こういう映画が東映は大好きだ。『ビーバップハイスクール』の昔から、不良高校生を主人公にした映画は(もちろん、それ以前もそうだが)ここの専売特許だ。決して『クローズ・ZERO』のようにはしない。高校生の喧嘩を描きながらも、そこに組織的なものよりも一匹狼の主人公を配して、特定の集団には属さないアウトローを描く。そこにはコミカルなものから、ハードなものまで、さまざまなパターンがある。
そこで今回の作品なのだが、これはどちらかというとシリアスの側に傾く。前作『ワルボロ』以上に悲惨で、笑わせる描写も多々あるけど、根底にあるのはシリアスだ。中学から高校へと、舞台が変わったことも大きい。
主人公は暴走族とヤクザの間で揺れる。暴走族を卒業したいけど、無理だ。そのためには、ヤクザになるしかないという究極の選択を迫られる。だが、そこで彼は簡単にヤクザを選ぶ。しかし、まだ高校1年である。チンピラや愚連隊もどき、本物のヤクザが乱れ飛ぶ中、最終的に彼が(彼の少ない仲間も含む)どういう喧嘩をするのかが描かれる。
絶対にヤクザは許さないという母親との確執を軸にして、子供から大人への境に立つ男の子を描くのだが、演じている役者たちがどうみても20代の後半にしか見えない大人で、しかも、どう考えても現代のお話だとは思えないのに、舞台となる風景は2014年で、そんなちぐはぐさが、この映画を摩訶不思議なものとする。原作はゲッツ板谷の自伝小説だから、80年代くらいの設定のはずなのに、堂々と現代の風景の中でそれを見せる。橋本一監督は時代考証には拘らない。彼が『桜姫』でやったのと同じだ。細かいことにこだわることなく勢いだけで乗り切ってしまう。何よりもまず、迫力ある喧嘩を見せることに腐心する。
そんな作り手の熱い想いが確かに伝わる映画だ。無茶苦茶な奴らの滅茶苦茶な生きざまを堂々と描く。ぎりぎりまで追いつめられた彼らが不敵な笑みを浮かべながら、喧嘩に挑む姿が、この映画のリアリティであろう。そこには嘘はない。ボロボロになりながらも喧嘩を続けるやつらがなぜか眩しい。脚本は高橋泉。凄惨な喧嘩ばかりの映画なのだが、実に上手い。
そこで今回の作品なのだが、これはどちらかというとシリアスの側に傾く。前作『ワルボロ』以上に悲惨で、笑わせる描写も多々あるけど、根底にあるのはシリアスだ。中学から高校へと、舞台が変わったことも大きい。
主人公は暴走族とヤクザの間で揺れる。暴走族を卒業したいけど、無理だ。そのためには、ヤクザになるしかないという究極の選択を迫られる。だが、そこで彼は簡単にヤクザを選ぶ。しかし、まだ高校1年である。チンピラや愚連隊もどき、本物のヤクザが乱れ飛ぶ中、最終的に彼が(彼の少ない仲間も含む)どういう喧嘩をするのかが描かれる。
絶対にヤクザは許さないという母親との確執を軸にして、子供から大人への境に立つ男の子を描くのだが、演じている役者たちがどうみても20代の後半にしか見えない大人で、しかも、どう考えても現代のお話だとは思えないのに、舞台となる風景は2014年で、そんなちぐはぐさが、この映画を摩訶不思議なものとする。原作はゲッツ板谷の自伝小説だから、80年代くらいの設定のはずなのに、堂々と現代の風景の中でそれを見せる。橋本一監督は時代考証には拘らない。彼が『桜姫』でやったのと同じだ。細かいことにこだわることなく勢いだけで乗り切ってしまう。何よりもまず、迫力ある喧嘩を見せることに腐心する。
そんな作り手の熱い想いが確かに伝わる映画だ。無茶苦茶な奴らの滅茶苦茶な生きざまを堂々と描く。ぎりぎりまで追いつめられた彼らが不敵な笑みを浮かべながら、喧嘩に挑む姿が、この映画のリアリティであろう。そこには嘘はない。ボロボロになりながらも喧嘩を続けるやつらがなぜか眩しい。脚本は高橋泉。凄惨な喧嘩ばかりの映画なのだが、実に上手い。