ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

イエローサブマリン

2007年06月30日 | 映画


韓国特集(個人的な)は終わったが、レンタルビデオ屋
(これからはレンタルDVD屋がより正確か)で「イエ
ローサブマリン」のDVDがあったので、久しぶりに見
たくなって借りてしまった。
何を隠そう(隠してるつもりは無いが)、カラオケで歌
える歌は「ビートルズ」ぐらいしかないというくらい、
ビートルズの歌はほぼ歌える(つもり)というか、他の
もので歌えるものが無いという極端に偏った「持ち歌」
の持ち主なのだ。
基本的に、カラオケは好きではないので行くことも殆ど
無いが(行ったのは過去計5回くらい)。
関係ないが、今盛んに「ソフトバンク」のCMでかかっ
ている「キャメロン.ディアス」のバックミュージック、
オリビア.ニュートン.ジョン(改めて区切りはこれで
良いのか)の「ザナドゥー」が耳から離れない。

さて、「イエローサブマリン」だ。
音楽的には「サージャントペパー」の頃の一気に充実して
きたビートルズを楽しめる「アニメ」となっているのだ
が、それにも増して「アニメ」としての充実度が凄い。
1969年製の古さは全く無い。
「モンティパイソン」を見ても感じるのだが、イギリス
のアニメはどこか芸術的だ。
独特なイギリス的なセンスがある。
「ピーター.グリーナウェイ」の映画にも通じる、一
歩間違うと「グロ」、それがえも言われぬ味のようなも
になっている。
尤も、「グリーナウェイ」に関しては一歩どころか二
歩踏み出しているかも知れないが。

「イエローサブマリン」にも直接的なグロ味は見られな
いが、その匂いはある。
全体は「ポップ」で、「サイケ」。
「ルシー.イン.ザ.スカイ.ウィズ.ダイアモンド」
(長い)の頭文字で「LSD」だ、などと実しやかに
囁かれた時代が懐かしい。
今なら「ベック」あたりがくいつきそうな世界だ。
というより、実際もろ影響されているのではないか。
「サイケ」は、確かに時代を感じる表現様式だが、全
体の一つの要素としての「サイケ」なので映画が古臭
くなるわけではない。
それより「カンディンスキー」などの絵画、或いは「ウォ
ーホル」を連想するような部分がより強く、それらが
全体の魅力を構成している。
改めてもう一度言うが、「イエローサブマリン」はか
なり良い。


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儀式

2007年06月29日 | Weblog


先日、伊勢神宮の「式年遷宮祭」のビデオを見る機会
があった。
最初70分とか言われ「勘弁してよ」と思ったが、見
始めるとそれなりに興味深く、ついつい真面目に見て
しまった。
尤も、30分程したところで、DVDプレーヤーの調
子がおかしくなってきて、結局「今だ」と思って退散
したのだが。

何が興味深かかったかと言うと、その儀式の尤もらし
さとかそういうものではなく、儀式を執り行うための
道具とか、付随する建築などに関してだ。
その前に、それらの儀式を見て改めて感じたことを。
決まりきった儀式は何のためにやるかと言うと、儀式
そのものをするためだ。
つまり、何のための儀式ではなく、儀式のための儀式
であるのだ。
意味の存在をあるかのように臭わすことが重要なので、
儀式という具体的で視覚的なものを作り、関わる人に
分かり易く知らしめる。
人間というのは単純なもので、例えば「厳かな」とか
言われるとそういうものかと思い、そこに具体的な儀
式が加わると(尤もらしければ尤もらしいほど良い)、
身体的にも精神的にもそういう気分にさせられる。
その先の意味を考えるなどという行為を無化する効果
がある。
つまり、思考の放棄。
その結果、身も心も洗われるという不思議な感覚を持
つことが出来る。
そうやって考えると、儀式は、一種の魔術かもしれな
い。

で、興味深かったことについてだが、それらの道具と
か建築物が、日本の伝統的な美術として神道と共に発
展したことだ。
独特な儀式のための道具類、それを作る職人、宮大工
に代表される技術者は、それなくして存在しなかった
わけだから、「神道」そのものは良く知らないが、日
本の文化のある部分を創ったと言う意味で、非常に重
要であったと思われる。
そういう技術は、絶やさないようにしなくては、と思
うが、神道的な部分が強くなると、どうしても「輝け
る日本」などというある種の幻想が持ち出され、ナショ
ナリズムに直結する傾向があるので、そうなったらこ
れまたコントロールが難しくなる。
いつでも暴走するから。
技術は技術で伝承、そう行けば一番良いのだが。
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タリアテッレ

