こういうタイプの独りよがりでわがままな芝居は好きではない。だけど、そこに確固とした強い意志が感じられたなら、それはそれで納得のいく芝居になる。いちばんたちが悪いのは「観客であるあなたたちに判断を委ねます」とかいうふうに逃げる芝居だ。自分に表現力がないから、そうなる。(だいたい「自由に読め」なんて言われなくても、観客は自由に読むしかないし。)作り手はある種の方向性をストーリーででも演出でもいいから、指し示すべきなのだ。観客の手を離してはならない。残念だが、この芝居はそういう作業ができきれてはいない。これだけでは何が言いたいのかわからない、と言われても仕方がないだろう。だが、これは「つまらない」と断罪してしまうには惜しい芝居でもある。とても不思議なタッチで舞台からは目が離せない。
水泳部の男子たちと、それを見守る少女。彼女は彼を見つめながらも彼に触れることはできない。それを恋とは言わない。だけど、そう言ってしまったならとてもわかりやすい芝居になったはずだ。得体のしれない気味の悪いもの。プールの中にいて、上半身裸で毛が生えていて息をしている。そんな動物をみつめる。そして、手を伸ばす。通じない。女友だちとの間でもなかなか気持ちを伝えられないのだから、全く知らない男の子と意志の疎通が取れるわけもない。もどかしくて、気分が悪くなる。そんな想いが90分間、息が詰まるように描かれる。言葉は他者に伝わらないし、伝える気もない。わけのわからないものに、手も伸ばせないまま、ある時代が終わっていく。
対面舞台であることも息苦しさを倍増する。しかも、舞台上で役者たちはほとんどコミュニケーション取らないし。彼女は熱帯魚を飼うことで彼らに近付こうとするが、水槽の中の魚に触れることができないように、男の子たちと触れ合うことができないまま、先輩である彼はクラブを引退していくことになる。
美術部の女の子とのやり取りを通して他者との距離を示す。自分自身の内面と向き合うように、二人で一役を演じる。女性キャストの3人と相似形をなすように男性キャストも3人だ。彼らも2人と1人という図式。対面舞台や剥き出しの空間というさりげない仕掛けから、演出の意図がもっと明確に見せることができたなら、面白い芝居になったかもしれない。いろんな仕掛けが用意されているけど、その意図が空回りしたままで終わるのが残念だ。
P.S.
この文章を書いた後で、この芝居のチラシを見たら、そこにはわかりやすいストーリーが書いてあった。ここまで説明しちゃっていいのか、と驚く。あんなにお話が読み取りにくい演出をしながら、ここではこんなに簡単に種明かしをしていいの? その意図はどこにあるのだろうか。ここまで書くのなら芝居の中でもそれを披露してもいいはず。