ある映画監督の追悼上映会の1日を巡るドラマ。67歳で亡くなった今ではあまり顧みられることのない映画作家。夜にこだわり、自主映画からスタートして、キャリアをスタートさせた。夜を描く3部作が代表作、その後商業映画を数本撮ったが、この10年ほどは映画を撮ってなかった。そんな男の映画を1週間だけ、追悼企画として銀座のミニシアターで上映した。雨の降る夕暮れ時、6人の客だけを集めてその日の、その回の上映が始まる。彼の代表作であり商業映画の第1作でもある『夜、街の隙間』である。
1995年、ミニシアターブームが去りつつあるとき、ひっそりと死んだある映画監督。彼を巡るドラマだが、語り手はこの日のこの時間にこの映画を見た6人の観客だ。彼らがなぜ水曜日の夕暮れ時、この映画を見るに至ったのか、それぞれの抱える事情が描かれる。それが微妙なところでその映画監督とのエピソードに触れてきたり、こなかったり。(6人の中には、たまたまこの映画を見たという女性もいる)だけど、それぞれがこのささやかな映画に触れ、そこで描かれる人々の群像劇から何かを感じ、映画を見て幸せな気分になったことは事実だ。
決して単純なハートウォーミングではないけど、人間に対する真摯なまなざしが向けられる作品である。観客の中には以前この映画に影響を受けた人もいる。この映画の監督の息子も初めてそのときこの映画と向き合う。ドラマチックな出来事と、何でもないようにも見えるささやかな時間がそこには共存している6つのエピソードだ。
映画についてのマニアックな小説というわけではない。小野寺 史宜は今回映画を題材にしていつものように生きていることの悲哀を描く。市井に生きる人たちのなんでもない日々の中で心にたまたま残っていた映画。人生に大きな影響を与えた、とまではいわないけど、でも、この映画が気になる。2時間ほどの1本の映画を見ながら、さまざまなことを感じる時間。映画に影響され触発され自分の今を振り返る。20年以上前の古い映画が、今とあの頃、この先を照らし出す。