ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

Yとチラシ

2011年10月31日 | 芸術

 

Yは映画を観てくると、大体チラシ、パンフレットを持ってきてお土産代わりに置いていく。それらは一通り目を通しとって置くのだが、敢えて捨てることもないので自然にたまっていく。が、その後使われることもいので徐々に邪魔な存在となっていく。コレクターならしっかり整理して保存するのだろうが、どちらかと言うと、こちらからすればゴミである。そこで、何か有効利用はないかと考え思いついたのが、それらを使い飾り用のものにするというアイデアだ。T君のカフェ(cafe Tac)用に丁度いいのではと思ったのだ。

よく、映画やら芝居のポスターを重ねて店内にべたべた貼っていて、それが良い感じになっているというがあるが、あのイメージである。貼ってあるものにはその店の主張も込められている。今回の場合、他のミーハーカフェとは違うぞという意思表示にはぴったりだ、と思ったのだ(重要なのはT君の意思なのだが何故かこちらの意思になっている)。

で出来たものが写真のもの。使ったものは「イエジー.スコリモフスキー」(エッセンシャルキリング)「ロベールブレッソン」(罪の天使とラルジャン.スリの二枚)「ヘルツォーク」「ジャック.ロジェ」「ストローブ=ユイレ」(これは唯一私のもの)「幕があがる」(まつもと市民芸術館の会報、カフェのもの)「松澤宥」(これはどうしても使いたかった、何故かと言うと地元出身であるから、しかも家はカフェから数百メートルのところ)「倉地久美夫」(庭にお願いというドキュメンタリー、カフェのもの)と何故かジョージ.ハリスンの写真。それらを基の紙に貼り、最後にアクリル絵の具で仕上げ。それをポスター用の額に入れ完成だ。床に直接置いて使うことを考えた。出来は、まあまあなのではないだろうか。

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Yとブランド豚

2011年10月30日 | Weblog

 

ゲロメッティY登場。T君のところで行われたワイン会(街のイベントの一環)に行ってきて、まずはご機嫌のようだ。そしてここ最近は、地元の色んな店に(主にイタリアン)行ってるらしくその話を聞いた。行った店は、それぞれ人気店のようでYが行ったときも盛況だったらしい。が、どちらもYの印象は今一つのようで、一つはファミリーレストランよりちょっと本格的なイメージがあるが、中身はファミリーレストランのようなものというのがYの結論。「今は、こんな感じの店が人気ですよね、値段は安め、メニューは豊富、しかしイメージ的にはファミリーレストランとは違い本格的に見えるという」とY。

それよりもう一つの方がYとしては問題だった。「兎に角高いんですよ」とY。「高くても味がそれなりならしょうがないよ、どっちにしろワテは行かないけどね」(実は過去一回だけ行った事がある)と言うと、「唯焼いただけの豚が四千なにがしですよと」やや憤慨気味に言う。アグー豚(沖縄のもので最近よく目にする)というブランド豚の骨付きロースのロティだかグリエらしいが、それを塩コショウで味付けしたものだという。「あたしやー豚そのものがあまり好きじゃないからブランド豚がどれほどの味か知らないけど、一般的には持て囃されてるよね、脂が甘いとか言われて」、するとYは「普通の豚と大して変わらないですよ」とのたまった。「なんだかパサパサしていてしかも塩コショウだけで、あれだったら普通のとんかつの方が数倍美味いですよ」と言う。そこへ持ってきてあの値段だったので、相当お腹立ちの様子だ。「他のものも食べたんだろう?」と聞くと、「トマトと茄子のトマトソースのスパゲティですが、全く普通でした」と言った。しかし、この店は結構地元の上客をつかんでいてそれなりに流行ってるよだ。「ブランド志向の連中には、良い具合に訴えるのかもね」と言うと、Yは少々納得したようだ。

それにしてもこのブランド豚だが、過去地元では、ブランド豚(地元の農場が改良したという)として出荷してた農場が普通の豚も混ぜていたという事件があった。が、発覚するまで仕入先からは一切クレームはなかったという(それを売りにしていた店を何軒か知っているが)。まあ、世の中こんなものである。

