ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

蕎麦

2006年09月30日 | 食べ物


信州は、一応蕎麦の本場と言うことになっている。
実際蕎麦屋の数も多いし、幹線沿いに軒を並べてると
ころもあり、ちょっとした蕎麦街道となっているとこ
ろもある。
くる人も、気分はすでに蕎麦モードになっているので、
これが本場の味か、と満足する。
中には、期待はずれと感じる人もいるだろうが、概ね
納得する(のかな?)。

しかし、それらの蕎麦屋が、実際県内産の蕎麦粉を使
ってるかとなると、かなりの確立で怪しい。
県内産の総量と、全体で使ってる総量は大きく違う。
この辺は、イベリコ豚の生産量と使用量の違い、と同
じ事情かもしれない。
まあ、県内産、国内産を謳ってなければ問題ないので、
後は食べる方が勝手にそう思ってるだけ、ということ
になる。
それで結果的に満足しているのなら、それはそれで問
題なしだ。

しかし、実際のところ、味的にはどうなのか。
一般的に、見た目が本場感を醸し出しているというこ
とはある。
つまり、色。
見るからに黒いと、「ああ蕎麦だ」と感じやすい。
しかし、これは単に外皮が多いか少ないかの違いで、
蕎麦粉の割合が多いと言うことではない。
結構、これだけで騙されてるかというか、暗示にかか
ってる人は多いのではないだろうか。

郷土料理としての蕎麦は、元々は蕎麦掻だから、蕎麦
粉も挽きぐるみという黒い蕎麦粉。
つまり、これが原型となり、基本的に田舎の蕎麦は黒
いということになった。
少なくとも、原型は蕎麦粉100パーセントで、蕎麦
の香りが強く、素朴な味のものだ。
これが、そば切りに発展していくのだが、ここに問題
がある。
果たして、蕎麦の本場とは?という。

つづく。

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PIZZA

2006年09月28日 | 食べ物


初めて食べたときから、ずっと好きなものの一つがピザ。
昔は、わざわざピザパイと言っていたが、いつしかピザ
となり、今はピッツァが正解か。
そのピッツァだが、初期に比べるとずいぶん変わって
きた。
始めは、アメリカタイプが主流だったのだが、今はす
っかりイタリアにその座を譲っている。
でも当時、シェーキーズが出来た頃は、喜び勇んで、
いったものだ。
目的は、勿論食べ放題。
死ぬほど食べた。
多分、今食べると、あの味が美味しいとは思えないこ
とは、容易に想像が付く。
しかし、若気の至り。

で、前置きが長くなったが、この辺で唯一本格的なナ
ポリ風ピッツァが食べられる店に行ってきたのだ。
「フォルマッジョ」(イタリア語でチーズ)という店。
何が本格的かというと、使ってる食材が。
生地の粉にしろチーズが、イタリアのそれに(行って
確認したこと無いが多分)限りなく近い、と思う。
生地に関しては、一時やたらと薄くぱりぱりしたもの
がもてはやされたが、はっきり言って、クリスピーな
だけで、味は全然だった。
その点ナポリ風は、もっちりし、生地そのものの味が
よく分かる。
ピッツァも、粉の味を味わうものだったんだな、と。
だから、チーズもそんなに多くいらない。
飽くまでも、粉(生地)の引き立て役。
やはり基本は「マルゲリータ」。

ここの「マルゲリータ」を食べたとき、やっと本物に
出会えた、と感激したものだが、どうも皆が皆そう感
じてるわけではないことは、あとから分かった。
つまり、生地そのものの味の違いが分からないような
のだ。
チーズ(モッツァレラではない)もたっぷり、変な味
付けの具沢山、ピ○ーラなどの方が旨いと思っている
人のほうが多いと言う事実。
流石だ。
多数派の味覚に基づいた味。
かないませんわ。

そんな状況もあり、この店は静かだ。
今回も、貸しきり状態で、BGMのコルトレーン「バ
ラッド」を聴きながら、トリッパ(牛のハチノス)と
マルゲリータ、そして自家製カモミールを飲み、まっ
たりする。
窓からは、店の畑。
盛んにキタテハが飛んでいる。
微かにフヌイユの香り。
絵に描いたような午後のひと時。

