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■ CGはここまで進化したのか・・・ ■
打ち合わせの間が空いてしまたので、平日の昼間に映画など見てしまいました。
本当は佐藤健君の『るろうに剣心』を見たかったのですが、時間の関係からハリウッド版『GODZILLA』を見る事に。
世界中でヒットして続編の制作が決まっているのハリウッド版ゴジラ。「凄い」という噂は色々と耳にしますが、はたしてどれだけ凄いのか、ここはハリウッドのお手並み拝見。
結論から言うと、「凄い」です。CGが。
プロモーション映像がアップされているので、下にURLを貼ります。
https://www.youtube.com/watch?v=G1pX97_0rxU
この映像を見るだけでも、「ああ、もう特撮の時代は終わったんだな」と実感します。何とCGで着ぐるみ怪獣の質感を再現している・・・。ハリウッドにおいてCG技術はこれ程までに進歩しているのかと驚愕しました。
ミニチュアセットを一生懸命作って、撮影本番でボコボコに破壊する日本が得意とする特撮技術では、到底、ハリウッド版GODZILLAのCGのレベルには敵わない。
■ 怪獣映画の何たるかを熟知した監督 ■
ハリウッド版ゴジラと言うと、イグアナに似た怪獣が酷評された1988年版を思い出してしまいますが、今回のゴジラは往年のゴジラファンも大満足の出来栄えです。
監督はギャレス・エドワーズという方の様ですが、スターウォーズを見て映画界を志し、ゴジラシリーズの大ファンというだけあって、ゴジラの何たるかを下手な日本人よりも良く理解しています。
ゴジラの魅力を一言で言えば「圧倒的な破壊」です。ライバルのガメラが「良い子の味方」であるのに対して、本来のゴジラは人間などはアリを踏みつぶすがごとく、ただ破壊の限りを尽くします。
確かにゴジラも一得は「良い子のお友達」になった時期もありますが、平成ゴジラシリーズからは、本来の破壊神の姿を取り戻しています。
エドワーズ版のゴジラは敵の怪獣のムトーと一緒になって、とにかく街を壊しまくります。この一点だけ取っても、今回のゴジラが東映東宝版ゴジラの正統な後継者である事は間違いありません。
■ 911と311を経験した世界 ■
『GODZILLA』の映像で特筆すべきは、「倒壊するビル」と「押し寄せる津波」のリアリテーです。911でリアルビル倒壊を目撃し、311で押し寄せる津波の映像が目に焼き付いた現代の映像表現は、それまでの映像とは比較にならない現実感を私達に提示します。
原発の事故シーンなど、明らかに福島原発事故を意識しており、日本人は少し複雑な気持ちを味わうかも知れません。
■ ゴジラというより平成ガメラに影響を受けた『GODZILLA』 ■
エドワーズ監督の作り出す映像は、日本版のゴジラより、平成ガメラシリーズに強くインスパイアされている様です。
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飛翔怪獣ムトーがビルの谷間を飛翔するシーンですが、ビルの窓越しに怪獣がフレームインしてくる手法は樋口真嗣がガメラ3で試みています。
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映像表現のみならず、「ゴジラが地球の生態系を保つ為にムトーと闘っているかもしれない」という設定は平成ガメラシリーズの中心テーマですし、敵怪獣のムトーのデザインもギャオスに大きく影響を受けています。
■ CGの技術は素晴らしいが、映像表現は平成ガメラの渋谷破壊のシーンに遠く及ばない ■
ゴジラよりもむしろ平成ガメラに影響を受けているハリウッド版GODZILLAですが、CG技術こそ素晴らしいものがありますが、総合的な映像表現においてガメラ3の渋谷破壊のシーンには遠く及びません。
https://www.youtube.com/watch?v=DT3n4Z21jaA
日本の特撮映画は、本編撮影チームと特撮(特技)チームの二班体制で制作されますが、本編のドラマがしっかりしているからこそ、特撮が生きるという好例がこの渋谷のシーンです。
要は、怪獣に踏みつけられる人々がしっかり描けていなければ、怪獣の破壊の不条理さが引き立たないのです。
ガメラ3の冒頭において、前2作でも登場した大迫巡査(螢雪次朗)が、夜空にギャオスの姿を目撃します。大迫はギャオスでは無く、ギャオスを追って来たであろうガメラの襲来を予感し怯えます。
はるか上空を飛翔するギャオスに気づく人は皆無で、渋谷の街では普段通り、スカウターが若い女の子に声を掛け、人々が行き交います。ところが、その上空でプラズマ火球がギャオスを捉えます。
突然夜空に現れた火の珠に、人々は空を振り煽ぎます。爆散しながら落下するギャオスは、高度を落すと共に巨大な物体である事が人々にも分かって来ます。そして、渋谷駅の近くに落ちたギャオスは、その落下だけでそこに居た人々の多くの命を一瞬で奪います。
それに続くガメラの降下と着地によって、渋谷の街は普段の光景から一転して地獄絵図と化します。
人々の普通の生活が、突然無造作に奪われる様をこれ程見事に描いたシーンは日本の他の怪獣映画と比べても一線を画するものがあります。
音楽で例えるならば、軽やかな旋律の中に、マイナーな旋律が徐々に混じり始め、そして一気にクレッシェンドする様な演出です。
■ 出来の悪いパニックムービーを見た気分にさせるハリウッド版GODZILLA ■
実は私、映画館で中盤ずっと寝てしまいました。
