ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

昆虫食

2011年11月29日 | 食べ物

 

この辺りは、昔から昆虫食の習慣がある。イナゴ、蜂の子などがその代表で、それらは今でも罰ゲームとしてちょくちょくテレビに登場するので広く知られてはいる。その他では、蚕の蛹、ゲンゴロウも昔は食べたらしい。ゲンゴロウ(ナミゲンゴロウ)など今や絶滅危惧種なのだが、昔はそこらに普通にいたのだ。聞いたところでは、夜、屋根に飛んできたものを捕まえたらしい。後は、伊那谷で食べられるザザムシと言われる、トビケラ、カワゲラの幼虫が代表的なところだ。

今は、昆虫食=ゲテモノという認識が一般的だが、そういうものを食習慣としている所ではそれらは食材であり決してゲテモノではない。それが食文化というもので、ゲテかそうではないかの違いは食文化の違いによるものである。唯、その食文化も常に変化しているので、例えば昆虫も忌み嫌うものという見方が強くなればその習慣も徐々になくなるし、収集の対象、観察の対象、飼う対象となっても同じように食材という見方は弱まる。更に、見た目という点でも、他の洗練された料理を食べる機会が多くなればなるほど昆虫料理は不利である。

そしてもう一つ重要なことは、その味である。つまり、美味いのかということ。この昆虫でしか味わえない魅惑的な風味があるかどうかだなのだが、蜂の子にはそれを感じるひともいるらしいが、個人的には、他の昆虫含め甘辛い甘露煮のような状態のものが多く、どれも似たような味に感じられてわざわざ食べる気にはならない。いずれにしろそういう見方をする人がが多くなれば、その食文化も自然と変わる。食糧危機が訪れればそんなことも言ってられないだろうが(その時の備え食べられるようにするのは重要かもしれない)、それがなければこの先昆虫食は消えていく運命にあると思う。昆虫だけで、キャアーと騒ぐ母親が多い昨今、その運命は決まったようなものだ。これは、鯨にも共通したことである。

 

 

 

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五輪 サッカー

2011年11月28日 | サッカー

 

五輪予選の「日本代表対シリア」を見る。この前のフル代表の北朝鮮戦は、一番の目的は怪我をしないというものであったので、何事もなく無事に終わってよかったが、今回の五輪予選も、実はそれほど重要なものではないと思っている(五輪のサッカーに対して疑問)。唯、見れば絶対勝ってほしいと思う。シリアはシリアで、国内情勢がこんな時にサッカーなんてやってていいのかと思わないわけではないが、強いことは強かった。実際同点にされたときは、これで逆転負けかと思った。一般的に中東のU22は体も出来上がっていて、どこも結構強い。しかし、その割にはその後が伸びないのが特徴でもある。結果2-1で勝ったが、次回のアウェーでどうなるか、というところである。ここまできたら勝ち上がってほしいが。

ゲロメッティYは五輪サッカーでも相当入れ込んでいて、下手に負けたりするとこの世の終わりかと思うくらいに落ち込む。そして直ぐに、もう日本のサッカーは駄目でしょう、と始まる。その都度、五輪で活躍した国がそのまま伸びるわけではないとか、五輪代表がすべてフル代表になって大活躍するわけではない、全ては個人の進歩の問題だ、などと言って慰めるというかその極端な反応を諌めるのだが、全くYに関しては進歩はない。一喜一憂振りは変わらない。それより不思議なのは、普段は自分のこと以外全く考えない人間が、サッカーの日本代表となると急に日本人になり、日本代表が自分の全てであるかのように振舞うところ。こんな末端からもナショナリズムの熱狂は始まるのである。

 

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Yの続き

2011年11月27日 | Weblog

 

ゲロメッティYの続き。いつにもまして上機嫌なのでその理由を聞くと、天皇杯「マリノス対松本山雅」の良い席のチケットをゲットできたからだと言う。その試合が行われるのは富山。おいおい、わざわざ富山までサッカーの試合を見に行くのか、と当然のこと思うが、Yはそういうことをするのである。まあ、好きでやってるわけなので、とやかく言うことでもない。しかし、そんなことで上機嫌になるというのも、何とも羨ましいというか....。