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世界に誇る日本人

2011年10月29日 | Weblog

 

何かのアンケートで、世界に誇れる日本人というのがあり、ダントツの一位はイチロー、二位は北野武、三位が渡辺謙という結果であった。これをみて思うのは、イチロー人気の凄さである。素朴に、何を誇るのだろうかと思ってしまうのは、単にひねくれものだから、なのか。野球選手として凄いのは認めるが、それで何故誇れるのかというのが不思議でしょうがない。ならば、アメリカの大リーガーには誇れる人だらけということになってしまう。多分、単身大リーグに乗り込み、侍の如く(ここは大事)奮闘して記録を作っている孤高の姿が(勝手にそう捉えてるに過ぎないのだが)魅了するのだろうが、こちらからすると、野球選手以外のところで彼の人間性を窺わせるものがないので、一野球選手以外のものでより評価する部分は見つけられない。むしろ、簡単なことを意味ありげにもったいぶって言う所など好きになれないところの方が多い。しかも、世界とか言いながら、アメリカの更にシアトル限定なのではないか?ニューヨーク辺りでイチローがどう評価されてるのか別な意味で興味がある。

がしかし、この手のアンケートは、所詮は人気投票で、有名人であればそれだけで上位に行く傾向がある。しかも大体考えてる世界というのがアメリカである。アメリカ国内で世界と言えば多分アメリカだから、流石51番目の州である日本と言うべきだろう。有名ではないアメリカ以外でも活躍する建築家とか科学者で、しかも常に世界のことを考えてる日本人はいるのだが、そんな人は多くの人の関心外であるのは極めて普通のことである。ただ、このアンケートが30代40代が対象であるところを考えると、もう少し何とかならないかと思ってしまうのだ。10代20代ならしょうがないとは思うが。

同じ対象者にもう一つアンケートがあり、そのテーマは今まで見た映画のベストワンはというもの。その結果は一位「タイタニック」二位「ハリーポッター」。最早トホホホホ、という言葉しか思いつかない。マジッすか。

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ガスストーブについて

2011年10月28日 | Weblog

 

いよいよ朝の寒さが堪える時期になってきた。となると、そろそろストーブも出さないといけない。去年買ったガスストーブは、基本的には、昔ながらのゴムホースは使わないようにということになっている。つまり、取り付け口は専用の器具が装着した専用の管で、ガスを引き込む口はこれまた専用の器具のものが必要になっていたのだ。全てガス漏れ防止のためなのだが、昔ながらのガス管の所は、最新器具を使うためには全てをそれように変えなくてはならないことになる。少々ガスが漏れても、ゴムホースと専用留め具で十分だと思ってる人には、余計な改善(出費)なのであった。ガス漏れは自分の鼻が探知機や、では済まなくなっているこの状況は果たして好ましいことなのか、とついつい思ってしまう。が、ガスストーブのほうも、決して、従来のゴムホースが全く使えないわけではないところがちょっと救われる。

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タイムカプセル

2011年10月27日 | Weblog

 

昔の本を整理していたら、本の間に当時の絵葉書と定期券が挟まっているのが見つかった。「絵葉書と定期券」などと言っても、別に青春フォークの題材になるような思い出が蘇るわけではない。それより不思議なのは、何故この二枚がここにということである。いずれにしろ、この本がタイムカプセル代わりになったいうのは事実のようだ。

絵葉書の映画は「北国の帝王」というアルドリッチ監督、リー.マーヴィン主演の、無賃乗車の帝王と呼ばれた男とそれを阻止する車掌の戦いを描いた作品だ。今であれば、何!アルドリッチか、と期待を膨らませるところだが、当時は勿論アルドリッチなど知らず、その葉書に書いてある「FOX映画が放つ!史上最大のSLアクション超特作」という宣伝文句に惹かれて行っただけだった。見終わって、どこが史上最大なのだと思ったことは記憶している。それにしても、超特作って何んなのだろう。因みにSLアクションのSLと言うのは蒸気機関車のSLのことである。