でも、今日の生地はちょっと発酵具合が今ひとつで、も
っちり感が不足。
それと、両方塩気がきつかった。
塩気に関しては、たまにあるので、そういう傾向がある
のかもしれない。
そこだけは気をつけてね、「シェフ」。
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ショートカッツ

2006年09月28日 | 映画


ジョン.アーヴィングに比べると、映画化されたのが
少ないレイモンド.カーヴァーの、唯一知ってるのが
「ショートカッツ」。
しかも、原作がレイモンド.カーヴァーであることが
分かったのは、見た後のことだった。
それでは何故、この映画に興味があったかというと、
監督がロバート.アルトマンだったから。

前にも書いたが、アルトマンは、個人的に、アメリカ
の中ではいけてる監督の一人として認定している(勿
論勝手に)。
他には、クリント.イーストウッドなど僅かしかいな
い。
で、その「ショートカッツ」なのだが、結果的には他
のアーヴィング原作物のどれよりも面白かった。
まあ、ここが監督の力量と言うことなのだが、「プレ
イヤーズ」「ショートカッツ」と、質の高い映画を立
て続けに作るアルトマンには、正直脱帽だった。

映画は、アルトマン得意の群像劇的、特定の主人公が
いない形で展開していく。
何人かの日常を、並行的に描いていく。
時に交錯しながら。
そして、それぞれが抱えている問題、病巣が、徐々に
顕在化して、最後にエイズの暗喩のような病原菌が、
皆に平等に降り注ぐ。
まるで、何かを暗示するかのごとく。
と、大まかにまとめれば、こんなところか。
こういう解釈は、それぞれが見たように感じれば良い
わけだから、何もまとめる必要はないし、好きなよう
に解釈すれば良いものだ。
だから、これも、飽くまでも個人的解釈ということ。
基本的に、単一の物語に収斂しないものの方が面白い、
というのが私の見方。

その良い例として思い出したのが、「ショートカッツ」
と同じような構成の「マグノリア」という映画。
トムクルーズなど、スターも出ていた。
しかし、「ショートカッツ」をあざとく分かりやすく
したような映画で、個人的には、アルトマンとは格が
違うな、と思わざる得ないものだった。
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サイダーハウス.ルール

2006年09月26日 | 映画


ジョン.アーヴィング原作の映画では、この「サイダー
ハウス.ルール」が一番普通と言うか、オーソドックス
な話と言うか、見やすいのではないか。
他の「ガープの世界」「ホテル.ニューハンプシャー」
のように、変な人もあまり出てこないし、突拍子の無
い展開もそれほどなく(まあ現実的な範囲)、付いて
いけないということは無いと思う。
それになにより、全体的にはハートウォーミングなお
話となっている。
勿論、部分的にはアーヴィング的なものはある。
一歩間違えれば、深刻な、近親相姦による殺人とか不
正医療とか。
しかし、全体では飽くまでもハートウォーミング。

これは、この作品を撮った監督の資質も関係あるかも
しれない。
ラッセ.ハルストレム(今までハルストルムとばかり
思っていた、どっちにしても覚えにくい名前だ)。
他の作品を見てみるとよく分かる。
少年少女の瑞々しい世界を描いた「マイライフ.アズ.
ア.ドッグ」。
ジョニー.デップの、ジャンゴ.ラインハルトを思わ
せるジプシー役が印象的な「ショコラ」。
後、「ギルバート.グレイプ」なんてものもある。
どれもハートウォーミングな作品ばかりだ。
そして、この「サイダーハウス.ルール」。

主演はトビー.マグワイア。
その後、「スパイダーマン」でブレイク(プチ?)し
た。
共演に、シャーリーズ.セロン(彼女の映画ではこれ
が一番)、マイケル.ケイン(渋い脇役、ジェームズ.
コバーンとどっちが知名度があるか知りたいところ)。
でも、ちょっと地味か。
この辺は、「ハリウッド製スター映画」とは一線を画
す意図があったのかもしれない。
いずれにしろ、秋の夜長にしみじみ見るには最適な、
アーヴィングでは珍しい、ラッセ.ハルストレム:ハー
トウォーミング系映画の代表作ではないだろうか。