怪獣が出現して以来、危機、危機、危機、ちょっとほっとしたら、また後ろからブワァーって襲って来る。壊す、壊す、壊す・・・・この連続ですから、脳も刺激に麻痺して、もう怪獣との戦いなのか、睡魔との戦いなのか分からない状態に陥りました。
これ、演出も酷いのですが、とにかく脚本の出来が悪い。一応、オリジナルの設定に敬意を払って芹沢教授なども出て来るのですが、結局、彼は何もしていません。傍観者にすぎないのです。
ゴジラと闘うのは米軍ですが、これもひたすら核弾頭を運んでいるだけ。意味不明。
そして最悪が主人公の感情がほとんど分からない。母を殺し、父の人生を滅茶苦茶にした怪獣に対する恨みがある訳でもなく、とにかくサンフランシスコの家族に会う為に軍に合流しますが、気付ば怪獣討伐の危険な任務に志願している始末。
パニックムービーの傑作と言えば、『タワーリング・インフェルノ』とか『ダイハード』を思い浮かべますが、とにかくヒューマンドラマの出来が良い事が特徴です。
『タワーリング・インフェルノ』ではポール・ニューマンとスティーヴ・マックインという2大スターの演技もさることながら、老詐欺師役のフレッドアステアがとても良い味を出しています。助かった者の切なさを見事に象徴しています。『タワーリング・インフェルノ』はパニックムービーの下地としての群像劇に作りが良く出来ているのです。ビル火災は主役では無く、人々を苛酷な状況に追い込む事で、人間の本質を浮き彫りにする為の装置として機能しています。
『ダイハード』は『タワーリング・インフェルノ』に比べると、ドラマは薄くなていますが、ブルース・ウィルスのキャラクターで全編しっかりと支えられてブレが有りません。1作目のテロリストも魅力的です。
GODZILLAの主役はあくまでも怪獣ですから、ヒューマンドラマなんてどうでもイイと言えばそれまでなのですが、やはり人が出て来る限りはドラマ部分の設定や演出が作品の出来に大きく影響します。
■ 「神性」を失ったGODZILLA ■
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初代ゴジラが放映されたのは1954年でした。戦後10年、東京は復興目覚ましい時期ですが、一方で戦争の記憶は人々の脳裏に生々しく焼き付いていた事でしょう。
円谷栄治と東宝の特撮(特技)スタッフは戦争中は戦意高揚の戦争映画を制作していました。海戦のシーンなどでミニチュア撮影を行っており、その技術がゴジラの撮影に活用されています。ゴジラ映画は戦争映画のバリエーションとして生まれたとも言えます。
広島・長崎を経験し、第五福竜丸事件の渦中にあった日本においては、放射線に汚染された怪獣というのは「穢れ」と「破壊」の象徴だったでしょう。
そして何よりも南方より徐々に日本に迫りくる脅威は、太平洋戦争当時の米軍そのものでした。日本の怪獣は何故か南から現れますが、そのルーツは米軍にあるのです。
南方よりやってきて街を破壊し、東京を火の海にするゴジラは戦争のメタファーであったとも言えます。しかし。ゴジラは日比谷までやって来て、皇居を破壊する事無く海に帰って行きます。これをして、ゴジラは「英霊達の怒りの代弁者」とする人達も居ます。
この様に日本の怪獣達は何かと「神性」を持って語られる事が多い。その最たるものがガメラで、平成ガメラは地球の守護者として、人間が地球を破壊するのならガメラは人間の敵になると作中で語られます。
ハリウッド版GODZILLAも、ゴジラが生態系の守護者であると芹沢教授が指摘していますが、ゴジラは一貫して軍隊が排除する対照として描かれ、誰もゴジラを味方などと認識していません。
ただ、最後、ムトー2体を倒して海に返るゴジラを、アメリカ国民は畏怖の目で見送ります。ここら辺、怪獣は1作目は単純な脅威として描かれる日本映画の伝統に則っているとも言えます。
■ SF映画としては生成ガメラに到底及ばない ■
ハリウッド版GODZILLAは平成ガメラの影響を受けて、「生態系の守護者」という隠れキャラが設定されています。しかしそれは、ムトーと闘う必然性から出て来た設定とも思われ、そこにSF的なスリルは全くありません。
平成ガメラシリーズは古典的な怪獣映画を現代的なテーマで語り直す中心に「地球の守護者」や「生態系の守護者」というテーマを据えており、それを肉付けるSF的魅力にあふれています。
SF的設定の緻密さは、日本のアニメ文化が長年に渡って培って来た伝統で、脚本の伊藤和典の趣味が色濃く反映しているとも言えます。
しかし、難しいSF設定は、GODZILLA映画の「破壊の爽快感」を損なうので、ハリウッド版はむしろ潔くそれを捨て去ったとも言えます。
■ 平成ゴジラシリーズよりは楽しめるのでは? ■
平成ガメラシリーズは別格としても、日本の特撮怪獣映画が袋小路に入り込んでいた事は否定出来ません。
ハリウッドのCG技術を見慣れた観客には、着ぐるみ怪獣が日本各地の名所を壊す映画は通用しなくなっていました。スカイツリーに至っては、あまりに巨大でゴジラが小さく見えてしまいます。ゴジラがスカイツリーによじ登る映像は・・・見たくはありません。
ゴジラはキャラクターとしてアメリカ人にも熱烈なファンが多く、その版権を東宝が死蔵してしまう事は確かに勿体無い。ハリウッドが版権を獲得した事で、CG時代の新しいゴジラが次々と生み出されて行くでしょう。
そして、その進化の行く先には、ノーマン版の『バットマン』や、サムライミ版の『スパイダーマン』の様な完成度を持つ作品も生まれるかも知れません。
その意味において、ハリウッド版『GODZILLA』は、充分満足出来る作品であり、世界的にヒットした事によって、ゴジラは日本とアメリカのカルトヒーローから、世界のスターにのし上がったとも言えます。
劇場で見てこそ楽しめる作品です。