『オキナワの少年』の新城卓が、『秘祭』に続き石原慎太郎とコンビを組んだ大作である。新城は単純に慎太郎のお先棒を担ぐような人ではない。この映画をただの特攻隊賛美のようなものにしたりするはずもない。
「靖国で会おう」という彼らの言葉が、きな臭いものに感じられるのは、今の時代の目で彼らの言葉を聞くからであり、彼らの立場に立ったなら、それは純粋なものでしかありえない。そのへんは曲解せずに映画を見なくてはならない。
以前渡邊孝好が同じような特攻映画『君を忘れない』を撮った時、木村拓哉、反町隆史たちを通して、死んでいくまでの時間をいかに生きるのかを描いて、ひとつの普遍性のある青春映画として全体を纏めてみせたが、今回の新城はそんな甘い作り方をしない。
ひとりひとりの若者たちは、ただ単に、<もの>として扱われる。ゼロ戦と同じように消耗品として、彼らはここにやってきて、どんどん死んでいく。なくなったら新しい若者を補充していくのだ。
主人公たちの顔の区別もつかないうちに彼らは死んでいくことになる。だいたい主人公なんてこの映画にはいないが、メインキャストであるはずの徳重聡、窪塚洋介、筒井道隆ですら、全体の中に埋もれてしまいそうな勢いなのである。彼らは国家のもとではただの持ち駒でさえない。
そんな彼らをひとりひとり迎え入れ、彼らに優しい言葉をかけ、送り出していく女性、島濱トメ(岸恵子)をこの映画は視点として、ストレートなドラマが綴られていく。
死んでしまった人たちを賛美するのではなく、生き残ったものにもスポットを当てて、彼らの戦後も視野にいれた構成にも作者たちの視点が明確に示されている。死にたくなかった筒井が、あっけなく死んでしまうことと対比するように、死にたかった窪塚や、徳重も戦後に生き残る。窪塚は本土に帰らず、沖縄の孤島で一人暮らし、徳重はのこのこ知覧に戻ってくることになる。死んだように生きる2人が悲しい。
もちろん彼らの戦後派ほとんどが、台詞で語られるのみで、それ自体を描くわけではないが、新城監督は彼らの惨めさをしっかり描くことにより、この戦争で犠牲になったものは死んでいったものだけでなく、生き残ったもの、でもあるという当たり前のことを、しっかり見せていこうとする。
特攻という事実から目を背けるのではなく、しっかり見つめながら今という時代を語ること。それが作者のメッセージである。昨年の『出口のない海』にしてもこの映画にしても、作品の出来はともかくとして、描こうとする視点はすばらしいものだと思う。今時単純な戦争賛美映画なんて誰も作るはずがないのだ。
そうではなく、冷静に誰が、どんなふうに、あの戦争の中で死んでいったのかを描くことが大切なのである。生きることが大切なのは、百も承知の家出、それでも死ぬことしか出来なかった人たちの痛みから、映画は目を逸らしてはならない。
「靖国で会おう」という彼らの言葉が、きな臭いものに感じられるのは、今の時代の目で彼らの言葉を聞くからであり、彼らの立場に立ったなら、それは純粋なものでしかありえない。そのへんは曲解せずに映画を見なくてはならない。
以前渡邊孝好が同じような特攻映画『君を忘れない』を撮った時、木村拓哉、反町隆史たちを通して、死んでいくまでの時間をいかに生きるのかを描いて、ひとつの普遍性のある青春映画として全体を纏めてみせたが、今回の新城はそんな甘い作り方をしない。
ひとりひとりの若者たちは、ただ単に、<もの>として扱われる。ゼロ戦と同じように消耗品として、彼らはここにやってきて、どんどん死んでいく。なくなったら新しい若者を補充していくのだ。
主人公たちの顔の区別もつかないうちに彼らは死んでいくことになる。だいたい主人公なんてこの映画にはいないが、メインキャストであるはずの徳重聡、窪塚洋介、筒井道隆ですら、全体の中に埋もれてしまいそうな勢いなのである。彼らは国家のもとではただの持ち駒でさえない。
そんな彼らをひとりひとり迎え入れ、彼らに優しい言葉をかけ、送り出していく女性、島濱トメ(岸恵子)をこの映画は視点として、ストレートなドラマが綴られていく。
死んでしまった人たちを賛美するのではなく、生き残ったものにもスポットを当てて、彼らの戦後も視野にいれた構成にも作者たちの視点が明確に示されている。死にたくなかった筒井が、あっけなく死んでしまうことと対比するように、死にたかった窪塚や、徳重も戦後に生き残る。窪塚は本土に帰らず、沖縄の孤島で一人暮らし、徳重はのこのこ知覧に戻ってくることになる。死んだように生きる2人が悲しい。
もちろん彼らの戦後派ほとんどが、台詞で語られるのみで、それ自体を描くわけではないが、新城監督は彼らの惨めさをしっかり描くことにより、この戦争で犠牲になったものは死んでいったものだけでなく、生き残ったもの、でもあるという当たり前のことを、しっかり見せていこうとする。
特攻という事実から目を背けるのではなく、しっかり見つめながら今という時代を語ること。それが作者のメッセージである。昨年の『出口のない海』にしてもこの映画にしても、作品の出来はともかくとして、描こうとする視点はすばらしいものだと思う。今時単純な戦争賛美映画なんて誰も作るはずがないのだ。
そうではなく、冷静に誰が、どんなふうに、あの戦争の中で死んでいったのかを描くことが大切なのである。生きることが大切なのは、百も承知の家出、それでも死ぬことしか出来なかった人たちの痛みから、映画は目を逸らしてはならない。
ここが考えるスタートだと思う。