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ジョン.アーヴィング

2006年09月25日 | 芸術


昨日、最後に村上春樹のことを書いたが、もう一人彼
が推していた作家がいたことを思い出した。
ジョン.アーヴィング。
そう言えば、小説家志望の男もジョン.アーヴィング
を推していた。
結局、全部村上春樹の受けうりだったんだ、今から考
えると。

本は「熊を放つ」しか読んだことないが、彼の原作の
映画は何本か観た。
結構映画化されているのだ。
知る限りでは、レイモンド.カーヴァーより多いので
はないか(この部分確信無し)。
「ガープの世界」「ホテルニューハンプシャー」「サ
イダーハウスルール」などが、それ。

レイモンド.カーヴァーが、ありふれた日常の中に、
人生の大事なもの発見した作家だとしたら、アーヴィ
ングは、全く逆と言うか、次元が違うと言った方が良
いか、物語の突拍子の無い展開そのものに焦点を当て
た作家だ。
心理描写とか、そういうものより、ドライでブラック
な、悲劇が喜劇であるかのような世界、登場人物も少
々奇妙で、どこか非現実的。
つまり、非現実的なのだが物語的には面白いもの、そ
れがアーヴィングの世界だ。
この点で、レイモンド.カーヴァーとは対照的なので
はないだろうか(飽くまでも物語という視点で捉えて
の比較で、小説としての話ではない)。
だから、映画にもなりやすかったのではないか。

注)
と、もっともらしく比較したが、「大体そんな感じだ」
程度のことなので、細部に突っ込まれても困るので、
ここはさらっと流してもらいたい(一応予防線を)。

実際三つの映画は、どれもそこそこ面白い。
原作の味が生きているのだろう。
テンポがよいというのは、映画の面白さの一要素だか
ら、この点でもアーヴィングは映画的なのだろうと思
う。
それより改めて考えると、村上春樹の小説って、レイ
モンド.カーヴァーとジョン.アーヴィングを足して
二で割ったようなものではないか。
これって、本人にとっては全然嬉しくないことだろう
けど。
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レイモンド.カーヴァー

2006年09月24日 | 芸術


昨日、レイモンド.カーヴァーの「ささやかだけれど、
役に立つもの」を引き合いに出したのだが、何故そう
なったのか。
それは、タイトルが印象的だったから。
他の作品でも、「夜になると鮭は」「僕が電話をかけ
ている場所」など、ちょっとうん?となるようなタイ
トルの小説が多いのだ。
内容は、完全に忘却のかなた(古い表現だ、我ながら)
なのだが、タイトルだけは強く残っているのだ。

今から20年近く前、周りにカーヴァー好きの小説家
志望の男がいた。
当時、こちらは名前さえ知らず、カーヴァーカーヴァー
ってうるさいなと思いつつ、やや気にはなっていた。
そこまで言うなら、ちょっと読んでみようかな、とい
う気になり、借りたのか買ったのかは忘れたが、まず
「僕が電話をかけている場所」から読んでみた。
そしてその後、いくつかを。

当時は、村上春樹が一気に人気化した頃で、確か彼が
強く推してたのがカーヴァーだったような気がする。
実際、翻訳も手がけていたし、村上春樹の大ブームと
歩調を合わせるかのように、レイモンド.カーヴァーの
プチブームがあったのではないか。

で、読んでみての感想なのだが、その辺は本当はっき
りしてない。
そこそこ面白いと思ったことは間違いないのだが、
それっきりなので、それ以上ではなかったのだろう。
そして、その流れで、村上春樹の「ダンス.ダンス.ダ
ンス」なんてものまでも読んでしまった。
これも、その小説家志望が好きな作家だったのだ。
というか、彼も村上春樹経由レイモンド.カーヴァー
だったのだと思う、今から見ると。

結局、個人的には、唯一の村上春樹の小説体験となっ
た。
村上春樹に関しては、ある世代以上の人間には受ける
だろうなという印象を持った。
つまり、ビートルズ世代に。
適度な懐かしさとともに、青春時代の大事なものを取
り戻す勇気を与えてくれる(書いてて恥ずかしくなる)
小説、とかなんとか言えるかもしれない。
どちらにしろ、自分のテイストではありませんでした。
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蒔絵

