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神社本庁て何?・・・戦前回帰を目指すアナクロ集団

2017-12-11 04:18:00 | 時事/金融危機
 

■ 富岡八幡事件でメディアに注目され始めた神社本庁 ■

日本会議同様に安倍首相や自民党の背後で蠢きながらも、今一つメディアが取り上げていなかった神社本庁。先日の富岡八幡の宮司殺害事件を発端として、ようやくメディアがその存在を伝え始めました。

神社本庁の関連団体である「神道政治連盟国会議員懇談会」には300人以上の国会議員が名を連ねるなど、政治的影響力が無視できない組織ですが、簡単に言ってしまえば全国の7万9千の神社を束ねる組織です。

神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人(包括宗教法人)という位置付けですが、歴史的には戦前の内務省の外局であった神祇院を引き継ぐ組織です。

傘下の神社の宮司の任命権を持っており、今回の事件でも富岡八幡の女性宮司の就任を神社本庁が長年に渡り否定していた事が報じられています。

■ 世襲から外れた宮司の子弟の天下り? ■

実は富岡八幡同様に神社本庁が宮司の任命を拒否して問題となっている神社が有ります。大分県の宇佐神宮です。宇佐神宮は全国4,400社ある八幡神社の総本社で、到津家が代々宮司を世襲して来ました。

到津家は南北朝時代から宮司を世襲して来た家柄で、全国の世襲宮司の中でも歴史の長い家系。ところが、最後の末裔が女性となった事で、神社本庁が彼女の宮司就任を拒否したのです。そして神社本庁から宮司を派遣しました。この人事に地元の氏子が反発し、お祭りの氏子の寄付金のとりまとめを拒否するなど、神社本庁が覇権した宮司と氏子の対立が先鋭化しています。

実は神社本庁に勤める職員の多くが全国の神社の宮司の次男、三男が多いと言います。彼らは宮司職を継ぐ事が出来ないのですが、全国の神社で宮司が不在となると、神社本庁の人材が派遣されたりします。

地方の小さな神社では収入も権力もたかが知れていますが、大神社ともなると話は違って来ます。今回の殺人事件があった富岡八幡も、問題となっている宇佐神宮も全国に名が轟く大神社です。その世襲宮司職が空位となれば、神社本庁から天下るには魅力的な「職場」となります。

富岡八幡、宇佐神社の世襲女性宮司が神社本庁から認められなかった背景には「天下り先確保」という、神社本庁側の思惑があったのでは無いかと週刊誌などは報じています。


■ 戦前回帰というアナクロイズム ■

何かと話題の神社本庁ですが、日本会議以上に先鋭的な「反米・戦前回帰」を政治信条とする集団です。

元来、神道は土着的な原始宗教で、教義や経典を持っていないので、キリスト教やイスラム教や仏教の様な「宗教の体」を成していませんでした。

明治維新、日本が近代化するに当たり、西洋の政治体制を手本にした明治政府は、「国教」の存在が国民を統率する為に不可欠である事に気付きます。そこで、天皇を中心にした「人造宗教」を作り出します。それが「国家神道」です。

本来、日本の神社は土地の神や、一族の神など、自然発生的なもので相互の関係は希薄だったものを、天照大神(伊勢神宮)を筆頭に全国の神社を体系化します。そして天皇を現人神(あらひと神=生神)として祀った。

全国の神社は内務省の外局であった神祇院に統括され、平安時代に定められた『延喜式』に倣って、格式が決定されます。これを「近代社格(旧社格)」と言います。第二次世界大戦後にこの制度は廃止されますが、現代でも神社本庁が統括する別表神社の様な形で、社格制度は存続しているとも言えます。

戦前、国教として神社は国体の根幹を担い、大きな権力を持ちました。戦後の政教分離によって神社の政治的権力は急速に減衰しますが、神社本庁の中には「過去の夢再び」とばかりに、戦前の日本を懐古するアナクロイムズが蔓延している様です。

これが神社本庁の政治的信条である「反米・戦前回帰」となっています。

■ 集票機関や集金機関としての神社本庁? ■

自民党の本質は「親米保守」ですから、「反米」の神社本庁と政治的な指向が異なっていますが、一方で多くの自民党議員が「神道政治連盟国会議員懇談会」に名を連ねているのは一見不思議です。

巷では神社本庁が自民党に集金機関だとか、集票機関だともい噂されますが、神社本庁の会計を調べた記事を見る限りは、その影響力はそれ程大きくはありません。ただ、議員としては地元のお祭りに関わる事は選挙対策として有効で、人脈を築く上で神社との関わりは大切な様です。

■ 日本会議や神社本庁といった「戦前主義」と、「米国服従」という戦後主義 ■

安倍政権や自民党の背後に蠢く「日本会議」や「神社本庁」の政治信条は「反米・戦前主義」です。一方、実際の安倍政権や自民党の政策は「対米服従」的です。

戦後、アメリカの属国となって日本におい政権を維持する為には「対米従属」である事は絶対条件です。反米的な政権は民主党政権を始めとして極めて短命でした。

一方で、選挙に勝つ為には、投票所に足しげく通う高齢者の支持は欠かせません。少し前の高齢者には戦中派の方も多く、それらの方々は地元の名士になられている方も少なからずいらしたはずです。そういった戦中派の有力者の中には、「対米従属」を良しとしない方も多いハズです。

こうして「対米従属」と「戦前回帰」という相反する政治信条を自民党は内包する様になります。国内の政治的スタンスとしては「戦後レジウムからの脱却」という「対米従属の否定」を掲げ、一方、政権維持の為には「対米従属」を続けざるを得ない。

こんな自民党や安倍政権の矛盾に対し、本来国民は「どっちかハッキリせい!!」と罵声を浴びせるべきですが、自民党支持者やネトウヨは自分達の良いと取りで、勝手に支持を強めている様に思えます。

〇安倍政権だから経済が安定している
〇自民党だからアメリカとの関係が安定している

〇安倍政権は強い日本を目指している
〇安倍政権は中国韓国にガツンと物が言える

結局は自民党政権の強さは、この節操の無さにあるのかも知れません。そして日本人は「ハッキリしない物」を意外に好むのかも知れない。

「日本会議」や「神社本庁」といったアナクロイムズも、「ネトウヨ」と言われる「隣国嫌悪」も、「対米従属による経済発展」も、全てを受け入れる度量というか、節操の無さが「自民一強」を作り出しているのかも知れません。



ところで富岡八幡の事件、色々と妄想が膨らむ事件ですね。姉弟の事件としてでは無く・・・。