もう一つ、東京で観てきた映画のことも聞いた。それは園子温監督の「ヒミズ」だった。元々園子温は好ではないようなことを言っていたので何故?と思ったら、それぐらいしかやってなかったからだそうだ。そして感想を聞くと、「手持ちのカメラで、ヌーヴェルバーグを現代にもってくればこうなるんだと思いました、最後なんか感動しちゃいました」ところっと高評価に変わっていた。どうも、手持ちのちょっと不安定な映像だけでやられるようで、改めてYの基準の曖昧さを思う。

知らなかったが、「ヒミズ」というのは漫画で(漫画に関しては全く知らない)、もともとの意味は「日不見」と言って、日を見ないつまりモグラのことを指すそうなのだ。このことをYは得意そうに説明した。内容は、所謂青春小説のようなものらしい(Y曰く)。地中の何も見えない世界から、はれて世界に飛び出すという物語なのかとこちらは勝手に想像したが、果たしてどうなのだろう。園子温の原点回帰の映画です、とYはのたまった。

 

 

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ポロック

2011年11月26日 | 芸術

 

ゲロメッティY登場。なにやら名古屋まで行って来たらしい。何しに、と思ったら、展覧会を観に行くのが目的だったと言う。愛知県美術館で開催されている「生誕100年 ジャクソン.ポロック展」を見に行ってきたらしいのだ。そんなのが行われているとはついぞ知らなかったが、例によって、「どうですかジャクソン.ポロックは」と聞いてくる。そこで「どうですかって言われても、独自の表現スタイルを確立した現代美術では欠かせないアーティストでしょ」と答える。作品は何度か見ているが、まとめて見たことはない。Yにとってもまとめて見る良い機会になったようである。

それより、これは有名な話らしいが(Y曰く)、ポロックが44歳で車の激突死で逝ったという事実は初めて聞いた。何だか、芸術家の死に方にしてはあまりに華々しく、つい、「デスプルーフinグラインドハウス」を想像してしまった。それにどうも映画でポロック役をした「エド.ハリス」の顔が浮かび、44歳と結びつかない。今確認してみると、あの映画「ポロック 2人だけのアトリエ」は、エド.ハリスがプロデューサー、監督、主演の三役をこなしたということであった。よほどポロックに入れ込んでいたのだろう。映画でも当然最期は描いていたのだろうが、残念ながら、映画の印象ともども全く記憶していなかった。

アクションペインティングは、その後一気に広まり、すっかり普通の表現方法となった。そう言えば、この前作ったcafe Tac用の映画チラシのコラージュにも使わせてもらった。こういう形で一般化するとは、ポロックも思っていなかったことだろう。

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Tac通信 2号の続き

2011年11月25日 | Weblog

 

Tac通信2号は、この前BSでやっていた「ミツバチのささやき」を観ながら一気に仕上げた、と言いたいところだが、「ミツバチのささやき」は、余りのボージョレヌーヴォーを昼間から飲んだおかげですっかり眠くなり眠ってしまい見てない。当然、原稿書きのほうも滞ったが、その後眠気を追い払い何とか仕上げた。自分の担当分は、書きながら考えた。後は、細かな割付を調整するだけだ。が、印刷屋にまわす場合は指示だけすれば良いのだが、この場合印刷屋も兼ねているのでまだまだ細かい作業をしなくてはいけない。また同じ愚痴になるが、デザインソフトで文章中心に割り付けるのは手間がかかる。このソフトに自動的に行が変わる仕組みでもあればいいのだが。

と思い、何か他の無料の編集ソフトでもないかと探してみると今の世の中あるもんです。どうやら新聞用のソフトのようで、使いかっては良さそうだ。唯、デザインソフトと併用するとなると、文章の前にページのデザインをプリントして、そこに文章を載せて、しかも位置を合わせてなどと新たな作業が加わることとなる。そんなもろもろこの先起こることを想像したら、果たしてどうなんだろうと思い始め、型さえできればその後は相当楽になるし、いやその型を作るまでが大変だ、と空しい葛藤。そんなことより、まずはやってみろということやね。それも重々承知でヤンス。

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ドレッシングについて

2011年11月24日 | 食べ物

 

