習慣HIROSE

映画・演劇のレビュー

劇団大阪『なすの庭に、夏』

2014-07-15 22:44:58 | 演劇
 武藤さんが初めて劇団大阪の本公演を手掛けた。昔、彼がスケッチブックシアターでも上演した作品を再び取り上げた。彼にとってはとても愛着のある作品なのだ。戦争を背景にして、そんな中で、ひとりの少女が静かに息をひそめるようにして生きた時間が描かれる。表面的にはとても感傷的で抒情的な作品にも見える。だが、これは「戦時中のレジスタンスを描いた作品だ」と武藤さんは言う。今の時代に一石を投じるものになる、と言うのだ。作者である鈴江さんの文章ともども、激しいタッチでこの作品は反戦を前面に打ち出したものだと言うのだが、僕にはまるで、そうは思えない。

 以前見たときも、今回も、同じようにここに描かれるのは、頑なな少女の内面の世界を硬質なタッチで綴ったエッセイのような作品という印象しか残らない。あまりに淡すぎて、消えてなくなりそうだ。自分が今見たものは、おばあちゃんが、あの大木の下で見ていた夢でしかないような。でも、それだからこそ、この作品は素敵だ、と思う。

 田舎の村で、下働きをする少女なす。お屋敷の庭で、そこを訪れる郵便屋や植木屋、近所の洗濯女たちとの時間。なんでもない時間が静かに描かれていく。やがてやってくるクライマックスは、屋敷に帰ってきた若坊に連れられてお祭りに行く夜の出来事エピソードだ。まるで幻のようなその時間の中で、彼女はただ、流されるように生きていた。でも、そんな記憶が彼女にとってはかけがえのないものとなる。

 武藤さんは繊細なタッチで彼女の時間を丁寧に綴っていく。舞台はとてもシンプルで、3方囲み舞台で、そこは真っ白な空間で、何もない。でも、そこはタイトル通りの夏の庭である。大きな木があり、井戸があるだけ。いつものスーパーリアルを身上とする劇団大阪とはちょっと違うアプローチだ。もちろん、それは演出の意図なのだろう。武藤さんも前回この作品を取り上げたときには、もう少しリアルな空間を作っていたから、明らかに意図してこういう空っぽの空間を目指した。そうすることで、観客の心の中によりリアルな場所をイメージさせるのだ。ここは確かに戦時中の田舎の旧家の庭で、ここでなすは生きていた。少女の記憶の場所が現実と幻想のあわいから立ち上がってくる。そのささやかな愛おしい時間がこの作品の目指すものだ。そこでは戦争は背景でしかない。だが、その暗い影が彼女だけでなく、世界を覆い尽くす。これはこんなにもシンプルなのに、実は単純な芝居ではない。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『クレヨンしんちゃん ガチ... | トップ | 『her  世界でひとつの彼女』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。