2007年06月28日 | 食べ物


たまには外でパスタでもと思い「フォルマッジョ」へ
行く。
店の前には様々なハーブが咲き誇っていて、ちょっとし
たハーブ園といった様相だ。
よく知らない一つをつまんでみると、どこかで嗅いた事
のある芳香が漂い(何かは特定できない)、確かにハー
ブであることが確認できた。
店に入るといつものジャズではなく「エリッククラプト
ン」がかかっていた。
早速、ACミランのユニフォームを着ているシェフに「今
日は珍しくクラプトンですか」と聞く。
「ええ、本当はこの辺が好きなんですよ」とシェフは答
えた。
「ジャズじゃなくて?」と再び聞くと「ジャズはジャズ
で好きなんですが」と言う。
どうやらクラプトンは、シェフの「青春の音楽」のようだ。

では、と黒板書きのメニューを見る。
いつもなら、ナポリスタイルのPizza(マルゲリータ)を
頼むところだが、今日はパスタ(厳密に言えばpizzaも
パスタの一種だが)を食べたい。
「魚介と生のりの<ウコン入りタリアテッレ>」がメ
ニューの中で一際輝いている。
躊躇無くそれを選択。
あとは、各種オリーブの盛り合わせを。
それと「お腹に優しいハーブティー」というハーブティ
ーも。
さて「ウコン入りタリアテッレ」だが、ウコンの黄色
が鮮やかだ。
誰が見ても入ってると思う、が味ははっきり言ってウ
コンとは判らない。
しかし、今日のは、しょっぱすぎることも無く(濃い
味がここの傾向なので)、海老イクラ(生のたたき状)
などの魚介類が生のり入りクリーム系のソースと調和
し、麺との絡みの良いバランスが取れた、ちょっと濃
厚ではあるが美味いものだった。
クリームと言っても、生クリームびしょびしょではな
く、生のりがまるでハーブのようなグリーンのソース
になっている。
口直しを兼ね、各種オリーブをつまみ、「お腹に優し
いハーブティー」を飲む。
いつものようにお湯を足し、二杯分を。
エリッククラプトンはいつしかイーグルスに変わって
いた。
この辺の、ある年代の音楽的嗜好は良く分かる。
「プログレッシブ」派ではあるが、耳にはしたから。

その後、足を伸ばし山梨の長坂というところの、「オオ
ムラサキの里」という渓流沿いの森に、オオムラサキ
(国蝶)を見に行く。
しかし、時期的に早く、まだ発生してないようだった。
トンボは「ミヤマカワトンボ」とか「ダビドサナエ」
「ヒメクロサナエ」(後で確認して多分)とかいろい
ろいて最盛期か、と思わせたが。
それにしても、蒸し暑い。
距離にしたら、往復3キロほどのものだが、なんだか
えらく疲れてしまいました。
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麦の穂を揺らす風

2007年06月26日 | 映画


韓国映画特集(しつこいが)のついでに借りたのが、
これと、もう一つは「エコール」という映画。
「エコール」に関しては、特別な感想も無いのでこの
「麦の穂を揺らす風」について。
監督はケン.ローチ。
名監督として一部の間では知られている。
取り上げる題材が、貧しい労働者などで、どうしても
印象としては「社会派リアリズム」的なものとなり、
それ以上のものを感じることが出来なく、あまり面白
いと思ったことは無い。
要するに、好きな監督ではないのだ。

で、今回の「麦の穂を揺らす風」は、アイルランドが
舞台。
イギリスに支配されているアイルランド、そのアイル
ランド人の独立運動が話の中心。
「シンフェイン党」などという、IRAで馴染みの名
前も出てきて、アイルランドの歴史というものが自然
と分かるようになっている。
時代は、1920年頃。
IRAとの和平が合意されたのは、最近のことだから、
当時からずっと同じようなことが繰り返されていたこ
とになる。
こんな事実はなかなか知ることは出来ない。
映画によって歴史的な事実を知るというのは、映画の
効能であるのだが、それがそのまま映画の可能性であ
るかというのは、人それぞれの受け取り方だからまた
別問題。
それに、そこに描かれているのが事実かどうかは、こ
れもまた判らないことなのだから、なんでもかんでも
鵜呑みにすることは問題だ。
常に、相対化する視点を持たないといけない、なんて
ね。

しかし、この映画はアイルランドを扱っているのだが、
それをそのままイラクに当てはめても、何の違和感も
無いことに気付く。
イギリス軍がいなくなっての国内の内戦に発展する過
程など、今のイラクそのままだ。
愛国者同士の方法論の違いというのは、結局最後に武
力衝突という形に変わる。
どちらも愛国的行為で、どちらにもそれなりの言い分
がある。
国が分裂するメカニズムは常に同じように働くという
わけだ。
その一番の原因は、愛の強さだろう。
強さゆえの思いこみというのは、悲劇を生み続ける。
なんてことも、この映画を見ると強く感じるし、それ
が押し付けがましくない。
しつこいと思う描写もないし、良質な映画特有なもの
を感じる。
つまり、ケン.ローチの映画の中では一番良かったの
だ。