定期券は、江古田.四谷間の三ヶ月定期。当時のお値段は3060円である。普通こんなものは捨てるだろうに、何故か残ってしまった。しかし、今となっては写真より貴重と言えば貴重かもしれない。こうなると改めて捨てることはできない。かと言って大事にとって置いてもどうなるものでもないのだが。まあ、記憶上のマーキングみたいなものか。唯、絵葉書のほうは結構お宝的価値はありそうである。

 

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トリッパ

2011年10月25日 | 食べ物

 

芸術の秋と言うことなのだろうか、ここ最近、「狩野派」「田中一村」の画像検索でここに辿り着く人が再び多くなっている。全く参考にならず、真に申し訳ないことであります。

以前、何かと一緒に購入した「ハチノス」が冷凍したままだったので、南アフリカ産安白ワインの余りと一緒に「トリッパ」を作ることにした。白いんげん豆もあったのでそれも投入。要するに在庫整理みたいなものである。「ハチノス」は、モツ系特有の臭みがあるので、それを和らげるために下茹でをしなくてはならない。最近、外でこの手を食べてないので、どの程度(臭み消しを)にすればいいか今一つ確信が持てない。結局30分ほどにして、後は本格的に、セロリ、にんじん、にんにく、たまねぎと豆を入れて煮込むだけ。トマトはその時点ではなかったので後で足した。煮込み時間は約3時間。「ハチノス」の柔らかさでそこは判断。ハチノスの煮込みと言うよりは、ハチノス入り豆の煮込みと言う姿の料理だったが、まあこんなもんだろうという味だった。後で足したトマトがちょっと多く、全体では「インゲン豆のトマト煮込みハチノス入り」が料理名としては適当ではないかと思った。

 

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秋刀魚の味

2011年10月24日 | 映画

 

BSでやっていた「秋刀魚の味」を観る。テレビで小津映画をやってると、大体観てしまうのだが、今回もしっかりその轍を踏んだ。これは小津映画では特に感じるのだが、見る度に発見があるので、何度観ても常に新鮮な感覚を覚えるのだ。筋がどうのという観方はあまり意味を成さないのが小津映画の特徴でもあるし、情緒的に盛り上げる仕掛けもないので、ここで泣けという厭らしい意図を感じなくて済むのも嬉しい。これが遺作となったのだが、アルトマンにとっての「今宵フィッツジェラルド劇場で」のような遺作然とした雰囲気はない。それだったら「小早川家の秋」の方がふさわしい。本人はまだまだ撮るつもりだったのだと思う。

今回観て思ったのは、まず岩下志麻がいやに可愛いということであった。他でも感じることが多いのだが、小津映画に出てくる後に大女優と言われるような女優陣、皆さんいやに綺麗なのである(個人的な好みが大分反映されるが)。これも監督の美意識の表れではないだろうか。そして、その美意識が存分に発揮されていると思ったのが、息子夫婦(佐田啓二、岡田茉莉子が住んでるところ。にしても中井貴一は親父に似てきた)が暮らす、普通の団地の風景。布団が干してある団地が、何故これほどまでに美しいのか。そのモダンさに、コルビジェかと思ってしまった。室内もしかり。唯これは逆に、生活観が乏しい、リアリティがないという批判を受ける部分ともなりうる。ここは成瀬巳喜男と小津安二郎の映画の違いというところで理解するべきだろう。そもそも映画のリアリティって何だという話である。成瀬映画には成瀬の世界があり、小津映画には小津の世界があるのだ。夜の飲み屋街に、バーの看板の明かりが浮かび上がる様、或いは、駅のホームで電車を待つ姿、これだけでうーむこれが小津映画だと思えば良いのである。

 

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天然キノコのスパゲッティ

2011年10月23日 | 食べ物

 