2006年09月23日 | 芸術


以前、「NHKスペシャル」(なんだかんだ言っても
NHKのドキュメンタリーは質が高い)で、日本の伝
統技術の、道具がなくなっている現状を追うというテ
ーマで、輪島の蒔絵を取り上げていた。

細かい葉を描くために、専用の筆が必要なのだが、そ
れは特殊な毛で出来ている。
川辺に生息する、ある鼠の毛で無くては駄目なの
だ。
その、ある鼠がいなくなってしまったらしい。
環境の変化で。
同じような理由で、輪島塗に関しては、十いくつかの
道具が消えつつある状態らしい。
日本全体では、千いくつかになるということだ。

こういうのこそ、国で何とかすることなんじゃないの
か。
日本独自の伝統的美を守る。
それを支えていたのは、日本の自然。
これこそが「美しい日本」に通じることなんじゃない
の、ねえあべちゃん(またそこか)。

そしたら、昨日、「尾形光琳」の蒔絵を違う番組で紹
介していた。
大胆な構図と抽象化、それに装飾性。
良いですねえ。
クリムトなんか、もろに影響されたのではないか(この
部分、勝手な想像)。
弟の尾形乾山は乾山で(こちらの方が好き)、兄のよ
うなきらびやかなところは無いが、非常に斬新な芸術
性の高い焼き物を作ってる。
それを見ると、北大路魯山人のルーツは乾山であるこ
とがよく理解できる。
才能豊かな人は、この時期いっぱいいたんだね。
しかし、まだ、乾山の本物をあまり見たことが無い。
本物を、み見たい(魂の叫び)。

質の高いものに、日々ささやかな感動を味わいながら
暮らすのと、例えば、「自己完結型感動製造装置」と
してのスポーツで、無理やり感動する(させられる)の
とでは、どちらが豊かか。
「ささやかだけれど、役に立つもの」byレイモンド.カー
ヴァーってとこか、な。

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原子心母3

2006年09月22日 | 音楽


昨日の続き。

「そう言えば、シド.バレットも死んじゃいましたね」
(T君)
「もうずっと死んでたようなもんだから」
(とっくに死んでたと思っていた私)
「その名はバレット:でもかけましょうか」
(T君)
「いいねえ」
(私)

このシド.バレットというのは、ピンクフロイドの創
設メンバーで、才能豊かだったのだが、精神的に問題
があり脱退し、ソロアルバムを数枚出した。
その一つが「その名はバレット」なのだ。
そして、最近死去。

「やっぱ良いねえ」
(バレットも今でも充分良いと思ってる私)
「懐メロとは違うんですよね」
(飽くまでも、その音楽性に魅了されてるT君)
「古くなるのもあればならないものもある、というこ
とだね」
(もっともらしくまとめる私)
「ビートルズみたいなもんですね」
(ビートルズも好きなT君)
「まあ、ビートルズは勿論良いけど、より一般的だか
ら」
(私)
「でも、結構プログレ好きはビートルズ好きなんです
よね」
(T君)
「初期ではなく、中期のビートルズがね」
(私)
「初期が好きな連中って、所謂ロックンロール好きだ
から」
(更に説明する私)
「ロックンロール好きは一生それですもんね」
(差別化しているT君)
「あれだと懐メロ感、でちゃうよね」
(同意している私)

ビートルズの通称「ホワイトアルバム」なんかが好き
な人は、すんなりプログレに移行できた。
別に、移行する必要は無いのだが、音楽性を追求する
と自然にそうなったのだ、当時は。
これも、やはり、その時代の空気ということになるの
かな。
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原子心母2

2006年09月21日 | 音楽


前回、ピンクフロイドの「原子心母」のあの長い曲が、
B面(LPなので、本来は二面と言わなければいけな
い)のと書いたが、これがどうも完全な勘違いだった
ようで、一面の間違いだった。
もう、疑いなくそう思い込んでいた。
最近、思い込んでいた事が、事実と違うと言う例がぼ
ろぼろでてくる。

今回の一件に関しては、多分、キングクリムゾンの
「宮殿」と混同していたと思われる。
あれも、同じような構成で、二面(これは間違いない
...と思う)が殆ど一曲で出来ている。
「ELP」のL、グレック.レイクのボーカルがなか
なか良いアルバムで、「21世紀の精神異常者」「エ
ピタフ」「ムーンチャイルド」など名曲(個人的に認
定)も多い。