今回の映画特集は、結果的に一つもしょぼいのに当た
らなかった。
調子に乗って、半額セールの最終日に間に合わせよう
と一週間レンタルを4日で切り上げ返しに行った。
ところがよく確認してみると、最終日は昨日であった。
オーマイガー。
せこいこと考えてると、こういうことになるのだ。


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カモミール

2007年06月25日 | 食べ物


畑で取った「カモミール」は、順調に毎日消費してい
る。
一回目は完全に生の状態だった。
二回目は半生。
しかし、今の時期この状態で保存すると腐ってくるの
ではないかと思い、完全に乾燥させることにした。
工程としてはちょっと違うような気もするが、まあそ
こは柔軟に。
と言っても、保存している菓子箱(よく見ると豆大福
の<瑞穂>のものだった)の蓋を開けて、風通しの良
いところにおいとくだけのことだ。
二日ばかりして確認すると、完全に乾燥していた。
それからは乾燥した「カモミール」で飲んでいる。
効能としては沈静効果だったか。
そのへんのことはよく知らないが、夜に飲むには良さ
そうな名前だし、香りも何となくそう感じさせる。
ミントほど強くないし、しかしカモミールならではの
個性はあるしで、結果お気に入りとなっている。

出所が明らかということは、それだけで精神的に安定
させる効果がある。
「カモミール」も場合は家の無農薬畑。
それで思い出すのは「ミンチ牛肉偽装」問題。
表示に牛肉とあれば、安心して「牛肉コロッケ」とし
て美味しく食べられる。
しかし、一度それが違うとなると、たとえ全く同じ味
でも美味しくなくなる。
いかにその情報が重要かという事だ。
食べ物の味の多くの部分が、「情報」によって決定さ
れている、という事実がよく判る出来事だった。
豚肉に血を混ぜる、聞くとおぞましいが、フランスの
「ブーダン」なんて血そのもののソーセージで、しか
も結構美味い。
だから、最初から「血入りコロッケ」と謳えば良いの
だ。
絶対売れないと思うが。

基本的には、正確な表示があると言う前提で食べるの
で、やはりここはまずいのだが、世の中にはそんな例
五万とあるのではないか。
「誰も判りゃあしないよ」という考えは、かなり普遍
的だ。
これも一種の「悪魔の囁き」だろう。
無農薬有機栽培だって、かなり怪しいのではないか。
誰も確認できないのだから。
当地でも似たような例はある。
無農薬は謳ってないが、地元で取れた野菜を謳ってい
て、一見有機栽培野菜であるかのようなイメージを演
出している。
しかし、これはイメージなので客が勝手にそう思うと
いう販売側の勝ち。
問題なのは、輸入ものをその中に混ぜていると言う事
実だ。
よくよく見てみると判るのだが、一旦そういうイメー
ジを持った客はそんなことは一々確認しない。
それを狙っているのだろうが、そういう販売姿勢って
どうなんだ、と思う。
「高原野菜」にしたって、いかにも健康的な感じに見
えるが、実際は相当な農薬まみれでもあるし、イメー
ジだけが一人歩きしている。
中国産だけがという問題ではないのだ。
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グエムル

2007年06月24日 | 映画


韓国映画シリーズ、最後は「グエムル-漢江の怪物」と
いう怪獣映画。
これも公開時結構話題になった。
高評価の印象があったが、正直怪獣物で?という疑問
を持ったのは事実だ。
とりあえず、そんな先入観を持って見ることとなった。

漢江という川に化学薬品が大量に廃棄される。
つまり、この薬品によって魚と蛙の合体したような怪
物が突然変異的に生まれるのだ。
始まりは「ゴジラ」だ。
核廃棄物によって生み出される公害の象徴「ゴジラ」。
あちらは社会派的要素が強かったが、「グエムル」は
怪物誕生のカニズムとして引用しているだけだった。
その証拠に、その後一切そのことには触れない。
基本的には、怪獣にさらわれた娘を助ける駄目親父の
物語である。
家族再生の物語と言っても良い。
テレビで宣伝している時は、怪獣の姿がテレビゲーム
の怪獣のように見えたが(つまりちょっとちゃち)、
実際はなかなか良く出来ていて、「エイリアン」とロバ
ート.ロドリゲスの「パラサイト」に出てくる怪獣を
たしたような、気持ち悪さが充分表現された良い造形
だ。
CGによる動きも悪くないし、多分日本のその手の映
画よりレベルが高いし、ハリウッド製にも負けてない。
海外で評判だったのも素直に頷ける。
今日も同じことを言うが、娯楽作品として出来が良い
のだ。