天然ものの茸を戴いたので、早速それを使いキノコのスパゲッティとして食した。貰ったキノコは三種なのだが、紫シメジ以外種類は判らない。確かな筋なので、毒キノコということはない。にんにくは控えめにオリーブオイルと炒め、アンチョビペーストを少々、畑のインゲンがあったので青みとしてスパゲッティと一緒に茹で最後に合わせた。キノコの味をより感じるために粉チーズは降らない。スパゲッティはモチモチタイプの乾麺を使う。普段椎茸やエノキを使ってキノコのパスタはよく食べるが、天然ものはやはり独特な風味と旨みがあった。今年はキノコ全般不作と聞くが、採る人は採るのがこの世界。きっと自分だけの秘密の城を持っているのだろう。

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現地系

2011年10月22日 | 食べ物

 

今、地方中心に、密かに増殖しつつある飲食店に現地系というものがある。それは、インド系と中国系の二つ。意味は、ずばり、現地の人間が経営調理サービスをしている店ということである。具体的には、カレー屋と中華料理屋ということになる。これら二つの出店方式は大体共通していて、多くが潰れたり廃業したりした郊外店を居抜きで使っている。インド系中国系、どちらも商売に関しては日本人より民族的にも抜け目がない。基本的に内装には金をかけないので、インド系であれば、民族風の織物を壁に飾りBGMにシタールや「踊るマハラジャ」の歌謡曲のようなものをかけるだけ。中国系は更に簡素だ。紹興酒のポスターがあるくらいで、後は殺風景とも言える社員食堂風の内装である。但し、メニュー数はめちゃくちゃ多く、それらの札がべたべた貼ってありインテリアの一部になっていると言えなくもない。よく、中国国内の食堂風景などを見ると、現地の人間が普段行くような店は、本当に質素と言うか飾り気のない殺風景な所が多いが、どうやら店の外観内装が店の魅力という感覚はないようである。

と、前置きが長くなったがここからが本題。過去インド系は結構行ったが中国系というのはあまり行ったことがなかった。中華料理そのものが特別好きなものでもないし、唯一餃子があるが、あれも日本風のものが好きなのでわざわざ入ることもなかった。しかし今回は、何故かふとそんな気になり入ってみたのだ。そこは以前くるくる寿司のあった店舗だ。かなり殺風景である。入ると見るからに中国人の店員さんが、ぺらぺらな日本語で対応する。節電のための照明が、殺風景さを更に後押し。広い店舗だが、従業員は二人だけ。あまり繁盛しているようには見えない。品数が多過ぎ、結果メニュー表が見づらい。結局頼んだものは、えびチャーハンと餃子というあまりにありきたりな物。但し、餃子はセロリ餃子という、向こうではよくあるもの(と勝手に想像したがどうなんでしょう?)にした。外担当の中国人も厨房も兼ね、思ったよりは早く出てきた。この辺りは手練を感じさせる。えびチャーハンはレタス入りで、ちょっと現地も感じさせる(これも想像)。一口食べると、美味いではなく旨過ぎる。つまり味が濃く、旨み調味料たっぷりの味なのだ。スナック菓子大好きな人間だったら大喜びの味である。中華もそうだが、東南アジアの多くは旨み調味料たっぷり味なのでどうしても遠慮したくなるのだ。餃子のほうは、セロリの効いた叩いた肉を使う本格派で(焼きというところが日本風だが)、食べると肉汁がジュワッと出るもので、決して不味くはなかった。

というわけで、現地系中華料理屋体験は終了。次があるかどうかは何とも言えない。

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空に飛行機 だから バッタ記念日

2011年10月21日 | 生き物 自然

 

松本の河原に再び出動。今回はいつもと違う上流よりを探索してみた。結果、橋を境に環境がガラッと変わっていることを実感することとなった。見た目からしてこんな石がごろごろした河原である。

この時期のヒョウモンチョウと言えばツマグロヒョウモン。

土手にはカワラナデシコが。

ツメレンゲも僅かながら。

そして、見上げればシコーキが。

 

川の袂は石ころだが、土手に近くなると砂地が多くなる。そこを歩くと、必ず二三匹のバッタが飛ぶ。見慣れないバッタで、飛んだ時に羽の色がブルーに輝くのだ。普通バッタと言えば、黄緑色のイメージだ。何だこのバッタは、と少々興奮する。着地した個体を見ると、地味な色だが渋いブルーグレーだ。こんなバッタ見たことないぞ(この辺りはあまり詳しくない)。後で確認すると「カワラバッタ」という種類であることが分かった。そのまんまやないか。飛ぶと後翅のセルリアンブルー(ちょっと格好つけてみました)が表れ、綺麗に輝くのだ。ここには一杯いたが、全国的には数を減らしているらしい。いつも行くところから数百メートルで、こんな世界があったのだ。

