去年作ってもらったワンピースあるからね。あれで、当分はいいのよ、気に入っているから・・・。私もそんなに余裕はないのよ。正直、うちの店に来る連中はほとんどが出世払い。ちゃんと払ってくれる人と言ったら、君と佳恵ちゃんぐらいよ。私も因果な商売もう30年以上、ニコラスがソ連に帰るときに貰ったお金もほとんど使っちゃった。残ったのはこのお店だけ。私は貧乏だけど幸せだよ、若い君たちと毎日いられるから、皆の若いエキスいっぱい吸って、いつまでも若くいられるでしょう。」、「じゃ、渡部もつけため込んでいる?沢山?」、「それは、言えないな・・・。個人的なことでしょう。いずれ、皆出世したら何十倍にもなって帰ってくるから、信じているのよ。そうしてくれなきゃ、皆の前に幽霊になって出て来るからね。恨めしや~、つけ返せって・・・。」、「やっぱり、絹子さんは、吉祥寺のお母さんね。返ってこないと分かっているのに・・・。」と佳恵が言ったが、彼女もまたこの店でお金を払った姿を見かけたことがないと思った。多分、自分が絹子さんに提供する洋服で、その支払い分をチャラにするという約束が出来ているのだろうと想像した。佳恵は、東京に住んで数年経つのだけれど、未だ栃木の訛りが抜けずにいて、言葉のイントネーションが少しおかしかったが、それが僕には妙に親しみを抱かせていた。
僕と佳恵と絹子さんの三人は、吉祥寺駅の構内までは一緒なのだが、そこからの行先は分からないし、どこに住んでいるのかも尋ねたことはなかった。
ただ、絹子さんが近づくと石鹸の匂いがして、僕は多分、自分の名前にちなんで「絹」という石鹸を使っているのでないだろうかという、極めて単純な想像をしていた。
駅までの薄暗がりのうら寂しい道には水銀灯の明かりが点々と連なっていて、駅の近くで急に風景は一変する。呼び込みの男が、酔っぱらった男達の背中を押して、キャバレーに引きずり込もうとしている。コンパを終えた学生たちが、大声を出して何かを叫んでいる。遠巻きにその周囲を女学生達が囲んでいて、最終電車の時刻を気にしている。我々は先ほどの静から混乱の中に突き落とされる。しかし、こんな混乱の時間も長続きもしないで、直ぐに朝を迎えては、また勤勉な日常に戻って行くだろう。