スーパーの棚には物凄い数のドレッシングが置いてある。しかも今は、ドレッシングとしてばかりではなく、チャーハンの調味料にしたりといろんな使い方をするらしい。昔は、あのどろっとした乳化状がこれぞドレッシングと思い使ったこともあるが、成分表示を仔細に見ると何でこんなものが入ってるのかといろいろ疑問に感じ始め、更に、オイルと酢だけで十分美味しいという事が分かってしまい、その後一切使わなくなった。使わなくなってかれこれ25年といったところだろうか。何が一番嫌いかと言えば、あの不自然な旨みと香りなのだが、これがまた一般には受けてる要素であるのが悲しい。ドレッシングなんて用意しなくても、塩酢オイルを直接振り掛ければ済むのにしかも美味しい、と思うのだがこれもなかなか支持を得ない。

オイルは今はグレープシードオイル。昔はクルミオイルやらハシバミオイル、アーモンドオイル、ピーナツオイルといろいろ試したが、グレープシードオイルという一番癖のないところに落ち着いた。酢もシャンパンヴィネガー、シェリーヴィネガー、シードルビネガー、バルサミコといろいろ使ってみたが、これもオーソドックスなワインヴィネガーに落ち着いた。塩は、ゲラント産、シチリア産、インドネシア産、オーストラリア産、と言いたいところだが、これは正直な所どこでも構わない。普通の食塩でも全く問題ない。一番気をつけなくてはならないのは、オイルの状態だろう。それさえ押さえれば市販のドレッシングより絶対美味い筈、と言いたいところだが、旨み調味料が入ってないどろっとしていないなどの理由から始めに言ったように多くの支持は得られない。

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スモークドサーモンのキッシュ

2011年11月22日 | 食べ物

 

毎年のことであるが、この時期の冷え込みは体に応える。今朝は零下。そろそろビオトープアネックスも室内使用に変えないといけない。そう言えば、近くのため池から一匹持ってきたオオタニシ(外来種のジャンボタニシと思っていたがオオタニシだった)は、元気にしてるだろうか。

ワインのお供にでもとキッシュを作ろうと思い、具は何がいいかとスーパーの棚を眺めていた時、浮かんだのがスモークドサーモンを使ったもの。ほうれん草と組み合わせるのが多い。ということで、サーモンとほうれん草を買って早速作ることにした。細かい分量は分からないので適当に。今回は、牛乳は混ぜずに生クリームのみで。ほうれん草はゆでてバターで炒めるのだが、ゆでたら量がいやに少なくもう少しはほしかった。チーズは手持ちのグラーナパダーノのみ。それらを使い焼いてみた。いつも思うのだが、難しいのは塩加減。卵液を結構薄味にしないと、結果しょっぱくなるのは何回か経験済み。今回も、若干しょっぱめだったが、まあまあ美味しいものができた。生クリーム(45パーセント)のみでこってりし過ぎと思われそうだが、ほうれん草がその辺は上手く中和。次回、もう少しほうれん草を多くすればほぼイメージ通りになる、と思った。この組み合わせ、結構好きである。

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アジョシ

2011年11月21日 | 映画

 

「アジョシ」という韓国映画が面白いというのをいくつか目にし、機会があれば見てみようと思っていた。尤もその情報は、ネット上のブログなどにあるもので、謂わば食べログの情報と同じで個人的信頼度はあまりない。そして機会は直ぐに訪れた(ともったいぶって言うほどのものではなく、いつもの無料動画)。

主演はウォンビン、が名前は聞いたことがあるが顔は思い出さない。兎に角、人気俳優であることは確かだ。映画の内容は「レオン」のようなもので、孤独な男が同じアパートの隣に住んでいた少女を救うために悪玉をやっつけるという話。こういう定型話は、陰のある男の人物像をいかに描くかが肝だが、前半はまあまあいい線いってると思ったが、派手な銃撃戦が始まる辺から、ジョン.ウーの映画のようなケレンミたっぷりの演出(要するに嘘っぽい)が見え始め、それまでの緊張感がすっかり緩々になった。最近の映画は(韓国も日本も)、どうもハリウッド的演出が基準になってるようで、何を見ても同じような印象を受ける。テーマパークに行っていつも同じもので喜ぶ人たちにはこれで良いのか、と想像もするが、こんなんで良いのかという思いは常に残る。派手な演出などなくても、例えば市川雷蔵主演、森一生監督の「ある殺し屋」などと較べると、その駄目さばかりが目に付く。ただ韓国の監督では、同じウォンビンを使った「母なる証明」や「殺人の追憶」のポン.ジュノは良いと思う。

