こんなお話だったのか、という驚きの展開、納得の結末。自分が今見ているのはあの『平家物語』なんだよな、と何度も問いかける。新解釈というわけではない。これはまごうことなくあの古典の名作である。だが、その切り口の新鮮さと大胆さに圧倒される。これが「軍記もの」であることを終盤まで忘れさせる。清盛の死から、終盤、義仲の挙兵くらいからようやくこれが従来の『平家物語』なんだと思わされるのだが、戦記ものとしてのエピソードは一瞬で処理される。だが、展開を焦って端折ってダイジェストにしたのではない。このお話においてそこに割く時間はそれだけで十分だからだ。合戦シーンは圧巻である。だが、それを見せたいわけではない。膨大な登場人物が配されているが群像劇でもない。24分×11話。それだけの尺で、優雅で、静謐を湛えてこの「軍記もの」であるはずの物語を描き切った。
冒頭の少女の父親が殺されるシーンで、これは従来の平家の栄華と没落のお話ではない、ということを思い知らされる。主人公はこの少女だ。この子の視点から描かれる。彼女は琵琶と名付けられる。「平家にあらずば、人にはあらず」という傲慢な平家一門が彼女の対極に描かれるのでもない。彼女は父を平家に殺されたにもかかわらず、平家に寄り添う。
前半の主人公は彼女と重盛だ。重盛は亡者が見える。平家の棟梁としてこの都で一族を守ろうとするのだが、運命には逆らえない。琵琶も同じだ。彼女は重盛に寄り添い、運命を見守る。儚げで、静謐なドラマが綴られていく。琵琶は大人である重盛を「重盛」と呼び捨てにする。一族の他の人々に対しても同じだ。そこにいるけど、彼女はそこにはいない。さらには、未来が見える彼女の目、という不思議はなんの力にもならない。
後半の主人公は徳子である。彼女が、重盛亡き後の平家を守る。幼くして即位する安徳帝を身ごもり、出産し、育てる。だが、無力な彼らにできることは何もない。琵琶は平家から一度は離れるが、都を追われる彼らのもとに再び訪れ最期まで寄り添う。琵琶法師として彼らの物語を語るために。
清盛や、頼朝も描かれるが、彼らのシーンは圧倒的に少ない。そして、清盛も悪でも正義でもない。富と名誉と権力、欲に溺れた男ではない。頼朝もただの無気力、無能ではない。ただ、この物語の主人公たちの対極に位置する同じ人間としてそこにいる。
15年ほどのお話は平家没落の歴史ではなく、人の世の儚さを描く。だから、原作通りなのだけど、その静謐を湛えた描写は淡々として、拭いきれない悲しみに寄り添う。ナレーションは、ない。説明描写も一切ない。目の前の出来事をさらりと描くばかりだ。監督は山田尚子。脚本は吉田玲子。女性の側から描かれる。そして彼女たちが強い。つま弾かれる琵琶の音に導かれ、滅びゆく一族の姿が描かれる。諸行無常、盛者必衰の理が見事に描かれる。アニメーション映画だから可能な、こんなにも静かで美しい『平家物語』を作り上げた。