要するに、同じ時期に、似たようなアルバムを作るか
ら、こういった混同が起こるのだ。
と、言い訳はここまでにして、場面は知り合いのカフェ。
最近、この形式気に入ってます。

「FMで原子心母全曲やってたよ」
(私)
「えっ、本当ですか」
(年はふた周り近くしたなのだが、音楽的趣味が合うマ
スターのT君)
「しかし、よくだよね」
(私)
「この前ここでかけてたら、お客さんに、変な曲とか
言われちゃいましたよ」
(と言いつつ、原子心母のアルバムを徐にかけようと
するT君)
今時、これをかけるカフェと言うのも珍しいが、客観
的に言って、T君のほうがおかしいのだよ。
「今でも充分良いですよね」
(T君)
「まあ、確かに」
(私)
「今の若い連中って、駄目なんですよね」
(自分の趣味が、その世代には受けないと言う事実が
不満なK君)
「あゆとか何とか言ってる連中じゃあ、しょうがない
よ」
(今時の日本のポップスは、全て同じように見えてしま
う私)

長くなりそうなので、またまたつづく。
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原子心母

2006年09月19日 | 音楽


FMから、聴いたことのあるメロディーが流れてきた。
紛れも無くピンクフロイドの「原子心母」だ。
しかも、30分近くのこの曲を、結局最後まで放送す
るという快挙、というか暴挙。
原題が「Atom Heart Mother」。
つまり、原子心母。
そのまんまの邦題もすごいが、このアルバムは、当時
としては画期的だった。

「プログレッシブロック」の幕開け的なアルバムだっ
たのではないだろうか。
B面が一曲だけで、しかも組曲のような30分近くな
んてことは、考えられなかったのだ。
当然、新しがりのロックファンは飛びつき、アルバム
はヒットした。
しかし、一体このアルバムを買った人のどれほどが、
実際良いと思ったかは、かなり疑わしい。
ポーズが多かったから、あの時代は。

そんな自分も、発売当時はまだビートルズ一辺倒だっ
たので、これが良いとは正直思わなかった。
その後、プログレにどっぷりはまるとは、その時点で
は想像だに出来なかった。
そんなピンクフロイドの「原子心母」と同時期に、も
う一つのプログレの雄、キングクリムゾンの「宮殿」
が発売された。
このアルバムも衝撃的だった。
なんせ、ビートルズの「アビーロード」を売り上げで
抜いたのだから。
これは、ピンクフロイド以上に、何故あれほど売れた
のかが不思議だ。
そういう時代だったのだろうか。

個人的には、長いビートルズ時代の後、一気にプログ
レに行くわけだが、当時は同じプログレでも二派に分
かれていた。
ピンクフロイド派とキングクリムゾン派に。
私は、結局キングクリムゾン派になっていた。
内心では「こちらの方が本格派だ」などと思いつつ、
中古レコード屋を物色していた。
うーん、懐かしい。
いかんいかん、これでは単なる「懐かしオヤジ」の思
いで話ではないか。
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ブログ

2006年09月18日 | Weblog
ブログを始めて、ほぼ四ヶ月。
どこまで続くかと思っていたが、なんとかなるもんだ。

そもそもは、前日、前前日に登場した、ちょっと覚え
の悪い映画好きと蕎麦屋の主人、二人を読者として想
定したものだった。
所謂、内内のピンポイント攻撃。
それが不思議なことに、二人以外誰も知らないはずな
のに、最初からアクセス数が(ブログは日々のアクセ
ス数が分かるようになっている)6とか8ある。
全く知らない人間が、どういう経路か分からないが辿
りついているのだ。
もし、初めのころに偶然たどり着いて、今でも見てい
る人(奇特な)がいたら、本当にありがとうございま
す(たまには謙虚に)。
偶然日記の名誉大賞を差し上げたいと思います。
勿論、今見てる人にもありがとうございます、だ。