あと、韓国社会に対する皮肉も効いて、結構笑える場
面が多く、「愛国的な視点」とステレオタイプで捉え
がちな韓国人の国に対する見方を覆される。
相対化している監督の視点を感じる。
単純なヒーローでなく、ダメ親父というのも良い。
見るからに冴えない主人公に、知らず知らずに同調し
ていく自分に気付く、かも。
最後に娘を助けてハッピーエンド、となるのが常道な
のだが、そうしなかったのも偉い、と思ったが、ハリ
ウッド映画だったらこれは許せないことだろうなあ。

と、今回の韓国映画特集(自分だけの)も無事に終わっ
たわけだが、改めて、韓国映画のレベルは上がってる
と実感した。
その点日本映画は、と普通だったらつなげるところだ
が、それほど最近の日本映画を見ているわけではない
ので(というより殆ど見てない)何とも言えない。
それに、一括りで、「韓国映画」「日本映画」と言わ
ない方が良いのかもしれない。
どっちもしょうも無い映画の方が多いし、結局は監督
個人のセンスの問題であるわけだから。


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トンマッコル

2007年06月23日 | 映画


韓国映画特集(自分の中では)ということで、「トンマッ
コルへようこそ」という映画も見た。
朝鮮戦争時の話で、逃げ延びた北朝鮮軍の軍人3人と、
脱走した韓国兵2人、そして不時着した米軍パイロット
1人が、偶然山の中の周囲とは隔絶した村「トンマッコ
ル」に辿りつき、始めは反目していた兵士が、無垢な村
人と接していくうちに徐々に融和して、最後には村人に
同化しいつしか戦争も忘れる、しかし...という一種
のファンタジーのような話だ。
平和な理想郷「トンマッコル」。
外と隔絶しているうちは平和が保たれるが、交流が始ま
るとそれまでの調和は崩れ、様々な問題が顕在化する。

今現在もこれに近い世界があることを思い出した。
「アーミッシュ」だ。
鎖国的なルールを持たないと自分達の調和した世界を
保てないというのは、一つの真理なのだろう。
グローバル化とは対極の世界。
現実にはこんな村ありえないのだが、願望としては常
に存在し続ける。
だからこの手の映画は、確実に人の心を引き付ける。
朝鮮戦争時というのも、ひょっとしたらあの頃本当に
こんな村あったのではないかという気持ちにさせる、
適度に古い時代で効果的。
郷愁を感じるにも適当な時代。
全体としては、娯楽映画としてよく出来ていると思う。
あまり情緒に流されることもないし、韓流ドラマのあ
ざとさも感じない。
最後は悲しい結末だが、暇つぶしに見ても損は無いと
思う。

続いて韓国映画ではないが、もっと娯楽色の強い映画
「ロード.オブ.ウォー」というニコラス.ケイジ主演
の「死の武器商人」を扱ったものを見た。
ちょっと話題になった?デカプリオ主演「ブラッドダ
イアモンド」に近い話かもしれない(見てないので勝
手に想像)。
紛争が飯の種という、武器商人。
必要悪として存在し続ける、などと主人公に語らせ、
見たものをうんざりさせるのもこの映画の意図であろ
うことは、本当の武器商人はアメリカを代表とする武
器製造が産業として根付いている国であるという事実
を提示することからも明らか。
なんだか、説教臭いというか随分まともな主張がある
のが難点だが、スティーブンセガールほどストレート
ではないので、気にならない。
全く期待してなかったが、結構面白い。
娯楽映画としては「ダイハード」よりこちらの方が断
然良い。
お決まりな、超人的活躍、CGを使った派手なアクシ
ョン、よく飽きないものだと感心するが、結局そうい
うものがないと受けないのかと、この「ロード.オブ.
ウォー」が全く話題にならなかった事実を踏まえ、思
うのである。





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キム.ギドグ

2007年06月22日 | 映画


韓国の映画監督「キム.ギドグ」なのだが、結構日本で
も評価が高く人気があるようで、レンタル屋にもその
作品がコーナーとなってるくらいだから、人気振りが
窺えるというものだ。
ということで、殆ど知らない監督なので、二本まとめ
て借りることにした。
ちょうど半額セールだったので、ここぞとばかりに他
のものも入れると全部で五本。
久しぶりの、レンタル三昧といった風情だ。