バッタの世界も奥は深そうだ。目一杯紫外線を浴びたので、土手に上がり戻ると、今度はその土手の草むらから違う種類のバッタが、これまた二三匹歩くごとに飛ぶ。大きさは先ほどの「カワラバッタ」と同じく五六センチの大きめなバッタ。模様は「カワラバッタ」が砂地の迷彩色とすると、今度は草むらの迷彩色。始めは「トノサマバッタ」(このくらいしか知らない)かと思ったが、どう見ても違う。同じく後で確認すると「クルマバッタ」(クルマバッタモドキというより普通なのもいるらしいが多分)であった.......追記、結局クルマバッタモドキが正解のようだ。

バッタの旬は今頃か。普段はトンボや蝶にしか目が行かないので、あまり意識することもなかった。これはこれで結構面白そうだ。最後に、一際大きなものが田んぼめがけて飛んでいった。「ショウリョウバッタ」であった。オンブバッタとショウリョウバッタは何故か記憶している。

 

 

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商店街

2011年10月20日 | Weblog

 

ローカル放送のニュース番組で、空き店舗がない地方の商店街(稀有な例として)という特集で、T君のところの商店街が取り上げられていた。中心となっている「おかみさん会」という組織の活動を軸に、具体的に県外から来て新しく商売を始めた人を紹介していくという内容で、T君(地元だが)も紹介されていた。何だか真面目に対応していて笑えるのだが、店内でインタビューを受けていたお客さんも知った顔で、皆さんそれぞれそれなりの対応をしておりました。

実際、かつて中心だった地方の商店街は、今や殆どゴーストタウン、空き店舗がない商店街など見たことがないくらいだ。そこで打開策として、昔ながらの商店では同じことなので、どこも、若いやる気のある人間を呼んで、新しい感覚の店を開いてもらいたいのだが、昔ながらの商店街は変なプライドやしきたり、それと全体でのまとまりの無さなどが障害となり、結果上手くいかないところが多い。しかも、昔のイメージを持っているので、賃料だけは馬鹿高い。嘗ての基準での立地条件良さなど、今は全く価値を持たないことを認識できないのだ(これもある種のプライド)。基本的に行政主導も上手くいかない。コンサルタント(大体行政が頼んでいる)が計画したものは机上の空論的ものが殆どで、その地の文化を考慮していないので、上手くいくはずもないのである。

で、T君のところだが、確かに他の商店街と違い店が埋まっているのだが、見るからに活気があるほど活気があるわけではない。相対的には今の状態でも良い方だという程度である。唯、おかみさん会という女性組織が活発と言うのが効いているのは確かだ。おやじ共ではこうはならなかっただろう。

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洋ナシ 紅玉

2011年10月19日 | 食べ物

 

くしゃみ連発、鼻水ずるずるは、風邪と言うよりはアレルギーの症状のようだ。目も痒くなるしで、全ての症状が合致している。アレルゲンは特定出来ないが、まずそういうことだろう。この程度の症状だと、医者に行くほどではないし、まあこれ以上悪化しないことを望むだけである。不思議に思うのは、水のように流れ落ちる鼻水は、一体何処から湧いてくるのかということである。

この前、近所の果樹園のおじさんから大量の洋ナシをもらった。出荷しても市場が嫌がるので捨てるだけなのでいるならやるよ、ということであった。普通の梨より洋ナシの方が高級であると思ったが、どうやら田舎ではちょっと様子が違い、あまり需要がないのかもしれない。同じことがりんごの紅玉についても言える。都会だとブランド化して、お菓子用のりんごは紅玉に限る様なことになっているが、田舎ではこれもそれほどブランド化はしていない。実際紅玉は、酸味と香りは強く調理すると味が濃くなるが、酸味が強すぎると感じる人もいるだろうし絶対的に美味いというものでもない(基本的に絶対はありえないが)。それと、田舎ではりんごは生食が主流なので、紅玉の食感はあまり好まれないので需要も少ないと思われる。