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ドルトムント ヌーヴォー

2011年11月20日 | Weblog

 

ドルトムント対バイエルン、香川のアシストで1-0で勝利。バイエルンの詰めが早いので、香川もワンタッチパスを多用していて、それが結果的に功を奏した。ごちゃごちゃしたゴール前で、ディフェンダーのボアテングが一瞬球を見失ったところを上手く突いたゴールであった。ドルトムントのディフェンス陣も頑張っていたが、負けたとは言え、バイエルンのチーム力はやはりかなりのものであると感じられた。尚、バイエルンのジェイソン.ステイサム「ロッベン」は、まだ怪我が癒えてない様で出てない。

で、しつこくヌーヴォーの話。飲んでみたが、僅かな炭酸を感じるヌーヴォーらしさを備えたもので、香りも良いがやはりこくとかは物足りない。まあ、こんなものだろうという味だ。しかし、ワインの香りというのは複雑で、例えばボージョレーはガメイ種なのだが、はっきり言ってガメイ種特有の香りというのが判らない。ピノノワール、メルローしかり。香りを表現するのにフランボワーズのような香りはいいとして、それが野いちごとなるともうお手上げだ。同じボージョレーだったら、まだ白のアリゴテの方が判るような気がする(飽くまでも気、ね)。結局、結論はいつも「美味けりゃいいわ」である。

 

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ヌーヴォー ベースボール

2011年11月19日 | Weblog

 

地元の西友には380円ボージョレーヌーヴォーはなく、670円(?)のヌーヴォーと、それより高いヴィラージュヌーヴォーしか置いてなかった。ヴィラージュとなると大体五割り増しが相場。どうしようか迷ったが(どちらにするかではなく買うかどうか)、まあこれも季節ものだからと買うことにした(当然普通のヌーヴォーを)。この値段で美味しいものをなんて都合の良いことを考えてはいけない。そこそこ飲めれば御の字だ。

話は変わるが、ニュース(NHK9時)のトップに巨人の代表解任てどうなんだ。個人的には全くどうでもいいニュースなのだが、そんなに皆関心があるのだろうか。権力者に歯向かった人間の末路という、サラリーマンが思わず自分自身を重ねてしまうような題材だからなのか。いずれにしろ芸能ニュース程度の価値しかないと思う(そうは思わない人が多いのかねえ)。日本シリーズに空席があるのを見ても、実際プロ野球と言うのは相当凋落しつつあるのではないかと、ニュースキャスターの過剰に感じられるほどの如何にも夢中という態度を見るにつけ思う(単にひねくれているからか)。

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ヌーヴォー ノヴェッロ

2011年11月18日 | Weblog

 

今年のボージョレヌーヴォーは果たして美味いのか、何てことには興味はないが、西友で売り出した380円のヌーヴォーには興味がある。それにしても、何という値段なのか。味と値段のバランスがこれでやっと釣り合った、と考えれば納得なのだが、ここまで来れば本場と大して変わらないのではないだろうか。とりあえず、あれば買う(かな?)。

ヌーヴォーではなくノヴェッロはここのところ何回か飲んだ(クチーナにし村にて)。イタリアのヌーヴォーなのだが(と昔から知ってるような言い方だが今回初めて知ったのだ)、これはボージョレーと違い、しっかりこくもあり香りもありで十分美味いと思う。産地もいろいろのようなので、多分味もいろいろなのだろう。昔はボージョレーばかりがヌーヴォーワインだったが、今やイタリアワインにもの時代だ。ただ、ボージョレーヌーヴォー一本3000円の時代と較べると、自分の懐具合がかなり寂しい。残念な点である。

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Tac通信 2号

2011年11月17日 | Weblog

 