で、このアクセス数というのは曲者で、当初はさして
気にしなかったのだが、少しずつでも増えてくるとい
けません。
人間欲が出てくるわけですな。
ちょっと増やそうなどと、いやらしい考えをするよう
になるのです。
所謂受け狙い。
そうやってすべりまくって、地獄の底に落ちていった
ブログは数知れない、かどうかは知らないが、大体の
場合、ブロガー(と言うらしい)の意図とは逆にます
ますつまらなくなって行く、かどうかも知らないが、
個人的にはそうならにように努めたい。
飽くまでも、自然体で(これも問題かもしれないが)。

というわけで、今後ともよろしくお願いします。
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大脱走2

2006年09月17日 | 映画


ジェームズ.コバーンの説明の続きから。

「確か、シャレードにも出ていたよ」
(他の出演作品を考えてたとき、ふと思い出した)
「シャレード....?」
(今ひとつぴんとこない主人)
「死ぬ間際に切手とか言う、あの人」
(相当曖昧で、自分でもなんか適当なことを言ってい
るような気がする)
大体が古すぎる。
しかし、お互いに古い記憶を頼りの問答は続く。
「そう言えば、荒野の七人にも出ていたような」
(と言ったはいいが、すぐさま疑問が、本当に出てい
たっけ)
「荒野の七人....?」
(再びぴんとこない主人)
「いや、出て無かったかも」
(自信が無く、訂正気分の私)
その後確認すると、やはり出ていた。
ナイフ使いの名手だと思ったが、あってる?(だれに
確認してる?)

それにしても「ジェームズ.コバーン」て、そんなに
無名だったのか。
渋めで、軽妙なジェームズ.コバーンは、渋めで、重
厚なリー.マービンと並んで、昔から有名だったはず
だが(家では)。
晩年は、B級アクション映画の悪役とか、そんなもの
が多く、所謂「名作」的なものがなかったのがその理
由か。
うーん、残念。

その後、話はノイシュバンシュタイン城に移り、「ル
ートヴィヒ 神々の黄昏」を見たいと言う主人に、秘
蔵のヴィデオを貸すことで決着した。
この蕎麦屋の主人は、年は自分より一回り近く上なの
だが、新しいことに(自分にとって)関心があり、つ
いつい話が盛り上がってしまうのだ。


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大脱走

2006年09月16日 | 映画


昨日に引き続き、あいまいな記憶を頼りの映画の話。
先日BSで、十何回めかの「大脱走」を放映していた
のだが、その前日に、何故か「大脱走」の話をしてい
たのだ(これは偶然日記にノミネート)。

そこでの会話。
「今まで何回もやってるんだから、分かるだろう?」
(ジェームズ.コバーンの説明をしている私)
「逃げ延びたたうちの一人だから」
(更に説明)
「えーっと」
(映画好きなのだが、今ひとつ覚えの悪いお仲間)
「チャールズ.ブロンソンは分かるだろう?」
(他の逃げ延びた仲間から、更に説明する私)
「ああ、あのマンダムの」
(とぼけた返答をする彼、よく分かってない)
「カフェで、レジスタンスに助けられるあれだよ」
(そろそろ疲れてきた私)
「そう言えば、そんな気がする」
(結局、最後まで分からない)
彼は、翌日「大脱走」を見て確認しただろうか。

場面は変わって、いきつけの蕎麦屋。
ここでもジェームズ.コバーンの話が。
「昨日大脱走やってたけど、見た?」
(蕎麦湯をすすりながら訊く私)
「前に見たから見なかった」
(蕎麦屋の主人)
「ジェームス.コバーン確認できたのに」
(私)
「そう言えばそうか」
(コンバットのときからジェームズ.コバーンが気にな
っている主人)
「折角のチャンスだったのに」
(私)
「他にどんな映画に出てる?」
(他から探ろうとする主人)
「主演は電撃フリントシリーズとか」
(他に有名なものを思いつかない私)
「...。」
(全く分からない主人)
「007のB級番の」
(と言っても分からないなあ、と思っている私)

つづく。
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ラッキーフォーチュン

2006年09月15日 | 映画


最近、ますます内容がしょぼくなってきているギャオ
で、久しぶりにまともな映画を見た。
「魅せられて」。
タイトルは知っていたが、これがベルナルド.ベルトリ
ッチの映画であっったことは、今回知った。
ベルトリッチは、個人的には、寝ちゃう映画監督ベスト
3にはいる監督。
因みに他の二人は、ベルイマンとタルコフスキー。

