■ ボカロがコブシを回してる・・・ ■
ネットを徘徊していると時々「ハ!」とさせられる物に出会います。
今回はボーカロイド(音声合成・デスクトップミュージック (DTM) )の歌う?こんな曲に引っ掛かってしまいました。
オリジナルは『初音ミク』の歌う曲ですが、こちらは『鏡音レン』というソフトでカバーさせたボカロによるボカロのカバーソング。
初音ミクのバージョンに比べ、鏡音レンは癖が強い歌い回しで、コブシまで回しています。この歌に良く合っています。
■ 日本語の文字の特性を最大に生かしたPVが素晴らしい ■
このPVがオリジナルを越えている所は、ボカロの処理だけでは無く、日本語の特性を最大限に生かしたビジュアルです。
日本語は「表意文字」である「漢字」と、「表音文字」である「仮名」を併用する極めて独特な言語です。
例えば「あなた」と綴る場合、「あなた」と「アナタ」と「貴方」と「貴女」ではニアンスが微妙に違って来ます。当然、それらの表記を発音する時には、声音も微妙に変化します。
こういった「日本語のビジュアル的情報量の多さ」と、「象形文字としてのイメージの自由度」を最大限に発揮しているのが上で紹介したPVです。
ちなみに、日本語表現の面白に着目したミュージックPVは以前にも作られており、「サカナクション」というバンドの『僕は歩く』のPVはメディア芸術祭で賞を受賞しています。
■ プロが面白く無い時代に ■
歌謡曲と言えば、かつては「阿久 悠が作詞して、都倉 俊一が作曲」などというプロの曲が評価されていました。その後、ニューミュージックブームが起こり、シンガーソングライターと言われる人達の自作自演の曲がヒットする時代になります。(フォークソングの傍流ですが)さらにサザンオールスターズなどの登場により、バンドが注目される様になります。
この一連の流れは、「プロ→アマチア」への変化と取る事が出来ます。研ぎ澄まされた言葉やメロディーよりも、等身大で同時代的な言葉が若者の支持を集める様になったのです。
クラシックやジャズは演奏や作曲が高度化する事で大衆性を喪失しましたが、元々大衆音楽である歌謡曲は、自らの立ち位置を聞き手と合わせる事で、大衆からの支持を繋ぎ止める事に成功したのでしょう。
ジャニーズなどは「どこにでも居る素人」に見える事を武器に大衆の人気を集めて行きます。「下手」が武器となる時代の到来です。
一方で子供達やその母親達がジャニーズに熱狂する程、相反して私たちは歌謡曲から離れてしまいました。「ケ!女子供が下らない・・・」なんて、心の中で悪態を付いたりします。
そんな歌謡曲難民の大人達は、サザンやミスチルといった個性の強いバンドや、ユーミンや山下達郎といった完成度の高いミュージシャンを支持する様になります。
■ PCの前から生まれるヒット曲 ■
歌謡曲というのは、「芸能界」という独特の閉じられた世界から発信されます。どんなに身近なテーマを歌っていても、アーティストの存在ははるか彼方。
ところが、最近はニコ動に投稿される素人の作品の中からヒット曲が生まれる様になってきました。
これらの曲はPCの打ち込みで演奏トラックが作られ、ボーカルは音声合成ソフトのボーカロイド(初音ミクが有名)で制作されている事が特徴です。
初期の名作としてryoが作ったブラック・ロック・シューターが挙げられますが、ビジュアルが先行して発表され、それにryoが初音ミクで歌を付けてヒットしたものですが、後にアニメの諸作に発展してゆきます。2008年の作品です。
[[youtube:zwVRCNs-lTA]]
その後、「ニコ動 + ボーカロイド」は数々の作家を輩出して行きます。
2011年にはこんなヒット曲も生まれています。『千本桜』という曲です。歌詞に変な漢字熟語が散りばめられているのが中二病的でステキ・・・・。これらの曲はカラオケで「ボカロ曲」というカテゴリーでゾロゾロ出て来ます。
これは『恋空予報』という曲ですが、もう普通に歌謡曲の良曲。こんな曲が出て来ると、もうプロの存在感が危ない・・・。ボカロもここまで自然に「歌わせられる」時代になったのかと感心しきり。
こんな曲になると人間には歌唱不可能?!カラオケで挑戦する人が出てきそう・・。
『スリキレハグルマ』
この曲なんてプロがボツ曲をネットに流したんじゃないかってクオリティー。歌詞をちょpっと直せば、普通に誰かのアルバムに入っていそうな曲。『carame』
