ダルトン・トランボの伝記映画なんて、そんな地味な企画が1本の映画になるなんて、もしかしたらこれは奇跡だ。と、冷静に考えたらわかる。でも、そんなことより、まず僕がこの映画が見たかったのは、トランボという男が好きだから。それだけ。
『ジョニーは戦場に行った』という1本の映画が子どもの頃の僕を打ちのめした。だから、彼の名前は今も記憶のかたすみに深く刻まれている。中学3年生の頃、TVで見た。あまりのショックでしばらくは立ち直れなかった。映画というものがこんなにも衝撃を与えるということ。さらには人の心の底に影響を与えること。
あの頃、衝撃の傑作『ジョニーは戦場に行った』の監督、ドルトン・トランボ(僕が子どもの頃は確かダルトンではなく、ドルトンという表記だったはず)の名前だけが忘れることなく残った。そして、今、10代前半の僕に影響を与えた3本の映画がみんな彼の手による作品だったと知り、俄然この映画に興味を抱いた。40年の歳月を経て、今、この映画を見る。でも、ここに描かれるのは、『ジョニーは戦場に行った』ではない。それ以前のお話だ。
さらには、高校1年の時見た『パピヨン』。そして、『ローマの休日』。この2本の脚本を書いたのが彼だったなんて、今回この映画の宣伝で初めて知った。それまで彼については赤狩りに立ち向かった男、という歴史のお勉強程度の知識しかなかったけど、この映画を通していろんなことが知れた。
この人の頑固さ。頑なさが、よく出ている。子どもたちを犠牲にして、自分の信念に生きる。映画は実に淡々としたタッチで描かれる。過酷な運命と戦う不屈の男というより、自分勝手なおっさんに見える。ハリウッドから締め出され、刑務所に入れられ、服役してきてから、仕事をするため、B級映画をどんどん書き続ける。自分は脚本家だから。
どんなことがあろうとも、自分の意志を貫く。曲げない。そういうとなんだかカッコいいけど、このトランボさんはあまりカッコよくない。なんか、我儘なだだっ子が意地を張っているよう。お風呂に籠っての執筆活動も笑える。子どもがよくすることだ。何でも、手の届くところにおいて、脚本を書く。まぁ、天才なのかもしれないけど、なんだかなぁ、と思う。そんな「困ったちゃん」の彼を家族は見棄てない。(妻役のダイアン・レインが素晴らしい。)
とても立派なことをしているし、時代に立ち向かい、不屈の意志で、仲間を守り、助ける。しかし、家族には甘えている。だから、本当はまるで、立派じゃない。だから、人間臭い。2度のアカデミー賞も、実はうれしい。俗物でもある。
そんな彼だから、『パピヨン』や、『スパルタカス』のような映画を作れた。そして、『ローマの休日』も。だけど、僕にとって彼はやはり、『ジョニーは戦場に行った』を作った人だ。まだ子供で何も知らなかった僕に圧倒的影響力を与えた。きっと今見たら鼻持ちならないヒューマン映画なのかもしれない。だから、怖くて見れないし、見ない。記憶の中のこの映画をずっと大事にしておきたいから。
『トランボ』という映画を見て、知らなかった彼が見えた気がする。いろんな謎が解けた気がする。それは、知識ではなく、人と作品との関係についての話である。
でも、そんなことは実はどうでもいい。映画として実に面白く、何も知らないまま、先入観なく見たら、もっと新鮮で面白かったかもしれない。だが、そうはできなかった。なんだかいろんな意味で複雑な心境。
それにしても、『ハリウッドに最も嫌われた男』というサブタイトルはつまらない。この映画を安っぽいものにしている。まぁ、たいしたことではないけど。