Tac通信二号に向け、やっと取り掛かかり始めた。が、いきなりつまずく。店主のT君の原稿なのだが(今回は早々に提出)、やたら長いのだ。削除しながら再構成しなくてはならない。文章を上手く繋げながらコンパクトにまとめるというのは、思いのほか手間がかかる。それに、なかなか良い表現が浮かばないのだ。パソコンの前で長い間格闘してたらすっかり疲れてしまって、もう自分の分を打ち込む気力がなくなった。しかも眠くなったのでその後は昼寝だ。

本来なら8月に発行の予定だったのだが、気付けばもう年末。原稿を催促してこれでは困ったものだ。内容も夏に合わせたものがありで、ちょっと心苦しい。しかし、この期を逃すとそれこそいつになるかわからないので、兎に角仕上げなくてはいけない。ということで、予定は今月一杯だ(自分に言い聞かせる)。

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小間使いの日記

2011年11月15日 | 映画

 

ニコニコ動画で、ブニュエルのジャンヌ.モロー主演「小間使いの日記」を観る。昔観ているのだが、今回観てみて殆ど覚えてないのにちょっと愕然とする。ブニュエルは好きな監督なのだからもう少し覚えてても良さそうなのに、あまりにひどい忘れようだった。

ただ、映画としては今でも十分面白い。社会的にもそれなりの地位のある人たちの、一見まともそうな、しかし実際はそうとうヘンタイである姿を容赦なく描くブニュエルの姿勢は不変である。これは後の「ブルジョワジーの密かな愉しみ」「自由の幻想」へと続く系譜である。尤も、この監督のヘンタイ視線は、全ての作品に通じる欠かせない魅力でもある。そしてジャンヌ.モロー。パリから田舎の貴族の館に小間使いとしてくるわけだが、それに至る説明は一切ない。あんな妖艶な小間使いがいること自体、すでに普通ではないのだが、話もあれよあれよと普通ではない方向に進んでいく。

他のブニュエル作品の多くに出演しているミシェル.ピッコリも良いヘンタイぶりだ。ジャック.リヴェットの「美しき諍い女」やマノエル.デ.オリヴェイラの「家路」などにも出演している言わば名優であるが、彼を見てるとどうしてもクリストファー.リーを思い出してしまう。あのドラキュラ俳優の。今思ったが、もう一人の怪奇スター、ピーター.カッシングにもちょっと似ている。この二人をを足して二で割ると丁度ミシェル.ピッコリ、何て話はどうでも良かったが、そんな怪奇俳優にどこか似ているいかがわしさも俳優の魅力ではある。

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無用門 無用窓

2011年11月14日 | トマソン

 

昨日に引き続き近所の物件を。この建物、今まで見た回数は何百回、いや何千回かもしれない。見ての通りの洋館で、なかなか風情があるのだが、芸のない色の塗り直しなどで徐々に味がなくなりつつある。そしてその間、いくつかの構造の変化もあった。唯、そのことに気がついたのも最近のことで、どうも色の塗り直しなどで誤魔化されていたようなのだ。まずは1の部分。しっかり「無用門」であった。そして2、3、4の部分。これは「無用窓」だ。これだけ揃っていたのに気がつかなかったとは。無用となった矩形部分が、全体の中ではデザインの一部のように見えるのだ。全く違和感がない。そう言えば、同じように「無用門」と「無用窓」の組み合わせのものが松本にもう一件あった。しかし、こちらの方はその存在感がかなり薄い。相当消したかったようである。

松本には、更にもう一件あった(お宝の宝庫である)。この物件くらい過剰になると、否応なしに視線を引きつける。

 

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合同

2011年11月13日 | トマソン

 

久しぶりに、近所にあって、長く見逃していた「Gタイプ」を。ずっと普通の「Gタイプ」だと思ってさして特別な思いはなかったのは、それはいつも片側からしか見てなかったからだ。逆から来ると、違う片面となり、それぞれが別の普通の「Gタイプ」として認識していたのだ。それがこの前、改めて正面から見てようやく気がついたのだ。綺麗な合同形。相似ではなく合同。左右対称の家がすっぽり抜けたのが良く判る「Gタイプ」だ。ここまで端正なのは珍しいのではないか。

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