ちょこっと検索しただけで、こんな曲がゴロゴロしている訳でして、ボカロは既に歌謡曲の1ジャンルとして確立しているとも言えます。
冒頭の『妄想税』は、この様なボカロ曲の一つですが、自虐的でシニカルが歌詞が中二病の私の感性にクリティカルヒットしました。
■ 二次創作も面白い ■
ネットではこれらのオリジナルの表現の他に二次創作の傑作もゴロゴロしています。
今季アニメのイチオシの『月刊少女野崎くん』mのOP『君じゃなきゃダメみたい』 歌:オーイシマサヨシは、スガシカオみたいなファンクチューンがゴキゲンなナンバーですが、2次創作の材料としても魅力がある様です。
オタク視点からの替え歌の『二次じゃなきゃダメみたい』は傑作です。
さらに、こんな使われ方も。もう、スゴスギて笑って良いのやら、関心して良いのやら混乱してしまいます。最後のオマケも抱腹絶倒。(アニメの第一話を見てからだと…ぷぷぷ・・)
著作権の取り扱いが厳しくなる一方で、ネットというメディアは素人の作品発表の場としてオリジナルや様々な二次創作の場を提供しています。
表現の垣根が下がる事は、ある意味において質の低下を招きますが、一方、フリーダムな表現が連鎖して、新たな表現様式やジャンルを生み出しています。私は、パッケージ化された歌謡曲やポップスよりも、煮えたぎるエネルギーを感じて好きです。
本日は若者文化をちょっとご紹介しました。
ボカロなど詳しく無いので、間違っていたり、追加したい事がありましたら、コメント欄にドシドシお寄せ下さい。
<追記>
既に歌謡曲の1ジャンルとして確立した感のある「ボカロ歌謡」ですが、こうして幾つかの曲を聴いてみると、最初は現実の歌手の代用品であったボカロが、ボカロ独自の強い魅力を獲得した事に気づきます。
その魅力は2次元キャラとしてのアニメキャラと現実のタレントとの差に非常に近いものがあります。タレントには人間という存在自体が持つ生々しさが付きまといますし、どんな役を演じていても生身の役者さんの私生活が透けて見えたり妄想されたりしてしまいます。
そこに行くと2次元のキャラクターにはリアルが存在しません。このリアルの欠如は「妄想の拡大」を阻害しないという点において非常に有利に作用します。
ボカロソングにしてもリアルな歌手の不在は、楽曲の歌世界にリアルな人格としての歌手が介在しないという、「ある意味の純粋性」を保つ事に寄与している様に思われます。確かに「初音ミク」というキャラ付けはされているのですが、それが架空の物だと誰もが認識しています。
そして、楽曲製作者はミクのキャラクター付けを活かした楽曲を作る事も、ミクを単なるボカロの道具とした楽曲を書く事も自由です。
ボカロ臭い歌い回しは有りますが、歌手が持つ所謂「個性」や「歌い回しのクセ」の様な物はありません。あくまでも「無効性」なボカロが歌う事で、利き手は歌手の存在を抜きにして楽曲に向き合う事が出来ます。これもボカロの持つ一つの「純粋性」なのではないかと思われます。
ボカロに曲を提供している人の中には明らかに素人の域を出ている人も見受けられます。実際のポップスの分野では、ゴーストライターの方が沢山活躍されています。レコード会社に楽曲を持ちこんで、それを売って生計を立てている方も居ます。
これは私の勝手な想像ですが、持ち込みの曲でボツにされた曲をボカロ曲としてネットに流したらどうなるでしょうか?クオリティーの高い曲ならば、ニコ動で話題になり、カラオケで皆が歌う様になります。こういてカラオケから印税が入る様になれば、多少のお金を稼げる様になります。
ボカロ曲を注意して聞くと、ボカロならではの世界観を持った曲と、リアルなポップスをボカロが歌っているだけの曲に2分される事に気づきます。この二つが互いに影響しながら、ボカロというジャンルのボトムアップが図られているように思います。
ネットという世界はamazonの様に、中間業種や既存の流通の枠組みを壊す事を得意としています。ボカロ歌謡の広まりは、歌謡曲の「産地直送」なのかも知れません。多少「イビツ」な商品でも、それを評価する人が居れば企画品でなくても十分に商品として成立します。まさに、マスマーケットを失って低迷する歌謡曲のアンチテーゼとして、ボカロ歌謡は存在しているのかも知れません。