で、貰った洋ナシはどうしたかというと、生で食べるのが一番美味いと思われるが、食べごろが結構難しく、熟したと思ったら行き過ぎだったり、部分的に熟してない所があったりといろいろなので、一括してコンポートにして無駄のないように処理した。手元に白ワインがなかったので、T君から余りの白ワインを貰って作ったが、コンポートと言うのは簡単である程度保存も利き良い調理法であることを実感した。

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嫌いな表現

2011年10月18日 | Weblog

 

良く使われる言葉の中で、どうしても好きになれないものがいくつかある。何故そうなるのかは自分でも良く分からない。しかし、嫌いなものは嫌いである。まず思いつくのは「半端ではない」というのを二文字省いた「半端ない」という言い方。最初に聞いたときから何となく厭な感じを受けたのだ。基本的に端折る言い方が好きではないというのもあるし(例、吉祥寺をジョージ)、語感かもしれないし、タレントが頻繁に使うから厭なのか、はっきりとした理由は判らない。

次は「空気感」という言い方。これに関しては理由がはっきりしている。雰囲気という表現で十分なのに、わざわざ使う所に何となく使う方の、気の利いた表現を使ってるぞという気配が感じられる。つまり、こんなところで何格好つけてるのだと思ってしまうのだ。個人的には、こういう表現を使いたがる人間は信用しない(偏見だろうが)。

そしてもう一つは、言葉そのものではなく、表現の仕方。これも最近良く目に付く。語尾に「かな?」と半疑問形のようにつける言い方だ。例えば、サッカーで感想を綴るときの表現。「ドルトムントの香川、好調時に較べるとトラップの微妙なタッチがちがうかな、と思った」。この場合「ドルトムントの香川、好調時に較べるとトラップの微妙なタッチが違うように思った」で良いのに、「かな」を使うことによって、断定するのを留保するという姿勢が見て取れる。と同時に、余裕があるようにも見えるという、都合の良い表現でもある。ブログの内容なんて、その本人の思ったことを書いてるのだからその通りに書けばいいのに、何かを恐れて半疑問形にするのかどうか。

 

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秋日和

2011年10月17日 | Weblog

 

朝から運動会の準備に借り出される(その後ずっと裏方仕事)。明け方まで雨が降っていたので、まずグラウンドの水の処理。ちりとりで水溜りの水を救い上げるという、原始的な方法でこつこつとまるで砂金探しのような作業が続く。どうにか作業が終了した頃、太陽も顔を出し、一気に快晴。もうちょっとずれてくれたら、余計な作業もなく済んだのに。秋にしては暑いくらいの中、グラウンドの端に残された水溜りに、アキアカネの連結カップルが盛んに産卵していた。久しぶりに見る長閑な秋の光景だ。しかし、この水溜りでは卵が孵ることはない。むなしい行為なのだが、これも自然の中の普通の営み。トンボは、ほんの僅かな可能性にもかける。その中の一つがこの水溜りだったのだ。

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アカネ三昧 余話 コフキアカネ

2011年10月15日 | 生き物 自然

 

そしてツメレンゲには欠かせない「クロツバメシジミ」もまだ活動中。しかし、草臥れた固体が多い。

アカネ類は草の上で休んでるものが多い。

アキアカネ。

ナツアカネ

ミヤマアカネ

ミヤマつながりでミヤマシジミも。これはメス。

そしてこっちがオス。

ミヤマシジミはまだまだ美品揃い。それにしてもこの時期、これだけ秋の昆虫が活発なのは、ここの河原ぐらいではないか、と思うほどだった。何だかんだで、年三回ほどは来ている。そして最後の最後に新種発見か!命名「コフキアカネ」。

と思ったら、黴が付いてるだけだった。残念!その代わりと言ってはナンだが、オマケに変則的「Gタイプ」を。

 

終わり

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