作品は「サマリア」と「弓」の二本。
以前Gyaoで「魚と..」(詳しい題名は忘れた)を見た
ことがあるのだが、その時は早送りで見たので(つま
り面白くなかった)ちゃんと見るのは今回が初めてと
いって良い。
「サマリア」は高校生売春が題材。
「弓」は少女監禁。
二本ともなんだか奇を衒った話ではないかとやや警戒
したが、結論から言えば、予想通り。
屈折した関係の中に見える純愛。
或いは、純愛を巡るいくつかの物語。
なんて感じで括れそうだ。
なんだか「渡辺淳一」原作の映画であってもおかしく
ないように感じてしまった。
と言っても一本も見たこと無いが。

「弓」は「サマリア」ほど現実感は無く、むしろ幻想
譚として見た方が良さそうだ。
本来なら、少女誘拐、監禁で極刑でお終いの世界だか
ら。
お爺さんと無垢な少女の純愛物語。
それは、少女が大人になる時に終焉を迎える。
抽象化した結婚という儀式がその頂点であるため、そ
の後は死しか残されてない。
お爺さんにとっての永遠のものとするための最後の行
為。
と、いろいろ解釈は出来るのだが、どうしてもその物
語以上のものをこの映画から感じることは出来ない。
「サマリア」は後半は殆んど父親の「復讐譚」。
愛の荒野に乗り出したガンマン、父親。
しかし彼が去った後には更なる荒野が。

結局、世の評判ほど個人的には良いとは思えないのが
「キム.ギドグ」ということになる。
最初の印象の「奇を衒う」というのが、見終わった後
でも変わらないのだから。
つまらないとは言わないが、面白くも無い。
まあ、そんなところでした。



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サンクチュアリ

2007年06月21日 | Weblog


家の畑が、今年はちょっとした「バードサンクチュアリ」
化している。
くるみの木周辺は「百舌」の縄張りらしく、きれいな
鳴き声とはいえないが、ひときわ大きく響き渡る。
その「百舌」の鳴き声に、時たま合いの手のように「ア
カゲラ」の鳴き声が割り込む。
この「アカゲラ」は、今年畑で孵ったもののどれかだ
ろう。
などと言うと、いかにも鳥に詳しそうだが、実は全て
兄(畑を実際やっている)からの情報だ。
それにしても、いつにもまして鳥の鳴き声が賑やかだ。
無農薬畑なので、虫が豊富だからではないのか、とい
くつか理由が考えられる。
周辺は住宅で、この畑の部分だけが木や草が豊富で、
しかも山の中腹で、鳥にとっても使い勝手がいいのか
もしれない。

そしてちょうど、「カモミール」が咲いていたので、
「カモミールティー」用に数株もらうことにした。
カモミールは確か今年リクエストしたものだ。
ハーブティーのなかでは、好きなもの一つだ、とか何
とか言って。
ハーブ全般に言えることのようだが、どれも勝手に元
気に生えてくる。
元々プロヴァンス辺りの雑草みたいなものだから、逞
しい生命力を秘めているのだろう。
で、もらった「カモミール」は、花の部分だけを取らな
いといけない。
これが結構面倒と言えば面倒だが、この程度の作業で
完全な「カモミールティー」が飲めるのだから、お安
い御用である。
よく観察すると、蚤より小さい虫がうごめいているの
が判る。
どうせお湯を入れれば死ぬわけだし、出汁もでるかも、
とは考えないがそんなことをいちいち気にしていたら
なにも食べられなくなる。

考えてみれば、生の「カモミール」で実際「カモミー
ルティー」を入れたことは無い。
生の花に直接お湯を入れれば良いのか、多分良いだろ
うということで、花を一つまみ容器に入れ熱湯を注い
だ。
お湯の色が薄い黄褐色に変化したのを確認して飲んで
みた。
それは紛れも無い「カモミールティー」だった。
充分だ。
凝る人は、自分のブレンドとか言って、「ミント」や
「ローズマリー」などを混ぜたりするのだろうが、「カ
モミール」のストレート、これで行くぞ、私は。
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HAMBURGER

2007年06月19日 | 食べ物


昨日、最後に食べた「Mドナルド」のHamburger
がいつだったか忘れたと書いたが、思い出した。
そんなに昔のことではなかったのだ。
色々言ってる割には、「何だかな」という話になるが、
それは3年前のことだった。
言い訳をすると、日本ではなかったのですっかりその
ことを忘れていたのだ。

