野中柊の力作長編『波止場にて』を読んでいたら、どうしてもこの映画を見たくなった。もともとこの夏一番見たい映画だったのだが、なかなか機会が作れず、今日まで見逃したまま過ごしてきたけど、そろそろいいかげん見に行かなくては公開が終わりそうなので、ほかの用事をキャンセルして見に行く。
『波止場にて』は昭和10年代、横浜が舞台となる。10歳だった少女が戦禍をくぐりぬけて、戦後を生きた姿を描く。戦争が終わった後の20歳前後がお話の中心となるのだが、前半の少女時代のお話がとてもいい。
戦争なんか彼女とはまるで関係ない。裕福な少女、慧子が主人公で、何不自由なく、暮らしている。そんな彼女と、彼女の父親のお妾さんの娘(だから、自分の腹違いの妹だ!)である蒼との友情物語。おとなしい慧子と活発な蒼。まるで生活が違うふたりが永遠の友情で結ばれていく。
戦争を戦場から描くのではなく、内地で暮らす人々の日常から描く。そういう視点から描くにも関わらず、今までの映画や小説ではドラマチックな部分ばかりが強調されたけど、この小説では何も起きない日常が前面に描かれる。それって『この国の空』も同じ。なんだか共通するものを感じて、この映画をますます見てみたくなったのだ。
静かな映画である。物音一つしないシーンがたくさんある。息をひそめるようにして生きる。昭和20年、初夏。戦争が終わる直前の時間。母(工藤夕貴)と娘(二階堂ふみ)がひっそりと暮らす家。隣に暮らす銀行員の中年男(長谷川博巳)。妻と子は疎開しており今は一人暮らし。そんなふたつの家のお話。当然、娘と中年男の恋愛映画になる。戦下での許されない恋、なんていうパターンなのだが、想像した映画とは少し違う。
もっと抑えた映画だと思った。でも、なんだかすごく大胆。戦時下で、しかも妻子のいる男のところに、あんなふうに自由に行き来していいのか? 自分の心に正直だったから、なんて、そういうわけでもない気がする。主人公であるふたりの気持ちがわからないから、なんか、乗れない。
茨木のり子の『私が一番きれいだったとき』が引用されるのだが、あの素敵な詩のなかで描かれるものが体現されてあるようには思えない。どちらかというと『波止場にて』のほうがずっとあの詩の精神が描かれてある気がした。