で、その監督の作品なのでどうかな、と思って見たの
だが、今回は問題なかった。
理由として考えられるのは、舞台がイタリアの長閑な
田舎であることと、場面展開が速い(他の作品に比べ)、
そして、登場人物が多くやや群像劇的になっているこ
となど。
そんなわけで、眠くなることは無かった。
しかし、これは逆に、ベルトリッチファンからすれば、
彼らしい特徴が無いということでもあるので、かえっ
て評価は低くなると思う。
なんせ、イタリアの陽光は明るすぎる。

個人的にもう一つよかったのは、主演のリブ.タイラー
だ。
「エアロスミス」のスティーヴン.タイラーの娘とい
うのが未だに信じられない。
何故あの親から。
アンビリーバボー。
ちょっと顔長が特徴の美形女優だが、有能な監督が使
ってるところを見ると、魅力的な役者なのだろう。
実際、映画の中でも魅力的だった。

で、彼女の主演映画で一番印象的なのが「ラッキーフォ
ーチュン」というロバート.アルトマンが撮った作品
なのだ。
ちょっと頭がとろいフォーチュン(リブ.タイラー)と
いう女性の、ハートウォーミングな内容の、アルトマ
ンの中では佳作にあたるくらいの作品だ。
当然このタイトルは、例のラッキーフォーチュンにかけた
ものと思われるが、ハートウォーミングな部分は正に
それを表している。
具体的に書きたいところだが、細かい部分は忘れてしま
った。
それで、確認してみると重大な事実が判明した。
タイトルが違っていたのだ。
正確には「クッキーフォーチュン」だった。
そう言えばクッキーが重要な小道具として出てきたよ
うな。
それにしても適当だね。
し、失礼しました。

追記
その後の調べで、リブ.タイラーの役名も怪しいとい
うことに。
どうもぐたぐただねえ。
コメント

ヒメゲンゴロウ

2006年09月14日 | 生き物 自然


久しぶりに、知り合いのシェフ(以前取り上げたこと
があるフランス料理屋の)と話した。
話題は、今年の田んぼの状況。
彼は、3年ほど前から田んぼ作りに目覚め、完全無農
薬、有機栽培で米作りを始めた。
その分、ますます本業の方は...だが。
で、今年の出来は?と訊くと、「去年の半分位かな」と
答えた。
その原因は、雑草。
今年の雑草は、半端ではなかったそうだ。
毎日雑草取りに追われ、終わったころには、始めのとこ
ろに雑草が、と振り出しに戻ってふたたび雑草取り、と
こんな感じだったらしい。

無農薬の、一番大変なところがこの雑草取りだ。
去年は、殆ど雑草がなく、独自の方式を確立したなどと
強気なことを言っていたが、一年にして早くも撤回。
彼の分析したところによると、蓮華の種まきが遅かっ
たからということらしい。
遅いゆえに、蓮華の根がしっかり張る前に、他の雑草
に侵略されてしまった、と。
こうやって、試行錯誤の稲作りを毎年繰り返すわけだ。
聞いてるだけで、大変さが伝わってくる。

やはり人間、楽したいから農薬に頼ってしまう。
これは、一方的には責められない。
土が死ぬ、と言ったところで、土が死体になるわけで
もなし(死体になれば腐るからむしろ土には良いが、
そういう問題ではなかった)。
取り敢えず、作る側の意識に頼るしかないのが現状だ。
後、食べる側としては、せっせとより安全な食品を求
めることが重要となる。
まず、スーパーの形ばかり揃った野菜を重宝する、そ
の姿勢を改めることから始めるということか。

で、本日のテーマ「ヒメゲンゴロウ」はどうしたとな
るが、雑草と稗も多かったが、「ヒメゲンゴロウ」も
多かった今年の田んぼ、ということらしい。
他にも「ミズカマキリ」「カブトエビ」(これは昆虫
では無く甲殻類)と、生物にとっては豊かな楽園だっ
たそうだ。
「ミズスマシ」は?と訊くと、どうも「アメンボウ」
と混同しているようで、話が今ひとつ通じない。
思わず、水生昆虫にも興味を持ってよ、と心の中で呟
いたが、知らなくても楽園を作っているのだから、何
の問題も無いのである。
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