バリ島の空港の「Mドナルド」。
確か、リコンファームをするために空港までわざわざ
来た時のことだ。
本来なら電話で済むことなのだが、インフラに不安の
あるバリ島では良くあることらしく、その時も電話が
通じず、安宿のお兄ちゃんに言うと、直接空港のオフィ
スに行った方が確実だと言われ、そのお兄ちゃんの車
で来て、あまりにお腹が空いて手続き後にそこによっ
て買ったと言うわけだ。
ついでにおにいちゃん分のハンバーガーも買った。
1万ルピア以上して、いやに高いなと思ったが、日本
円にすれば200円くらいだったか、その時はもう現
地の価格が基準になってたのでそう感じたのだ。
だからハンバーガーをごちしてもらったお兄ちゃんは、
こちらの想像を超えた喜びようだった。
帰りの車中で仲良くハンバーガーをかじった。
向こうのハンバーガーは、微妙に日本のものとは違い、
と言っても日本のものの味はすでに記憶の彼方だった
のでここは想像、どこかしらエスニックな味であった。
つまり、香辛料の使い方がインドネシア寄りになって
いたのではないか。
多分、そういうことだと思う。
味的には、勿論どうというものではないが、こういう
シチュエイションだったまあいいかというものだった。
兎に角、お兄ちゃんの美味そうに食べる姿を見れば、
良かったというものだろう。

最後の「Mドナルドのハンバーガー」としては印象的
なのに、何故忘れていたのか。
これは、パテ、パティと言ったかあの練り物は、何が
入っているか判らない食べ物に関しては、バリ島にも
結構あるので、相対的に「Mドナルドのハンバーガー」
のジャンク度が低くなったからだと考えられる。
つまり、バリ基準では、そのジャンク度は大したことは
無いと。
兎に角、現地の旨味調味料の使い方が半端ではなっ
たから。
特に「ナシゴレン」「ミーゴレン」などの代表的インド
ネシア料理が、いやに旨味が強いのだ。
一口目は美味いと感じるが、徐々に口の奥がざわざわ
してくる。
そしてやたらとのどが渇く。
ラーメンの後と同じ現象だ。
そんな味付けは、何もバリだけではなく、東南アジア
全体の傾向であると思うが、これって「味の...」
の営業努力の賜物なのか。
何とも複雑な状況があちこちで進展していることにな
るが、味覚の低下に日本もお手伝い、というのは「不
都合な真実」になるのかな。
コメント

ハンバーガー

2007年06月19日 | 食べ物


ジャンクフードの筆頭に挙げあられる「ハンバーガー」、
「Mドナルド」のものは流石に食べたいと思うことは
無いが、「Mバーガー」のものはたまに食べる。
20代の頃は「Mドナルド」も何回か食べた。
決して美味しいと思ったことは無いが、若さゆえそれ
なりに食べられた。
最後に食べたのがいつかはもう思い出せない。
確か、「これって人間の食べ物か」と思ったことだけ
は覚えている。

初めてパリに行った時、第一号店ができたとかできな
いとか言ってた頃で、フランスでMドナルドは受け入
れられないだろうというもっぱらの噂だった。
ところが今は、フランス全国に支店がある。
フランスよお前もか、と少々残念な思いを持っている。
Mドナルド恐るべしなのだが、それに危機感を持った
フランスの料理人は、伝統的フランス料理を見直そう
という運動を始めた。
ちゃんとした料理を食べて、自国の文化を再認識する、
その重要性を感じたわけだ。
つまり「食育」ということだ。
イタリアのスローライフなどもこの流れに連動してい
るのだろう。
そして、日本にも波及。
食ナショナリズムの誕生といった側面も無いわけでは
ないが、文化的に豊かになるということはどういうこ
となのか考え直す契機になることは間違いない。
単純に、なんであんな不味いものを美味しいと言って
食べられるのか、その背景、味覚文化を考えるとやは
り今のままで良いのかという疑問は持たざるを得ない。
その象徴がMドナルドなのだ。

そのMドナルド、この前テレビで見たのだが、出すの
が十秒遅くなると売り上げの何パーセントかが減るら
しい。
そうならないために、動きの効率性を考える。
改善すべきところを改善し、更なる利益を追求する。
企業としての正しい姿だろうが、そもそもそこまでし
て出すべき食べ物か、というか個人的には出してくれ
ないほうが良いという食べ物なので、ビジネスとして
見れば颯爽とした風景なのだが、どうしても文化的な
視点で見て「違う」と感じてしまう。
結局、経済至上主義という今の世の中の最優先の思想
に対しての違和感なのだろうと思う、それは。
本当にこのままで良いのか。
コメント

