こんなにも後味の悪い映画だとは思いもしなかった。終盤の朝子の突然の行為だ。この映画を見た誰もがそれには驚いたはず。その後の展開もまさかの、まさかだ。ラストシーンまで一気に。河を眺めるふたりの姿を捉えたあのなんともいいようのない幕切れを見た後、暗転してエンドタイトルが流れても、これで終わりなのか、という暗澹たる想いが胸を支配する。ほんとうにこれでこの映画は終わるのか、信じられない気分のまま、席を立つ。衝撃的な恋愛映画である。だけど、こうして人生は続く。
どんよりとした天気のなか、映画は始まる。(そして、全編がそんな天気だ) 大阪を舞台にして第1章(序章か)が始まった。主人公のふたりが運命の出会いをしてしまうのは、中之島の国立美術館。牛腸茂雄の写真展。ありえないような出会い。そして、いきなりのキスシーン。映画でも(まぁ、これは映画だけど)普通そんな展開はしない。「ない、ない」と、その直後の、ふたりのなれそめを友人(渡辺大知)に(話すシーンで)言われる。(あり得ないといえば、彼のラストの姿もありえない)
いきなり行方不明になる男。そして2年半後。東京での第2章。新しい出会い。でも、その男はあの男と全く同じ顔をしている。(そんな映画のような展開。しつこいようだけど、これは映画だ!)もういまさらこの映画のストーリーをここに書いても仕方ない。
幸せってなんだろうか、と考えさせられる。不安と背中合わせ。恋人同士が、何を隠して、何を隠さず伝えるか。その線引きは人それぞれだけど、この映画のヒロインは、いくつもの局面で信じられない選択をする。最初、昔の恋人と彼が瓜二つであることは言わない。でも、それはあくまでも自分の気持ちに忠実だったことの選択で、彼を思い遣ってのことではない。彼女の行動は終盤のあの唖然とする行為に至る以前から想像の先を行く。何を考えているのか、わからない。ふわふわして、意思表示もない。なのに、頑な。彼は彼女の昔の恋人のことに気づいていた。2年も前から。その間の彼の葛藤は一切描かれない。震災の日の再会から5年後、第3章が始まる。だから、そんなこと、その時にはもう過去の話なのだ。
被災地へのボランティア、結婚の決意、いろんなことがいきなり描かれる。それは時間が飛んでいくからだけではなく、描かれるお話の展開の中ででも、だ。そして、昔の男が迎えに来る。2役を演じる東出昌大の表情が凄くいい。昔の恋人の空疎な無表情、今の恋人の饒舌な無表情。それは朝子を演じる唐田えりかの無表情も同じ。顔で演技をしない。なのに、その顔がとても印象的でそれを見てるだけで緊張感が生じる。
柴崎由香の小説とは思えないほど、この作品はドラマチックだ。だけど、そんなお話なのに、映画は(小説も)いつもの彼女の何もないお話と同じように、そっけない。街の風景が前面に出てくるのもいつもの彼女の小説だ。忠実に原作のテイストをなぞりながら、濱口竜介監督は誰もが見たこともないような恋愛映画を作り上げる。悪い夢でも見ているように朝子の8年間は淡々と描かれる。映画は曇天の中、進み、2時間、悪夢はいきなり終わる。まさにタイトル通りの映画。寝てるのか覚めてるのか、どちらが夢でどちらが現実か、そんなことすら定かではない。