こういう小説が課題図書は好きだよな、なんて思いながらなんとなく読んでいたが、だんだんこの作品世界に嵌っていき、気が付けば最後まで読んでいた。『となりのトトロ』と『クレヨンしんちゃん』を足して2で割ったような不思議な作品である。
ガンで入院中の母親、子供二人を抱えて、家で仕事をする父親。彼らを陰で支える祖母。彼らが織り成す物語。語り部は父親だが(母親によるエピソードもあるが)主人公は、実は彼らの子供であるミライ少年である。
父と二人の子供たちが近所の公園に行き、虫取りをする場面から始まる。5歳児のミライはいろんなことに興味を抱く。この子の話し方がしんちゃんそっくりで笑える。大人と対等でいっぱしのことを言う。彼が虫や植物、さらには宇宙に興味を抱き、父親にいろんなことを聞いていく。自分でも考える。そんな過程が丁寧に描かれてある。まだ何もわからない妹のアスカもお兄ちゃんに付いていき、わからないなりにいろんな事を体験する。
化石のこと、カメのこと。命のこと。母親の病気についても幼いながら考える。どうしたら、病気が治るんだ?ガンをやっつけるにはどうしたらいいんだ?彼の中の世界がどんどん大きくなる。父は彼にわかりやすいように考えながら、あの手この手でしっかり答えていく。手抜きしたり、ごまかしたりしない。父は少年の発する素朴な疑問から絶対逃げたりしないのだ。
『トトロ』の基本設定とよく似たドラマなのは、無意識だろうか。入院中の母親に逢いたい。でも幼いながら、我慢している。父は子供の世話をしながら自分の仕事をこなしていく。こういう基本ラインを持ちながら感傷過多にはならない。母親の死、という事実から目を背けないし、同時にそこをドラマの芯には設定しない。
この作品の中で何よりもいいのは、親子の対話がとても面白いことだ。こんなふうに子供としっかり向き合い、彼が考える事を受け止めていく。どう話したら伝わるか、必死に模索していく姿が素敵だ。子供に媚びるでもなく、大人に甘えるでなく、お互いに真剣に対話していく。5歳児の宇宙を大事にしていく。
父が書いている童話『巨大なカメのペタと無限の散歩』を巡るエピソードがこの小説全体を纏めていく。世界の成り立ちについての考察である。大きな宇宙がどんな風に出来ているのか、かって寝物語として、子供たちに語り聞かせたお話が、現実として、立ち上がっていく。ミライの頭の中ではそれは確かな現実だ。そして、それを本として出版することを前提に書き綴る作業を通して父にとってもそれは、確かな現実となっていく。自分たちの宇宙がこの世界を形作る。もちろんそれは小さな『てのひらの中の宇宙』でしかないのかも知れない。しかし、彼らはそんな風にして確かに生きていくのだ。
少年と父の宇宙が交わり一つの世界を作る。これは単純な親子の交流を描いた物語ではない。2人の人間が向き合い、対話を通してお互い成長していくことで、家族の新しい形を提示する、そんな小説なのだ。
ガンで入院中の母親、子供二人を抱えて、家で仕事をする父親。彼らを陰で支える祖母。彼らが織り成す物語。語り部は父親だが(母親によるエピソードもあるが)主人公は、実は彼らの子供であるミライ少年である。
父と二人の子供たちが近所の公園に行き、虫取りをする場面から始まる。5歳児のミライはいろんなことに興味を抱く。この子の話し方がしんちゃんそっくりで笑える。大人と対等でいっぱしのことを言う。彼が虫や植物、さらには宇宙に興味を抱き、父親にいろんなことを聞いていく。自分でも考える。そんな過程が丁寧に描かれてある。まだ何もわからない妹のアスカもお兄ちゃんに付いていき、わからないなりにいろんな事を体験する。
化石のこと、カメのこと。命のこと。母親の病気についても幼いながら考える。どうしたら、病気が治るんだ?ガンをやっつけるにはどうしたらいいんだ?彼の中の世界がどんどん大きくなる。父は彼にわかりやすいように考えながら、あの手この手でしっかり答えていく。手抜きしたり、ごまかしたりしない。父は少年の発する素朴な疑問から絶対逃げたりしないのだ。
『トトロ』の基本設定とよく似たドラマなのは、無意識だろうか。入院中の母親に逢いたい。でも幼いながら、我慢している。父は子供の世話をしながら自分の仕事をこなしていく。こういう基本ラインを持ちながら感傷過多にはならない。母親の死、という事実から目を背けないし、同時にそこをドラマの芯には設定しない。
この作品の中で何よりもいいのは、親子の対話がとても面白いことだ。こんなふうに子供としっかり向き合い、彼が考える事を受け止めていく。どう話したら伝わるか、必死に模索していく姿が素敵だ。子供に媚びるでもなく、大人に甘えるでなく、お互いに真剣に対話していく。5歳児の宇宙を大事にしていく。
父が書いている童話『巨大なカメのペタと無限の散歩』を巡るエピソードがこの小説全体を纏めていく。世界の成り立ちについての考察である。大きな宇宙がどんな風に出来ているのか、かって寝物語として、子供たちに語り聞かせたお話が、現実として、立ち上がっていく。ミライの頭の中ではそれは確かな現実だ。そして、それを本として出版することを前提に書き綴る作業を通して父にとってもそれは、確かな現実となっていく。自分たちの宇宙がこの世界を形作る。もちろんそれは小さな『てのひらの中の宇宙』でしかないのかも知れない。しかし、彼らはそんな風にして確かに生きていくのだ。
少年と父の宇宙が交わり一つの世界を作る。これは単純な親子の交流を描いた物語ではない。2人の人間が向き合い、対話を通してお互い成長していくことで、家族の新しい形を提示する、そんな小説なのだ。