距離感

2007年06月18日 | Weblog

昨日の「ソフト」の続きになるが、今ひとつ納得でき
ないのが、ここに来ての加速度的な劣化だ。
年々下手になっているという事実はもう否定はできな
いのだが、それは主に年のせいだということも分かる。
これは一般的な現象だろう。
身体が追いつかないと言うのは、運動会の光景として、
一つのエンターテインメントになっている。
かけっこで激しく転ぶお父さんの姿は、子供達の一生
懸命な姿よりも人を喜ばせ、しかも哀愁を感じさせる
光景である。
そんな一般的な現象としての衰えは仕方ないことだが、
感覚の衰えが納得できないのだ。

つまり、ボールとの距離感、どのくらいのスピードで
どのくらい離れているのか、そういうものを察知する
感覚が何故これほど急速に衰えてしまったのか。
野球の場合はまだ仕方が無いが、ソフトに関してはそ
の絶対スピードは大したこと無い(草ソフトであるか
ら)、それなのになのだ。
そうやって考えると、ぶっつけ本番という条件は常に
同じで何が違っているかと言うと、球に普段から親し
んでいるかいないかではないかということだった。
自分の場合、テニスを止めてから加速度的に駄目になっ
てきたようだ。
劣化し始めた時期と一致するのだ、それが。

止めたのが4年ほど前。
それまではコンスタントに、週一ではあるが続けてい
た。
そのテニスも、ダブルスよりはシングルス志向だった
ので、激しく動き回る。
しかもスピード重視、テクニックは二の次テニスで、
身体に対する負荷は相当なものだった。
10回に1回くらい決まるスーパーショットのために
やっていたと言っても過言ではない。
そのお陰で大分腰にきたが。
後は、至近距離でのボレー合戦が得意であったりと、
今から考えると球のスピード感と言うものを常に養っ
ていたことになる。
スピードそのものも、テニスボールの方が遥かにある
し、そんな日頃の運動が草ソフトにも生きていたのか
と思うと、テニスも止めなければ良かった。
とは思っていないが、球技に関しては常日頃の訓練が
いかに重要であることが分かった。
しかしこの先、そのためにやることは多分ないだろう。
コメント

球技

2007年06月17日 | Weblog


一年に一度、「野球」「ソフト」をやる機会がある。
所謂、町内会の大会に駆り出されるというやつで、本
当にその時だけの、殆ど義務のような大会だ。
だから、完全にぶっつけ本番の世界だ。
今でこそ、野球は全く興味の無い対象だが、恥ずかし
ながら嘗ては結構好きで、一時など「草野球」に燃え
ていた時期さえある。
ただ、ピッチャーの投球練習をやりすぎ、本番前に肩
を壊すと言うおまけつきで、結局それ以来、全力投球
出来なくなり、今でも、なんで「草野球」如きで肩を
壊すかと、後悔してもしきれない出来事となっている。

今年は、とうとう野球は棄権で(人数が足らない)、
「ソフト」だけとなり、いつものように参加してきた。
が、はっきり言って、年々下手になってきて、やった
後の爽快感が全く味わえない、何のためのスポーツか
と言った感じが強くなるばかりで、なんとも面白くな
い球技大会となりつつある。
今回はレフトを守ったのだが、以前だったら普通に取
れるようなフライが、普通ではなくなって来て、追い
ついているのにグラブに収まらないというなんとも情
けない現実を目の当たりにすることととなった。
準備運動代わりのキャッチボールさえしなかったから
それが原因か、というのは単なるこじ付けで、要する
に感覚がずれてきているということなのだ。
打つほうは打つほうで、あまりに遅い球にタイミング
が合わず、空振りする始末。
挙句に、フォアボールで出塁と言う、ソフトでフォア
ボールか?といった歯切れの悪い出塁。
結局、ホームに全力疾走して得点して、捕球ミスを帳
消しにしようという必死さまでだしたが、自分の下手
さ加減にはうんざりだ。

やっていて感じるのは、団体競技そのものが自分の体
質に合わないということ。
やはり運動は、自分がしたいときにするという自由さ
がないと。
結局、後味だけが悪く、それを確認しただけの球技大
会であった。
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ブリニ

2007年06月16日 | 食べ物


いつもの蕎麦屋さんに行くと、主人が見覚えのあるカ
レーの箱を差し出す。
どうしたのかと聞くと、取り寄せたということだった。
すっかり気に入ったようだ、主人も。
もうインド料理屋もいらないね、などと言い出す始末
だ。
香辛料のみのカレーは(日本のルーではなく、数種類
の香辛料の粉末が入っているもの)、本来のカレーの
姿を教えてくれる。
しかもこれはネパールで作った「Fair Trade」ものだ
し(一応信用するとして)、少しは現地の人間の手助
けになると思えば、安いものである。
実際、高くも無いのだが。

