こういうしっとりした芝居を作ろうとする集団は今の時代どこにもない。要するに、武田一度さんしかいないということだ。しかも、彼はそれを野外でやる。毎年難波宮に丸太で劇場を建てて、上演する。秋の夜の幻のように、劇場は現れて、芝居が始まる。そして、消えていく。空が大きく見えるのがいい。そこに幻の町が出現する。いつものパターンだ。
そこで、お話が始まる。失われた時間を慈しむ芝居だ。だが、それはただのノ . . . 本文を読む
□がない。だから、四角、死角(あるいは「資格」かも)のない部屋。という、このタイトルにあるアイデアを、この芝居は生かしきれない。もったいない話だ。せっかくの大胆さ。それをもっと大々的に取り上げるべきだ。
生かせないのはタイトルだけではない。仕掛けられたお話の謎も、生かせないのだ。どうして、こんなふうにするのか、それすらわからない。気取った始まりかたは悪くはない。途中で話を一度リセットする、と . . . 本文を読む
魔人ハンターミツルギさんがアメリカで骨折して、その時の気分を芝居にしたのがこの作品です。転んでもただでは起きない、彼らしい。どんなことでも、ネタにする。その心意気たるや。でも、この芝居のどこを見ても、「骨折」という事実が反映されていない。何のための経験なのか、とあきれてしまう、くらいに骨折が意味をなさない。それって、別の意味ですごい。ミツルギさんは、今回、タイトルにだけ、骨折という痛い体験を使っ . . . 本文を読む
先日、安藤尋監督の『海を感じる時』を見て、感じた違和感はなんだろうか、とその事が気になっていた。原作である中沢けいの小説を読んだ時の気分にも似ている、と思った。原作を読んだのは、今から30年以上前の話だ。そんな昔のことをどうして憶えているのか、というと、あのざらざらした気分がとても不快だったからだ。こんな小説、きらい、と思った。まだ10代の頃で、主人公の男女が自分と同世代、同じ時代を生きていると . . . 本文を読む