そして主人は、本業である蕎麦屋の利点を最大限に生
かし、蕎麦粉でナン代わりのものを作ったらしい。
それはガレットではなく、パンケーキに近いもののよ
うだ。
主人は、甚くそれが気に入って、もうナンもいらない
ねなどと言い出す始末だ。
作り方としては、蕎麦粉をこねた物を厚めにのし、そ
れをフライパンで焼くということらしいが、正に蕎麦
粉のパンケーキといった感じだ。
水気が圧倒的に少ないという違いはあるが、果たして
どんなものなのか、こちらとしてはただただ想像する
しかないところが、残念。

しかし考えてみると、これはフランス料理の「ブリニ」
に相当するのではないかと、あとから思い至った。
キャビアなんかに付けられるあれだ、と言っても店で
キャビアを食べたことは無いので、知識でちょっと知っ
たかぶりをしているに過ぎないのだが。
キャビアそのものは、一度カスピ海ものの缶を買った
ことがあり、確か最上級のベルーガだったが、はっき
り言って大して美味しいものでもないという印象を持
ち、その後食べたいと思ったことはない。
つまり、個人的には全然魅力的な食べ物ではないのだ。
そのキャビアには「ブリニ」がつきもので、小さく焼
いたそれにキャビアを乗せて食べたりする(確か)。
それを大きくしたのが、今回主人が食べたものだろう
と勝手に想像したわけだ。

そこで、いっそうの事、蕎麦粉でパンケーキを作って
みたらどうかと考えた。
小麦粉の代わりに蕎麦粉を使い、ベーキングパウダー
もいれ焼くと。
薄く延ばせはそれこそガレットだが、結構いけるので
はないかと思う。
これは是非ともチャレンジしたい。
しかし、普通のパンケーキより蕎麦粉のパンケーキの
方がカレーに合うのか、という根本的な疑問は残る。
まあ、やらなきゃ分からないということだわな。
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シイラ

2007年06月15日 | 生き物 自然


松本の梓川の土手には、こういう環境でのみ生育でき
るという植物が生えている。
「ツメレンゲ」という多肉植物。
昔だったらサボテン栽培の対象にでもなったろうに、
という外見の植物だ。
自生している場所は、環境の変化とともに、どんどん
局地的になってきていて、その数少ない自生地が梓川
周辺ということで、それでは観察に行こうということ
になったのだ。
というと、いかにも植物に興味があるように見えるが、
実は興味があるのはその「ツメレンゲ」ではなく、そ
れを食草としている「クロツバメシジミ」というシジ
ミチョウの方で、なにしろこの「クロツバメシジミ」
というのは「ツメレンゲ」がなければ生きていけない
わけなので、「ツメレンゲ」と歩調を合わせるように
数が少なくなってきているということなのだ。

初めて「梓川」の土手を歩くが、結構川幅があり河原
も広い、で改めてこういう環境の植物を見ると、普段
見ている山の植物とは明らかに違うと感じる。
先ほどの「ツメレンゲ」もそうなのだが、どこか官能
的な佇まいなのだ。
南洋的な植物のような雰囲気、と言えば良いか。
同じ地域で、山と川でこれだけの差があるのか、とや
や驚きを持って見た。
石がごろごろしているような大きな川というのが、独
特な環境を作る要素なのか。
つまり日差しの強さ、紫外線の強さが周りとは明らか
に違うわけだから。
そういえば「ウチワサボテン」まで生えていた。
「カダケス」か。
「カダケス」というのは、地中海に面したスペインの
小さな町で(フランスに近い)、ダリの生地でもある
が、その海岸に「ウチワサボテン」がびっしり生えて
いた光景を思いだしたのだ。
梓川ではまさか自生はしないと思うが、誰かが植えた
のが増えたのだろうか。
まあ、どちらにしろ居ながらにして異国情緒を味わえ
るところがあると言うのは、なかなか面白い。
自然の状態であるというのが、いい。

一番の目的の「クロツバメシジミ」は、結局固体は発
見できなかったが(兎に角風が強くて)、食草の「ツメ
レンゲ」は確認できたのでまた機会を改めてというこ
とにしていつもの「オ.クリヨー.ド.ヴァン」に昼飯を
食べに行く。
ランチの魚は「シイラ」だった。
以前一回ほど食べたことがある。
今の時期が一応旬らしい、が、身そのものは淡白とい
うかぱさぱさで、脂のない鰤と言った感じの肉質で、
決して旨いと言う魚ではない。
しかし、付け合せのラタトゥイユ風野菜と食べれば
それなりに美味しい。
テラスで風に吹かれながら、この前買ったカフカの「変
身」を読みコーヒーをすする。
その目の前を幼稚園児の集団が通り過ぎていく。
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